近づく何か
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
星舟の中は、珍しく静かだった。
エンジン音は一定。
警告灯も沈黙したまま。
それなのに、哲人は落ち着かなかった。
理由は、はっきりしない。
ブリッジの端。
窓際の席に座り、
外に広がる空を眺めているだけなのに、
胸の奥に、小さな引っかかりが残り続けている。
「……なんだろうな」
独り言は、誰にも拾われない。
哲人は、自分が“勘のいい人間”だとは思っていなかった。
むしろ、その逆だ。
考えて、考えて、
最後にようやく行動するタイプ。
なのに最近、
考える前に、
感覚だけが先に立ち上がることがある。
理由は分からない。
確信もない。
ただ、「気になる」。
それだけだ。
「哲人?」
声をかけられて、顔を上げる。
マリアだった。
ブリッジ中央のコンソールから、
こちらを見ている。
「具合、悪い?」
「いえ……そういうわけじゃ」
哲人は首を振った。
「ただ、なんというか……
何も起きてないのに、
起きそうな気がして」
マリアは一瞬、目を細める。
「それ、いちばん厄介なやつね」
「やっぱり?」
「ええ」
彼女はコンソールに視線を戻しながら、続ける。
「データ上は、完全に静穏。
無貌教団の動きも、ここ数日は沈黙」
「でも?」
「沈黙が長すぎる」
その言葉に、哲人は背筋を正した。
「嵐の前、ってやつですか」
「そうとも言えるし、
もっと嫌な言い方をすれば――」
マリアは、ほんの少し間を置いた。
「準備が整った、ってこと」
ブリッジに、わずかな緊張が走る。
そのときだった。
「……あれ?」
哲人が、思わず声を上げる。
「どうしたの?」
「いえ……」
彼は、窓の外を指さした。
「さっきから、同じ景色を見てる気がして」
マリアが、すぐに航行ログを確認する。
「航路に異常はないわ。
ループも、ズレもなし」
「ですよね……」
それでも、違和感は消えなかった。
哲人の視線は、
空の向こうではなく、
自分の内側に向かっていた。
なぜだろう。
最近、
「場所」という言葉に、
妙な引力を感じる。
人ではない。
物でもない。
“場所”。
そこに立つだけで、
何かを思い出しそうになるような、
でも、何も思い出せない場所。
「……哲人」
今度は、シャーロットだった。
彼女は、いつもの軽い調子ではなかった。
「これ、ただの雑談なんだけど」
「はい」
「嫌な予感がするの」
その一言で、
ブリッジの空気が変わる。
「……どんな?」
マリアが問い返す。
シャーロットは、少し考えてから答えた。
「“事件”じゃないの。
事故でも、戦闘でもない」
「じゃあ?」
「もっと個人的なやつ」
哲人は、その言葉に、
胸の奥が小さく鳴るのを感じた。
「誰かが、
すごく切実に願う気がする」
シャーロットは、そう言って、肩をすくめた。
「で、そういう願いって、
だいたい面倒なことになるのよね」
冗談めかした口調。
だが、誰も笑わなかった。
哲人は、ふと気づく。
――願い。
その言葉が、
やけに重く、胸に残る。
「……場所、か」
彼は、ぽつりと呟いた。
「何か言った?」
「いえ」
哲人は、ゆっくりと息を吐いた。
「ただ、
もし次に何か起きるなら――」
窓の外に、目を向ける。
「人じゃなくて、
“場所”なんじゃないか、って」
ブリッジに、短い沈黙が落ちた。
その沈黙が、
“正解に近い”ことを、
誰もが薄々感じていた。
星舟は、静かに進む。
何も起きないまま。
だが確実に、
“次”へと近づきながら。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




