観測者の名を持つもの
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
昼の光は、妙に白かった。
雲ひとつない空なのに、暖かさが感じられない。
太陽があるのに、世界から体温が抜け落ちているような感覚。
僕と憂は、廃倉庫の二階に身を潜めていた。
窓ガラスは割れ、外気がそのまま入り込んでくる。
床に落ちた埃が、微かな風で舞い上がる。
「……静かすぎる」
僕が呟くと、憂は小さく頷いた。
「嵐の前、みたい」
彼女の言葉に、胸がざわつく。
その時、通信端末が震えた。
今度は、マックスだ。
『動きがあった』
映像が投影される。
そこに映っていたのは、財団でも政府でもない。
異様なほど整った黒い装束の集団。
『ナイ派の末端だ』
マックスの声は低い。
『だが……今までと違う』
「どう違う?」
『“探してる”んじゃない』
一瞬の間。
『……“見てる”』
その言葉が、背筋を冷やした。
憂が、無意識にレムリアを握り締める。
「……見られてるの?」
彼女の声が震える。
僕は答えられなかった。
その瞬間、空気が変わった。
音が消える。
風も、埃も、遠くの車の走行音も。
世界が、一拍遅れた。
憂が息を呑む。
「……来てる」
「何が?」
問い返した瞬間だった。
視界の端に、“影”が立っていた。
いつからいたのか分からない。
存在していたはずなのに、認識だけが遅れて追いついた。
人の形をしている。
だが、どこか決定的に違う。
「……ナイアラルホテップ」
憂の口から、その名がこぼれ落ちた。
影は、ゆっくりとこちらを見る。
顔はある。
だが、そこに“感情”がない。
「いいや」
影が、笑った。
「私は“それ”ではない」
声は優しかった。
だからこそ、寒気がした。
「私は、ただの観測者だ」
影は、憂に視線を向ける。
「神であり、少女であるもの。
思ったより、脆い器だね」
「……近づかないで」
憂が後ずさる。
僕は前に出た。
「憂に触るな」
影は、少しだけ首を傾げた。
「君は面白い」
その一言で、理解した。
敵意も好意もない。
ただ、興味だけ。
「神話が人を選ぶのか。
人が神話を選ぶのか」
影は楽しそうに続ける。
「その結果を、私は見届ける」
レムリアが、強く光った。
憂が苦しそうに胸を押さえる。
「……やめて」
「これは“刺激”だ」
影は平然と言った。
「目覚めの前兆。
君が神であることを、忘れきれていない証拠だ」
僕は叫んだ。
「出ていけ!」
一瞬、影が僕を見る。
その目が、初めて“色”を持った。
「……人の想いが、神の力を上回るか」
影は、満足そうに微笑んだ。
「いい観測だ」
次の瞬間。
影は、最初から存在しなかったかのように消えた。
音が戻る。
風が吹き、埃が舞う。
世界は、何事もなかったかのように動き出す。
憂が、その場に崩れ落ちた。
「……怖い」
僕は彼女を抱き寄せる。
「大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように。
「もう一人じゃない」
レムリアは、静かに光を失った。
だが、確かに“何か”が刻まれていた。
――神話は、観測され始めた。
それは、戦いの始まりではない。
理解不能な存在に、物語が覗き込まれた瞬間だった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




