未満の事象
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
夕暮れの商店街は、いつも通りだった。
自転車のベル。
惣菜屋の呼び込み。
帰宅を急ぐ人々の足音。
誰もが、今日という一日が昨日の続きであると疑っていない。
佐賀市郊外、古い住宅地の一角。
小さな児童公園で、ひとりの少女がブランコを漕いでいた。
キィ、と軋む音。
前へ、後ろへ。
そのリズムが、ふと乱れる。
「……あれ?」
少女は足を止め、地面を見下ろした。
砂場の縁に、見覚えのない線が引かれている。
誰かが棒で描いたような、意味のない円。
だが、円は途中で歪み、完全には閉じていない。
「お姉ちゃん、これなに?」
公園の外で見ていた母親が、首をかしげる。
「誰かの落書きじゃない?」
「でもさ……」
少女はしゃがみ込み、円に指を伸ばしかけて――止めた。
なぜか、触ってはいけない気がした。
胸の奥が、ひやりと冷える。
その瞬間。
――風が、止んだ。
夕方のはずなのに、空気が一切動かなくなる。
木の葉も、洗濯物も、音を失う。
母親は違和感に気づき、周囲を見回した。
「……?」
だが、異変は一瞬だった。
次の瞬間、風は何事もなかったかのように戻り、
公園には再び生活音が流れ込む。
「今の、なに?」
「気のせいよ。早く帰ろ?」
母親は少女の手を引く。
円のことなど、もう気にしていない。
だが――
少女だけは、振り返った。
円は、もうそこにはなかった。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
⸻
同じ頃、別の場所。
地方都市の小さな病院で、当直医がカルテを確認していた。
「……この患者、昨日まで意識レベルが低下していたはずだが」
ベッドの上の老人は、穏やかな表情で眠っている。
数値は安定。
異常なし。
看護師が首を傾げる。
「さっきまで、普通に会話してましたよ?」
「……そうか」
医師は違和感を飲み込んだ。
“回復”としては早すぎる。
だが、説明できないほどではない。
ただ一つ、おかしな点があった。
老人は、目を覚ます直前、
こう呟いたという。
――「もう、呼ばれなくなった」
意味は不明。
記録にも残らない。
だが、その言葉は確かに、誰かの耳に届いていた。
⸻
夜。
街の灯りがともる頃、
誰にも知られず、いくつかの“未満の事象”が世界各地で発生していた。
消えた落書き。
早すぎる回復。
理由のない安堵。
どれも事件と呼ぶには弱すぎる。
ニュースにもならない。
それでも、それらは共通していた。
何かが「回収された」あとに起きる現象だった。
⸻
遠く、星舟ノア・レムリア。
通信解析室で、ルシアンの前に複数のログが並ぶ。
「……一致率、想定以上だな」
マリアが静かに頷く。
「教団は、星舟だけを見ていない。
世界そのものに、網を張っている」
「しかも――」
ルーナが補足する。
「“害を与えない形”で」
タケルが顔をしかめた。
「それが一番、性格悪いんだよ」
ルシアンは、深く息を吸った。
「……やはり来たか」
彼は、ゆっくりと告げる。
「次は、作戦会議だ。
守るべき範囲を、再定義する」
星舟は、静かに進路を保つ。
世界は、まだ壊れていない。
だが――
触れられ始めている。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




