静かな兆候
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
星舟ノア・レムリアは、何事もなかったかのように航行を続けていた。
ブリッジには通常の灯りが戻り、各モニターには安定した数値が並ぶ。
警告音もなく、軌道補正も不要。
あまりに平穏で、先ほどまでの緊張が嘘のようだった。
だが、その静けさが、逆に落ち着かなかった。
哲人は操舵席の横で、腕を組んだまま表示を眺めている。
数値に異常はない。
それでも、どこか「余白」があるように感じられた。
「……妙だな」
独り言のように呟く。
「何がですか?」
隣の席でシャーロットが視線を上げた。
いつもの軽口はなく、表情は少し硬い。
「いや、危険がないのはいいんだ。でも……」
哲人は言葉を探す。
「何かが“起きなかった”感じがする」
シャーロットは一瞬だけ黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「それ、嫌な言い方ですね」
「勘だけどな」
「……勘、ですか」
シャーロットは目を伏せる。
彼女自身も、説明できない違和感を抱えていた。
星舟の中は平常運転だ。
マリアは医療区画から戻り、ルシアンは通信ログを確認している。
タケルは格納庫で機体チェックを続け、ルーナは補給計算に没頭している。
誰も異変を口にしない。
それなのに、
全員がどこか慎重になっている。
憂は、ブリッジ後方の窓際に立っていた。
外を流れる星々を、静かに見つめている。
その横顔は穏やかだが、瞳の奥には遠いものを見ている色があった。
「……ねえ、哲人」
振り返らずに声をかける。
「この船、少しだけ“軽く”なってない?」
哲人は驚いて憂を見る。
「それ、俺も思ってた」
「やっぱり」
憂は小さく頷く。
「何かが減った、というより……整理された感じ」
「整理?」
「うん。余計なものが、静かに脇へ置かれたみたいな」
誰かが何かを失った、という感触ではない。
むしろ逆だ。
先へ進むための準備が、勝手に整えられた。
そんな印象。
シャーロットが、わざとらしく咳払いをした。
「嫌な共通認識はやめてください。ろくなことにならない」
「でも否定はしないんだな」
「……否定できませんから」
そのとき、通信席のルシアンが顔を上げた。
「外部信号、入ります」
「敵か?」
「違います。……座標固定の、弱い反応」
モニターに表示されたのは、航路上から少し外れた位置。
人工物かどうかも判別できないほど微弱だ。
「無視できるレベルではありますが」
「でも、拾った」
哲人は一瞬考え、頷いた。
「寄ろう。理由は後で考える」
「即断ですね」
「こういう時は、だいたい正しい」
星舟はわずかに進路を修正する。
その動きは静かで、滑らかで、
まるで最初からその座標へ向かう予定だったかのようだった。
憂は窓の外を見ながら、心の中で呟く。
――始まる。
それが何なのかは、分からない。
けれど、終盤へ向かう流れではない。
次の段階へ移る合図だと、はっきり感じていた。
星々の流れが、少しだけ変わった。
誰も気づかないほどの差異。
だが、それは確実に――未来の方向を指していた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




