振り返る影
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
星舟ノア・レムリアは、完全に停止した。
宇宙空間での静止は、感覚を狂わせる。
動いていないはずなのに、周囲の星だけが流れていくように見える。
「……視認できる?」
カイの問いに、ルーナが首を振る。
「ダメ。光学も、重力反応も曖昧すぎる」
「“そこにいる”以外の情報が取れない」
ルシアンは、腕を組んだまま動かない。
「接触までの距離は?」
「近づいてはいない。けど……」
ルーナは言葉を切る。
「離れてもいない」
「つまり?」
タケルが身を乗り出す。
「待ってるってことだ」
ブリッジに、張りつめた空気が流れる。
その時、憂が一歩前に出た。
「……話しかけてる」
「誰が?」
哲人の問いに、憂は即答しなかった。
「“誰か”というより……」
「向こうは、私を“条件”として見てる」
マリアが、静かに頷く。
「世界側でも、教団側でもない」
「でも、どちらにも近い」
「そんなの、余計に分からないだろ」
哲人は、思わず言った。
「分からないから、来たの」
憂は、そう答えた。
その瞬間。
ブリッジ正面に、光が滲んだ。
艦の外、ほんの数十メートル先。
歪みが、ゆっくりと形を取る。
人影に近い。
だが、人ではない。
輪郭は不安定で、光と影が混ざり合っている。
「……船じゃない」
カイが呟く。
「でも、生体反応でもない」
《接触を拒否しない》
艦内に、直接響く声。
スピーカーを通さない。
頭の内側に、そっと置かれるような音。
《だが、名を持つ存在とは、まだ話せない》
哲人は、息を呑む。
「名を……持つ?」
《彼女は、まだ半分だ》
影が、憂を見る。
《あなたは、覚えている》
《だが、思い出していない》
憂は、じっと影を見返した。
「それで、何をしに来たの?」
《確認》
また、その言葉。
《あなたが、こちら側に戻らないことを》
哲人は、思わず憂を見る。
「戻る……?」
影は、哲人に視線を向けない。
《あなたは関係ない》
その一言に、胸が詰まる。
だが、憂は一歩も引かなかった。
「私は、今ここにいる」
《それは、一時的な状態だ》
「違う」
憂の声は、静かだったが強い。
「私が選んで、ここにいる」
影は、わずかに揺れる。
《……記録更新》
《干渉レベル、低下》
光が、ゆっくりと薄れていく。
「ちょ、待て!」
哲人が叫ぶ。
「それだけかよ!」
影は、最後に一度だけ振り返った。
《名を思い出した時》
《あなたは、ここにはいない》
その言葉を残し、完全に消えた。
ブリッジに、静寂が戻る。
誰も、すぐには口を開けなかった。
「……最悪な別れ文句だな」
タケルが、乾いた笑いを漏らす。
ルシアンは、深く息を吐いた。
「敵ではない」
「味方でもない」
マリアが補足する。
「期限を告げに来ただけ」
哲人は、拳を握った。
「ふざけるな……」
憂は、何も言わなかった。
ただ、少しだけ――
ほんの少しだけ、安心したような顔をしていた。
「行こう」
そう言って、背を向ける。
「まだ、時間はある」
星舟は、再び航行を開始する。
世界は、確実に近づいている。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




