今は、まだ…
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
マリアは、眠っていた。
それは休息と呼べるものではない。
目を閉じただけで、意識が沈んでいったに近い。
――足音が、響く。
硬い床。
星舟ノア・レムリアのブリッジ。
だが、違和感があった。
「……静かすぎる」
いつもなら、微かな振動がある。
機関の唸り、循環音、誰かの呼吸。
それらが、一切ない。
マリアは中央に立っていた。
艦長席が見える。
操舵席も、通信卓も、すべて整っている。
だが――
誰もいない。
「ルシアン……?」
声は、吸い込まれるように消えた。
返事はない。
マリアは一歩踏み出す。
靴音だけが、やけに大きく響いた。
「おかしい……」
端末に触れる。
画面は点灯するが、表示されるのは意味を成さない記号の羅列。
座標も、時刻も、識別不能。
背後で、何かが動いた気がした。
振り向く。
誰もいない。
なのに――
「……いる」
そう確信してしまう。
“見られている”のではない。
“数えられている”。
その感覚が、背筋を冷たく撫でる。
ブリッジの正面スクリーンが、ゆっくりと明るくなる。
そこに映ったのは、星空ではなかった。
深い碧。
限りなく静かで、限りなく広い。
その中心で、何かが“呼吸”している。
《――》
声にならない振動。
言葉ではないのに、意味だけが流れ込んでくる。
《まだ、そこにいるのか》
マリアは、唇を噛んだ。
「……いるわ」
声が、震えないように意識して答える。
「ここにいる。誰も、欠けていない」
《――確認》
その瞬間。
ブリッジの椅子に、次々と“影”が現れる。
輪郭だけの、人の形。
座る位置は、正しい。
だが、顔はない。
マリアは、思わず叫びそうになるのを堪えた。
「やめて……」
《記録と照合》
《相違あり》
影の一つが、わずかに歪む。
《空白がある》
胸が、締め付けられる。
「……それは」
言葉を探す間もなく、影が一斉にこちらを向いた。
《名を――》
「言わない!」
マリアは、叫んでいた。
「それは、まだ!」
「呼ぶべきじゃない!」
一瞬、すべてが停止する。
碧の世界が、わずかに揺れた。
《……了承》
《暫定的保留》
影が、ゆっくりと消えていく。
ブリッジが、元の無人の空間に戻る。
最後に残った碧の光が、静かに問いかける。
《あなたは、何者だ》
マリアは、胸に手を当てた。
「……ただの、人間よ」
「参謀で、補佐役で、守る側」
「それ以上でも、それ以下でもない」
長い沈黙。
そして――
《十分だ》
世界が、遠ざかる。
⸻
「……っ!」
マリアは、勢いよく目を開けた。
自室の天井。
機関の低い振動。
確かに、星舟の中。
呼吸を整える。
手が、わずかに震えている。
「……夢、ね」
そう呟きながら、分かっていた。
これはただの悪夢ではない。
“世界側の接触記録”だ。
マリアは、ゆっくりと立ち上がる。
そして、誰にも告げないと決めた。
まだ、この段階では。
彼女は、窓の外を見た。
静かな宇宙。
何事もなかったかのように、星舟は進んでいる。
「……大丈夫」
誰に言うでもなく、そう呟く。
「今は、まだ」
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




