起動準備
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
憂は、夢を見ていた。
けれど、それは「映像」ではなかった。
色も、音も、輪郭さえない。
ただ――場所の感触だけがある。
土の冷たさ。
空気の重さ。
そして、胸の奥に沈む、静かな圧。
(……ここ……)
言葉にならないまま、意識だけが揺れる。
そこは暗く、けれど闇ではない。
光がないのに、何かが“在る”と分かる空間。
遠くで、誰かが呼んでいる気がした。
名前ではない。
声でもない。
それでも確かに、「こちらだ」と示されている。
(行かなくちゃ……?)
一歩、踏み出そうとした瞬間。
胸元が、わずかに熱を帯びた。
碧いペンダント。
それは強く光ることはなく、
ただ、脈を打つように、淡く輝いている。
――行くな。
そう、伝えられている気がした。
憂は立ち止まる。
(……どうして?)
答えは返ってこない。
けれど、彼女の心は、不思議と落ち着いていった。
その時。
遠くから、別の気配が重なった。
温度。
息遣い。
誰かの存在。
(……哲人?)
確信はない。
それでも、胸の奥が、確かに緩んだ。
憂は、目を覚ます。
⸻
居住区の照明が、朝の明るさへと移行し始めていた。
「……」
彼女は、しばらく天井を見つめたまま動かなかった。
夢の内容は、もうほとんど残っていない。
ただ、奇妙な感覚だけがある。
――行かなかった。
――それで、よかった。
理由は分からないのに、そう思えた。
「……」
ゆっくりと身体を起こし、隣を見る。
哲人のベッドは空だった。
「……早いな」
小さく呟き、立ち上がる。
通路へ出ると、ちょうど向こうから哲人が戻ってくるところだった。
「あ」
二人の視線が合う。
「起きてたんだ」
「うん。今、目が覚めたところ」
一瞬、沈黙。
けれど、それは気まずいものではなかった。
「……変な夢、見なかった?」
哲人が、少し迷いながら聞く。
憂は首を傾げる。
「覚えてないけど……」
「なんだか、行かなかった気がする」
「行かなかった?」
「うん。どこかに」
哲人は、何も言わずに息を吐いた。
「……そっか」
それ以上、踏み込まない。
それが正しいと、直感的に分かっていた。
「ね、哲人」
「なに?」
「この船……」
「前より、静かじゃない?」
哲人は、耳を澄ませる。
確かに、エンジン音は安定している。
けれど、その奥に、わずかな“揺らぎ”がある。
「……動き出す前、って感じだな」
「うん」
二人は並んで歩き出す。
まだ何も起きていない。
だが、起きる準備だけは、確実に整いつつある。
⸻
その頃、ブリッジ。
ルシアンは、表示された解析ログを見つめていた。
「……星舟が、自発的に深層領域へアクセスを始めている」
マリアが、低く言う。
「封印レベルは?」
「維持されているわ」
「でも……境界が、薄くなっている」
ルシアンは、ゆっくりと目を閉じた。
「来るな」
それは命令ではなく、祈りだった。
だが星舟は、既に知っている。
封印とは、永遠ではないということを。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




