一歩、踏み込む
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
昼前の空気は、朝よりも少しだけざわついていた。
宿の前に停まった黒いワゴン車は、観光地ではあまり見かけない種類のものだった。
派手さはないが、無駄がなく、どこか“仕事用”の匂いがする。
「……来たな」
哲人は、低く呟いた。
少女は何も言わない。ただ、彼の半歩後ろに立ち、様子を静かに見ている。
ワゴンのスライドドアが開き、先に降りてきたのはスーツ姿の男性だった。
次いで、少し遅れて、もう一人。
「久しぶりだな、哲人くん」
聞き覚えのある声。
「……レオさん」
哲人は、思わず苦笑した。
「まさか、またこんな形で会うとは思いませんでしたよ」
「こちらも同感だ」
レオは軽く肩をすくめる。
その後ろから、ひょいと顔を出したのは、相変わらず落ち着きのない男だった。
「おーっ! 元気してたか、哲人!」
「マックス……声、でかいです」
「え、そう? 普通だろ?」
明らかに普通ではなかった。
周囲の視線を一瞬で集めたマックスを、レオが肘で小突く。
「静かにしろ。ここは現場だ」
「え、もう?」
哲人は、そのやり取りを見ながら、内心で確信していた。
――やっぱり、偶然じゃない。
「それで」
哲人は切り出す。
「今朝の件、ですよね」
レオは一瞬だけ視線を逸らし、それから頷いた。
「話が早くて助かる。
昨夜、この近辺で“何か”を見なかったか、確認したくてな」
「“何か”って、ずいぶん曖昧ですね」
「曖昧でないと困る」
レオは淡々と答える。
「公式には、不審侵入と器物損壊。
非公式には――」
言葉を切り、少女の存在に気づく。
「……連れの方は?」
哲人は一瞬、迷った。
だが、隠す理由もないと判断する。
「一緒に調査してます。
昨夜のことも、全部見てます」
少女は、軽く会釈した。
名は名乗らない。
それを、誰も咎めなかった。
レオは短く息を吐き、決断したように言う。
「なら、なおさらだ」
マックスが、少しだけ真面目な顔になる。
「哲人。
これ以上、首を突っ込まない方がいい……って言いたいところなんだけどさ」
「言えない、ですよね」
哲人が先に答える。
「もう、見ちゃった」
レオは、苦笑した。
「その通りだ」
そして、低い声で続ける。
「君は、昨夜“境界”に触れた。
自覚があるかどうかは別として」
少女が、わずかに身を強張らせた。
哲人は、その変化を見逃さない。
「境界って?」
「世界が、“知らないふりをしているもの”との境目だ」
説明としては雑だが、哲人には十分だった。
「……都市伝説の核心、ってやつですね」
レオは、はっきりと頷く。
「そうだ」
沈黙が落ちる。
遠くで、観光客の笑い声が聞こえる。
この場だけが、現実から少しズレているようだった。
「選択肢は二つある」
レオが言う。
「何も知らなかったことにして、ここを離れる。
あるいは――」
視線が、まっすぐ哲人を捉える。
「我々と一緒に、調べる」
哲人は、即答しなかった。
ノートの重み。
昨夜の影。
少女の視線。
すべてが、頭の中で重なっていく。
そして、静かに息を吸った。
「……条件、いいですか」
レオは眉を上げる。
「聞こう」
「彼女は、守ってください」
哲人は、少女を振り返らずに言った。
「調査対象じゃない。
巻き込まれる側です」
少女が、はっと息を呑む。
レオは一拍置いてから、真剣な表情で頷いた。
「約束しよう。
それが、我々のルールだ」
マックスも、珍しく真面目に頷く。
「任せろって」
哲人は、ゆっくりと笑った。
「じゃあ……よろしくお願いします」
こうして、
少年は“選ばれた”のではなく、
自ら一歩、踏み込んだ。
この先に待つものが、
冒険か、破滅か。
そのどちらであっても――
もう、引き返せない。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




