落書き
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
朝は、何事もなかったかのように始まった。
哲人が目を覚ました時、窓の外はすでに明るい。
鳥の声と、遠くを走る車の音。
昨夜の出来事が、夢だったかのような静けさだった。
「……夢、じゃないよな」
独り言を呟きながら、身を起こす。
机の上には、昨夜広げたままのノート。
走り書きの線と、意味をなさない記号が、そのまま残っている。
その時、扉の向こうから足音がした。
「起きてる?」
少女の声だ。
「起きてる。今行く」
簡単に身支度を整え、外に出ると、彼女はすでにロビーの方を見ていた。
その視線の先には、テレビ。
ニュース番組が、淡々とした口調で映像を流している。
『――未明、吉野ヶ里遺跡近くの資材置き場で、不審な侵入痕が見つかりました』
画面には、規制線と警察車両。
そして、ぼかしの入った“何か”。
『現場には、意味不明な落書きのような痕跡が残されており――』
哲人は、画面に近づいた。
「……落書き?」
次のカットで映ったのは、地面に描かれた歪な円と線。
宗教的とも、子供の悪戯とも取れる図形。
だが、哲人には分かった。
「これ……違う」
少女も、無言で頷いている。
「都市伝説系でも、カルト系でもない。
これは……」
言いかけて、哲人は言葉を止めた。
あまりにも“揃いすぎている”。
線の太さ。角度。
何より、描かれた場所。
「結界、か?」
思わず漏れた言葉に、少女が一瞬だけこちらを見る。
「……そういう呼び方も、ある」
肯定とも否定ともつかない答えだった。
その時、ロビーの入口が騒がしくなった。
数人の大人たちが、早足で出ていく。
中には、明らかに一般人ではない服装の者も混じっていた。
スーツ。無線機。
そして、見覚えのある雰囲気。
「……財団?」
哲人が小声で言うと、少女は驚いたように瞬きをした。
「分かるんだ」
「まあ、前に何度か世話になってるし」
冗談めかして言ったが、胸の奥はざわついている。
偶然にしては、出来すぎている。
昨夜の“影”。
今朝の不審侵入。
そして、財団の動き。
「哲人」
少女が、少しだけ声を落とす。
「ここから先は……
巻き込まれるよ」
哲人は、一瞬考えた。
そして、苦笑する。
「もう、とっくに巻き込まれてるだろ」
そう言って、ノートを閉じた。
「だったらさ。
ちゃんと、見届けないと」
少女は、何も言わなかった。
だが、その横顔は、ほんの少しだけ柔らいでいる。
外では、サイレンの音が遠ざかっていく。
その裏側で、
“人間の事件”として処理されるはずだった出来事が、
確実に、別の意味を帯び始めていた。
これは前触れだ。
戦いではない。
だが、無関係ではいられない。
物語は、
静かに、しかし確実に、次の段階へ進んでいた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




