見えない監視者
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
夜が、完全に町を包み込んでいた。
哲人と少女は、宿に戻る途中だった。
街灯の光はどこか頼りなく、影ばかりが長く伸びる。
観光地として整備された道を外れると、そこは急に“生活の匂い”が濃くなる。
「……静かだな」
哲人が言うと、少女は小さく頷いた。
昼間は人の往来があった場所なのに、今はまるで世界から切り取られたようだ。
車の音も、話し声も、遠くに押しやられている。
「嫌な感じ、する?」
哲人の問いに、少女は少し考えてから首を振った。
「ううん……
ただ、見られている気がする」
哲人は一瞬、足を止めた。
「それ、嫌な意味で?」
「……分からない」
彼女はそう答えたが、その声は静かで、怯えは感じられなかった。
むしろ、何かを“思い出しかけている”ような、曖昧な間があった。
哲人は、無意識に周囲を見回す。
民家の窓は閉じられ、灯りは落ちている。
人影はない。
それでも、確かに“気配”だけが残っている。
「都市伝説的にはさ」
軽い調子で、哲人は言った。
「こういう時って、大体“見えない監視者”とか、“境界の向こう側”とか、
そういう話になるんだよ」
少女は、少しだけ微笑んだ。
「哲人って、怖がらないよね」
「いや、普通に怖いよ。
ただ……」
言葉を探し、哲人は肩をすくめる。
「怖いって分かった上で突っ込むのが、調査だし」
その時だった。
風が、止んだ。
一瞬で、音が消える。
葉擦れの音も、遠くの虫の声も、すべてが途切れた。
「……え?」
哲人が息を呑む。
時間が、わずかに引き延ばされたような感覚。
世界の“更新”が、一拍遅れた気がした。
少女が、そっと哲人の袖を掴む。
「哲人」
声は落ち着いている。
だが、その瞳は、確実に“何か”を捉えていた。
街灯の下。
影が、不自然に揺れている。
人の形に似ているが、人ではない。
輪郭は曖昧で、顔がない。
哲人の背筋に、冷たいものが走った。
「……無貌、か」
思わず零れた言葉に、少女がわずかに反応する。
次の瞬間。
影は、音もなく溶けるように消えた。
同時に、風が戻る。
世界が、何事もなかったかのように再生される。
「今の……見た?」
哲人の問いに、少女は小さく頷いた。
「うん」
「追う?」
そう聞きかけて、哲人は言葉を止めた。
少女の表情が、ほんの一瞬だけ変わったのだ。
戸惑いでも恐怖でもない。
“知っているものを、見てしまった”顔。
「……今は、だめ」
彼女は、静かに言った。
「今は、まだ」
理由を聞くべきだと、哲人は思った。
だが、なぜかそれをしなかった。
代わりに、深く息を吸う。
「分かった。
じゃあ、今日は戻ろう」
二人は、再び歩き出した。
その背後で、
誰にも見えない“視線”が、ゆっくりと離れていく。
それが警告だったのか、確認だったのか。
あるいは、単なる挨拶だったのか。
答えは、まだ出ない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
――もう、偶然ではない。
物語は、確実に次の段階へ踏み込んでいた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




