何かを手放した場所
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
翌朝、星舟ノア・レムリアのブリッジは、いつもより早く稼働していた。
「……やっぱり、ある」
ルーナが低い声で言う。
徹夜明けの目だが、指先の動きは正確だった。
「何度照合しても、この宙域だけ“重なって”る」
「重なってる?」
カイが椅子を回して覗き込む。
「同じ座標に、
“別の履歴”が二つ存在してる」
「データのゴーストか?」
「違う。どっちも正規記録」
ブリッジに、重い沈黙が落ちた。
マリアは、焚き火の夜と同じように、
静かに立って画面を見つめている。
「観測者が違う」
彼女が言った。
「同じ場所を、
“違う世界線”から観測したような……」
「世界線、ねえ」
タケルが頭を掻く。
「つまり、どっちが本物なんだ?」
「両方です」
マリアは即答した。
「正確には――
“両方が、途中まで本物だった”」
ルシアンは腕を組み、短く息を吐いた。
「途中まで、というのは?」
「ここから先がありません」
マリアが拡大表示する。
「二つの履歴は、
同じ瞬間で、同時に終わっている」
「切れた?」
「……消された、と表現した方が近いかと」
その瞬間、船体が微かに振動した。
「またか!」
カイが操縦桿を握る。
「今度は内部反応だ。
エンジンじゃない、構造フレームが……」
ルーナが叫ぶ。
「星舟が“思い出そうとしてる”!」
その言葉に、誰も反論できなかった。
計器が示すのは、異常ではない。
だが、ノア・レムリアは確かに反応している。
まるで――
かつてここを通ったことがあるかのように。
マリアは、胸元を押さえた。
理由は分からない。
だが、確信だけが強くなる。
「この宙域は」
彼女は言った。
「誰かが、
“自分の痕跡ごと封じた場所”です」
ルシアンが、静かに頷く。
「なら、進むしかないな」
「え、行くのか?」
カイが思わず声を上げる。
「行ったら、
今度こそ戻れない可能性も――」
「それでもだ」
ルシアンの声は、低く、揺れなかった。
「ここを避けたまま進めば、
いずれもっと大きな歪みになる」
ルーナが一拍置いて、端末を閉じる。
「……同意します」
タケルは肩をすくめた。
「ま、焚き火であったまったしな」
誰も笑わなかったが、
その一言で空気が少しだけ緩んだ。
マリアは、そっと目を閉じる。
夢の内容は、もう思い出せない。
焚き火の夜の会話も、断片しか残っていない。
それでも。
「……大丈夫です」
彼女は言った。
「ここは、
“行ってはいけない場所”じゃありません」
ルシアンが視線を向ける。
「根拠は?」
マリアは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「温度が、残っています」
その言葉で、全員が理解した。
星舟ノア・レムリアは、進路を固定する。
二つの履歴が重なる宙域へ。
忘れられた出来事が、
再び“触れられる場所”へ。
誰もまだ知らない。
そこが――
世界が最初に“何かを手放した場所”であることを。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




