そこにある焚き火
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
焚き火は、小さかった。
誰かが意識して大きくしようとしなかったからだ。
薪は必要な分だけ足され、火は風に逆らわず揺れている。
夜の空気は冷えていたが、不思議と寒さは感じなかった。
「……火ってさ」
ぽつりと、誰かが言った。
声の主は、焚き火の向こう側に座っている。
顔は炎に照らされて、よく見えない。
「ずっと見てると、
時間の感覚がおかしくならない?」
返事はなかった。
けれど、誰も否定もしなかった。
薪がはぜる音だけが、間を埋める。
別の誰かが、カップを両手で包みながら言う。
「昔、こうやって火を囲んだことがあった気がする」
「“気がする”?」
「うん。
いつ、どこで、誰とだったかは分からないけど」
言葉は曖昧なのに、声は妙に確信めいていた。
焚き火の向こうで、炎が一瞬だけ強くなる。
誰かの影が揺れ、すぐに元に戻る。
「覚えてないのに、忘れた気もしないんだよな」
「それ、変じゃない?」
「変だけど……嫌じゃない」
しばらく沈黙が続く。
遠くで風が鳴り、火の粉が夜に溶けていく。
「温度だけは、覚えてる」
さっきとは別の声が言った。
「寒かったはずなのに、
この辺りだけ、やけにあったかくて」
誰もそれを否定しなかった。
焚き火のそばには、もう一つ影がある。
けれど、誰もその存在に言及しない。
言及しないまま、
“最初からいなかったこと”にしているようでもあった。
「さ」
誰かが、急に明るい声を出す。
「こういうのって、
後から思い出すと大したことじゃなかったりするよな」
「そうだな」
「でも、今は大事だ」
その一言で、全員が黙った。
火は相変わらず小さい。
けれど、消える気配はない。
しばらくして、誰かが立ち上がる。
「そろそろ行こうか」
「もう少し、いてもいいんじゃない?」
「……そうだな」
結局、誰も立ち去らなかった。
焚き火は最後まで、
名前も意味も持たないまま、そこにあった。
ただ、確かに――
温度だけが、残った。
それが何だったのかを、
後で思い出せる者はいない。
それでも。
誰かが、ずっと後になって、
理由もなく焚き火を見つめたとき。
この夜のことを
「大切だった気がする」とだけ、思い出すのかもしれない。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




