まだ名前は要らない…
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
薄暗い部屋だった。
窓はない。
正確には、あった痕跡だけが残っている。
壁に残る、四角い色の違い。
そこに“外”があったことを、かろうじて示していた。
長い机。
その両脇に、数人分の影。
顔は見えない。
必要がないからだ。
「……駅前の件だが」
低い声が、沈黙を割る。
「観測が入った」
「例の、一般人か?」
「そうだ。
記録癖のある男」
別の影が、わずかに動く。
「削除は?」
「部分的に成功。
物理媒体は残った可能性がある」
「“紙”か」
「厄介だな」
一瞬、空気が重くなる。
「だが、問題ない」
最も奥に座る影が、淡々と言った。
「まだ“意味”に辿り着いていない」
「接触者は?」
「いる」
わずかな間。
「……彼女か」
その名は出なかった。
だが、全員が同じ存在を思い浮かべている。
「再観測は?」
「不要だ。
むしろ、泳がせろ」
「理由は?」
「“確信”を持たせるには、
成功と失敗の両方が要る」
沈黙。
それは同意の形だった。
「人は、少し分かった気になると、
最も深く踏み込む」
「――その時に?」
「封を閉じる」
誰かが、静かに息を吐いた。
「では、予定通り」
「予定通りだ」
机の上に、紙が一枚置かれる。
そこには、何も書かれていない。
白紙。
「……まだ、名前は要らない」
そう言って、影は立ち上がった。
「“それ”が名を思い出した時が、
本当の始まりだ」
照明が落ちる。
部屋には、再び闇だけが残った。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




