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小さなころから母と二人きりで暮らしていた私にとって、自分に父
親がいない事はごく当たり前の事だった。
それでも物心がついたころ、自分には父親と過ごした記憶が一切無
い事や、写真などの存在を感じさせる物を今まで見た事が無かった
事がおかしいと思った事があったけれど、私はその事に触れてはい
けない様な気がして、母に尋ねる事はしなかった。
そんなある日、母から父親についての話を聞かされたのは、母が入
院する病院を私が訪れた時のことだった。
「ねえ、あなたは今までお父さんの事に着いて何も聞かなかったわね。」
「えっ、どうしたの・・急にそんなこと。」
「何だかね、話しておかなくちゃいけないかなって。」
そう言うとベッドに横になった母は、天井を見つめながら話し始めた。
「ずーっと前・・私にはね、大好きな人がいたの。 でも色々あっ
てその人とは逢えなくなった・・、それでも私はその人の事が忘れ
られなくて・・・。」
昔を思い出しながら話す母の視線は、本当にその頃の情景を見てい
る様にずっと遠くを見ていた。」
「そうして五年が過ぎた頃、街でばったりその人に逢ったの、でも・・。」
そう言って少し間をおいた母の表情が、少し曇ったように見えた。
「でもその時彼は、別の人と結婚していたの・・・。 だから私は
その人とまた逢わないようにしたの。 そのすぐ後だった・・・・
私の中に新しい命が芽生えていたのに気づいたのは・・。」
そう言うと、天井を見つめていた母が私を見つめて続ける。
「それがあなた・・・。」
‘私は・・・望まれて生まれてきたんじゃ無かったのか・・・・’
突然の母の話に動揺を隠せない私に母は言う。
「あなたがおなかの中にいるって聞いた時、私は本当にうれしかった。
私と大好きな人の赤ちゃん・・・、あなたがいてくれて・・・私は今まで
本当に幸せだった・・・。」
そう言って目を閉じた母の頬を、小さくな光が流れるのを私は見た。
そのまま母は、深い眠りの世界に入っていった。
私は母の話を聞いて、一つの疑問をぬぐい切れなかった。
母は本当に幸せだったのか?
その人と一緒に居れなかたのに・・・。
それから数日後、母はこの世界からいなくなった。
母の遺品を整理している時に、その人と思われる人物が写った一枚の
写真が引出しから出きた。
優しく微笑むその写真の男性に、私はとても逢いたくなった。
逢って文句の一つも言いたい気分になった。