47話
土砂降りの雨の中を歩いて帰宅すると、玄関先でタオルを持ったノエルが待ち構えていた。葉の傘をさしていても跳ねた水は足元や体を濡らしている。
私の体は植物であり、恒温動物である人間とは違うし濡れた程度で冷えのようなものは感じないが、ノエルは心配して慌てたようにタオルを渡してきた。
「魔女さま、風邪をひいてしまいます! 早くあったまってください……!」
家の中では暖炉に火が入れられており、どこか甘い香りが漂っている。暖炉の前に用意された椅子に誘導され、そこへ座るとノエルがすぐに暖かい黄色のスープを持ってきた。
これは少し前に手に入れたトウモロコシに似た植物で作られた、つまるところコーンスープである。丁寧にすりつぶされて実がかけらも残っていないのは、私が液体しか飲まないことを知っているノエルの気遣いだ。
「魔女さま、お着替えは……」
(あ、大丈夫。これ私の体の一部だし、いざとなればほどいて作り直すから)
「必要ないんですね。ではゆっくり温まってください、俺は仕事してるので何かあったら呼んでくださいね」
私に薄手の毛布を一枚渡してノエルは家事を始めた。大雨で外の仕事ができなくとも、イライに売るジャムづくりなど家でできる仕事も多い。
鈴蘭が流す優しいメロディと、ノエルがジャムを作っている作業音、そして暖炉の火が爆ぜる音をBGMに、ニコラウスから送られた照明の光を浴びながら心地よく目を閉じる。このまま休むのも気持ちいいと思うけれど、やることがあるので寝るわけにはいかない。
(緑株に意識を同調して、ニコラウスさんと騎士団の様子を確認しなきゃ)
子株に同期すればそれまでの記憶を知ることもできるし、現在子株が見ているものを見ることもできるのだ。こんなに便利な移動型監視カメラもないだろう。
もちろん悪用はしていない。これは私が身を守るためにやっているだけで、人間のプライバシーを侵害したり、秘密を暴こうとしたり、そんな悪意のある使い方はしていないので問題ないはずだ。……ないと思う、たぶん。
意識を同調し子株の視点に切り替えると、ニコラウスと騎士たちは大きな地図をテーブルに広げて作戦会議をしているようだった。
「……で、魔女が浄花を咲かせているところまではまだ危険が少ないといえる。ここが境目だね」
「浄花が多いと毒性の魔物も屍系の魔物もあまり近寄りませんからね……あまり村のほうへと出てくる魔物がいないのも魔女殿のおかげでしょう」
この子株の記憶では私が意識を同調するまでの間もこういう話をしていたようだし、私に対してなんらかの疑義が呈された様子はなく、それはひとまず安心だ。
緑株はテーブルの上の浄花の花びらが入った籠の中にいて、それはレオハルトの前に置かれている状態だったので私にも地図が見えた。まあ、私が地図を見たところでよく分からないのだが。
(ちゃんと「お願い」したせいか至れり尽くせり状態だったみたい……? なんかごめんなさい、レオハルトさん)
緑株の居心地を考えて用意されただろう花籠から周囲の様子を窺う。レオハルトは子株の動きに気を取られることなく真剣に地図を見下ろしているし、それは他のメンツも変わらない。
紫株はテーブルの端の方で横座りをしながら動かず、会議の邪魔にならないようにしているのだが、私はその光景が気になって仕方がない。……騎士たちが気にしていないのは慣れているからだろうか。
「魔境は毒性の魔物と死霊系の魔物が生態系を築いていますが、現在この境を超えてくるのはそれに対応できなかったもので、まだそう強力な個体は確認されていません。……でもこの先は分かりませんね。嫌な進化の仕方をした黄泉蛙は確認していますし、レオハルトも負傷しました」
「そう。たぶん、そろそろ支配形態を作る魔物が出てくると思うけど……まだ猶予はあるよ。それまでに防衛力の強化をしたいし、駐屯聖騎士の増強するのが上の判断だ」
「この村に増員、ですか。……それは、いざという時に動かせる人数ではないのでは」
「魔女の協力があれば可能だよ。あれが作る魔力回復薬は桁違いだからね。後方支援に徹してもらうつもりだけど……完全回復薬だってビット村の住民全員分を一日で作ったんでしょ。あれが薬を作れば死傷者もかなり減るだろうし」
主に話しているのは隊長であるリッターとレオハルト、そしてニコラウスだ。現場の意見と国上層部の意見をすり合わせていくのが今回のニコラウスの仕事らしい。
私はただ薬を作るだけなので何も難しいことはないだろうけれど、人間たちは実際に魔物と戦うことを想定していて、大変そうだ。
「……魔女殿を酷使しすぎでは? 同じ魔族である魔導士殿にもそれは厳しい基準のはずですが……」
「言っておくが、あれと僕じゃ大人と子供ほどに魔力の差があるんだよ。それに魔女も協力には合意してる。……だいたい、後方支援で活躍しないなら前線に出てもらわないといけないんだけど?」
「……それは……」
――と、時折意見がぶつかって空気がピリリと緊張する場面もあり、私はその空気感に悲鳴を上げていたが子株の体にも声の蓋があるため、悲鳴が外に聞こえることはない。
騎士たちの連携や、考えられる状況とそれに対応する作戦の共有など、色々と話し合っていたらあっという間に一時間ほど経ち彼らは休憩に入った。……集中力がいるのでたしかにこれは時間が掛るだろう。
休憩時間になると各々肩の力を抜いて自由に過ごしだす。水分補給をしたり、間食をしたり、数人で集まって雑談を始めたりとそれぞれだ。予想通りリッターは紫に話しかけ始めたが、ニコラウスは緑株の方へやってきた。
するとニコラウスを遮り、子株を隠すようにレオハルトが前に立ったのでその背中しか見えなくなった。
「何? 邪魔なんだけど」
「いえ。魔女殿の所有物に何かあってはいけないと思いまして」
「観察するだけだよ。僕だって人の研究物に手を出したりはしない」
声色から察するに何やら剣呑な空気で怖い。私の体と違って子株の体は小さいせいか震えやすく、カタカタと小刻みに揺れてしまう。
「おいおい、会議の緊張感を引きずるなよレオハルト。魔導士殿もです。我々は皆、運命を共にする仲間でしょう?」
この雰囲気を察して明るい声で仲裁に入ったのはリッターで、斜めの位置にいる彼の姿はレオハルトの後ろからも見えたのだけれど、恋人扱いをする紫株を肩に乗せ、頭を傾けて小さな膝の上に乗せるという奇妙な「膝枕」の姿勢だったのでものすごく微妙な気持ちになった。
「……馬鹿らしくなってきたな」
「……リッター……少しは人目を気にした方がよろしいかと」
ただ、険悪そうだった二人はどちらも小さく息を吐きながら、毒気が抜かれた様子だったので効果は絶大だったようだ。
「…………お前、それとはいつもそんな感じ?」
ニコラウスの興味も緑株より、紫株とリッターの方へと向いたらしい。気持ちは分からないでもない。異種族のカップルなど、五百年生きた彼でも見たことがないほど珍しいに違いない。
「はい、そうです。俺たちは仲が良いので……ああ、直接触ると吸われるので気を付けてはいますが」
「そう。……じゃあまず、吸われない方法でも先に教えてあげるよ」
(え? そんな方法あるの?)
マンドラゴラの吸収攻撃を無効化する方法。そんなものがあるのかと非常に興味津々に、私はニコラウスの話に耳を傾けることにした。
これは盗聴…いや盗撮…でも使ってるのが草ですからね。脱法マンドラゴラですね。
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