45.6話 ニコラウス 中編
魔女の家でゆっくり過ごしたい気持ちはやまやまだが、今日は仕事で来ている。ティーカップの中の浄花の茶を飲み干してしまい、居座る理由もなくなったニコラウスはしぶしぶ次の予定に向かうことにした。
辺境の防衛作戦は現地に駐屯中の騎士団員と詳しく打ち合わせが必要だ。ビット村の騎士団の拠点へ向かうことを告げると、魔女は静かにニコラウスの後ろに続いた。どうやら彼女も共に行く気らしい。
「やっぱりついてくるんだな、お前」
ヴェールの向こう側でにこりと笑う顔が見える。ついてくるだろうという予想はしていたし、驚くことでもない。この魔女はいつもニコラウスが転移して帰る瞬間を必ず見送るからだ。
彼女は笑うばかりで何も言わないが、同族であるニコラウスとできるだけ長く居たいのか、もしくは子供を心配するような気持なのか、そのあたりが理由だろう。
「魔女さま、雨が降りそうなので俺は洗濯物を取り込んでから追いかけますね」
ノエルの言葉通り、空を暗い色の雲が覆ってそのうち雨が降り出しそうだ。それを聞いた魔女がノエルに何か伝えようとジェスチャーをしているが、空を指したり、簪に触れたりと何を伝えようとしているのかいまいち分からない。
「えっと……雨が降れば留守番ですか?」
その言葉に魔女が頷いて、ようやくそれぞれの行動の意味を理解した。むしろこれだけで理解できるノエルの鋭さに脱帽するしかない。……それとも、これだけで伝わるほど傍にいて信頼を築いてきたということだろうか。
(魔女に育てられている獣人の子供か……)
ニコラウスは人族に育てられた。しかし魔族と人族の時間は全く違う。育ての親は、ニコラウスからすればあっと言う間に寿命が尽きていなくなってしまった。魔族の成長は人族より多少遅いくらいなので生活に支障はなかったが、何とも言い表しがたい喪失感を今でもよく覚えている。
薄暗い空の下、ニコラウスの数歩後ろを魔女がついてくる。彼女が決して隣を歩かないのはニコラウスに対してまだ負い目があるからかもしれない。
(話しかければ隣に並ぶか……?)
ニコラウスが気にしていない、というそぶりを見せれば魔女もこの微妙な距離感を詰めようと考えるかもしれない。そう思い、話しかけてみた。
「あの子供は敏いね。……お前のことだから可哀想な子供を放っておけなくてそばに置いてるのかと思ったけど、ちゃんと有能だ。……それともお前が育ててるからか」
とはいえ魔女は声を発しないため、ニコラウスが一人で語り掛けるだけとなってしまう。それでも彼女は聞いているだろう。
(……羨ましくない、といえば嘘になるか。あの獣人の子供がいい環境で育てられてるのは間違いない)
魔女を信頼しきった目。そして自分がその魔女の従者であることに誇らしげである表情。あの子供が何の不満もなく、今の生活に満足していることは一目で分かる。
「……誰に、どんな大人に育てられるかで子供は変わる。……あの子供は、お前に拾われて幸運だろうね」
ニコラウスの育ての親とて悪い人間ではなかった。世界にたった一人の魔族となったニコラウスが、魔族の常識ではなく人族の常識の中で生きていけるように育てながら、魔族たちが残した知識も受け継げるように古代語も教えてくれた。
『ねえ、なんでニコラウスって呼ぶの。ぼくには別の名前があるよ』
『それはお前が人族の中で生きやすくなるための名前だ。人族は名前で呼び合って親しくなる。……お前がこの先、誰かに名を呼ばれ人との繋がりが消えないように、その名前は必要だよ。もう一つの自分の名前だと思っておくといい』
『魔族のもう一つの名前なら、得意な魔法を代名詞にするって書いてあったよ。ぼくは今水の魔法を勉強してるから……将来は、水の魔法使いとかでいいんじゃないの?』
『いいや。……その呼び名はきっと、お前を傷つける。だから人族らしい名前も……愛称のようなものだと思って、受け取っておきなさい。僕がお前に残せる、数少ないもののうちの一つだよ』
育ての親との会話を思い出す。その時は彼の言葉の意味がよく分からなかったけれど、のちのち理解した。あらゆる魔法を高いレベルで扱えるニコラウスは「万物の魔法使い」という二つ名も持っている。しかし、世界のどこにも他に魔法使いや魔女がいないのに、使える魔法で区別する名前は必要ないしそう呼ばれない。だって、魔法使いと言えば、魔族と言えばニコラウスしかいないから。
その魔法を冠する名は虚しいだけだと、ニコラウスの孤独を煽る結果になると、育ての親はそう思っていたのだろう。
(まあ、結果的にこの魔女が生き残っていたわけだけど……でも五百年間、僕はたった一人の魔族だった。お前に育てられていたら、僕はもっと違う形になっていただろうな)
だがそれでも彼女は五百年間姿を見せなかった。植物の魔法を極めた魔女は、その代償に声を失ったとされているが、本人がそう言った訳でもない。
そもそも竜との戦争で他の同胞が死に絶える中、五体満足でいられるだろうか。……声を失ったのは酷く体を損傷したから、なんてこともありうる。
(いつも肌を隠しているし、たまに動きが硬い気もする。……障害が残っているのかもしれない)
たとえば酷く損傷した体を動かせるようになるまで、人前に出られるような姿になるまで時間がかかった、とか。それくらいの理由があれば納得はできる。
この魔女は過去について何も話さないし、すべて想像するしかない。だがきっと、たった一人の同胞の元へ来られないだけの理由があったのだ。……この魔女は、ひたすら慈悲深く優しいから。死した同胞への弔いがあったとしても、全く何の接触も図らないのは妙だ。この性格で大した理由もなくニコラウスを放置するとは思えなかった。
振り返ると魔女は真剣な表情で軽く俯いていた。ニコラウスの言葉が、迎えに来なかった彼女を責めているように聞こえたのかもしれない。
「……分かってるよ。別に責めてない。怒り続けるのも馬鹿らしいし、もう怒ってないよ」
そう伝えると、魔女はヴェールの奥ではっきりと口元を笑みの形に変えた。ニコラウスが恨んでいないと知って嬉しくなったらしい。
そんな彼女を見て落ち着かない気分になったニコラウスは、彼女をさっさと置いて前を向き歩き出した。きっと、後ろで魔女はニコニコと笑っているのだろうけれど、振り返って確認する必要はない。
そうして無言のまま騎士団の宿までやってきた時、ちょうど見慣れた顔が建物から出てきた。
「紫ちゃんお待たせ! ……あれ、魔導士殿……?」
「…………お前、それどういう状況?」
建物の玄関の傍には横長の植木鉢が置かれていて、そこには紫色の布を全身にまとった豊満なマンドラゴラがしどけなく寝そべっていた。しかし以前ニコラウスの助手を務めていたリッターという騎士が出てきたところ、ゆったりと起き上がりその足元へと寄り添う。
そんなマンドラゴラをだらしない顔で抱き上げたリッターは、ニコラウスに気づいて首を傾げているが、首を傾げたいのはこちらの方である。
「あ、紹介しますね。俺の恋人の紫ちゃんです」
「いや、人ではないだろ。……恋草? いや、恋魔か……?」
マンドラゴラに人間を誘惑するような洗脳能力があっただろうか。それとも、このマンドラゴラの特性か。だとすればかなり危険性が高いし、そもそもこの状況の報告は受けていない。……どうやら事情を聴く必要があるらしい。
人参か恋人か変人か…
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