39.6話 レオハルト 中編
花の魔女のヴェールは、遠目では透明度が下がり表情を分かりにくくする。しかし対面の距離まで近づくと美しい顔が透けて見えるようになり、レオハルトの手を握りながら心配そうに見上げてくるその表情に動揺してしまった。
「ま、魔女殿……!? 何をなさるんですか、危険です……!」
か弱い女性を振り払うことなどできるはずもなく、レオハルトは身動きが取れなくなってしまった。まさか、毒に浸食されていると伝えているのに自ら触れてくるなんて、そんな人間がいるとは思わなかったのだ。
魔女が安心させるように微笑んだと思ったら、篭手に最近見慣れた花が咲いた。毒を吸収する浄花の白い花だ。それが魔女が握っている篭手からだんだんと腕の方へと登るように咲いていく。
(これは……もしや、解毒をしようとしてるのか?)
浄花という植物は本来、簡単には育たないし増えない。それを自在に操れる存在はこの魔女以外に知らないので、人に生やすという使い方は見たことがなかった。
しかし心優しい魔女の行動なのだから、それがレオハルトのためであることは疑う余地もない。
レオハルトに生えた、というよりは身にまとっている防具に根を張ったらしい浄花は、すぐに散って枯れた。あたりにはほのかに優しい香りが漂っており、それで悪臭の原因となっていた毒が消えていることが分かる。
(解毒は終わっているはずなのに……魔女殿が手を放してくれないんだが……?)
毒が消えたのだからもう手を放してもいいだろうに、魔女はレオハルトの手を固く握ったままだ。余程心配してくれているのだろうが、先ほどから自分の心拍数に異常をきたしている原因が「それ」であることは間違いない。
「魔女殿。……ありがとう、ございます。……その、おかげでもう体の違和感はすっかりありませんし、そこまで心配なさらなくても……」
やはり心配をしていたのだろう、そう伝えると彼女は微笑みながら離れた。それにほっとすると同時にどこか寂しく感じるのは何故なのか。
レオハルトの毒は消えたとはいえ、まだ部下たちは服に染みついた臭いが残っており、埃や砂で汚れている。魔女に礼を述べた後、すぐに別れを告げて宿への帰路についた。
魔女に対し挙動不審になっていたのか、向こうから紫の子株マンドラゴラを肩に乗せたリッターが走ってくるのが見えたせいか、その道中で部下がぼそりと呟いた。
「リッター隊長は全く理解できませんがレオハルト隊長の気持ちは分かります。魔女殿って本当に魔女って感じしますよね……」
「……余計なことは言わなくていいですから。早く着替えて皆で休憩に入りましょう」
気持ちが分かると言われてドキリとする。レオハルトが魔女に向ける感情は、同じ呪われの境遇にいる仲間意識とか、お人よしで善人な彼女の人柄にたいする好意とか、そういうものだったはずだ。……察されるような感情などない、はずである。
「普段は集まってくる人らだって、俺たちが汚かったり臭かったり、きつい任務の後は誰も近寄ってこないのにな」
「そうそう。まあ実際汚れてるからそれでいいんだけど、ああやって心配そうに駆け寄って来られると……自分じゃないのにグッときたな」
人々に好かれる騎士という仕事でも、いつも清潔で整った姿ばかり見せられるわけではない。時には血にまみれ、今日のように毒を浴びて悪臭を纏っていることもある。そういう時、人々は遠くから感謝の言葉をかけたとしても、傍には寄ってこない。
騎士たちもそれは当然だと思っているし、あまりにもそれが当たり前だったので、全く違う行動をとった魔女に驚いたのだ。
「そうなんだよな。俺たちの方にもきてくれそうだったからつい断ったよ。……レオハルト隊長はよく堪えたよなぁ、リッター隊長だったら結婚の申し入れくらいしてるね」
「いや、いまのリッター隊長は…………ほら、一途だから……」
「あー……それもそうか……リッター隊長は一途を公言してきたしな……」
部下たちの会話で常日頃、リッターが口にしていたことを思い出す。彼は女遊びはせず、商売の女性とも一切関わらず、心に決めた相手にすべてをささげると決めていると言っていた。……その相手が女性のような形をしたマンドラゴラだというのは、理解しがたいが。それでもリッターは紫株一筋と心に決めたようなのだ。
「そういやレオハルト隊長も浮ついた話を聞いたことがありませんね。一番女性に囲まれてますけど……」
部下たちの目がレオハルトに向いた。愛や恋なんてものは、本心で向かい合う人間がするもの。レオハルトは人に殺意を抱かせる呪いの目を持ち、常に自分を綺麗な存在だと偽って過ごしている。そんな自分を見ていて本質を何も知らない誰かと、特別深い仲になどなれるはずもない。
「私は、いつ死ぬとも知れぬ身で誰かと生涯を生きる約束をする気にはなれないだけですよ。人生……時間には限りがありますから」
「はー……まさに騎士道ですね、さすがレオハルト隊長。俺はずっと待っててくれって思ってしまいます。……それでここに来る前にフられました……」
「……ハンカチ貸そうか?」
「いらない。それさっき汚れ拭ってたやつだろ……」
騎士は民衆の憧れで異性からのアピールも多いが、長期の遠征任務や危険な仕事でもあり、待ち続けられる相手は限られる。
出会いは多いが、別れ話も多いのだ。それでも引退までに結婚をする者がほとんどではある。しかしレオハルトはそういうものに縁がないと思っていた。本当の自分を見せられる相手など、いなかったからだ。
「俺も着替えたら市に行くかな……可愛いのが売ってるといいんだけど」
「……そういえばお前最近、仲いい子がいるよな? さてはフられて傷心の俺を差し置いてここで恋人を作る気か?」
「……あ、そうだ。レオハルト隊長もどうですか、魔女殿は今日ヴェールをつけてましたし、お洒落好きそうですよね。今日のお礼に何か買って贈るとかどうです?」
「おい、話そらすなよ」
部下の提案を聞いて、確かにそれくらいしか魔女に礼ができることは思い浮かばなかった。五百年山に居たなら、最近の物はあまり持っていないだろう。
市場で品を見繕い、贈り物をするのはいい考えかもしれない。……ただ、レオハルトは女性への贈り物には疎い。何せ経験がないからだ。
「……魔女殿へのお礼の品について、少し相談に乗っていただけると助かります。その、不慣れなもので」
「! もちろんですよ隊長!」
「俺もです。……皆、応援してますからね」
……部下たちは何故か微笑ましいものでも見るようににやついており、決してそういうつもりではないのだが、どう反応していいか分からずに曖昧に笑った。
マンドラゴラに贈り物しようとしてるやつ、他にもどっかで見たような……
人間をインゲンと打ち間違えて、まあインゲンの方がまだ近いか…ってなりました
いつもたくさんの方に応援いただけて嬉しいです。励みにさせて頂いてます…!




