39.5話 レオハルト 前編
魔境の調査に向かったレオハルトたちは、道中で縄張り争いに負けて追い出されたと思われる魔物に遭遇した。自分を殺した相手を呪うタイプの蛙の魔物で、黄泉蛙と呼ばれているものだ。毒の粘液を分泌し、それを吐き出したり舌を伸ばして攻撃する際に振りまいたりするような、厄介な攻撃をしてくる。
黄泉蛙のように殺した者が呪われる性質の魔物は、率先して呪い無効体質のレオハルトが始末するのだが、今日の相手は死に際に自ら毒の袋を破裂させたため、それを思いきり浴びてしまった。
とっさに顔をかばい目や口に入らなかったのは幸いだ。粘膜からだと毒の吸収が早くなる。……しかし皮膚からも吸収するので服や防具にしみ込んできた部分や庇いきれなかったところが痛み出した。
「レオハルト! 解毒剤!」
リッターが支給品の解毒剤を投げて寄こす。すぐに瓶の蓋を開けて飲み干した。皮膚から吸収している毒にはこれで対抗できるだろう。
「水場に行くぞ、川には浄花があるから汚染の心配がねぇ。その毒、結構強いだろ。早く流した方がいい。……歩けそうか?」
「……問題ありません。まずは死骸を……」
「死骸処理は我々に任せて、レオハルト隊長は早く毒を洗い流してきてください」
部下に送り出され、他の魔物に遭遇しないとも限らないのでリッターと共に川へと向かう。こういう毒を川で洗えば人の生活用水を汚染しかねないため、本来なら毒をぬぐう程度の処理しかできないが、この地には花の魔女が作り出した浄花の川がある。……彼女の存在は、騎士団としても相当ありがたい。
川の中に入り毒を洗い流している間、周囲の警戒をしているリッターがぼそりと呟いた。
「死なば諸共、か。嫌な進化の仕方をしてるな……ったく、進化の方向性に個性が出てるってのは嫌な兆候だ」
「ええ。……本来、あの魔物は死ねば呪いで相手を殺せるはずです。わざわざ自爆をして毒をまき散らすということは、呪い耐性の高い魔物が多かったためでしょう」
おそらく今、魔境では毒系統の魔物と呪術系統の魔物たちによる縄張り争いが激化している。最終的にはどちらにも耐性を持った個体が勝ち残り、脅威個体となって魔境を支配する主となるだろう。
支配者になった魔物によって支配できる領域は違う。もしその支配者が広い縄張りを持つ魔物で、支配領域を広げようとしてきたなら、この付近に住む人間は後退するしかない。その時間稼ぎをするのは騎士団の役目だ。……広域を支配する魔物が主にならないことを祈るばかりである。
(誰だって住処を追われたくはない。……魔女殿がビット村に現れたのは、その日のためでもあるんだろうな)
五百年の間、人の世から離れていた花の魔女。彼女はあの魔境を作り出した一因が自分にあると思い込み、その責任を取るためにも魔境の最前線に暮らすことにした。
あの村に住む人間を守れる限り最後まで戦うつもりだろう。魔境の毒を浄化して散る花びらは、上流から常に流れてくる。これがあるから人間はまだあの村に暮せるのだ。
その一枚を掬いとろうとしたが、水の流れで上手く掴めずに逃げていった。……近いようでどこか遠い、彼女のように。
「洗っても落ちてねぇ。……毒落とし使わないと無理だな、それは」
「はい。しかしひとまずはこれでいいでしょう。死にはしません」
防具の繊維にしみ込んだ毒粘液は水で洗い流した程度では落ちない。ただ、それでも洗わないよりはいい。無害とまでは言わないが、解毒剤を飲んでいれば問題にならない程度まで負担が軽くなる。
濡れた防具はリッターが得意とする風の魔法で水気を吹き飛ばしてくれたため、再び纏った。魔物に襲われる可能性もあるので、毒付きとはいえ着ないよりはマシだからだ。……ただ、鼻につく悪臭は不快の一言である。
「死骸処理終わりました。レオハルト隊長、具合はどうですか?」
「問題ありません。解毒剤も飲みましたから」
毒性魔物の死体には処理が必要だ。それを終えて戻ってきた部下たちと合流した。彼らもまたレオハルトと似たような臭いを放っており、鼻でもつまみそうな顔をしている。屍系や毒を持つ魔物は大抵悪臭を放つ。騎士はこういう魔物にも慣れているとはいえ、げんなりするのは仕方がない。
「顔色悪いな、無理するなよレオハルト。予定時刻も過ぎてるし、川沿いで村に戻るぞ。殿は俺がやる」
リッターの指示に従って周囲を警戒しつつ村へと戻った。幸いにもその帰りの道中で魔物に遭遇することなく、村へとたどり着きほっとする。
解毒剤を飲んでいるとはいえ、一度は毒に侵された体だ。体内で毒を分解しているのだから体力を消耗する。いつも以上の疲労感はどうしてもあり、体が重くて動作は緩慢になった。
「大丈夫ですか、隊長。……魔女殿の完全回復薬、使いますか?」
「この程度で使ってしまっていいものではありませんよ。魔女殿の厚意に甘えすぎてはいけません」
花の魔女は騎士団への差し入れとして完全回復薬を作ってくれている。死にかけていても生きてさえいれば動けるようになる、そんな強力な薬だ。本来、これはそう簡単に作れるものではない。魔女がこの薬を作ること前提で、彼女に依存した医療体制になってはいけない。自分たちで対処できるところは対処するべきである。
宿へ向かっていると村中心部からざわめきが聞こえてきた。今日は商人が集まって合同の市を開くという話だったので、その賑わいだろう。
「調査が魔物討伐に変わるなんてついてなかったな……今日はせっかく市をやるって聞いてたのに」
「まだ昼ですし市は終わっていません。……その身なりを整えてからでなければ、村民の皆さんにご迷惑をおかけします。先に戻って着替えてくるといいですよ」
何やら買いたいものがあったらしく、リッターは以前からこの日を楽しみにしていた。部下に怪我はなく、レオハルトの体調も一日身体を休めておけば回復する程度で問題はない。「理想の騎士」ならばこの程度の自分の身より仲間の気持ちを慮る。心配そうにこちらを見ているリッターに、安心させるよう笑いかけた。
「いいのか? ……じゃあ急いで着替えてくるわ。レオハルト、お前も無理せず休めよ?」
宿の方向へ走っていくリッターを見送ったところで、ふと人の視線に気が付いた。ちょうど市の端の店を見ていたらしい花の魔女がこちらを見ている。今まで見たことのないヴェールを被っていたので、おそらく店で買ったのだろう。……精巧な人形のように整った顔を隠していても、神秘的で美しいと感じる。彼女の持つ雰囲気は、やはり他の人間とは違う。
(……この状態で近づくのは、やめておこう)
挨拶に行きたいが今は部下共々悪臭を放っている状態だ。魔女の後ろでノエルが尻尾も耳もピンと立てて毛を逆立てていることからしても、酷い臭いなのは間違いない。自分たちはだいぶ慣れてきてしまっているがそれでも臭いくらいだ。
だから近づくことはせず、しっかりと一礼だけした。買い物を楽しんでいる村人たちの邪魔にならぬよう、市が開かれている中央広場から迂回して宿に戻るつもりだったのに、魔女がこちらへと近寄ってくる。いつも彼女にぴったりとくっついているノエルですらその場から動けないままでいるくらい、悪臭を放っているはずなのに、まるで意に介していない。
(魔女殿はにおいに鈍感なのか……!?)
そうだとしても向き合う距離ならば鼻をつまみたくなるほどの臭いになるはずだ。それなのに気にする様子もなく近づいてくる彼女に、レオハルトはつい後ずさってしまった。
すると魔女もぴたりと歩みを止める。さすがに臭かったのか、レオハルトが嫌がるそぶりを見せたから近づくのをやめたのか。……彼女なら後者だろう。
(ヴェールで表情が見えにくい。……傷つけてはいないだろうか)
ノエルから悪臭がすることを指摘されたため、これ幸いにと魔女を避けた理由はひとえに自分が毒を浴びているからだと説明した。決して彼女に近づかれることが嫌だったわけではない。
レオハルトはただ彼女に悪印象を持たれたくない、嫌われたくないのだろう。しかし花の魔女は、毒だと聞いた途端に駆け寄ってきて、レオハルトが逃げるより先にこの手を掴んだ。
――魔物の攻撃でも食らった時のような衝撃で、心臓が跳ねた。
出先でも魔物の攻撃(毒)をくらい、帰ってきてからも魔物の攻撃(魅了)をくらって、レオハルトは大変だなぁ…
ということでもうちょっと続くレオハルト編。お付き合いいただけると幸いです。
いつも応援いただきありがとうございます、全部励みにさせていただいてます…!




