36話
ノエルがニコラウスのためにお茶を用意してきた。ベリーとクルミを使ったクッキーをお茶請けに、妖精飴のジャムの小瓶を添えて。
ニコラウスはお茶をストレートで飲みつつクッキーにはジャムをつけていたので案外甘党なのかもしれない。ちなみに私は自分を落ち着かせるために、ノエルからお茶のお替りを貰ってジャムをたっぷり淹れてかき混ぜていた。
「俺、お話の邪魔にならないよう部屋に下がってますね。何かあったら呼んでください」
「ああ、そうだね。あんまり子供に聞かせる話じゃないから」
(ううノエル……むしろここに居てほしいよ……)
私は心の支えにノエルを引き留めたかったが、子供に聞かせる話じゃないと言われてはそういう訳にもいかない。彼の頭を撫でて接客を褒め、機嫌よさそうに揺れている尻尾が彼の部屋の扉で見えなくなるまで見送った。……何故かニコラウスからじっと見られているのが落ち着かない。変なことはしていないはずだが。
「お前は本当に喋らないな。……不便ならこれ使えば? 僕は古代文字が読めるんだし、これで返事くらいしろよ」
そう言いながらニコラウスが取り出したのはガラスのような板とペンだった。何かと思ってみていると、彼は面倒くさそうにペンを持ち、板の上に滑らせる。するとペンの筆跡を追って紫色の線が板の上に現れた。
そしてペンをピタリと寝かせて板の上を撫でれば線が消える。ペンは立てれば文字が書けて、寝かせれば消せるという使い方をするらしい。
(あ、もしかしてこれ……お絵描きボードみたいなやつ?)
磁力を利用して何度でも絵を描け、簡単に消すこともできる。子供向けのおもちゃとしてよく売られているお絵描きボードによく似た仕組みなのだろう。
改めてそれを渡されたので、自分でも線を引いてみる。何故か緑色の線が浮かび上がった。
「ふぅん……それがお前の魔力の色か」
どうやらこのペンは使用者の魔力を吸って色を付けるようだ。カラーイラストは描けないけれど、誰が書いたか分かりやすいし、便利かもしれない。書き心地を確認するため、軽く絵を描いた。絵はあまり得意ではないので、誰にでも描けるような花丸のイラストだ。植物の魔女っぽさの演出にもなるだろう。
……しかしわざわざこれを持ってきたということは、事情聴取がしたいということだろうか。怖すぎる。余計なことは書かないように気を付けるべきだろう。
「……魔境の変化は続いてる。もし、あそこから魔物が出てくるようなことがあれば……」
ニコラウスが真剣そうにそう呟きながら言葉を止めた。実際には目の前に魔境から出てきた魔物がいる訳だが、それを知ったらどうするつもりなのか。言葉の続きを待つ。
「……まあ、お前なら自分で処理できるんだろうけど。でも、僕も国防の一端を担う宮廷魔導士だから一人でやるなよ」
(……ええっと……?)
「手柄を独り占めするなって意味。ちゃんと僕を呼べ。騎士は…………時間稼ぎくらいにはなるかもしれないけど、僕の方が強いからな」
なるほど、ニコラウスは人間にとっての大きな戦力なのだ。私のような魔物が魔女だと誤認されるくらいなので、魔族という人種は個人でも相当な戦力なのである。……やっぱり怖いな、正体がバレたら逃げられないんじゃないだろうか。
(ん? ……もしかして、私も戦力に数えられてるのかな?)
竜と戦った生き残りの魔女。そう思われているなら、領主や国から対魔物用の戦力として見られていてもおかしくない。
人間を襲う魔物に共に立ち向かっていれば、私も人間の味方として扱われ、いつか正体がバレることがあっても討伐すべき魔物とは判断されないかもしれない。……それならいい傾向だ。
(魔物を狩るのに抵抗はないもんね……襲ってくる魔物は食料だし……)
私はマンドラゴラ以外の魔物については敵もしくは食料だと思っている。同種以外に仲間意識はないものだ。人間たちとの安穏とした生活を脅かされるなら、私も戦うだろう。もちろん怖くて叫ぶだろうが、負けはしないと思う。
「……それ、置いていくから自由に使えば? 他の人間に古代文字は読めなくても、絵を描けるならまだ伝わりやすいだろ」
それは確かにそうだ。ノエルへの指示ももっと的確にできるようになるかもしれない。ニコラウスは怖い人間だが、このお絵描きボードに関しては便利な代物なので、貰えるというなら感謝しよう。
『ありがとうございます』と礼を書き込んでニコラウスに向けると、彼は軽く鼻で笑いながらそっぽを向いた。
「……お前の魔力回復薬はかなり効果が高かった。あれが一本で人間を二十人往復させられる。有事の際はお前が薬を作れば、かなりの人数を速やかに移動させられるわけだけど……一日に何本なら作る自信がある?」
ニコラウスは魔法陣を使って人間や物を素早く長距離移動させられる。しかしそれに必要とされる魔力が多いため、回復薬を使わなければ大量の物資や人間の移動はできない。
だが魔力回復薬はあまり長持ちしないものなのだ。大量に作って保存しておくわけにもいかず、人間が作るなら手間が必要である。新鮮なマンドラゴラを収穫し、おそらくそれを細かく擦りおろ――。
(ヒッッ! 深く考えたらだめ無理……!)
――とにかく時間がかかるし大量生産には向かない。調合には本来技術や知識が必要で、私のように多様化と薬剤調合のスキルの合わせ技で素早く体内合成できるのは特殊なのだ。
私が作れる回復薬の量によって、できることが変わる。だから有事に備えて確認しておきたいということだろう。
『100本程度なら』
「……は? 化け物かよ」
(ひぇ……!? す、少なめに申告したのに……!?)
いざという時私が全力で逃げたり戦ったりできる程度には片手間に使える量を告げたつもりが、化け物扱いされてしまった。もしや人間に可能な範囲を超えていたのか、魔物だと見抜かれてしまうのかと慌てていたがニコラウスも本気で化け物扱いしたわけじゃないのか呆れたような顔になった。……彼は口が悪いので心臓に悪い。……まあ心臓はないのだが。よくない想像をするので心象に悪いと言うべきか。
「……薬関係はお前に任せたらよさそうだな。僕は魔法を使うことに集中できる」
レオハルトに教えてもらった話ではニコラウスはあらゆる魔法を使える魔法使いである。一種類の魔法を極めることが多かった今までの魔族とは違って、一人で何でもできるようになったのだという。
魔族以外も魔法は使えるけれど、生まれ持つ魔力量が違うのでできることには大きな差があり、万能型のニコラウスがあらゆる魔法を使って様々な場面に対応するのが国としての想定のようだ。
(今までは薬を作るのもニコラウスさんがしてたけど、これからはその辺は私がサポートして、さらにニコラウスさんが使える魔法を増やすことができるってことかな?)
後方支援の戦力と考えられているなら悪くない。矢面に立って魔物と戦えば、私の戦い方から正体がバレる可能性が高くなるけれど、薬を作って裏方に徹するなら役に立つアピールもできて戦わずに済むというわけだ。しかも魔物の前に立つ必要がないので怖くない。いいこと尽くしである。
「あの魔境は変化が早い。災害が起こる可能性は少なくないしもし何か異常に気づいたら、すぐ…………騎士にでも言えばいいんじゃない」
『わかりました』
「……ふん。じゃあ僕は忙しいから帰る」
ようやく帰ってくれるらしい。ほっとしながら立ち上がって歩き出したニコラウスの後をついていく。
(忙しいなら頻繁に来なくていいのにな……そんなに私が疑わしいのかな……)
まだ正体を暴こうとしているならどんな仕掛けをしてくるか分からない。玄関まで見送るだけでは不安だったので、ちゃんと帰ったことを確認するべく転移魔法陣のところまで見送った。
「…………ここまでついてこなくていいのに、呆れた」
(だって不安なんだもん……!)
ちゃんと帰るところまで見届けないと不安で仕方がない。今回だってレオハルトに化けてきたのだから、見えない場所で何をされるか分かったものではないのだ。最後まで見届ける必要がある。
「……じゃあな、花の魔女」
……魔法陣が光る中、去り際のニコラウスが小さくそう呟いた気がしたのだけれど、聞き間違いだろうか。
これがデレってやつですかね。なお魔女は出ろ(村を)と思っています。
書籍でもあとがき一言みたいなことができないか思案中です。できないかな…。




