31.7話 ニコラウス 後編
報告書には魔境から逃げてきた動くマンドラゴラを眷属化したことは書かれていたが、五体もいるなんてことは報告されていなかった。できるだけ情報を隠そうとした痕跡が見える。この男一人か、調査中の聖騎士全体かは分からないが、少なくとも隊長格の一人が取り込まれているのは事実だろう。
「偽物を調べに来たんだよ、当たり前でしょ」
そうなればこの女が本当に魔族かどうか、それを調べられるのはニコラウスだけだ。だからこそ、自分にも言い聞かせるようにつぶやいた。他の人間の調査は信用ならない、自分が調べるのだと。
「今のところは偽物と断定できない。……本物かどうかも分からないけどね。まだ信じてないし、偽物だと分かった時は許さないからな。正体が分かるまで何度でも来るぞ」
少しは嫌な顔をしてもいいだろうに、女は嬉しそうに笑うだけだった。……何度来てもいいと思っているらしい。正体が暴かれない自信があるのか、それとも――同胞の訪れ自体を喜んでいるのか。
どちらともとれる。まだ、偽物か同胞かの判断は下せそうになかった。
「しかし、魔導士殿。……城を空けてきてよろしかったのですか? 報告を上げてからそう日は経っておりませんが……王の許可が下りるには早いのでは」
「王の許可は取ったよ。城を全部囲う防御結界を張って、少しの間抜けさせてもらった」
「……あの、魔導士殿。それは魔力の使い過ぎでは? 転移魔法も使われていますよね?」
言外に来たことを責めるような台詞だ。
だがたしかに、彼の言うように今日は魔力を使いすぎた。急かされるように魔女の正体を暴きにきてしまったのである。偽物なら許せなかったし、もしかするとほんの少しだけ期待していたのかもしれない。今度こそ本物であればいい、と。
「僕を誰だと思ってるんだ。唯一の……魔族の生き残りだぞ。これくらいできる」
唯一の魔族の生き残り。でももしかすると、唯一ではないのかもしれない。そう思って振り返ると、見送りのつもりなのかこちらを見ている女と目が合う。途端に優しく包み込むような笑みを浮かべたその姿から、前を向くことで目を背けた。
「近くに転移の陣を書く。お前たちもその方が移動に便利だろ。……魔境があるんだし、必要になる時がくるかもしれないからな」
今も魔境の変化は続いている。やがて大規模な魔物の災害が起きる可能性もあるので、どちらにせよこの村には転移魔法陣が必要だった。
だがこれを使うには結構な魔力を消費する。ニコラウス一人では限界があるけれど――あの女の魔力量なら、今まで以上に活用できるだろう。まあ、それは彼女が協力的であることが前提条件となるが。
「……それは、そうかもしれませんが……魔女殿のプライバシーもありますので、それなりに離れた場所にしませんか? 特に川の付近はおやめください」
やはりこの眼帯の騎士は怪しい。女と親しいのか、彼女を監視の目から隠そうとしているように捉えられる発言をしていた。
(川に何かあるのかもしれないけど……使いやすい場所がいいからな。設置場所は予定通りに)
女の家と村との中間地点に転移魔法陣を設置する。これで今回よりは楽に移動できるが、陣を定着させるのにも魔力は必要なので少しめまいがしてきた。……やはり今日は魔力を使い過ぎている。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るけど。その女ちゃんと監視して、しっかり報告上げろよ」
「……魔導士殿、あまり無理はなさらず。こちらのことは我々聖騎士にお任せください」
眼帯の騎士には釘を刺しておいたが、あまり意味はなさそうだ。普段、この男は人のいい笑顔を浮かべて、誰からも頼りにされている。ニコラウスとは比べ物にならないくらい、周囲から好かれている騎士だ。
しかし今はまるでニコラウスを威嚇するかのように鋭い目つきをしている。余計なことはするなとでも言わんばかりに。
(普段は猫を被ってたな、こいつ)
他人と仲を深めることのなかったニコラウスにならその本性を知られたところで支障ないと考えたのか、リスクをとってでもあの女を庇いたいと考えているのか。何にせよ、この騎士は女のために動いている。やはりニコラウス自身が頻繁に訪れたほうがいい。
「これくらい平気だよ。僕を誰だと……」
枯渇気味の魔力のせいで体調は悪かったが、虚勢を張るつもりだった。何度でもこうして訪れてやるから、お前が何か隠そうとしても無駄だと伝えるために。
しかし離れた場所からこちらを見守っていただけの女が、微笑みながら近づいてきたため言葉が途切れる。
「何。お前は僕に用なんてないでしょ」
自分に詐欺師の疑いをかけて調査をしようという相手に対し、早く居なくなれと思っていてもおかしくはない。それなのに、女はそっと何かを差し出してきた。
見た目は鬼火草の実だが、色が違う。中に何か入っているようだ。手に取って鑑定してみると、それは魔力回復薬だった。
【アイテム名】魔力回復薬
【説明】
魔力を回復させる専用薬。特に魔力の最大量が多い魔族の愛用品。
不純物質が一切混ざっていない最高級品質。
これは魔族がよく作る薬だ。魔族の残した書に作り方が載っていたので、ニコラウスにも作れる。ただ最高級品質なんて代物はできたことがない。……この女は余程作り慣れているらしい。
それに魔族はこれを作れるようになって一人前だ。それまでは先達の魔族が作って、未熟な子供の魔法の練習の面倒を見てやる習慣なのだとも書いてあった。しかしニコラウスはずっと一人きりであったため、無論これを貰ったことなどない。
(魔力回復薬って……僕を子ども扱いか。しかも二つも)
この品質の薬であれば一つで充分以上に回復できる。それをもう一つ渡すということは、二つ目は次に来る時に使えという意味に他ならない。まるで遠方より帰省してきた我が子へ、行き返りの駄賃でも渡すような行為だ。……五百歳の魔族相手にやることではない。それを子ども扱いするとは一体この女は何年生きているのやら。
「お前……馬鹿だろ」
女は優しく微笑むだけだ。ニコラウスは彼女へ疑いをかけているというのに、それでもまた会いに来いとその行動で示している。
今まではずっと放置していたくせに、何故急に甘い顔を見せるのか。こんなことをされたら戸惑ってしまう。
(……放置してたからこそ、後ろめたかったとか? ……ほんと馬鹿だな)
何らかの理由で五百年山に籠っていたが、ようやく人里に降りることになった。しかし今さらそれだけの年月を放っておいてしまった同胞に顔を合わせづらく、会いに来ることはできなかった。だがニコラウスの方から会いに来てお互いの存在を知った以上、もう何度でも好きなだけ会いにくればいい。……そんなことでも考えているのだろう。そんな理由なら、気にせずに顔を見に来ればよかったのに。
「お望み通り、また来るよ」
実の中の薬を飲みほした。さわやかな風味がそのまま体を駆け巡るように、速やかに魔力を回復していく。非常に体が軽く、すっきりとした気分だ。
「……【命じる。転移、第一の陣】」
転移魔法の光に包まれながら振り返る。最後まで女は優しく笑ってニコラウスを見ていた。
もしかすると本当に、彼女は魔女なのかもしれない。……そう信じたくなっている自分がいた。しかしまだ、確信はない。だから何度でも調べに行こう。次は自分で魔力回復薬を作ってあの女に見せ、子ども扱いするなと伝えてやらなければ。
見慣れた王城の転移の間に戻ると、見張りの衛兵がぎょっと驚いたようにニコラウスを見ていた。
「ま、魔導士殿……あの、何故そのようにご機嫌で……?」
「は? 何の話?」
「い、いえ……珍しく笑顔でいらっしゃったのでつい、なんでもございません」
そう言われてニコラウスは自分の口元に触れる。たしかにこの顔は口角を上げていて、それに気づいたら急に笑いがこみあげてきた。自嘲しながら天井を見上げて、ため息を吐く。……結局、ニコラウスは期待していたし、確証はなくともまだ期待を裏切られていないことに安心しているのだ。
「馬鹿だなぁ」
「へ……!? も、もうしわけございません……!!」
「お前に言ったんじゃないよ」
衛兵を置いて、ニコラウスは軽い足取りで研究室へと戻る。今日はまだ世話をしていないマンドラゴラに水を与えよう。
丹精込めて育てたこのマンドラゴラならとても良い魔力回復薬になるだろうから。次に彼女へ会いに行く日まで、大事に扱わなければ。
この心 株主知らず
感想の総数が900件を超えまして…こんなにたくさん感想頂いたことがないのでびっくりしています。いつも応援ありがとうございます。
話のキリがいいので、ここから更新速度を落として書籍化作業に入りますね。マンドラゴラにお水をあげるってことで、水曜日更新にしようかな…?と思っています。引き続き応援いただけると嬉しいです…!




