24.6話 レオハルト 後編
魔女は驚いたような顔をして、ゆっくりと口を塞いでいた手を降ろす。そうして迷うように何度か目を瞬かせ、小さくうなずいて答えた。
(やはりそうか。……五百年、魔境の傍に住み続けたという話も聞いたが……これも理由の一つかもしれない)
彼女の声は人に憎悪を抱かせる呪いを持っている。その声は生来のものか、それとも竜との戦いの最中受けたものか。同族なら理解者もいたかもしれないが、もう魔族は他にニコラウスしか残っていない。
ニコラウスも五百年前はまだ乳飲み子で、竜との戦いの前に安全な場所へと預けられ、戦いで他の魔族は滅んだと思われていたのでそのまま人族と暮らして育てられることになったのだ。……声をかけることもできずに、子供を育てるのは難しいだろう。彼女はニコラウスを迎えにいくことなくそのまま山に残り、同胞たちの弔いをすることにしたと思われる。
(そうして過ごす中、濃い瘴気の傍で異質な変化をしたマンドラゴラを見つけた。マンドラゴラの声が効かない彼女はそれを研究しはじめ、そこからさまざまな植物の研究へと繋がり、今の魔法を極めたのでは?)
マンドラゴラは声に呪いを持つ。彼女は自分と似た性質のマンドラゴラの呪いを研究することで、自らの呪いも解こうとしたのではないか。その関連で様々な植物も調べ、魔法の体系に組み込んだ。これなら植物系の魔法に造詣が深いのも頷ける理由である。五百年もその魔法と研究に明け暮れたのだろうから。
それに彼女自身はレオハルトと同じで、他の呪いが効かない。マンドラゴラは危険性のない、研究しやすい魔物だったに違いない。
(だが、時が経ったことであの山は魔境へと変わった。……魔女殿は、日常を壊された訳だ)
魔境の魔物はゆっくりと増えるのではなく、突如発生するように増殖する。魔女が暮らしていた場所も突然魔物に襲われたのだろう。
――そしてもし、彼女が複数の自力で動けるマンドラゴラを研究対象として傍においていたなら。魔物の襲撃で、それらが逃げ出したのなら。
(バラバラに逃走したマンドラゴラたちは、身を守るためにその声で魔物を倒したはずだ。……死体が残れば、それは屍系の魔物になる)
屍系の魔物が増えたことで、彼女は自分の研究していたマンドラゴラが、山の下の生態系へと影響を及ぼしている可能性に気づいたのではないだろうか。
だからそれを調べるために山を下りてきた。そしてビット村を見て責任を感じ、罪悪感を覚え、身を粉にするように村人へ尽くし、生態系の変化を抑えるため、川辺の浄花をあんなに伸ばしているのだろう。……黙って去れば知られることもないというのに、この魔女は自分と違ってお人好しらしい。
(彼女に責任の一端はあるのかもしれないが……ここまでするほどではない)
彼女がマンドラゴラを危険だと判断し処分していれば今の魔境は存在しなかったかもしれない。しかし今もマンドラゴラを抱く様子を見るに、同族を失い一人きりで魔境に住む彼女の心の支えがこの魔物だったのではないだろうか。それでは殺すに忍びないだろう。
(たった一人で生きる辛さはよくわかる。他人のいない場所で……五百年だ。私よりもさらに、孤独だったんだろう)
そもそもマンドラゴラの叫びで殺せる魔物の数は多くない。走れるとはいえ、声が聞こえる範囲はそう広くないからだ。
それにマンドラゴラもずっと走り回りはしない。植物の魔物なのだから、土の中にいる方が落ち着く生態であり、放っておいても地面に潜り込んで休むはず。
しかし屍の魔物は殺した相手も屍の魔物と化する。時には呪いを操る強力な別種の魔物も生まれるのだ。大量に死んでいたゴブリンがその証である。そこからさらに屍の魔物が生まれ――そうしてあの山は、屍系の魔物や呪いを操る魔物、それらの毒性にも耐えうる毒の魔物の巣窟となった。
(はじまりは数体の走るマンドラゴラ、か。事実は小説より奇なりだな)
きっかけは彼女が管理していたマンドラゴラかもしれない。けれど、決して彼女だけの責任ではない。マンドラゴラを襲った魔物が返り討ちにあい、屍となって仲間を増やしたならそれは、自然の摂理というものだ。それにニコラウスが植えたマンドラゴラもいたはずで、他にも野生のマンドラゴラが生息していたかもしれない。
ゴブリンが生息する区域なのだから、マンドラゴラを引き抜いて屍化する者はそれなりにいるだろう。……となればなおさら、元から屍系の魔物の魔境へと変わる可能性はあったのだ。彼女だけの責任とは決して思えない。
下手をすれば屍竜という厄災が生まれた可能性とてある大地。レオハルトが見たところ竜はすっかり肉を失い、土の栄養となっていたのでその危険はないものの、特殊な環境の魔境だったのだからどんな不幸が起こってもおかしくはなかった。
(それでも理由を話せないまま村人に尽くすことが、魔女殿の贖罪なのだろうな。……優しい彼女にはとても辛いことだろう。今までマンドラゴラを回収していなかったのは……それを従える魔法が未完成だったからか?)
今まではマンドラゴラを服従させる魔法が完成していなかったのかもしれない。村で過ごしながらその魔法を完成させ、責任を果たすためにマンドラゴラたちの回収を始めた。そう考えるのが自然だろう。
何せ相手はただの植物ではなく魔物なのだ。人間が簡単に従わせられるものではない。村の植物たちの中には植物系魔物は存在しなかったし、植物を操る彼女とて魔物となれば勝手が違うのだろう。それでももっと早く魔物を操る魔法を完成させていれば――そう悔いているに違いない。
レオハルトを救った時の涙を思い出す。あれは同情ではなく、罪悪感からきたものだったのかもしれない。……しかし、それでも構わなかった。彼女が優しい人であることには変わりない。
「私たちは、お互いの呪いが効きません。私にだけは、声を聞かせても問題ありませんよ、魔女殿」
その秘密と罪悪感を抱え続けるのは苦しいだろう。レオハルトになら話せる、その重荷を分けたらいい。そう思っての提案だったが、魔女は儚げに微笑むだけだった。
「……ありがとう……」
少し震える声があまりにも頼りなさげで、か弱く、庇護欲を駆り立てられる。……おそらくまだ、人と話すのが怖いのだろう。その気持ちもよくわかる。レオハルトとて、目を隠さず誰かを見つめている今の状態が不思議でならないのだから。
(今回の調査は、魔女が本物であるかどうか見極めるためのもの。……確かに彼女は力のある魔女だ)
詐欺師の類で村人を洗脳した危険な人物か、本当に生き残りの魔女がいたのかどうかを調べに来たのであって、魔境の因果関係までは調査対象ではない。こじつけだと理解しながらもそういうことにした。
(この世で唯一、私が私のままで接せられるかもしれない人だ。……奪われてたまるか)
この出会いに感謝している。この縁は誰にも断ち切らせない。気づいた真相が罪に問われるなら、全力で隠蔽してみせよう。
聖騎士として正しい行いではない。しかし普段の理想の騎士の姿は、レオハルトの本当の姿とは違う。本当の自分はもっとエゴイストだ。個人的な理由で、この魔女を守ると決めた。
(それを彼女に信じてもらうためには……そうだな、誓いを立てよう)
そうしてレオハルトは騎士として、剣をかけて誓った。その誓いを聞いた彼女は、嬉しそうに笑ってくれている。……きっと、信じてくれただろう。
「私は村へ戻りますが、魔女殿は?」
「……私は、まだ」
「分かりました。……では、また」
きっとまだ他にいるマンドラゴラを探しに行くのだろう。ならばレオハルトがやることは、先に村へと戻って彼女がいない妥当な理由を考えることか。……そういえば、見張りの騎士は誤魔化されたのだろうか。ならばレオハルトもそれに一枚噛んでおこう。
(……来た時はこんな草は生えていなかったな。これは……草食動物が好むものだ)
おそらく、川の汚染で傷ついた生態系を回復させるために魔女がやったことだ。一度足を止め、振り返る。もう魔女はそこにいなかったが、その姿はしっかりと両の目に焼き付いている。
川辺の白い花々、月光の下に咲く花の魔女。遮る物のない開けた視界はとても心地よく、美しかった。
(二人きりでなら……また、話ができるかもしれないな)
次にそんな機会が訪れる日を待ちわびて、レオハルトは足取り軽く村へと戻った。
そして魔女の家の前で眠り込んでいた見張りの騎士を叩き起こし、交代を申し出て宿へと帰らせる。あたりに漂う花の香りから眠らされていたことは分かったので、風上に移動してそれ以上花の香りを吸い込まないようにし、魔女の帰りを待った。
(この花はもう必要ない。それを伝えなければ……)
もし夜に出かけたい時は自分が見張り番をして協力する。そう話を持ち掛けるつもりだった。そして明け方頃に戻ってきた魔女は、なんと五体のマンドラゴラを連れていた。
(…………リッターの言っていたマンドラゴラは、あれか……)
魔女の支配下にあるためか、マンドラゴラたちは服を着ていた。そのうちの一体がやたらと体の凹凸を主張させる歩き方をしていて悪目立ちをしている。
「魔女殿、お帰りなさい。……その、大変個性的なマンドラゴラですね」
この光景を聞いたら城から飛んできそうな、彼女の唯一の同族の顔が浮かび、レオハルトは少しばかり不安になった。しかしそんなことを知らない魔女はただ美しく笑うだけだった。
眼帯つけなくても視界は曇りまくっている。
という訳で、間に合ったので本日二回目の更新です。二つに分けても長すぎる。
そしてなんとブクマが一万件を突破していて二度見しました。ものすごくたくさん応援いただいている…いつもありがとうございます…!




