3話
魔物の体は望んだ形へと成長する。それに気づいた私は希望を持つことができるようになった。
もしこの世界に人間やそれに近い知的生命体がいるならば、その集団に混ざって生きれば平和に暮らせるのではないか。私が願う形へと成長していけるなら、いつかはその姿へと変われるはずだ。
(よし、目指せ人間! ……とはいっても、人間っぽいのってこの緑の巨人しか見たことがないんだよね……まさかこれがこの世界の人間だったりしないよね?)
水辺に横たわる緑の肌の巨人は、白目をむいて泡を吹いた状態で絶命している。これが私を引き抜いてくれたせいで、怖い思いをした。
初めてまともにその巨人を観察したところ、肌は緑色で胸のあたりだけ真っ黒、額には小さな角が生えており、粗末な布切れを腰に巻いただけの服を着ていて、あまり知能が高そうには見えなかった。
(人間っていうよりは鬼っぽい。緑の鬼だから……ゴブリン? でもゴブリンって小さいんじゃ……)
この世界のゴブリンが大きいのかとも思ったけれど、そもそも私は人間ではなくマンドラゴラだ。ゴブリンの方が大きくてもおかしくはない。
となれば、人間はもっと大きいのではないだろうか。……一度ちゃんと、人間を確認しておかなければ、変化しようがない。そもそもまずは人間がいるのかどうか、という問題もあるのだけれど。
「……? ……!」
どこからか話し声のようなものが聞こえてきたため、私は茂みの中に走り込み隠れた。緑の巨人か、はたまた別の生き物か。こっそりと茂みの中から様子を窺う。
「まったく、魔道士殿は人使いが荒すぎる……! こんな魔物だらけの魔境に送り出すなんて……!」
理解できる言葉を使いながら二人組が歩いてくる。よかった、言葉の壁はないらしい。しかもその姿は私がよく知る人間と変わらず、あまりの喜びに「ヤッタアアア!」とでも叫びそうになったため、慌てて水かきのある手で口を塞いだ。……なんとか音が漏れる前に堪えられた。水かきがあって本当に良かったと思う。
「私たちでなければさすがにここまでは来られない。しかし魔導士殿の研究は国のため、民のため。聖騎士が手を貸すのは当然じゃありませんか」
「お前はまた……本当に全く、理想の騎士様だよ」
成人男性と思われる二人組の背丈は緑の巨人よりもさらに大きい。緑の巨人が立ち上がったとしても彼らの腰の高さにも及ばないくらいだ。周囲の木の高さと比較しながらおおよその大きさを測る。
自分の目指す姿が具体的になったため、なんだか嬉しくなってきた。明確な目標ができると俄然やる気も出てくる。
(女性だからあの人たちよりは身長を低くして……あれ、私って女の子だよね?)
マンドラゴラの性別は分からない。雌株と雄株のある雌雄別体なのか、おしべとめしべを持つ雌雄同体なのか。まあどちらにせよ、前世の花園美咲の意識を持つ私としては自分は女性という認識だ。作るのは女性体でいいだろう。
(せっかく体を作るんだから……やっぱりこう、スタイル抜群になりたいよね……)
前世は寸胴体型だったし、現在はコロコロとどこまでも転がりそうな円形ボディだが、今は望む形へと変わっていける生命体のようなので、どうせ目指すならスタイル抜群の美女だろう。胸が大きく、くびれがあって、尻も出ている。そんな体型になりたい。
(運よく人間も確認できたし、見つかる前に離れておこう。叫んだら死なせちゃうかもしれないからね)
私は全速力でその場を駆け出した。魔物を倒しレベルアップを繰り返して、いつか人間の姿になり、そして人間の国で暮らす。ここを魔物だらけの魔境だと彼らが言っていたのだから、人間の国はきっと安全な場所だ。
走り始めてすぐに背後から驚くような声が聞こえてきた気がしたが、きっと気のせいだと思って走り続けた。二人組に声が届かない場所で魔物を倒さないと巻き込んでしまうから、とにかく離れなければ。
(よーし、やるぞー!)
―――――――
「お、おい……! 今、なんかすごい……すごいナイスバディなマンドラゴラが走っていった……!」
宮廷魔導士であるニコラウスの依頼を受け、魔境へと実験物の回収に来たレオハルトは同僚が何もない方向を差しながら妙なことを言い出したため、その体調を心配することになった。
「……リッター、大丈夫ですか? 瘴気は薄れているという話だったのに、幻覚を見るほどとは……」
ほんの数年前まで、ここは殆どの生物が近づけないほど瘴気――濃厚すぎる魔力が害を及ぼすような場所だった。五百年前に死した竜の死骸から放たれた瘴気により、人間や動物どころか魔物すら住むことはできない状態が続き、最近ようやくそれが薄れたのだ。
そうなると今度はふんだんに魔力を含んだ肥沃な土地となる。新しい植物が芽生え、動物ではなく魔物が次々と発生する。大量に弱い魔物が生まれ、それが食い合って成長し、やがて強力な種が生まれていく。現在ここは、新たな生態系を築いている最中の魔境なのである。
「いや今絶対居たってば!」
「いくら魔境といったってマンドラゴラが走るはずはないでしょう」
「で、でも……魔導士殿だって賢い魔物は進化の方向性を選べるんだと……走るマンドラゴラがいたっておかしくないと……!」
「そんな話を聞いたせいで幻覚を見てしまったんでしょうね、きっと。できるだけ早く依頼を終わらせて帰りましょう」
たとえ走るマンドラゴラが生まれる可能性があったとしても、そんな異質な魔物が生まれるにはこの魔境は新しすぎる。変異個体というものは、何十年何百年という時間をかけて生まれるものだ。
だがしかし、二人は指定の場所に向かう途中、妙な光景を見ることになった。
「おかしいな。……ゴブリンが大量に死んでる」
「ええ。しかもこれは……呪い、ですね。ゴブリンは呪いの耐性が低いとはいえ、この数は……異様ですよ」
ゴブリンの胸に広がる黒い染みを見ればそれが呪いによる死だと判断できる。そんなゴブリンの死体がゴロゴロと辺りに転がっているのだ。すでに三十体以上の同じような死体を見つけ、その異様さにレオハルトは眉をひそめた。
ゴブリンを一体見れば五十体いると思え。それくらい、ゴブリンは大量に繁殖する。寄り道をしている訳ではなくただ目的地に向かいながらまっすぐ歩くだけでこれだけの死体を見るならば、下手すれば数百と死んでいるのではないだろうか。
「私は呪いが効かない体質ですが……リッター、君は気を付けたほうがいいですね。これは下手をすれば命とりになります。聖水の用意を、死霊系の魔物が近づけないようにしておくべきです」
「……なあ、本当に走るマンドラゴラがいるんじゃないか? ほら、叫びながら走ったら呪い耐性がないゴブリンなんてこんな風に……」
「非現実的でしょう。呪いを得意とする死霊系の魔物が生まれていると考えるのが妥当かと」
警戒を続けながらニコラウスより指定された場所へと辿りつく。竜の死骸があったとされる場所。五百年も経っているのでさすがにもうその死体は残っていないが、骨と思われるものが風に揺れる草の間から覗いている。
竜の死骸を栄養に育てたマンドラゴラの回収。それがニコラウスの依頼だった。
「自分でここに植えたんだったら、自分で回収に来られそうなのにな」
「魔導士殿はお忙しいのでしょう。手が離せないのかと」
「お前はもうちょっと人を疑ったりした方がいいよほんと……」
二人で手分けをして、ニコラウスが植えたマンドラゴラを探した。しかし、それは見つからない。見つかったのは、呪いを受けて死んだゴブリンの死体と、その傍にぽっかりと空いた穴だけ。
「……なぁ、レオハルト。これは……」
「リッター、言いたいことは分かります。……ひとまず、魔導士殿に報告ですね」
誰かがマンドラゴラを持ち去ったのか、それともマンドラゴラ自身が動き出したのか。普通に考えれば前者だが、走るマンドラゴラを見たと強硬に主張するリッターのせいで後者もありえるのではと思えてきた。
(もし動き回れるマンドラゴラがいるとしても魔境に居るならば問題にはならない。……でも人の暮らす場所に現れれば、災害となりかねないな)
もし見かけたら討伐するべきだ。それが人に災いをもたらす前に。
ありますよね、なんかこう、セクシーなポーズをしたダイコン……。あれです。