19話
王城の一角。宮廷魔導士に与えられた研究室で、鉢植えのマンドラゴラの葉を引っ張っているニコラウスに、まさかそれを引き抜いたりしないよな、という一抹の不安を抱きながらもリッターは重要な報告をした。
「今、魔女によって支配された村の噂が広まっています。領主からも調査をしてほしいとの依頼が届き――」
マンドラゴラだけを見つめて一度もリッターに目を向けない相手に、話を聞いているのかどうかも分からず徒労感を覚えつつも報告を終えると、一応耳は傾けていたらしく返事があった。
「あっそう」
「……興味はないのですか?」
ニコラウスは魔族の最後の生き残り、たった一人だけの魔法使いである。他のどの人種よりも優れた魔力量で、長い時を生き様々な魔法を操る魔法の天才。魔族の中でも彼ほど数多の魔法を使う者はいなかったという。
そんな彼だって、五百年間も滅んだとされていた同族が生き残っていたとしれば興味を持つはずだと踏んでいたが、彼の関心はいまだ鉢植えのマンドラゴラに向いたままのようである。
「どうせ偽物だろ? いままでも魔女や魔法使いを名乗るやつはいたけど、全部偽物だったし。興味を持つだけ無駄だね」
「さ、さようですか……」
「で、そんな偽物を調べに行くから僕の助手を休むって? はぁ……まあ仕方ないか。そっちが本来のお前の仕事だしね。無駄な労働、おつかれさま。頑張って」
この腹立たしい言い回しにも慣れてきたところだが、慣れたからと言って苛立たない訳でもない。しかし相手は五百年以上生きる魔法の天才で、歴代国王に重用されている存在だ。文句など言えるはずもない。
「ああそうそう……そのビット村? たしか新しい魔境の近くでしょ。お前が見たっていう走るマンドラゴラ、見つけたら捕まえてきてね。よろしく」
「はぁ……分かりました……」
そして凡人に理解ができない魔法の天才は、おもむろにマンドラゴラの花弁をちぎり始める。ガタガタと震える鉢植えを見て、リッターは早々に退室することでその場を逃げ出した。
「……って感じで、魔導士殿は魔女に興味がないらしい」
ビット村への調査に向かうのはリッターとレオハルト、その部下からえりすぐりの数名である。レオハルトが死にかけた魔境近辺の村であることもあり、実力者のみの少数精鋭で向かうことになった。
ニコラウスの転移魔法陣を使って移動できるのは十人が限界のため、選りすぐりの十人で調査を行い、もし魔女が危険人物だと判断すれば捕縛や処刑もあり得る。隊長格二人で行くのも妥当であろう。
「そうでしたか。……けれど、その魔女が本物であればいいですね。そうすれば魔導士殿も一人ではなくなり、孤独がまぎれるやもしれません」
「ほんとにお前は……あの魔導士殿が孤独なんて感じると思うか?」
「長きを生きる魔族の感覚は私たちには分からない部分も多いですが、魔族も人間ですから」
「俺はあの魔導士殿が寂しさを感じる想像ができないね。むしろ俺の方が寂しい……なんで俺は女にモテないんだ……」
リッターの嘆きにレオハルトは困ったように笑った。分かっている、彼のような美形ではなく彼のように性格もまっすぐではないし彼のように他人にも尽くせない三枚目だからだ。
街に出れば女性に囲まれているレオハルトの姿を思い出し、リッターはちょっぴり泣いた。
遠征の準備を終わらせて、転移魔法陣を使い、ニコラウスの嫌味を聞きながら旅立ったリッターたちは、数日を掛けて辺境であるビット村へと向かった。
数か月前、マンドラゴラ探しの依頼でも宿泊地として利用させてもらったばかりの場所だっただけに、その変貌の凄まじさがよく分かる。
「なんだこりゃ……鎖薔薇か?」
「ええ。これは魔境の植物のはずですが……」
村の周囲を、侵入者を阻むように鋭い棘の植物が覆っている。その棘の一部は血で赤く染まっており、白い薔薇の花は血を吸ったと思われる部分だけ赤く咲き誇っていた。……その光景にぞくりと背筋が冷たくなってくる。
「とても人間の仕業とは思えねぇな」
「そうですね。……村長のダオン殿にお話を伺ってみましょうか」
「ん、そうだな。ダオン先輩なら詳しい説明をしてくれるだろ」
この村には引退した元聖騎士がいる。レオハルトとは世代がずれるが、リッターは直接世話になった先輩だ。引退したとはいえ信頼のおける相手だとよく分かっているので、彼の話であれば信用できる。
棘の茨は村の出入り口を封鎖していないため、警戒しながらも村の中へと足を踏み入れた。茨は外側にだけ向いているようで、内側は棘のない柔らかな植物と鮮やかな花で彩られており、外から見た村と中で見る村の印象は随分と違っているように感じる。
「あれ、騎士さまだ。こんにちは!」
「こんにちは、お嬢さん。……村長殿はいらっしゃいますか?」
「うん! ダオンおじさーん!」
以前訪れた時に知り合った村の少女は、変わりなく元気で明るい笑顔を見せている。だが村の中も随分と様子が変わっていた。魔境にあるような、珍しい植物がそこら中に生えているのだ。……たしかにこれは、植物に支配された村と言える光景である。
「お前たちか、どうした?」
「どうしたもこうしたも……そっちこそ、どうしたんですかダオン先輩。この村、こんなんじゃなかったでしょう」
「ああ、花の魔女さまのおかげでな。……あの方がこの村を救ってくださった」
その魔女の姿でも思い浮かべているのか、ダオンは柔らかい表情で話し始めた。村を襲った疫病、死を目前にした村に現れた花の魔女が完全回復薬ですべての村人を救ったこと。疫病の原因を突き止め、それすら解決したこと。村を襲う獣や魔物から村人を守る茨。食料に困らないよう、栄養価の高い果実や野菜の種をくれたこと。その肥料ですら、魔女の生み出した植物のおかげで簡単に用意できること。
「いやいや、そんなことあります?」
「あるんだ。……疑うなら会いに行ってみればいい。お前たちは北口から入ってきたな? 南口から出て、水車小屋の方に行ってみろ。魔女さまはそこに住んでいる」
リッターとレオハルトは顔を見合わせた。ダオンはすっかりその魔女の虜となっているようで、信じがたい話を平然と話している。
(行商人の誇張かとも思ったが、そうでもなさそうだな。……たしかに村人は皆魔女に心酔し、村には魔境にあるような植物が蔓延っている)
本来人里には根付かないような希少植物だらけの村と、そんな植物を笑顔で利用する村人たち。この光景は異様である。行商人が恐怖を覚えたのも致し方のないことだ。
部下たちへ村の様子を探り、異常があれば村人を守るようにと命を下し、二人は件の水車小屋を目指して再び村を出た。
「ダオン先輩があんな風になってるなんてな……洗脳か?」
「さて……どうでしょうか。……少なくとも村人たちは以前より明るい表情をしていたように思います」
「近くに魔境ができたのに、な。……変な話だ」
小川のせせらぎ、水車がゆっくりと回る音。それが聞こえてきたところで二人はぴたりと口を閉ざした。気配を殺しながら、川沿いの木々に姿を隠しながらゆっくりと進む。まずはその「魔女」の姿を遠目にでも確認しようと考えていた。
やがて水車小屋が見えてくる。辺りは一面、鮮やかな花畑だ。家の傍の畑で、獣人の子供がせっせと収穫をしているのが見えたため、二人は無言のまま家の裏手、川の方へと回った。
「あ……」
小屋を回り込んだ瞬間、目に飛び込んできた光景。陶器のように白い肌、滑らかな曲線を描く艶めかしい女の体、太陽の光を浴びて輝く水面と、水にぬれた淡い緑の髪。リッターが発した声に気づき、こちらを振り向く人形かと疑うほどに整った顔。
「も、申し訳ございません!」
レオハルトの焦った声と同時に突然視界を覆われる。しかし今更覆われたところで、見てしまった記憶は消せない。血が沸騰するような、逆流するような興奮と、鼻からたらりと温かいものが垂れていく感覚。
――女体など母親以外で見たことがないような男に、美女の水浴びの光景は刺激が強すぎたのであった。
(あんなナイスバディなんて……もういっそ魔境で走り去ったマンドラゴラくらいしか見たことねぇよ……)
そりゃ本草だからね…
ここからは怪しい辺境の魔女編、というところでしょうか。
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