16話
翌朝、目覚めたノエルはすでに元気いっぱいで、迷惑をかけた分働くと言って実った果物を収穫し、それを川の水で洗おうとしたところで「浄花」の存在に気づいた。
「魔女さま、この花は……見たことがありません」
(珍しい花だからね。うーん、どう教えたらいいかなぁ……あ、そうだ)
私はノエルの手を引いて、家の裏手にあるトイレへと連れて行く。とはいっても元の世界のトイレではなく、小屋に排泄物を貯める桶があるような、仮設トイレよりも簡易なトイレである。
この世界にないのか、それとも村にないのかは分からないが、昨日村を回った限りでは水洗式のトイレは見かけなかった。そして排泄物は肥料とするために肥溜めへと運んでいるらしい。
何故突然トイレに連れてこられたのか、さすがのノエルも分からず不思議そうな顔をしていた。
「魔女さま、俺はもう元気です。吐き気はありません、けど……え?」
浄花を一株トイレへと落とす。そうするとみるみるうちに桶から花が咲き、桶の中身を消費しながらどんどん花を咲かせ、咲きすぎた花弁はぽろぽろと落ちて床に散っていく。……この落ちた花弁が非常に優秀な肥料になる、という説明がステータス上には表示されている。これを地面に撒けば、堆肥よりもずっと効果的らしい。
「うわ……便所のにおいがしなくなりました。もしかしてこの花、汚れを綺麗にするものですか?」
(うん、そういうことだね)
「それを川に咲かせたってことは……川が、汚れているんですね? それが病の原因だと?」
さすがノエル、理解が早い。私が頷きながらその頭を撫でてやると、こげ茶の尻尾がぶんぶんと揺れる。
この子はきっととても頭がいい。喋れないのは不便だが、ノエルは私が伝えたいことをほとんど読み取ってくれる。たまに伝わらないこともあるけれど、それでも会話できないにしては意思の疎通ができていると思うし、彼がいてくれてよかった。……一緒に暮らすのはまだ緊張するけども。
「それにしてもなんていうか……便所じゃないみたいですね。ちょっと使いにくいような……」
排泄用の桶に美しく咲く花。しかも桶をぐるりと囲うように咲き誇っている。……掃き溜めに鶴ではなく、肥桶に花か。まあ私はこのトイレを使うことはないので、気にならない。
(私の体は排泄しないからなぁ……)
人の体のように見える部分は根であって、吸収機能はあるのだが消化と排泄の機能はない。ちなみに人間の食べ物は、素手で触るとその栄養だけ吸収するらしいことが分かった。こっそり小さなりんごのような果実を一つだけ食べてノエルの皿にのせておいた。見た目には少しだけ色あせたようなそのりんごを口にした彼は首をかしげ「これ、味があんまりしない……?」と言っていたので、私が食べた後は味がなくなるらしい。むろん、それはノエルの手から回収し、畑の土で処分しておいた。
人間と同じものは食べられるけれど、動物や魔物を直接食べるより効率が悪いので、やはり私は生物を探して狩った方がよさそうだ。
「魔女さま、おられますか……!」
「村長さんの声だ。……川の水が原因なら、また病にかかった人が出たのかもしれませんね。俺、先に行って説明してきます!」
全くなんて優秀すぎる子供だろう。ノエルはトイレから走って出ていき、ダオンの声がした家の方へと向かっていった。私も歩いてそちらに向かいつつ、蔦で籠を編み、その中に完全回復薬入りの実を入れていく。
家の玄関前に着くと、顔色を悪くしているダオンがノエルから説明を受けているところだった。
「なるほど、水の汚染が原因で……水が汚れている限り、この病は繰り返す訳か」
「はい。けれど魔女さまはその水を綺麗にする花も操れるんです。今朝、それを川辺に咲かせていたので、もう川の水は問題ないかと……」
「本当に魔女さまには頭が上がらないな……ああ、魔女さま。話はこの子から伺いました。しかしすでに数人体調を崩した者がおり、ご相談……するまでもありませんか」
私が近づくとそれに気づいたらしいダオンは困ったような顔で話しかけてきた。しかし私が持っている籠を差し出すと、その中身に気づいたようでうっすらと目に涙を浮かべながらがばりと頭を下げた。
「貴女にはほんとうに、感謝してもしきれません。私にできることがあれば何でもしましょう」
(いやいや、そこまでしなくてもいいよ)
「魔女さまは見返りを求めるような人ではないですよ、ダオンさん」
私が首を振って答え、ノエルがそれをちょっと大げさだが補完して話すと、ダオンは軽く唇を噛んで、どこか申し訳なさそうな顔をした。罪悪感でもありそうなのだが、親切にされ過ぎて申し訳ないというところだろうか。
(親切にして、嫌われないようにしたいっていう下心がある私の方がちょっと罪悪感……)
確かに村人を助けたいとは思うが、それが完全な厚意かと問われれば難しい。私は人間と暮らすために、人間に親切な魔女になろうとしているマンドラゴラなのである。
「魔女さま、俺たちも行くんですよね?」
(うん。予防で井戸にも浄花を生やしたいし、肥溜めに生やせば衛生のレベルが上がるからね)
こくりと頷けばノエルは嬉しそうに笑って先を走り始めた。何となく自慢げで、子供らしい表情だったように思う。ダオンがそんな彼の背中を見て、眩しそうに目を細めた。
「……あの子も誇らしいでしょうね」
(ん? なんで?)
「今の時代で、獣人が貴女のような魔女に仕えられるなんてこれほどの幸運はございますまい。では、私も急ぎます」
回復薬の籠を持ち、ダオンもまた村の方へと向かおうとしていたが、少しふらついていた。そういえばずっと顔色が悪い。もしかして彼自身も体調を崩しているのではないだろうか。だから目に涙が溜まっているように見えるのだろう。
その肩を叩いて引き留め、新しい薬の実を作りだす。もしかすると彼は自分が体調を崩していることに無自覚なのかもしれない。体が頑丈すぎて、具合が悪いのにこれくらい動けると判断してしまうタイプの人もいるし、ダオンはたぶんそれなのだろう。
「あの、魔女さま……なにか……?」
(はい、これを飲んで。大丈夫、飲めば分かるから)
すぐに飲めるよう新しい実の先を傷つければぽたぽたと中の薬が漏れていく。それを渡してにこりと笑えば、彼は戸惑ったような顔をした後、薬を呷った。これで体調は回復したはずだ。さすがの彼も自分の体調に気づいたのだろう、空になった薬の実を見つめている。
「……ありがとうございます、魔女さま。貴女へのお返しはいつか、必ず」
真剣な顔で一礼したダオンは走って村へと向かっていった。私は二人の後を追って歩きながら、本物の魔女ではないことがちょっぴり申し訳なくなった。
せめて本物の魔女ではないとしても、人間にとっていい隣人たる存在になりたい。そうなれるように頑張ろう、と思った。
(まずは村を綺麗にするところから、だね!)
排泄はしなくても自分のケツは拭かないとね…
次回はダオン視点。
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