12.5話 ダオン
ダオンがビット村の長となったのは、五年前だ。元々は聖騎士として魔物退治をしていたが、三十五歳で引退し故郷の村へと帰ってきたところで、隠居生活を送りたいという親から村長を引き継がされた。村人も聖騎士として働いてきたダオンが村長をやることに異論はなかったようだ。
ビット村はとある山脈の傍にある。そこは竜の死地と呼ばれる場所で、五百年をかけて瘴気が薄れ、そろそろ魔境が誕生しているころだ。
(危ないから村を出ろと言っても、やはり皆故郷を捨てるのには抵抗があるものだ。……まったく、誰も彼も頑固で困る)
魔境ではどのような魔物が育つか分からない。あまり移動しない植物系の魔物が生態系を築き上げればいいが、人を攫うオークや、あらゆる種を食料とする肉食系の魔物が蔓延り山を下ってくるようなら、ビット村は大変危険な場所となってしまう。
しかしそうなってしまった時、故郷の村と人々を守るためにダオンはここに戻ってきた。だからこそ村人たちもダオンが長となることを歓迎してくれたのだろう。
「ダオンおじさん、なんか、変……」
「エリー? おい、大丈夫か!?」
隣の家に住む少女、エリーはダオンによくなついていた。その日もダオンの家で菓子を食べて茶を飲んでいたが、突然顔色が悪くなり、食べたものを吐いてしまった。
子供が病に罹るのは珍しいことではない。しかし、その日体調を崩したのはエリーだけではなかった。どうしても食事ができない。水ですらほとんど飲めずに吐いてしまう。三日もすれば村人は皆、まともに動けず家の中でじっとしているしかなくなっていた。
(何だこの病は……蔓延の速度が異様だ。魔物の仕業か?)
毒性の強い魔物が付近に潜み、村人を害しているのではないか。そう思い至る頃にはダオンも同じ症状で倒れていた。
水瓶にためている水を飲んでは吐いてしまう。しかしそうやって少量でも水分を取らなければ、干からびて死んでしまうだろう。
魔物と戦う覚悟はしていた。歳を取っても衰えぬよう、毎日体を鍛えて魔物の襲来に備えていたというのに、まさかこんな形で――。
(……? ……扉があいた……?)
玄関の方から音がする。コツコツと靴音を響かせながら、誰かが家の中へと入ってきた。途端、辺りにはかぐわしい花の香りが漂い始める。
村人ではない。ベッドの中で短剣を握りしめながら、こちらに向かってくる人物を注視する。
それはとても美しい女だった。まるで高名な芸術家のつくる絵画や彫刻のような、作られたように完璧に整った容姿の女だ。その女はあらゆる花を身にまとっている。この香りは、その花から漂うものであるらしい。
――なんだお前。どうやって入ってきやがった。
そう言いたかったが、からからに乾いた喉が張り付いて上手く言葉にならなかった。
鍵をかけていたはずの玄関から普通に入ってきたのだから、この女は普通ではない。作り物のような美しさが不気味にも思える。
けん制のつもりで殺気をぶつけても、女は全く気にするそぶりはなく笑みを深めるばかりだった。元とはいえ数えきれないほど魔物を処理してきた熟練の聖騎士の殺気をものともしないとは、本当にこの女は何者なのか。
(……くそ、何をされても勝てないぞこれは……)
剣を握る手に力を籠めようにも体に力が入らない。体内の水分が乾ききっていて汗が滲むことはないが、内心では冷や汗をかいていた。
しかし女は何をするでもなくダオンに背を向けて去っていく。拍子抜けしていると、再び扉が開く音がした。今度は女一人ではなく、子供二人と手をつないで現れる。うち一人は見知った少女だ。
「エリー……?」
最後に見た時は、ただひたすら苦しそうにえずいていたエリーが、病の気配など全くない元気な姿で現れた。そのことに驚いていると、鬼火草によく似た実を差し出してくる。
それはどうやらあの女――魔女が用意した薬であるらしい。エリーがこれだけ回復したというのだから、たしかな効果はあるのかもしれない。
(……どうせ、このままなら死ぬだけだからな……)
最後に試すのも悪くない。実をかじり、中の液体を飲み込んだ。その味は――一度だけ口にしたことがある。完全回復薬のものだった。
こんな貴重な薬を惜しげもなく、赤の他人のために差し出す。そんな人間がいるのだろうか。そしてそんなことをする人間が、疫病で死にかけた村に現れるというのは、なんという奇跡だろう。
「おじさん、わたしたち他の人も助けてくるね!」
「……ああ、行ってくるといい」
村人を救ってくれるなら。何か企みがあるのかもしれないが、村人の命には代えられない。魔女を見つめて「頼む」という意味を込めて頷いた。
魔女は微笑みながらダオンの家を出て行く。そしてその日、村人たちは魔女の完全回復薬によって全員が救われたのである。……夢でも見ているのではないか。あまりにも非現実的な出来事だ。
(……あの魔女は一体何者で、何が目的だ?)
魔族の最後の生き残りは男だ。魔女ではなく、魔法使いであり、宮廷魔導士として国に召し抱えられている。聖騎士だったダオンはその魔道士を見たことがあるし、今日村を救った魔女とは全くの別人であることを知っている。
(たった一人を残して他の魔族は滅んだと言われていたが、他にも生き残りがいたのか? しかも五百年もの間、人の前に姿を現すことなく?)
魔女は完全回復薬で五十人以上の村人を救った。あまりにも人助けがすぎる。過ぎたる厚意は逆に怪しくも見えるというものだ。
(少し、試してみるか。……何か企みがあるやもしれない)
それは村を守る役目を負う長として当然の判断だった。ただ、それでも。
村人たちの感謝に対しても穏やかに微笑んで頷くだけで、元気な子供二人に手を取られ、むしろ取り合いをされながらもただ優しく笑う美しい女の姿を見ていれば、その心根を疑いたくないという気持ちも湧き上がってくる。
(……俺に絵の心得があったら、たぶんこの光景を描いてたな……)
村を大層な薬で救っておきながら礼を求めるでもなく救った子供と笑って戯れる女の姿を、村人たちも感謝や敬意を込めながらも微笑ましそうに見つめている。そんな光景は、高く昇った日の光よりも眩しかった。
子供は邪心に敏感な部分がある。特にエリーは、村に人攫いが現れた時もいい顔をして近づいてきた奴らを警戒して逃げ出し、ダオンに助けを求めに来たのだ。
いかつくて威圧感のある風貌にもかかわらず、彼女はダオンにもよく懐いてくれている。善悪を判断する目は備わっているのだろうと常日頃から思っていた。そんなエリーがあれだけ「魔女さま」と慕っているのに、あの魔女が邪心を抱いているなどということがあるだろうか。
(……気は、進まんが……この疑いが濡れ衣であったなら、せめてなにか罪滅ぼしに、あの女のためになることをしてやれるといいんだが……)
??(その服私の蔦だから!! あんまり引っ張られるとなんかくすぐったいからやめてえぇぇ!!)
無自覚だから邪心がないのはそうなんですが、無関係というわけでも……。下手すれば邪神。
というわけでここまでが一章です。明日から二章に入ります。
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