1話
谷底から見上げた満天の星々は今まで見たどんな景色よりも美しかった。不法投棄されたゴミ山の上に滑落して転がっている今の自分とは、まったくの正反対である。
(酷い死に方だなぁ……すっごい名前負け、してる)
花園美咲という名前と自分の人生を比べて苦笑した。施設育ちで両親の顔すら知らず、ハラスメント三昧の会社から解雇され、誰かが言った「山を登れば人生が変わる」という言葉に縋って山を登ったらこのザマだ。確かに人生は変わった、というより終わりを迎えようとしている。
天涯孤独で友人もいない。美咲がいなくなったところで探す人間などいないだろう。落ちた時にどこか重要な部分を傷つけたようで、動けないし酷く痛い。しかももう、本当に寒くて意識も朧げだ。このままいつか白骨死体として発見されるだけだろう。
(神様どうか……せめて来世ではもっと綺麗な……花にでも……)
いやでも花の一生は短すぎるからそれはそれで嫌だな。そんな思いを最後に美咲の意識は途切れた。
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ふっと意識が浮上した。夢も見ずにぱっと目が覚めた朝のような、そんな気分だ。しかし私の体は上手く動かせない。意識だけははっきりとしているのに、まるで全身を型にはめられて固定されているかのような、そんな感覚である。
しばらくもがいてみようと努力したが無駄だったので諦めた。動けないだけで呼吸はできるし、なんだか温かくて心地よい。そのうえ何もしていないのに何故か「美味しい」と感じるので、食事もできているようだ。
(これが天国ってやつなのかな。想像してたのと違うけど……)
何もしなくても生きていける、という状況。働かなくても何もしなくてもいいのだから楽ではある。しかしどうにも退屈だ。そんな時間をどれほど過ごしたのか分からない。
あまりにも暇なのである。せめて手足を自由に動かせて、機敏に走り回れたらいいの――。
「ニナァアアアアア!??!!!?」
それは唐突だった。髪の毛を引っ張られるのに近い感覚で、私は何者かに心地よい場所から引きずりだされてしまった。
それに驚き、軽くパニックになりながら大声で叫ぶ。こんなに大きな声で叫ぶことができたのかと自分で驚くくらいの大絶叫。そんな中謎の「パッパラパー!」というラッパによる短いメロディの幻聴が聞こえた気がする。訳が分からない。
軽く宙を舞い、そして床に落とされた。視界には真っ青な空が広がっていて、ここが外であること、そして自分は地面に寝ているだろうことを理解する。
(吃驚したぁ……一体何?)
そう思いながら両手をついてむくりと体を起こし、手足が自由に動かせたことを喜ぶより先に、視界に緑色の物が入りぎょっとしながらそちらを見た。
それは人だった。全身緑色の肌で私の三倍は大きな巨人が倒れている。
「キャアアアアア!!??」
その異様な光景に驚き、恐怖し、叫びながら全力でその場を逃げ出す。そしてどこからともなく聞こえるラッパのメロディが繰り返して流れて、それすらも怖くて泣き叫んだ。
手足を必死に動かして、巨大な草の茂みの中を走ってどこまでも逃げる。ここはどこだろう。自分の背丈よりも大きな草が生えた、妙な場所。もしやここは天国ではなく地獄だったのだろうか。
(誰か、誰でもいいから、助けて! 誰かこの声が聞こえないの!?)
もっと大きな声を、もっと強く。誰かに届くまで。そう願いながら走る。繰り返してなっていたメロディとは別の「ピコン」という電子音が聞こえた気がするが気にしている余裕はない。景色は草地から巨大樹の森へと変わっていく。
叫びながら走り続け、やがて頭の中で繰り返していたメロディも間隔が空くようになり聞こえなくなった。妙な音もしなくなったことでようやく落ち着いてきた私は、偶然視界に入った泉にフラフラと近づく。
(水でも飲んで落ち着こう……これ、飲めるのかな)
泉を覗き込んだ私は、そこに映りこんだものを見て固まった。水面を覗き込んでいる、茶色の物体。まるではにわのような真っ黒の目がついている。その上部に見たこともない美しい花が生えているのがあまりにもミスマッチだ。
私は水面から目を離し、自分の体を見下ろした。持ち上げた手は胴体と同じ茶色をしている。そして足も同様である。分かりやすくたとえるなら、手足が生えているように見える規格外の大根だ。ただし普通のダイコンよりも太くて短く、どちらかといえばカブに近いコロコロとした体形である。
「イッ……イヤアアアアア!!!!」
自分が人間ではないものになっていることに気づいて私はまた大声で叫んだ。そもそも私は、いや美咲はこんな大声を出せない。出したこともない。殴られたって階段から突き落とされたって、叫ぶことなく唇をかんで声を殺した。……だから私は、もう美咲ではない何かだ。
よく分からない恐怖心で泣き叫ぶ私の横に、上からぼとりと何かが落ちてきて、それに驚いてまた悲鳴を上げる。よくよく見てみれば、それはピクピクと痙攣する鳥だった。
(し、死んで……いや気絶して落ちてきたの……? 私の声のせい?)
うるさい悲鳴をあげる植物。その叫び声を聞いたものは死ぬ、もしくは気絶する。そんな存在に一つだけ心当たりがあった。
(もしかして……マンドラゴラに転生した……ってコト……!?)
草木が大きかったのではなく、私が小さかったのだ。何せ、私はマンドラゴラである。どう考えてもそう大きな植物ではない。ならば倒れていた緑の巨人も、巨人ではなかった可能性がある。
私はマンドラゴラとして、どうやら異世界に生まれ変わったらしい。マンドラゴラがいるような世界なので、生態系も全く分からない。私はここからどうやって生きていけばいいのだろう。
(神様、私は確かに死の間際に綺麗な花にでもなりたいと願いました。でもマンドラゴラに転生したいなんてこれっぽっちも願ってません……っ)
そうして私は絶望しながら、マンドラゴラらしくまた泣き叫んだのであった。
この願いの叶え方、お喋りバードやヒトナードラゴンと同じ神様だと思います。
という訳でマンドラゴラ転生始めました。たぶんちいさくてかわいいです。
よろしくお願いいたします。