第十三話 酒場のバイオリン弾き
日が沈み、酒場にはだんだん人が集まり始めていた。ロイドがアストリアを連れて中に入ると、店主がカウンター越しに顔を上げた。
「ロイドさん、珍しいな。今日は女連れですかい?」
ロイドは短くうなづいて、口を開いた。
「ああ。実は、もし可能ならば、この娘を雇ってやってほしいんだ。アスタという名前で……接客向きじゃないぞ? 裏方で雑用係とかに使ってくれると、ありがたいんだが」
店主はアストリアをちらりと見てから、腕組みして考え込んだ。
「なるほどね。まあいいでしょう。ちょうど、皿洗いを募集してたところでしてね」
アストリアは少し驚きながらも、頭を下げた。
「ありがとうございます。頑張ります」
主人はうなづき、手を叩いて若い店員を呼びつけた。
「おい、この娘に店の中を案内してやれ。それと、仕事の手順を教えてやれ。」
「はい、わかりました」
若い店員が軽く頭を下げ、アストリアを連れて行った。
ロイドは、アストリアが店内を案内されるのを見送りながら、酒場の店主に向き直った。
「あの娘に何かあったら、知らせてくれ。今日は私も、ここに座って、様子を見ているとしよう」
「わかりましたよ。ロイドさんがそこまで言うなら、とりあえずは面倒を見ましょう。しかし、ここの仕事が勤まりますかねえ」
その夜、酒場はいつも以上に賑わった。客たちは酒を飲み交わし、笑い声が店中に響き渡っていた。
その中で、小さなステージにはアコーディオン弾きの中年の男、ジュアンが立っていた。彼は、今夜一緒に演奏をするはずだったバイオリン弾きの到着を待っていたのだった。
しかし、待てども待てども、バイオリン弾きは現れない。
ジュアンが、店主に向かって怒鳴った。
「おい、あいつはどうしたんだ?演奏の時間だってのに、どこにもいねぇじゃねぇか!」
店主は肩をすくめながら答えた。
「知らんよ。確かに来るって言ってたんだがな。賭け事で借金があったみたいだし、バックレて夜逃げしたかもな」
「ふざけるなよ!」
ジュアンは、怒りで足を踏みならした。客たちも事態に気がつき始め。口々にざわざわと苦情を言い立て始めた。
「どうなってんだよ! 早く演奏しろ!」
「こっちは金を払ってんだぞ!」
アストリアはその様子を裏手から見ながら、心の中で悩んでいた。店の雰囲気は最悪だ。自分には、何かできることがあるような気がする。そう思った瞬間、彼女は思い切って前に出た。そして、自分でも予想だにしない言葉が口を衝いて出た。
「すみません! 私が代わりに弾いてもいいでしょうか?」
突然の申し出に、店内が一瞬静まり返った。ジュアンが彼女を見て、嘲るように笑った。
「なんだお前は? 皿洗いだろう。お前にバイオリンなんて弾けるわけないだろ!」
客たちも口々に不満を述べた。
「素人が、ステージに立つつもりか? やめとけ、やめとけ!」
「おい、せっかく飲んでんだから、下手な音出すんじゃねえぞ! 酒がまずくなる」
アストリアは彼らの言葉に、一瞬たじろいだ。だが、すぐに気を取り直して食い下がった。
「私、本当に弾けるんです!お試しだけでもいいから、お願いです、弾かせて下さい!」
ジュアンは鼻で笑いながら、店主の方を見た。
「どうするよ? こんなガキに、弾かせるのかい?」
店主も困惑した表情を浮かべた。
「正直、無理だと思うんだが……」
その時、ロイドが静かに立ち上がり、深く頭を下げた。
「皆さん、頼む。彼女を信じて、一曲聞いてやってくれ」
店内は、水を打ったように静まり返った。ロイドの態度に、店主がしぶしぶ答えた。
「ロイドさんがそこまで言うなら、一曲だけやってもらうかな……」
アストリアはロイドの行動に驚いて目を見開いた。ロイドはアストリアのそばまで近寄り、声をかける。
「また何か、思い出したんだね?」
アストリアは、黙ってうなづいた。ロイドはアストリアの目を見ながら、励ましの言葉をかける。
「じゃあ、きっとできるはずだ。弾いてごらん」
アストリアは弓を握りしめ、バイオリンを手に取った。そして、深呼吸をすると、弦に弓を当てた。
一音、また一音が情感豊かに店内へ響いた。ジュアンがあわてて、アコーディオンで伴奏を始める。最初は誰もが疑いの目で見ていたが、次第にそのハーモニーの美しさに客たちは耳を傾け始めた。
王室家庭教師仕込みのアストリアの演奏技術は伊達ではなく、彼女の指先は滑らかに弦を走り、美しい音色が店中に広がった。
曲が進むにつれ、最初は見下すような笑みを浮かべていたジュアンも、次第にアストリアの奏でる調べに、尊敬の念を浮かべる表情を見せた。客たちも、曲が終わるたびに拍手喝采で応えた。
「ブラボー!」
「いいぞ、姉ちゃん。もっと弾いてくれ!」
アストリアはほっとしたように微笑み、頭を下げた。ロイドも静かに微笑み、彼女を称えるように拍手した。
約三十分間の演奏が終わると、店主は満足げにアストリアへ告げた。
「アスタ、今夜からお前は、うちの専属バイオリン弾きだ」
アストリアは驚きながらも、嬉しそうに言った。
「本当ですか?ありがとうございます!」
こうして、酒場での彼女の仕事は、アストリアの運命を意外な方向へと導き始めたのであった。
次回、アストリアにファンが⁉




