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セッション6.記憶屋

 ハマダさんに指定されたオフィス21というビルディングは、名を知られた大企業や銀行がオフィスを構えるビジネスビルが並ぶメインストリートから3つほど通りを隔てた地域の一角に立っていた。ビル自体は小ぶりで古臭く、ひとことで言うと「冴えない」佇まいだった。入口のドアは自動ではなかった。

「月にもこんな地味な場所があるんだな」

 リクは独り言ち、扉を手で押し、ビルに足を踏み入れた。

 申し訳程度の狭いロビーは老朽化が進んでいた。天井が低い上に照明が弱く、不気味で圧迫感があった。

「カワダ様、ようこそお越しくださいました」

 唐突にハマダさんが声を掛けてきた。ハマダさんは黒のベストに蝶ネクタイといういつもの恰好ではなく、作業着のようなジャンパーを着ていた。考えてみると、リクがマンションロビーのあの場所以外でハマダさんを見るのは初めてだった。

「驚かれたでしょう。我々の会社は資金的にそれほど潤沢ではございません。高額なコンピューターを調達するのがやっとで、オフィスの見てくれにまで資金を回すことができませんでした」

 ハマダさんが申し訳なさそうな態度を見せたのが、リクには滑稽に映った。

「確かに家賃は安そうですね、このビルは」

 リクが微笑むと、ハマダさんも頬を緩めた。

「全てを調べた訳ではございませんが、月面コロニーで3本の指に入る安さだと思います。地球とさほど変わらないくらいです」

「それは驚きだ。そんな場所があるんですね」

「でも、安いなりの大変さもございます。このビルにはエレベーターがございません。しかも、我々のオフィスは5階建てのこのビルの最上階にあります」


 リクとハマダさんは、狭く急な階段を使って5階まで登った。低重力トレーニングを最近さぼっていたリクは、最上階に着いたとき、軽く息が上がっていた。

「ご不便をお掛けして申し訳ございません。ここが我々のオフィスです」

 ハマダさんが示した先のドアには、社名を表す看板や表示は何もなかった。

「いろいろな事情がありまして、今は社名を明らかにしておりません」

 リクの怪訝な表情を察したのか、ハマダさんはさらりと言い訳をした。


 ビルの入り口がそうであったように、会社のドアも自動ではなかった。レトロなドアノブを回すタイプで、ドア自体もかなり古ぼけている。まるで20世紀の古い探偵映画に登場するような扉だった。ハマダさんがノブを回してドアを開けると、「ぎいー」と金属が擦れる音がした。外観だけでなく、ドアまでくたびれていた。

<この会社、大丈夫なのか>

 リクは心の中でつぶやいた。


 しかし、オフィスに一歩足を踏み入れると、その印象は一変した。

 デスクを100台は並べられるであろう広大な事務スペースは、その大半をコンピューターのサーバー類が占領していた。それらは最新式とは言えないまでも、かなり型式の新しい高性能な機種ばかりで、薄汚れた外観からは想像もつかない先進的なオフィスがそこにあった。

 数人の若い男女がデスクに向かって作業をしていた。ハマダさんが入室すると、顔を上げ「おはようございます」と笑顔を向けた。その表情や口ぶりから、彼ら、彼女らが充実した生活を送っていることが充分に伺えた。

「おはようございます」

 ハマダさんが微笑みながらあいさつを返すと、そのうちの1人がコンピューターのパッドを手に歩み寄ってきた。大学生のような若い男の子だ。

「昨日問題となった情緒系の反応速度ですが、ソフトウエアを多少いじったら、このくらいまで改善しました。いかがでしょうか」

 ハマダさんはパッドに目を遣り、しばらく数字やグラフを見つめた。

「もう少し上げたいところですね。以前はこれより20%は上回っていたはずです。ここの反応速度は感情に直結するので、タイムラグはできるだけ小さくしなければ…」

 男は頷いた。

「そうですよね。ここは妥協できない部分ですしね。ソフト、ハードの両方を再度根本から見直してみます」

 男はリクにも一礼して、自席に戻った。


「ハマダさんはここで何の研究をしているのですか」

 ハマダさんはリクをオフィスの一角にある応接セットへと導いた。幾分くたびれたソファーに腰掛けたリクは短刀直入に訊いた。

「金融や証券系ではなさそうだ。単なるコンピューターシステムの開発とも違う。ましてやゲームみたいな娯楽系ではない。一体何を…。私には予想がつきません」

 ハマダさんはリクを真っすぐ見て言った。

「記憶です。ここでは人の記憶を研究しています」

「記憶…」

 余りにも意外な答えに、リクは返す言葉を失った。


「詳しくお話しすると、それだけで何時間も費やしてしまいますので、かいつまんで説明致します。カワダ様はBCI(脳コンピュータインターフェース)をご存じですね」

「メカニカルなことは分かりませんが、頭で考えた通りに機械を動かす仕組みだというくらいなら…。月面開発の作業ロボットは大半がBCIで動かされていると聞いています」

 ハマダさんは頷いた。

「機械を動かしているのはデジタルの信号です。脳から発せられたメッセージをコンピューターがデジタルデータに変換して機械を動かしています。データの流れは以前、脳、コンピューター、ロボットという流れの一方通行でしたが、徐々に双方向も試みられるようになりました」

「主に触覚ですね」

「はい、その通りです。ロボットに装着したセンサーが得た情報をコンピューターで処理して、今度はオペレーターの脳に伝達するのです。試してみられると良く分かりますが、本当に物に触っているのと区別がつかないほど正確に感じられるようになっています。これは工事現場などの作業効率を上げる上で、大きな役割を果たしています」

「それと記憶がどう関係しているのですか」

「センサーが拾った情報を人の脳で正確に再現できたということは、人間の脳に正しく働き掛けることができたということです。そうして、脳からのアウトプットだけでなく、脳へのインプットに関する知見が膨大に蓄積されるに従い、徐々に脳の中身をコンピューターで解析し、再現することができるようになりました」

「ヴァーチャル体験はその一種ですか。娯楽や風俗系では一般的ですよね」

 リクが言うと、ハマダさんは顔をしかめた。ハマダさんが苦々しい表情を露わにしたのを初めて見た。

「その使い方は私どもの目指すところではございませんが、確かにそうした使われ方でBCIの発展版が普及しているのも事実です」

 ハマダさんは俯いてしばらく黙っていた。言葉を探しているような顔つきだった。

「我々が研究に取り組んでいるのは、人の記憶の保存と再現です。その一部を取り出して、商品化することではありません」

「記憶の保存と再現と言いましたか」

「はい、その通りです。脳に刻まれた記憶の断片をデジタルデータとして保存し、それを脳の中で再現することです」

「それは聞いたことがあります。思い出を保存し、それに会いにいくというキャッチフレーズだったような。コマーシャルを何度も見た気がします。確か<メモリーバンク>という会社だったですよね」

 ハマダさんはリクの指摘を肯定も否定もせず、話を続けた。ハマダさんがこのような態度を取るのは珍しい。あえてリクの話を無視したとしか思えない。

「我々の会社に社員は7人しかおりません。ですが、みな優秀でやる気に満ちています。そして、ある方の願いをかなえるため、できるだけ早く大手の記憶保存会社を上回るような優れたシステムを提供できるよう、全力を尽くしています」

 その大手の会社というのが<メモリーバンク>なのだろうと、リクは直感した。ハマダさんは何らかの理由で<メモリーバンク>とトラブルを抱えている。そう推測した。


 リクは改めてハマダさんの会社のオフィスを眺めた。みすぼらしい外観とは真逆の清潔で洗練された空間だった。働く人間の数は多くないが、活気とやる気が漲っているのが感じられる。

「いい会社ですね。ひと目見ただけで分かります」

 ハマダさんはいつもの微笑を取り戻して言った。

「ありがとうございます」


 リクとハマダさんは少しの間、会話を重ねた。ハマダさんの会社のこと、ウォール・ドームの噂話などで、それは本題を前にした前菜のようなものだった。


「それではカワダ様、本日お越しいただいた理由、サトシ・ナカモトさんに関する説明をさせていただきます」

 前菜の会話が途切れたとき、ハマダさんは唐突に切り出した。

「言葉で説明させていただくより、実際に体験していただくのが何よりだと存じます。どうぞこちらへ」

 ハマダさんはソファーから立ち上がり、オフィスの奥の方へとリクをいざなった。コンピューターのモニターが並ぶ作業スペースを通り過ぎると、衝立に隔てられた一角があった。普通のオフィスなら着替えをする更衣室みたいにも思えるところだ。しかし、衝立の陰はリクが想像もしていなかった場所だった。

「ここは我々の研究の中枢部分です。完成した状態ではございませんが、基礎的な記憶の再現は可能になっています」

 そこには深くリクライニングできる安楽な椅子が1脚あり、その横のテーブルにはヘッドギアが1台置いてあった。無数に突き出した光ファイバーが十数本の束にまとめられ、すぐ傍のルーターのような機器に接続されている。

「デジタルで保存された記憶に繋がるための装置です」

 ハマダさんが言った。

「カワダ様にはここでナカモトさんの記憶にアクセスしていただきます」

 リクは驚いた。まさかこのような展開になるとは、想像もしていなかった。ハマダさんがいつものように、詳しく、親切に説明してくれるものとばかり思っていた。

「記憶にアクセス…ですか」

「はい。このことはナカモトさんからもご承認いただいております。私の口から言葉で説明するより、こちらの方がより具体的にナカモトさんのことをご理解いただけます。なぜナカモトさんが今のお仕事に就かれたのか、あの方の組織がどのようなものなのか、それらを体験していただけたら、ナカモトさんのことを深くお知りになることができるでしょう」

「しかし…」

 リクが戸惑っていると、ハマダさんは穏やかな表情を浮かべて聞いた。

「他者の記憶にアクセスするのは初めてですか」

 リクは小さく頷いた。

「ご心配には及びません。カワダ様の脳への悪影響は全くございませんし、何ら苦痛も伴いません。ただ気を安らかにして、その椅子に横になっているだけで結構です」

「ですが…逆に私の記憶を探るというようなことがあっては困ります。任務に支障が生じてしまう」

「それもご懸念は無用です。この装置はコンピューターからのアウトプット専用です。ナカモトさんの記憶を追体験するだけの機能しか持ち合わせておりません。カワダ様の脳に働きかけるだけで、その逆はできない装置なのです」

 リクは改めてその機械に目を遣った。椅子は革張りでほぼ水平にリクライニングしており、小さなベッドのようで座り心地は良さそうだ。

「ヘッドギアは頭にかむるだけです。切開など医術的な措置は不要なタイプです」

 昨夜、ハマダさんにしては珍しく不快な表情をしたが、最近は主に風俗業界などでこの種の装置を使ったサービスが人気を集めていると聞いたことがある。リクは使ったことはなかったが、知人に聞くと驚くほどリアルな体験ができるらしい。

 この種の装置を公安部門が尋問に使い始めたという噂も聞いたことはある。記憶を直接抽出できるなら、取り調べの手間が随分と省けるに違いない。しかし、一般の捜査部門でそうした手法はまだ証拠として認められていない。実験的に使うことは、どこかで取り組まれているのかもしれないが、少なくともリクの周囲の部署でこのような装置を見かけたことはない。


「分かりました。この装置を使ってみましょう。それしか方法はないようですね」

 しばらくしてリクはそう告げた。

<ナカモトの正体を知るにはこの方法が最も近道だ>


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