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セッション5.ハマダさんの本業

 ナカモトは「まだやることが残っている」と言って取引所に残った。リクは1人で自動運転の地下鉄に乗り、元の場所に戻った。地下3階からエレベーターで上ると、来た時と同じく、静かなマンションのロビーがあった。

 リクの頭の中は混乱していた。月に赴任してから半年余り、任務に没頭していたので、まさかこのような事態が訪れるとは想像もしていなかった。もちろん自分の身分が明らかにならないよう、細心の注意は払ってきたつもりだ。表向きの勤務先でもヘマをやらかしたとは思えない。ではなぜ…。

 思い当たる先はひとつしかなかった。


 自宅マンションに戻ってきたのは午前2時近かったが、あの男はロビーのいつもの席に座っていた。

「お帰りなさい、カワダ様。アポロ・タワーはいかがでしたか」

 ハマダさんはいつものように穏やかな微笑みを浮かべていた。

「あなたは何者なのですか、ハマダさん」

 リクがいきなり投げつけた言葉は、ハマダさんに浮かんでいた微笑を一瞬奪ったが、すぐに柔和な表情が戻った。

「私はこのマンションのコンシェルジュです」

 ハマダさんはすぐにこう答えたが、瞳の奥には何かしら秘めた決意のようなものがあると、リクは直感した。

「あなたのおっしゃる通り、アポロ・タワーに行きました。そこで、信じられない人物と出会い、信じられない場所に行きました。こうなることをあなたはご存じだったんですね」

 リクの厳しい口調にもハマダさんは全く動じることなく、静かに口を開いた。

「私は一介のコンシェルジュですが、この仕事だけで月で暮らしていけるほど、この世界は寛容ではありません。私には別の仕事があります」

「別の仕事…」

 ハマダさんは頷いた。

「そうです。そちらが本業です。その仕事をするために月まで来たといっても過言ではありません」

 リクは黙ってハマダさんの話を聞くつもりだった。

「私の本業には、高性能のコンピューターが必要です。ちょっとした事情があり、地球では処理速度の速いコンピューターを使うのが難しくなりました。研究分野というか業界というか、そういった狭い世界の中で活動するのが難しい状況に陥ったといった方がよいかもしれません。世界中をいろいろ探し回ったのですが、我々の希望に合うスペックのコンピューターを調達することができませんでした。ですが、それは意外なところにありました」

 リクは目で頷いた。

「そうです、月です。ここには地球上でも最速の部類に入る高性能なマシンがたくさんありますが、需要はそれほどではありませんでした。そこで、我々はオフィスを丸ごと月に移転し、研究を再開しました」

 ハマダさんの身の上話に興味はなかった。この紳士とナカモトがどうつながっているのか、リクの関心はその一点だった。

「研究を本格的に再開できたのは1年半ほど前です。静かの海の反対側にあるビジネス街、あのウォール・ドームの中にオフィスがございます」

「月に住む人間であそこと関わっていない人はほとんどいないですよ」

「そうです。本当はオルドリンズ・パークの文教地区だったらなお良かったのですが、あそこには我々の研究を知っている人たちが大勢います。地球で見舞われたトラブルを考えると、なるべく人目につかずにことを進めるのが得策と考え、あの場所を選びました。ビジネス街は金の動きには敏感ですが、科学的な基礎研究には関心がありませんから」

 ウォール・ドームは月コロニーの経済の中心地だ。千を超す会社が本社や支社を置き、銀行や証券会社も事務所を構えている。リクの仮初の仕事場もあのオフィス街にある。

「我々のビジネスの対象は人です。他のオフィスが金やモノを扱っているのとは全く異なる分野で活動しています。ですが、あの場所に身を置くと、いろいろ方との出会いがあります。大半はあいさつを交わす程度のお付き合いなのですが、なかにはとても重要な出会いもありました。そこで知り合った大切な友人のおひとりがナカモトさんです」

 リクは唾を飲み込んだ。

「ナカモトさんのお仕事はカワダ様もよくご存じだと思います。秘密の多い、極めて難しい任務であることに疑いはありません。そして、お仕事を遂行する上でどうしても必要なのが…」

「高性能なコンピューター」

 ハマダさんは頷いた。

「ナカモトさんが管理されている取引所は独自のスパコンで運用されていますが、『ルナ』の動きを監視するために、ナカモトさんはウォール・ドームのオフィスを中心に別のシステムを構築されています」

「そこでハマダさんと知り合った訳ですか」

「その通りです。我々とナカモトさんは取り組んでいる仕事の中身は全く違っても、高性能なコンピューターが必要という点では一致しています。サーバーの使用をめぐる手続きの中で、ナカモトさんと知り合いました」

「そして意気投合した?」

「長い時間がかかりましたが、我々は互いに理解しあうことができました。仕事柄、それぞれの活動を直接支援することはできませんが、さまざまな面で助け合い、支えあうようになったのです。特にビジネス上の実績が皆無に等しい我々を資金面でもバックアップしていただき、ナカモトさんには感謝しかありません」

「彼は…個人としてではなく、集団として信用できますか。私には確信が持てない」

 リクがつぶやくと、ハマダさんは微かに笑みをみせた。

「それは当然です。ナカモトさんとカワダ様は本日が初対面。いきなり信用しろというのには無理があります。しかし…」

「私たちには時間がそれほど残されていない。彼はそう言いました」

 ハマダさんは小さく頷いた。

「あす、お時間をいただけますか。2、3時間もあれば済むでしょう」

「午前中なら時間をとれます」

「それでは午前10時に、ウォール・ドームのオフィス21にいらしていただけますか。北東部の外れにある小さなビルです。私たちのオフィスで、ナカモトさんが信用に足る人物、組織であることの証拠をお見せいたします」

「分かりました。伺いましょう」

 ハマダさんは再び穏やかな笑みを浮かべて言った。

「ロビーでお待ち申し上げております」


 その夜、リクはなかなか寝付けなかった。やっと浅い眠りについても、すぐに目が覚めた。任務にとって重大な事態が起こったのに、自分がどう向かい合ってよいのか、その方針がまとまらない。対処を間違えば、個人の任務はおろか、「ルナ」そのものが破滅する危機に見舞われるかもしれなかった。判断は慎重に下さなければならない。

 結局、リクはほとんど眠れずに、朝早くにベッドを出る羽目になった。


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