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セッション3.謎の男

 男が向かったのは、アポロ・タワーの入っているドームに隣接する小さな居留ドームだった。そこは3~5階建てのマンションが十数棟立ち並ぶ一般的な住宅地で、ドームの中央には小さな噴水と芝生や遊具を備えた小公園があった。夜間の今の時間に遊ぶ子どもはおらず、ドーム内はひっそりと静まり返っている。

「こちらです」

 男はドームのはずれにある小さな建物を指差した。何の変哲もない3階建てのマンションだった。月面コロニーの平均的な住まいと言えた。

 マンションの狭いエントランスを横切り、男はエレベーターを呼んだ。3階しかないので、すぐに扉が開いた。

「3階です」

 男はセンサーに腕時計型のIDデバイスをかざし、ボタンに触れた。扉が静かに閉じた。

「えっ」

 リクはすぐにおかしいことに気付いた。エレベーターは下降していたのだ。男はすぐにリクの表情に気付いた。

「3階は3階でも、地下3階です」


 再び扉が開くと、リクは驚愕した。

 目の前には地下鉄のプラットフォームがあった。プラットフォームといっても極めて小ぶりだ。地下鉄の車両1台分くらいの長さしかない。だが、確かにそこは「駅」だった。

「月に地下鉄があったなんて…」

 リクが思わずつぶやくと、男は事もなげに言った。

「数分で着きます。お乗りください」

 男が指し示す先には、4人ほどが乗れる小型の車両が停まっていた。流線型をした透明な外殻は銀色の卵を思わせる。大きさはサバーバンくらい。ピカピカに磨かれ、工場から出荷されたばかりのような輝きを放っていた。

「心配する必要はありません。とても安全な乗り物です」

 男はそう言うと、さっさと車両に乗り込み、運転席と思われる座席に着いた。しかし、男の目の前には小さなディスプレイがあるだけで、運転に必要と思われる装置は何一つなかった。

「どうぞ、お座りください」

 リクは勧められるまま、男の後ろの席に腰を下ろした。

 小さな電子音と共に扉が閉まった。二人を乗せた車両は滑るように「駅」を離れた。


「この乗り物は…」

 事態がまだうまく飲みこめていないリクは、やっとの思いでこの質問を絞り出した。男はちらっとリクを見て、何気なく言った。

「プライベートジェットみたいなものです。私のオフィスへの直通便です」

「これが個人の持ち物…。信じられない」

 車両はモノレールの上を走っている。異常なほどの静かさからみて、動力はリニアモーターだろう。ヘッドライトが照らす部分以外は真っ暗で何も見えないが、時速4、50キロほどはでていそうだ。リクは改めて室内を見回してみた。キャビンは無機質なLEDライトの冷たい光で満たされている。前後2列のこの車両は定員が4人。その割に全長、全幅がゆったりとしているので、一人ひとりのスペースは広い。航空機のファーストクラスやリムジンクラスと言っても良いくらいの贅沢な造りだった。内装も豪華だ。

「一体あなたは何者なんですか」

 リクは素直な気持ちを質問にした。

「それは…私のオフィスを見ていただいたら分かります」

 男はまるでリクを弄ぶように微かな笑みを浮かべた。リクの頭の中で警戒警報が鳴った。


 2人を乗せた車両は、発車から数分後、地上に出た。透明なチューブの中をリニアモーターの車両が静かに進んでいく。外の風景が見えるようになり、速度の感覚が戻ってきた。時速100キロではきかない、リクはそう感じた。恐ろしく高性能な乗り物だ。

「地球の出ですね」

 車両前方の地平線から、地球が3分の1ほど顔を覗かせている。荒涼とした灰色の月面と宇宙空間の漆黒の中で、地球は目も眩むほどのまばゆい輝きを放っていた。

「奇跡のような美しさだと思いませんか。この地球の出を見るたびに、必ず荘厳で神妙な気持ちになります。私は無神論者ですが、この瞬間ばかりは神の存在を信じたくなります」

 男は独り言のように言った。リクはその言葉を無言で受け流したが、地球の姿は確かに美しかった。どんな宝石もかなわないきらめきがそこにはあった。


 数分後、車両は再び地下に潜った。

「もうすぐです」

 男が言うのと同時に、「駅」の明かりが前方に見えてきた。

 車両はスムーズに減速して、プラットフォームに入った。その間、男は何もせずに黙って前方を眺めていた。どうやらこの乗り物は全自動で運行されているらしい。

 車両が完全に停止すると、先ほどと同じ短い電子音とともに扉が開いた。

「さあ行きましょう、キズミ・リクさん。私のオフィスを案内します」

 そう言って男は再び柔和な笑みを浮かべた。リクの背筋に寒いものが走った。

<なぜ俺の本名を知っている>

 リクの任務にとって、身分を知られることほど恐ろしいことはない。それ自体が任務失敗と言っても良いくらいだ。リクはここではカワダ・リクと名乗っている。キズミはここの住人が知るはずのない戸籍上の本名だ。リクは警戒心を最大に高めた。単なる好奇心では済まなくなった。この男の正体は何だ、なぜ自分のことを知っている―それを明らかにするまでは帰れなくなった。リクは男の後について車両を降りた。



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