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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
橙の章
92/130

第91話 コイ


 中央棟の裏側に位置する体育館を使用する日がいよいよやって来た。

これまでマゼンタのクラスは、淡い茶色の石壁にドーム型の屋根を乗せた体育館を使用することはなかったが、彼女自身は中央棟の校舎と体育館の間の僅かなスペースに、タイマンと称してビスタから呼び出しを食らったことは幾度かあった。

 体育館の中は割と広い。

薄い灰色の盛り上がった天井に、白い壁、足元は明るい茶色の板が張ってある。

奥のほうには木造のステージもあり、何か催しがある際は誰かがそこに立つのだろう。

しかしこれから行われる授業でそのステージは使わない。

生徒たちはだだっ広い体育館の床に円を描くように体育座りをすると、中央に立つ若い男性教師を眺めていた。

 彼は名を檜皮(ひわだ)と言った。年は二十三歳、マゼンタと同じくらいの背丈で、平均的な体格。日に焼けた肌に、肩までの髪を低い位置でラフにお団子にし、髪と瞳の色は若干渋みのある茶色だ。服装は男子生徒と同じような膝までのぴたりとした上着に、真っ直ぐなパンツを着用しているが、生徒たちとは違ってどことなく上品な雰囲気を醸し出している。きっと生地が上質なのだろう、生徒よりは。

「これから行う救命措置クラスは必修となりますので、皆さん真剣に行ってくださいね」

体育座りをする生徒たちの間には、いくつかの人形が寝そべっている。

等身大の人の形をしたその人形は、スキンヘッドで全裸で性別不明だが、肌の色だけはよく日に焼けて、いかにも橙人(だいだいびと)らしかった。

「まずは二人一組になって、人形の気道確保、人工呼吸、心臓マッサージを行います」

檜皮先生の言葉に生徒たちが騒ぎ出す。どうやら〝人工呼吸〟というものに抵抗があるようだ。

すると檜皮が真剣に言う。

「これは実際に人を助ける際に必要となる行動ですから、真面目にお願いしますよ。二人一組で片方の人が気道確保と人工呼吸、もう一人が心臓マッサージ、終わったら交代してください。そして二人共終了したら、次のペアに人形を明け渡してあげてくださいね。それではまず最初にペアを組みましょうか」

 騒いでいた生徒たちは渋々立ち上がると、前後左右に声をかけ始めた。

床にだらしなく座っていたビスタも、隣のラセットにいつものように声をかける。

「おーし、さっさとやって終わらせよーぜ」

「だなー」

体育座りをしていた緋色(ひいろ)は隣の柑子(こうじ)に声をかける。

「王子はオレとやろっ!」

「うん」

緋色たちの横に座っていたコチニールはマゼンタに言う。

「今日ヘンナは体調不良でお休みだね」

「ああ、この授業に出たかったらしくとても残念がっていた」

入学してからいつも自分たちの側にいることの多いヘンナは、今日は珍しく具合が悪かったのだ。今までずっとピンピンしていて、毎日授業も欠席せずに受けていたのだが、疲れがたまったのだろうか。

それにも関わらず寮のベッドから這い出て体育館に向かおうとする彼女を、マゼンタが何とか引き留めたのである。

「ヘンナって意外と真面目だよね」と、コチニール。

マゼンタも「授業は全て真剣に受けているし、今まで一日も休んだことはなかったしな」

「でも結構言いたいことをズバズバ言いますけどね、オッサンとか」

葡萄(えび)の台詞にマゼンタとコチニールは呆れた。(まだ気にしていたのか……)と。

 苦笑いを浮かべつつ気を取り直したコチニールが提案する。

「じゃあ、マゼンタと葡萄と僕で交代しながらやろうか」


 二人組になった生徒たちは、人形の頭部近くと胸部周辺にそれぞれ座って、人工呼吸や心臓マッサージを始めた。

それ以外の生徒たちは彼らの周りに座って、人形が空くのを雑談しながら待っている。

マゼンタたちも一つの人間の側に集まっていた。

兄コチニールが人形の横に立ち膝となり、葡萄が人形の頭部辺りに正座をし、マゼンタは兄の隣で正座をしながら人形を観察している。

「じゃあまずは葡萄と僕でやるから、終わったらマゼンタと僕でやろう」

マゼンタは兄の提案に快諾した。

「それじゃあっと……」

そう言ってコチニールが人形の胸に手を当てようとした時だ。

「あの」

透き通る声が頭上から降ってきて、マゼンタたちはその声を見上げた。

すぐ側に、数人の女子生徒を引き連れた紫星(むらさきぼし)の王子が立っていた。

「マ、マロウ殿下……⁈」

コチニールの声が上ずり、葡萄も思わず目を見開く。

だがマゼンタは普段通りの無表情でマロウ王子を見上げた。

「ど、どうかされましたか……⁈」

コチニールが王子に尋ねる。

「実は私も一人余っているのです」

「え?」コチニールと葡萄がポカンとして言った。

マロウ王子の背後には数人の女子生徒が群がっている。これのどこが一人余っているのだろうか。

王子の後ろの女子生徒たちは何かを必死に主張していた。

「だから私が殿下とペアを組ませていただきますってばっ!」

「いえ私ですっ!」

「いやあたくしよっ!」

「何言ってんの、あたしでしょっ!」

彼女たちの言い争いにコチニールと葡萄が啞然とする。

マロウ王子は背後を振り返ると言った。

「あなた方は丁度ペアになっているでしょう?」

「そんなことなくってよ!」

「私は余っているんですっ!」

「あんたは余ってないでしょうっ!」

彼女たちの主張は止まらない。放っておけば掴み合いの喧嘩に発展しそうだ。

「あー、なるほど……」啞然としたままコチニールが納得した。

 そこへ騒ぎを聞きつけた檜皮が小走りでやって来る。

「はい皆さん、他の人形が空いてますからそっちに行きましょうね……!」

檜皮は彼女たちの背中を両手で囲うようにマロウから引き離した。

「なんでこうなるのっ?」

「あたしに聞かないでよっ!」

文句を垂れながらも離れていく彼女たちを、コチニールが呆れたように見送った。

殿下も、大変だな……

彼女たちが充分離れたところで、マロウ王子はこちらを振り返る。

「というわけで、私とペアを組んで頂けますか?」

紫星の王子はマゼンタを見下ろした。

「……ああ」

赤紫色の少女は王子をじっと見たまま返事をしたが、すぐ側にいた葡萄は不安げにマロウを見つめていた。


 体育館の中では、二人組になった生徒が人形への人工呼吸や心臓マッサージを続けている。

だが先に全ての工程を終了した生徒たちは、適当に周囲に座って雑談をしつつ、とある方向にしきりに視線を送っていた。その中にはビスタ、ラセット、緋色、柑子も含まれていた。

彼らが見つめる先では、マゼンタが人形の頭部辺りに座って人工呼吸をし、人形の横で立ち膝となったマロウ王子が心臓マッサージをしている。

二人の近くにはソワソワしたコチニールと不安げな葡萄が座って、彼女たちの様子を必死に窺っていた。

 体育館の床にだらしなく座ったビスタが言う。

「あんな野郎のどこがいいわけ?あんな弱っちそうな……!」

「でも女子生徒から人気あるよな」と、ラセット。

「ぬあっ⁈」

「ビスタだって最初押されてたじゃん、あのオーラに」

「あれはそういうわけじゃっ……!」

そこに緋色も参加する。

「確かになんかあるよなー、柑子王子にはなんも感じないけど」

緋色の隣に座っていた柑子は、鋭い何かが心臓に刺さったような感覚を覚えてガックリとなった。

 檜皮によってマロウ王子から引き離された女子生徒たちは、悔しそうにマゼンタを見ている。

「なんであの子が……!」

「あたしがペアになるはずだったのにいっ!」

「何言ってんの、私よっ!」

「私でしょうっ⁈」

一つの人形を囲んでいた彼女たちはまた揉め始めた。

そこへ檜皮が慌ててやって来る。

「ちょっ、何喧嘩してるのっ……⁈」

 担当教師が女同士の喧嘩を仲裁するのを傍目に、マロウ王子は人形から手を放した。

「じゃあ交代しましょうか」

微笑む彼を、マゼンタはじっと見つめていた。


 二人の場所が入れ替わった。

今度はマゼンタが人形の胸の側に座り、マロウ王子が頭部横に座っている。

「それでは今度は私が人工呼吸をするので、心臓マッサージをお願いいたします」

穏やかな微笑みを浮かべる王子を、マゼンタは無表情でじっと眺めた。

「どうかされましたか?」

「……いや」

 彼女たちの近くに座って見守っているコチニールが感動して言う。

「殿下とこうして学べるだなんて、思いもしなかったよ……」

「ええ」本当に……

コチニールの隣に座る葡萄の心には、漠然とした不安が広がっていった。

 マロウ王子が人形の顎を上に引いている。

「気道確保しました」

マゼンタは人形の横で膝立ちになり、人形の心臓に両手を当てながらマロウをじっと見る。

さすがに王子は彼女の視線に気づいた。

「あの、何か?」

それに対し、赤紫色の少女は僅かに首を傾げる。

「マゼンタ?」コチニールも固まってしまった妹の名を不思議そうに呼んだ。

マゼンタは気を取り直したように人形に体を向ける。

そして何の気なしに人形の心臓を両手で押し込んだ。

「あ」

彼女が気づいた時にはもう遅かった。

人形の心臓がバキッと音を立てたかと思うと、皮膚の破片がひび割れ、内部のネジやら部品やらがいっせいに飛び出したのである。

マロウ王子、コチニール、葡萄が驚きのあまり啞然とする。

離れた所でチラ見していた緋色、柑子、ビスタ、ラセットも目を見開いた。

異様な音に気づいた檜皮が振り返って声を漏らす。「なっ……⁈」

「しまった……」

人形を破壊した本人も無表情ながら、粉々になった手元を呆然と見下ろした。




 「はーい、どんどん相手を変えて練習していきなさいよっ!」

今日も体術クラスは炎天下の中、中央棟の前のグラウンドで行われている。

最近の授業内容は二人一組になって相手に勝ったら終わり、ではなく、相手との勝負がついたら別の相手を探してまた試合をする、その繰り返しだった。

担当教師の丁子茶(ちょうじちゃ)が見回る中、生徒たちは言われた通りに試合をしていたが、彼らは試合をすると見せかけて実は噂話で盛り上がっていた。

「アイツのあの馬鹿力超ヤベーんだけどっ……!」

「あれ弁償なんだろ?確か九十万ラデーとかって」

「九十万⁈」

「檜皮先生泣いてた」

「新人らしいもんなー」

「でもアイツの家って裕福なんだろ?赤星(あかほし)紅国(くれないこく)のナントカって家で」

「けどあの怪力はヒクわー」

「顔はカワイイんだけどなー、超美人だし」

「えっ、おまえアイツタイプなのっ⁈」

「いやそういうわけじゃ……!」

すると丁字茶が彼らに叫ぶ。「こらああっ!」

噂話をしていた生徒たちはビクッと体を震わせた。

「ちゃんとマジメにやんなさいよっ‼」

「は、はい……」彼らの声が揃う。

「ったくもうっ!どごぞの女の話ばっかりっ!」

 憤慨する丁字茶からかなり離れた所で、噂の的となった少女と、コチニール、葡萄、ヘンナの四人は輪になるように立っていた。

が、赤紫色の少女は珍しく(うつむ)いて、しょぼんとしている。

「やってしまった……」

「まったくあなたはなんということを……」と葡萄。

「でもあれは事故でしょっ?たまたま人形の作りがちょっと甘かったから、だから……!」

兄コチニールが妹をかばおうとする。しかし、

「本当にそう思ってます?」葡萄の眼鏡がキラリと光った。

「いや……」あれは確かにマゼンタの怪力……

赤紫色の少女はしょんぼりとしたまま顔を上げる。

「私は父上に何と言って謝ればいいのか……」

学校の備品を破壊してしまっただなんて……!これまではちゃんと力を加減してきたのに……!

コチニールは落ち込む彼女に優しく言う。

「父上ならちゃんと許してくれるよ。だって故意に壊したわけじゃないんだし」

「そうだろうか」

「もちろん、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ね、葡萄?」

「それはまあ……」クリムスンはマゼンタに甘々ですからねっ。

葡萄の鼻息が荒くなった。

「でももう二度とあんなことをしないでくださいね」

「ああ、絶対にしない」

マゼンタは葡萄に、コチニールに、クリムスンに、心から誓った。

眼鏡の彼から思わず溜息が漏れる。

(クラスメイトを保健室送りにするは、授業で使用する人形を壊すは、色々やらかしているのは緋色よりマゼンタなのでは?)

葡萄がそう思った時だ。

「てゆーかさ」

マゼンタ、コチニール、葡萄の三人は側に立っていたヘンナに顔を向ける。

「そんな面白い場面あたしも見たかったあっ!」

「はいっ?」と、葡萄。

コチニールは苦笑いで、マゼンタは無表情ながら何とも言えない顔になった。

ヘンナは興奮したように叫ぶ。

「なんでそんな重要イベントを見逃しちゃったんだろっ!もうあたしってば不甲斐ない!」

「そういえば、体調はもういいの?」コチニールが苦笑いのまま尋ねた。

「お陰様で!てか超ウケるんだけどっ!この何にも心動かされない女が紫星から来た王子様に恋をして人形をボッコボコに壊しまくるだなんて最高じゃないっ!」

「コッ……⁈」コチニールと葡萄の声が重なる。

「コイ?」マゼンタは首を傾げた。

「マママ、マゼンタは別に、恋をしたから人形を壊したわけじゃないと思うよっ!」コチニールの声が震える。

「そそそそうですよっ!第一そんなボッコボコに壊してなどおりませんっ!」葡萄も大慌てで反論する。

「え、そうなの?噂ではそう聞いたよ」

(なんて噂を!)と、コチニール。

(流しやがってるんですかっ⁈)と、葡萄も心の中で憤る。

ヘンナは当の本人に尋ねる。

「違うの?」

すると思いがけない返答が返ってきた。

「〝コイ〟とは?」

真剣に問う少女に、残りの三人が固まる。

「そこから、ですか……」

まあ、記憶喪失ですから、仕方ないと言えば仕方ないでしょうけども……

葡萄の眼鏡が本人の意思とは関係なく鼻からずり落ちた。

コチニールも目をしょぼしょぼとさせながら、

(マゼンタ、こういう話はわからなそうだよね……)

赤星の男二人が呆然としていると、橙星(だいだいぼし)の女子が腰に両手を当てて告げる。

「恋とはっ、特定の人に強く惹かれて深く深く思いを寄せることよっ!……って、辞書に書いてあったわっ!」

満足げに断言したヘンナの隣で、マゼンタは考え込んだ。

「なるほど、それが恋なんだな」

「そうよっ、それが恋というものよっ」

「なら違う」

ヘンナがガクッと体勢を崩した。

コチニールは苦笑いだ。(だよね……)

葡萄もずり落ちた眼鏡を元の位置に戻して、(でしょうね)

だがヘンナだけはブンブンと自らの体を揺さぶっている。

「もうなんなのっ?すっごく面白そうだなって期待したのに」

「それは悪かった。でも私が人形を壊したのは恋をしたからではない」マゼンタは言い切った。

「じゃあなんで壊したのよ」

「それは……」

赤紫色の少女が理由を述べようとした時だ。

黄みの鮮やかな赤色の少年が、彼女たちの元へ急ぎ走ってくる。

「ちょちょちょちょちょちょちょちょっ!」

コチニールが振り返る。「緋色?」

葡萄はうんざりしつつ尋ねた。

「今度は何事ですか?何をやらかしたんですか?」

緋色は背後を指差して言う。

「あっちで大変なことになってるっ!」

「え?」

マゼンタたちは緋色の指差す方向に目をやった。


 グラウンドの一角に生徒たちが円を描くように群がっている。

その彼らを搔き分けてマゼンタ、緋色、コチニール、葡萄、ヘンナが輪の中心に飛び込んだ。

「これは……⁈」

コチニールが息を呑む。

輪の中央で、ビスタとマロウ王子が向かい合っていた。

ビスタが言う。

「本当にいいんだな」

「構いませんよ」

紫星の王子はいつも通りの微笑みで大男に答えた。




















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