第90話 ありえない留学生
「紫星……?」とマゼンタ。
「王、子……?」啞然としたコチニールと葡萄の声が揃う。
「え……え……?」柑子の瞳も細かに震えた。
すると緋色が席から立ち上がって叫ぶ。
「紫星の王子だってえええええっ⁈」
講堂内がいっせいにどよめいた。
まばらに座っていた生徒たちも、講堂の扉に群がっていた生徒たちも、とにかく全員が大騒ぎだ。
しかし当の紫星から来たという王子は、室内に入った時と変わらずに微笑んでいる。
「なっ、なっ、なっ、なっ……⁈」とビスタが言い、ラセットは魚のように口をパクパクとさせ、「やっぱ噂は本当だったのねっ‼」と立ち上がったヘンナが声を上げた。
コチニールの目がぐるぐると回る。
「おお、王子、王子、王子、王子……」
ただでさえ橙星の柑子殿下が側にいらして、体術稽古を共にする羽目になったというのに、それに加えて今度は紫星の王子だなんて……!
コチニールの精神は既に限界を迎えていた。彼は座席に着いてはいたが、隣に座る葡萄のほうへと背中から倒れてしまう。
「ちょっ、コチニール⁈大丈夫ですかっ⁈」
葡萄が咄嗟にコチニールの肩を支える。
コチニールは今にも口から泡を吹き出しそうな形相だ。
その前の列の席で、緋色は立ち上がったままソワソワとしている。
少年の頭の中には、今まで出逢った数々の人間の顔が浮かび上がっていたのだ。
(紅国の韓紅花姫に朱国の真朱王子だろっ?それから橙星の柑子王子に、今度は紫星のマロウ王子⁈これは絶ぇっ対――呪いだっ‼オレには王子王女の友達になるという呪いがかかってる‼そうに違いないっ‼)
緋色が鼻息を荒くして紫星の王子を見上げると、彼は柑子のほうに視線を向けていた。
それに気づいた柑子もはっと姿勢を正す。
マロウ王子は階段を数段降りて、柑子が座る席の段で立ち止まった。それと共に柑子自身も慌てて腰を上げる。
「挨拶が遅れて申し訳ございません。マロウと申します、柑子殿下」
紫星の王子が流暢な橙星語で言った。
「あっ、いえっ、私のほうこそ気づかず申し訳ございませんでした。柑子と申します」
橙星の王子はそう言いながら心の中でなじっていた。
(紫星の王子が橙星に来るなんてっ、しかもこの学園の同じクラスになるだなんて、誰か先に教えてほしかったよっ……!)
柑子が泣き出したくなる気持ちを抑える目の前で、マロウ王子が続ける。
「不慣れなこともあると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あっ、はいっ、なんでもおっしゃってくださいっ。私に出来ることならなんでもお答えいたしますのでっ」
「ありがとうございます」
マロウ王子は穏やかな微笑みを浮かべた。
(なんか、なんなんだろう、このオーラは……)柑子は紫星の王子を眺めて思った。
講堂内では生徒たちが騒いでいるのに、マロウ王子の周囲はまるで全ての時が止まったかのように静かで、なおかつ大輪の花が咲き誇ったように華やかな雰囲気を纏っているのだ。
(これが、紫星の王子殿下……私も王子だけど、なんだか全然違う……)
マロウ王子と自分自身を比べて落ち込む柑子の後ろの席で、マゼンタは紫星の王子をじっと観察していた。
すると突然、隣に座るコチニールが葡萄からガバッと背中を起こして立ち上がる。
「コ、コチニール……⁈」葡萄が目をパチパチとさせた。
マゼンタも兄コチニールを振り返る。
コチニールは目を見開いてマロウ王子と柑子王子を見ていた。
そして何を思ったか、
「赤星紅国守人クリムスン家の息子コチニールですっ!殿下方の安全は僕たちがしっかりとお護りいたしますのでどうぞご安心くださいっ‼」と、勢いよく頭を下げた。
その場の全員がポカンとする。
「え……?」と柑子。
緋色も戸惑う。「ど、どうした?」
だがマロウ王子だけはくすっと笑うと、
「赤星紅国守人とは、王族や民を護る方々でしたね」コチニールに尋ねた。
コチニールは頭を深々と下げたまま、「はいっ‼」と叫ぶ。
「ならば是非ともお願いいたします。柑子殿下や私だけではなく、広く多くの方を護ってあげてください」
コチニールがはっとして頭を上げると、マロウ王子が彼に微笑んでいた。
「はいっ‼」と満面の笑顔で答えるコチニール。
緋色は呆気にとられると、「な、なんかスゲー……」とだけ言葉にした。
マゼンタは不思議そうに兄を見上げていたが、(もしかして、コチニールのトラウマが解けた……?)兄の表情からそのような思いを抱いたのは確かだった。
生徒たちがはしゃいでいる。コチニールは以前のように笑っているし、緋色もヘンナも笑顔で、柑子王子も一応口角を上げているし、ビスタとラセットは未だ驚いたままだが、それでも講堂内が喜びに包まれていることには変わりない。
ただし、コチニールが心から笑う隣で、葡萄だけは不安げに紫星の王子を見上げていた。
主に新入生が授業を受ける中央棟からほど近い所に、砂が敷き詰められた平原があった。
ここは主に乗馬クラスのために使用される場所で、今も数十頭の馬が尻尾を揺らして待機している。
学園には馬以外にも牛や鳥や虫や各種様々な動物が飼育されているが、新入生が必須科目として向かい合うのはこの馬たちだった。
白に茶色に黒に、多種多様な色や模様を持つ彼らは、生徒たちの心を見透かすように値踏みしている。
この人間はいったいどんな性格をしているのか?
馬たちは自身が敏感であるがゆえ、相手のこともしっかりと把握することが出来たのだ。
新入生はそんな馬たちのことを見極め、自分と相性のいい者を選び出し、その背にまたがってゆっくりと歩き始めた。
が、生徒たちの中には乗馬の授業などそっちのけで、大騒ぎしている者もいた。
その多くは女子生徒たちで、彼女らのお目当ては当然、本日入学した紫星の王子だった。
王子は全身真っ白な馬にまたがると、生徒たちの前を颯爽と駆けていく。
彼の青みを帯びた赤紫色の長い髪が風になびいた。
「キャーっ!ステキーっ!」
「マロウ様ーっ!頑張ってーっ!」
彼女たちは目をハートマークにして声援を送った。
しかしそんな行為が許されるはずもなく、
「あんたら馬に乗らないで何やってんのよ!この乗馬クラスも必修だってことわかってんのっ⁈」
鬼の形相をした丁字茶が女子生徒たちの前に立ち塞がった。
今日も女装姿がキマっている丁子茶は体術クラスだけでなく、乗馬クラスも受け持っていたのだ。
女子生徒たちは彼に渋々返事をすると、背を向けて去っていく。
丁字茶の額の血管が浮き上がった。
「ったく、また面倒な生徒が増えたおかげで授業がちっとも進まないじゃないのよっ!てかなんであたしのクラスなのっ?柑子殿下がいるからっ?そうよねっ、きっとそうよねっ?」
丁子茶がブチ切れるその少し隣で、コチニール、葡萄、ヘンナ、柑子の四人も各々馬に乗っていた。
けれどコチニールを除く三人の馬は大人しく言うことを聞いているが、コチニールの馬だけはなぜか首を振って嫌がっている。
それでも彼は自分のことなどさておき、柑子に物凄く気を配っていた。
「殿下、大丈夫ですかっ?慎重に、慎重にお乗りくださいねっ」
「大丈夫です、馬には乗ったことがあるので」柑子が苦笑いで答える。
呆れたヘンナが言った。
「てかコチニールのほうが大丈夫じゃないじゃん、馬が嫌がってるよ」
「えっ、そうなのっ?」コチニールは自分の馬に視線を移す。馬は相変わらずしきりに首を振ってはじたばたとしていた。
「てかいきなりどうしちゃったの?柑子殿下やあのマロウ王子を護るとか言っちゃってさ」
ヘンナが不審な顔でコチニールに尋ねた。
「思い出したんだ。僕たちは守人だってこと。守人は王族や民を護らなければならないってこと、だから……!」
「うん、てか初日に自分でそう言ってたよね」彼女は呆れ果てている。
「そう!」
だから、王子殿下を怖がってる場合じゃないんだ!恨んでる場合じゃないんだ!僕たちは殿下たちを護らなければならないんだからっ!
コチニールの瞳がキラキラと輝いた。
その随分生き生きとしてしまった彼の様子を、葡萄が呆然と眺めている。
(コチニールのトラウマが癒されたことは何よりですが、今度は違う問題が勃発するとは……)
眼鏡の彼は平原の遠くに顔を向けた。
そこには馬の背に乗って、女子生徒たちに囲まれているマロウ王子の姿があった。
「柑子殿下」葡萄が橙星の王子に視線を戻す。
「はい」
「紫人はこの橙星にはよくいらっしゃるのですか?」
「いえ、私が聞く限りでは初めてのことだと思います」
柑子はそう言うと遠くのマロウ王子を眺めた。
「では紫星の王子が、というより王族の方がいらっしゃるのは……」
「前代未聞ですね……」
そう言いつつ、柑子は嘆いた。
(本当に前もって教えてほしかったよ……!私はこれでも一応橙星の王子なのにっ……!)
ヘンナも首を傾げる。
「てゆーかほんとなんでわざわざここまで来たんだろうね。そんなにこの学園で学びたいことがあったのかな」
「きっと異文化交流じゃない?」
コチニールが馬に手こずりながら答える。
「えーっ、何それ」
「たぶんこの星の文化を身をもって体験されたいんだよ」
「そーお?」
「それならばまずは橙星ではなく赤星にいらっしゃるべきでは?紫星からこちらに来るより断然近いじゃありませんか」葡萄が眼鏡の蔓を持ち上げる。
「あのね葡萄、近い遠いじゃなくて、マロウ殿下はきっと橙星の文化に興味がおありなんだよ。だからわざわざここまでいらしたんだ」
「王都であるサイエイの都ではなくわざわざこのカイクウの都にですか?」
「だってここは学園都市でしょ?学ぶにはぴったりじゃない」
「でもここは軍事学園ですよ」
「軍事学園だって学ぶことはたくさんあるよ。現に柑子殿下もご入学されていらっしゃるし」
「あー、いやー……」柑子が口ごもる。
「それはそうかもしれませんが……」
紫人が橙星の軍事を学ぶ?
葡萄には到底納得のいく理由ではない。本当は、もしかしたら……
すると柑子が言った。
「なんだかコチニールさんはマロウ殿下のお気持ちがよくおわかりになるんですね」
「いやっ、そういうわけじゃないんですけど、ただなんとなく、こう、感じるっていうか……」
コチニールは頬をほんのり赤らめると、遠くのマロウ王子をポーっと見つめる。
その様子にヘンナが突っ込んだ。「ほんとかよ」
柑子も苦笑いだ。
葡萄はコチニールとは違う思いでマロウ王子を眺めた。王子は相変わらず女子生徒たちに囲まれている。
ふと、眼鏡の彼は周囲を見回した。
「そういえばマゼンタは?」
「あ、あそこですよ」
柑子がマロウ王子とは少し離れた遠くのほうを指差した。
茶色の馬に乗ったマゼンタが、平原の奥から駆けてくるところだった。
「マゼンタさんは馬も完璧に乗りこなせるんですね」体術が上手いだけではなく……
柑子は羨ましそうに赤紫色の彼女を見つめた。
「あの子はほんと天才ね」ヘンナも言う。
葡萄がマゼンタの姿を真剣に見つめた。
その彼女はマロウ王子の近くを駆け抜ける。
紫星の王子は彼女の後姿をしっかり目で追っていた。
やがてマゼンタはそのまま兄たちの所へとやって来る。
「コチニール」
「マゼンタ、おかえり!」
「ああ、ただいま」
少女は兄を見て思った。
兄の表情がまた前のように明るくなった、と。
どうしてこうなったのかはよくわからない。しかしまずは一安心だ。
「馬は?上手く乗れてるか?」
マゼンタの問いにヘンナが答える。
「あたしたちは大丈夫。でもコチニールは」
兄の乗る馬は盛んに体を揺らしていた。まるで背中の上に乗っている者を振り落としたい、そんな風にも見えた。
「うあっ、ちょっ……!」
「大丈夫ですかっ?」と、柑子。
「だ、大丈夫です……!」
「柑子殿下に心配されてる」ヘンナが呆れた。
「守人が馬になめられるだなんて」葡萄も首を横に振る。
「うあっ……!」
「落ち着いて、慌てないでください、馬が感じ取りますから」
橙星の王子の言葉にマゼンタが呟く。
「なんだか柑子が頼もしい」
体術クラスでは本当に弱々しい柑子なのに、乗馬クラスではしっかりとしているそのギャップが、彼女には新鮮だった。
と、自分の後ろのほうで女子生徒たちがクスクスと笑う声が聞こえてきた。
マゼンタが振り返ると、馬に乗った女子生徒たちがこちらに背を向け、さらに奥のほうを眺めている。
彼女たちの視線の先には、馬の背に乗ろうとしても乗れない一人の女子生徒がいた。
身長が低く、クリクリカールの長い髪を低い位置で一つに結んだその生徒は、何とか馬の背に手を伸ばして体を引き上げようとするが、それさえ叶わない。
「超ダサっ」
「それじゃいつまで経っても乗れないんじゃない?」
「マジしょぼい」
女子生徒たちは小柄な彼女に聞こえるように悪口を言うと、馬に乗って駆け出した。
小柄な彼女、即ち体術クラスでも苦戦していた雀は、泣きそうになりながら馬の腹に額をくっつける。
わかっていた。自分なんかが軍事学園にふさわしくないことは。
小さくて、体力もなくて、誰がどう見たってここにいるのはおかしいと思うだろう。
だけど、自分はちゃんと目的があって、この学園に入学したのだ。
そのためには乗り越えなければいけない壁があることも勿論知っている。
だけど、だけど……!
雀の両目から涙がこぼれた。
その彼女の後姿を、マゼンタは眺めていた。
名前も知らないクラスメイト。彼女の肩が小刻みに震えている。
その時、コチニールの乗った馬が勝手に歩き出した。
「あっ、ちょっ……!」
「コチニールっ?」葡萄が引き留めようとする。
ヘンナも「どこ行くのっ?」と、コチニールの背に声を掛けた。
マゼンタは馬と共に去っていく兄に顔を向けると、また震える女子生徒に目をやった。
そして今一度兄の後姿を見る。
マゼンタの選択は早かった。
彼女は馬の背に乗ったまま、震える女子生徒のほうへ向かったのだ。
相手は尚も馬の腹に顔を埋めて泣いている。
マゼンタはそんな生徒の首根っこを掴んだ。
「うわっ……⁈」
女子生徒が驚くのも束の間、気づけばなぜか馬の背に座っていた。
「え……?」
きょとんとした雀が後ろを振り返ると、鮮やかな赤紫色の少女が馬に乗って駆けていくところだった。
コチニールが乗った馬はどんどん先へと進んでいく。無論手綱を持った彼の言うことなど聞くはずもない。
柑子、ヘンナ、葡萄の三人は馬に乗ってコチニールの後を追いかけた。
「コチニールさん!」と、柑子王子。
「どこまで行くんですかっ⁈」葡萄も叫ぶ。
コチニールは「馬に聞いてええええっ‼」と悲鳴を上げた。
コチニールの馬がさらにスピードを上げようとした、ちょうどその時、マゼンタがコチニールの馬の前に走り込む。
「うあっ!」
兄の乗った馬は途端に歩みを止めた。
「大丈夫か?」
「マゼンタ……!ありがとう、助かった……!」
ほっとしたコチニールが額の汗を拭う。
すると柑子たちがマゼンタとコチニールに追いついた。
「大丈夫ですかっ⁈」と、柑子。
「あ、はい……お騒がせしました……」
「まったくもう、どっちが守人なのよっ」とヘンナ。
「すみません……」
「馬になめられすぎですっ」葡萄も釘を刺す。
「はい、精進します……」
すっかりしゅんとなった兄を見たマゼンタは言う。
「最初から上手く出来ないのは当たり前だ。だから少しずつ前に進めばいい」
「うん、ありがとう」コチニールは妹に苦笑いを返した。
「てかあんたがそれ言うっ?」ヘンナはマゼンタに突っ込まずにはいられない。
乗馬は初めてのはずなのに、いとも簡単に乗りこなしている彼女に、一言言わなければ気が済まなかったのだ。
そんな彼女たちの様子を、馬に乗ったマロウが遠くから眺めて微笑んでいた。
その時、マゼンタたちの目の前にある白い柵を挟んだ向こう側から、砂煙が上がった。
柵は東西に渡ってどこまでも続いていたが、砂煙は柵に添うようにだんだんとマゼンタたちのほうへ近づいてくる。
「ん、何あれ?」
砂煙に気づいたヘンナが言った。
彼女の言葉にマゼンタたちも砂煙の方角を覗き込む。
「あ」柑子と葡萄の言葉が重なった。
砂煙の正体は、各々ダチョウの背中に乗った緋色、ビスタ、ラセットだったのだ。
三羽のもっさりとしたダチョウが走るたびに、足元の砂が大量に舞っている。
ダチョウの走るスピードは意外と速かった。だがその背中は決して乗り心地がいいようには見えない。
緋色たちの頭はブルブルと振動しながら、白い柵に添ってマゼンタたちの元へと走ってきた。
「おらああああっ!マゼンタ勝負だっ!」と、緋色が言えば、
「ダチョウに乗りやがれこらあっ!」と、ビスタが叫び、
「わわわわわわわわっ!」ラセットはただダチョウの振動に身をゆだねていた。
彼らを眺めるマゼンタたちは啞然とするしかない。
「マゼンタっ!オレはおまえに負けないからなっ!」と、緋色。
「負けねえからなっ!」と、ビスタ。
「わわわわわわわわっ!」と、ラセット。
そして緋色たちはそのまま柵に沿って、マゼンタたちの前を駆け抜けていった。
緋色が叫ぶ。「これどーやって止まんだっ⁈」
ビスタは「俺に聞くなっ!」
ラセットは当然「わわわわわわわわっ!」
マゼンタたちは啞然としたまま緋色らを見送った。
「何今の……」ヘンナがとりあえず口に出す。
それに対し葡萄が答えた。
「馬かダチョウか、選べましたからね……」




