第73話 茜色の提案
「え……?」
錆色の思考が一瞬停止した。
この人はいったい、何を言っているのか。
会場内もざわめき、西側二階客席の緋色も立ったままポカンとしている。
「第三試合?」
東側二階客席のクリムスン家の男たちは怒り心頭だ。
カーマインが「何を今さら!」と叫べば、
「これは完全なる負け惜しみですよっ!」と、葡萄も唾を飛ばす。
リング上で医療班から手当てを受けるクリムスンは呆然としている。
「おまえ、何を言って……」
けれども止血をされ、だんだんと意識がはっきりしてきた茜色は続ける。
「このくらいは、いいだろう……?私は君の提案を、反対もせず、吞んだんだ……だったら、こっちの提案も、吞むべきだ……」
会場の側にある病院の談話室では、患者や家族、病院のスタッフたちがテレビ画面に群がっていたが、その誰もがざわざわとしていたし、何より彼らに交じっていた猩々緋は首を傾げたままテレビを見つめていた。
「茜色様……?」
頭首の右腕である彼にさえ、茜色の考えは読めなかったのだ。
リングのクリムスンが反論しようとする。
「だが……!」
「それに大会は、補欠の参加を、一人まで認めてるよ……そうだよね?」
茜色は審判錆色を見上げた。
「それは、確かにそうですが……」
審判はオドオドしつつ答える。
「ならどっちにしろ、君に反対することは、不可能だ……だって、茜色家も、クリムスン家も、共に補充出来る人材は、山のようにいるしね……」
クリムスンは傷だらけの体で必死に脳を搔き回した。
(こいつ、いったい何を考えている……それほど強い補欠を、準備しているということか……?)
三階の楽坊特別室では、前列のソファに座ったシェルがハラハラしていた。
「これどうなっちゃうの、どうなっちゃうの⁈」
「シェル落ち着け」
彼女の隣に座るマゼンタは友人を冷静になだめた。
楽坊特別室の隣にある紅国特別室では、上段端の席に着いた執政灰桜が、
(あやつら、勝手なことばかりしおって……!)
と、指先を肘掛けに何度も叩きつけた。
灰桜から離れた席に掛けた執政紅樺は、
(もうマゼンタの父君の勝利でいいじゃないですかあっ!)
と、灰桜とは別の意味で身を前に乗り出した。
リングに立つ錆色が純粋に尋ねる。
「あの、ですが、第一試合は引き分けで、第二試合の勝負は既についていて、だから第三試合を行って、茜色チームの補欠メンバーが勝利したとしても、結局一勝一敗一引き分けとなってしまうのでは?」
「そうだ、第三試合をやる意味はない」と、クリムスンも審判の肩を持つ。
「ふふっ、だから、第三試合の結果で、勝敗を決めればいいんだよ……」
「は?」
西側二階客席の緋色がさらにポカンとする。
「どういうこと?」
「うーん?」
彼の隣に立つストロベリーも首を捻った。
東側二階客席のクリムスン家の男たちは憤っている。
「あの野郎、何を抜かしやがって……!」と、ワイン。
「なんなんですか、なんなんですかあの人はっ!」葡萄も眼鏡の蔓を擦りまくる。
カーマインが叫んだ。
「アレが茜色家の頭首だよっ!」
リングではその茜色家頭首による交渉が続いている。
「第三試合、その結果次第で、私の家は君の家の傘下に入ってもいいって言ってるんだ」
「えと、それはつまり……」錆色の口角が引きつる。
「私たちの試合は、なかったことにするということか……⁈」
クリムスンが一応確認した。
「簡単に言えばそうだね……」
「なっ⁈」クリムスンは言葉を失い、
審判錆色も「えーっ……⁈」と呆れてしまう。
二階客席の緋色が驚く。
「いいのっ⁈」
「いいわけないでしょう」
ローズは少年にそう言った。
けれどもすぐに考えを改めると、
(ま、相手の頭首次第だろうけどね)と、リング上のクリムスンに目をやった。
二階客席の通路に立つ塾講師アガットと臙脂は、もうお手上げ状態だ。
「やれやれ」臙脂が溜息も忘れて言うと、
「とんだ決勝戦だね」
アガットも呆れるしかない。
リング上では茜色が笑っていた。
「まあいいじゃない、赤星武闘大会は、私たちにとって、この星の民にとって、盛大に大騒ぎ出来るお祭りなんだから……」
「貴様……!」
クリムスンが相手を睨む。
「それに、私たちの家を、そう簡単に君に渡すわけにはいかないからね」
笑っていた茜色の顔が、真剣みを帯びた。
「だからこれくらいの望みは、聞いてもらわなきゃ」
錆色の頬が引きつる。
(なんてこったい……)
こんなに傷を負って、血も流して、命を懸けて戦ったというのに、それをなかったことにするだなんて……
審判の彼には守人頭首の考えに理解が追いつかなかった。
頭首らの治療に当たっていた医療班の一人が伝える。
「止血は一応終わりました。ですがお二方ともなるべく早く病院へ……」
「ありがとう、だいぶ楽になったよ」
茜色は丁寧に礼を述べた。
朱国特別室の朱色王と真朱王子が座席から身を乗り出す。
「なんだなんだ、まだ決着は着いてねえのか?」朱色が言えば、
「もう一試合あるってこと?」真朱も先を促す。
楽坊特別室のマゼンタはクリムスンを見つめていた。
(父上、どうする)
医療班全員が二人の頭首の元から去っていく。
クリムスンは茜色から視線をそらさずにずっと考えていた。
確かにこいつの言う通り、私には自分の提案を思いついた時点で、それを考える時間と余裕があった。だがこいつはあの短い時間で決断を下した。
このままこいつの提案を吞まなければ、我が家の傘下に入るどころか今度は家の中で戦が起きるようなもの。そうさせない為には不本意だが、なんとしてもこいつの協力が不可欠。
つまり、完全敗北を認めさせるしかない……!
茜色は座ったまま、腕を軽く動かしている。
痛みはあるが全く動けないほどではない。
茜色はクリムスンへ顔を戻した。
「それで、答えは出たかい?」
クリムスンは告げた。
「おまえの提案……乗った」
茜色はふっと微笑んだ。
東側二階客席、クリムスン家の男たちが騒ぎ立てる。
「ぅおおおおおおいっ‼」カーマインが雄叫びを上げた。
葡萄も頭首の考えを疑う。「クリムスンっ⁈」
「奴の挑発に乗るなんてっ!」ワインもさすがに反対せざるを得ない。
西側二階客席の緋色は喜んでいた。
「マジでっ⁈イイのっ⁈」
ストロベリーは少年の隣で苦笑いを浮かべる。「そぉみたいねぇ」
さらに彼女の隣でローズはやはり呆れていた。
「ま、これからのことを考えて出した結論なんだろうけど、だとしたらあんなに自分の血を流してまで戦う意味があったのだろうか」
楽坊特別室のポピーも呆れている。
「まだやるんですの?」
彼女の言葉が聞こえたわけではなかろうが、ポピーから離れた場所に座っていたマゼンタは、
「祭りは長く続くほうが楽しいということか」
ポツリと呟いた。
リング上のクリムスンが尋ねる。
「それで、第三試合の補欠は誰が出る」
「大丈夫、心配しなくてもちゃんと強い人物を出場させるよ」
「ほお。貴様より、カッパーよりもか?」
「ふふ」
茜色は立ち上がった。
そして告げた。
「私の息子――緋色を」
西側二階客席でそれを聞いた当の本人は、目を輝かせて息を吞む。
彼の隣にいたストロベリーとローズは、「え……?」二人揃って少年を凝視した。
東側二階客席のクリムスン家の男たちは啞然とする。
「なっ……⁈」
カーマインと葡萄もそれしか言葉に出来ない。
楽坊特別室のマゼンタもさすがに驚いていた。
「緋色……?」
緋色を第三試合に出場させるのか……?
リングのクリムスンも耳を疑っている。
「は?」
「はい……?」審判錆色も表情筋がどこかへ行ってしまっている。
だが頭首茜色は決意を固めたように微笑んでいた。
クリムスンは緋色と呼ばれる少年の顔を思い出す。
確かまだ十歳程だったはず。あんな子供を……?
会場側の病院にある談話室では、猩々緋がテレビ画面に群がる人々を押しのけていた。
「茜色様っ、何を血迷られたかっ⁈」
彼は患者たちの最前列に飛び出すと、テレビにそれこそ嚙り付いた。
リングのクリムスンが立ち上がる。
「斬られたショックでさらにおかしくなったみたいだな」
「そう言って余裕でいられるのは今のうちだけだよ」
クリムスンは茜色を見つめる。
相手はいつもと同じ、あの微笑みを浮かべていた。
こいつのこの笑顔、明らかに何かを企んでいる。あの緋色という子供はそんなに強いのか?
茜色がさらに口角を上げた。
(考えるがいい、クリムスン。でもどんなに考えたところで、あの子に勝てる人材は今この場所にはいない!)
楽坊特別室、前列のソファに座る楽坊の主桃色が心配そうに尋ねる。
「その緋色という方はおいくつぐらいなんでしょうか」
「確か、まだ十歳程だったような……」
桃色の隣に座ったパステルが顎に指を当てて答えた。
「十歳⁈そんな子を出場させるというのですか……⁈」
「いやはや、守人一族の考えは私には理解不能です……!」
桃色たちの会話を耳にしたシェルが声を抑えて騒ぐ。
「十歳とかないでしょっ!コチニールより若すぎるっ!てかもう若いとかの範疇を越えてるよっ!ねえっ⁈」
彼女は隣に座るマゼンタに顔を向けた。
マゼンタは何かを深く考え込んでいた。
(年齢は関係ないと思うが、なぜ緋色なんだ?コチニールと同じ理由、つまり茜色家の跡取りだから出場させるのか?にしてもこれが実質最終戦になるのだろう?この試合に負けたら茜色家はクリムスン家の傘下になるのだろう?そんな大事な試合を緋色に任せるのか?)
少女には茜色家頭首の意図が全く理解出来なかった。
リング上の審判錆色が恐る恐る確認する。
「あ、あのぉ、本当にそのお子さんを出場させるのですか?」
「もちろん、年齢制限はないでしょう?」
「それは、そうですが……」
二階客席の通路に立つ塾講師たちは、なぜかげんなりとしている。
「臙脂、なんだかすごく嫌な予感がしてきたよ」と、アガット。
「ああ、私もだ」
いつもは何があっても表情を変えない臙脂まで、今にも吐き気を催しそうだ。
リング上のクリムスンはそれまでひたすら考えていた。
でも彼の顔は既に晴れていた。
第三試合、この結果で一方の家がもう一方の傘下に入る。
つまり絶対に負けられない戦い、必ず勝たなければならない戦いだ。
だったら誰を出場させるか、もう答えは出ている……!
「で、君のほうは誰を出すか決まったかい?」
茜色が問うた。
「ああ」
東側二階客席のカーマインが、目を見開いて身を乗り出す。
しかしリングのクリムスンは、会場三階にある楽坊特別室のほうを見上げて答えた。
「私の娘――マゼンタを」




