第72話 クリムスンの提案
会場内がざわつく。
それは東側二階客席のクリムスン家の男たちも同様だった。
しかしクリムスンの息子であるカーマインと、クリムスンの右腕である葡萄は絶句している。
父は、頭首は、何を言っているのか?わけがわからない。
クリムスンの提案は会場の外にも波及していた。
大会会場側の病院にある談話室でも、患者やその家族、病院スタッフがテレビに群がっていたが、彼らの背後で猩々緋が車椅子から立ち上がっていた。
「なんじゃとおっ⁈」
猩々緋は背中の痛みも忘れ、窓がひび割れるくらいの叫び声を上げていた。
会場西側二階客席のストロベリーとローズは啞然としている。
「いったいどういうつもりで……!」ローズが言った。
ところが、二人の隣に座る緋色少年はポカンとしている。
「サンカ?サンカって?」
「えっと、傘下っていうのはね……」
ストロベリーが十歳の彼にわかりやすく説明を始めた。
会場三階の楽坊特別室でも、マゼンタが友人のシェルから詳しい説明を受けていた。
「勝ったほうの家の支配を受ける?」
「そうっ!負けたほうは勝ったほうの言いなりになるってことだよ!」
マゼンタは啞然とする。
「父上……?」
なぜそんな提案を持ちかけた?
楽坊特別室の隣にある紅国特別室では、上段端の席に座っていた執政灰桜が勢いよく立ち上がった。
「何を勝手なことを!おまえたちは王宮守人の座をかけて戦っているのだぞ!それを仲良く統合するだとっ⁈ふざけるでないっ!」
灰桜から離れた席に着いていた執政紅樺は、彼を見上げて言葉を失う。
灰桜がこんなに感情をあらわにするのを初めて見たのだ。
「まあそう激するでない」
灰桜が声の主をきっと睨む。
上段中央の席に座った王の紅色が、自分を微笑ましく眺めていた。
「二つの家が協力して事に当たるのは良いことではないか。これぞ平和的解決ぞ」
灰桜は拳を震わせる。
(この平和呆けが……!)
彼は紅色王を心の中で罵った。
西側二階客席の緋色はストロベリーから一応の説明を受け、改めて彼女に尋ねる。
「つまりウチとクリムスン家が協力するってこと?」
「協力……になればいいけど」
ストロベリーは口を濁すが、緋色は目を輝かせた。
もしかしてそれって、今までオレたちが求めてた最高の形なんじゃねえっ⁈
マゼンタやコチニールと会ったり話したりすることに、もう罪悪感感じなくていいってことだよなっ!
少年の心はどこまでも弾みまくった。
「そう簡単に行くかねえ」
「え?」
緋色はストロベリーの奥に座るローズを覗き込む。
「何十年何百年といがみ合ってきた両家が、簡単に手を取り合うことなんか出来るはずがない」
「ちょっ、ローズ……!」
ストロベリーが上司の肩をバシバシ叩く。
「んなのやってみなきゃわかんねーだろっ!」
「わかるさ。負けた家は勝った家から相当な扱いを受けるだろうよ」
緋色はムッとして握り拳を作った。
こいつはなんでこうも否定的なことばっか言いやがって……!
緋色の怒りを感じ取ったストロベリーは、
「お、落ち着いて、どうどう……」
少年の希望を潰さないよう必死になった。
反対側の東側二階客席では、相変わらず葡萄が呆然としている。
「クリムスン、あなたはいったいどういうつもりで……」
子供の頃から頭首の側にいて、彼を見てきて、彼の思いを実現するのに手を貸してきたというのに、こんな話は寝耳に水だった。
クリムスンの考えを察するのも長年連れ添った相棒のように、造作もないと思っていたのに、まさかこんな提案をするとは……しかもほぼ全ての赤星の民の前で、大会決勝戦の真っ只中で、自分に何の相談もなしに……!
「勝つ気だ」
「え?」
男衆の纏め役であるワインの言葉に、葡萄とカーマインが彼の顔を思わず見た。
「絶対にこの試合で勝つ気だから持ち出したんだ。王宮守人を手にして、最大のライバルである茜色家も吸収して、紅国で最強の守人一族になるために……!」
葡萄とカーマインは啞然としたままリングを見下ろした。
リング上の審判錆色が驚きの声を上げる。
「なんということでしょう!クリムスン選手、この赤星武闘大会決勝戦の最中に、茜色選手へとんでもない提案を突き付けましたっ!これに対し茜色選手はなんと答えるのでしょうか⁈」
クリムスンが目の前の茜色をじっと見つめている。
すると茜色が小刻みに肩を震わせ始めた。
「くくくくくっ……!あはははははははっ!ははははははははっ!」
会場中に茜色家頭首の笑い声が響き渡る。
「何がおかしい」
「いや……くくくくくっ……!」
「いよいよ狂っちまったか」
「あはは、それは君のほうだろう?幼い頃から危ない奴だとは思っていたけど、まさかこれ程までとは」
「貴様にだけは言われたくないね」
「一つ聞いていいかい」
茜色が笑いを堪えて尋ねる。
「なんでまたそんなことを思いついたんだ?」
クリムスンは全く表情を変えずに話し出した。
「紅国は赤星最強の国だ」
その言葉を聞いた途端、三階の朱国特別室では、席に着いた真朱王子が思わず身を乗り出す。
「なんだってえっ⁈赤星最強は朱国だっ!そうだろっ⁈」
王子は隣に座る父の朱色王を見上げた。
だが朱色は腕組をしたままリングを見下ろし、何も答えない。
朱国特別室の隣、丹国特別室ではすっかり酔いの回った王の丹色が、寝ぼけながら席に座っている。
「赤星最強は、我が丹国じゃ……!」
王がろれつの回らない口で言うと、隣に立つ補佐役の鉛丹がやはり微笑んでいた。
リングではクリムスンの話が続いている。
「だが朱国や丹国にいつ追い抜かれてもおかしくない」
コチニールが丹国の王子にやられたように……!
クリムスンの脳内に、テラコッタ王子に殴られまくる息子の姿が思い出された。
あんなことは二度と経験したくないし、勿論させたくもない。
「それはおまえもよくわかっているはずだ」
茜色はクリムスンをじっと見返す。
彼の脳裏には、猩々緋が鳶のナイフを受けた時の映像が流れていた。
「それで?」
茜色がクリムスンに問う。
「だから紅国内で何百年もいがみ合ってる場合じゃないんだよ、もう」
「他の来訪者もあることだし?」
「ああ、だから手っ取り早くこの提案をしたまでだ」
紅国特別室では、韓紅花姫が窓ガラスにへばりついていた。
「他のライホウシャ?」
姫は慣れない言葉を口に出してみる。
でもそれが意味するものは何なのか、全くわからない。
反対に、上段端の席に座った執政灰桜は、拳をぎゅっと握りしめていた。
(クリムスンめ、青の色光のことも視野に入れておったか……!)
赤星に度々現れる青色の来訪者が灰桜の瞼に浮かんだ。
リング上のクリムスンが茜色に尋ねた。
「どうする、私の提案を受けるか?」
茜色の返答は早かった。
「その提案――乗った」
観客がざわめき、西側二階客席の緋色が目を輝かせる。
「父上‼」
これでマゼンタやコチニールと普通に仲良く出来んじゃんっ!!
少年はそう思ったが、隣のストロベリーは苦笑いだ。
「緋色、説明したことちゃんと理解してくれたかな……」
「どう見てもしてないだろ」
呆れたローズが言った。
東側二階客席のクリムスン家の男たちは今にも腰を上げそうだ。
「奴が乗ってきた!」と、カーマイン。
葡萄も冷汗を垂らし、「これはもう何がなんでも」
「勝たなければならないっ!」ワインが叫んだ。
楽坊特別室ではシェルが口の前で両手を広げている。
「うっひょーっ!マジでっ⁈」
室内の楽師たちもざわついていたが、マゼンタはリングの父と茜色をじっと見つめていた。
マゼンタから離れた所に一人座っているポピーは、
「とんだおバカな方々ね」と、啞然としつつ正直な感想を述べた。
会場外の病院にある談話室では、猩々緋が頭を抱え、
「茜色様あああああっ‼なんということをををををっ‼」
周りの患者や家族のことも考えず大声を上げまくった。
「ということで、今試合に勝ったほうの家に負けたほうの家が傘下に入るという提案が承諾されました!これはまさに絶対に負けられない戦いとなります!」
審判錆色が改めて説明する。
「ふっ、提案した私が言うのもなんだが、後悔するなよ」
クリムスンがにっと笑った。
それを受けて茜色も、
「大丈夫さ、後悔するのは君のほうだから」にっと笑い返した。
そうして二人は再度刀を構えた。
二階客席の通路に立つ塾講師たちは呆れている。
「家の運命が懸かってるっていうのに生き生きとしてるね」
アガットが言い、臙脂も同意した。
リングでは両者共に微かに刀に力を込める。
その後、二人は互いへ跳び出した。
楽坊特別室のマゼンタが彼らをじっと見つめている。
頭首たちの斬り合いがまた始まった。
「これはまた凄まじい斬り合いが始まりました!果たしてこの斬り合いの後に笑うのはどちらなのかっ!どちらの家がどちらの家を傘下に収めるのかっ!もう一瞬たりとも目が離せません!」
錆色の解説に、西側二階客席の緋色が立ち上がる。
「父上っ!いけっ!」
反対側の客席でもクリムスン家の男たちが立ち上がった。
「父上ーっ!」と、カーマイン。
葡萄も「クリムスンっ!」と、声を張り上げる。
楽坊特別室では桃色やパステルが緊張した面持ちでリングを見、紅国特別室では紅色王が微笑みながら、執政紅樺が拝みながら、執政灰桜が睨みながら、各々リングを見下ろしていた。
リング上の頭首たちが振るう刀は相手の体に触れ、その度に血が飛び出し、辺りに散った。
会場側の病院、談話室では「茜色様、どうか、どうかっ……‼」テレビ画面に食いついた猩々緋が拝み倒す。
会場の朱国特別室では朱色王と真朱王子が試合を見守り、隣の丹国特別室では丹色王が若干眠そうにリングを見下ろした。
クリムスンと茜色の斬り合いが続いている。
二人の衣は至る所が破れ、傷口はどんどん数を増す。
それでも彼らはやめない。
決着がつくまで、どちらかが倒れるまで、絶対にやめるわけにはいかない。
西側二階客席の緋色とストロベリーは立ったまま彼らを凝視し、ローズは座ったままだがリングを見つめている。
東側二階客席のカーマイン、葡萄、ワインも立ったまま目を見開いていた。
楽坊特別室のマゼンタが呟く。
「父上」
彼女の中に、クリムスンと初めて逢った時、つまり荒野で助けてもらった時のことが流れた。
「クリムスン」
赤紫色の少女が彼の名を呼んだ。
その時、クリムスンが茜色を横から斬った。
「……!」
二人は互いを行き交うように動きを止めた。
会場内がしんとする。
西側二階客席の緋色が目を見開く。
「父、上……?」
東側二階客席のカーマインが息を吞んでいる。
「クリムスン……?」葡萄もそれ以外何も言葉に出来ない。
茜色がポツリと呟いた。
「バカは、私か……」
彼の背後で、クリムスンは険しい目をしたまま微動だにしない。
そして茜色が、前のめりに倒れた。
二階客席の緋色が呼吸を失った。
錆色が茜色に近づく。
「あ、茜色選手、ダウンです!お互いの激しい斬り合いが続いておりましたが、先に倒れたのは茜色選手のほうでした!そ、それではルール通り、カウントを始めます!一・二……!」
クリムスンは刀を下ろして茜色を振り返った。
茜色は倒れたままだった。
二階客席の緋色が言う。「ち、父上……?」
少年の隣に立つストロベリーは、思わず口元を両手で押さえる。
反対側の客席に立つ、カーマインや葡萄、ワインは茜色を凝視した。
楽坊特別室のマゼンタは、二人の頭首をじっと見つめている。
病院の談話室では、猩々緋がテレビ画面に釘付けになったまま固まっていた。
「九・十!勝者、クリムスン選手!」
錆色の声に観客の半分が歓声を上げ、残り半分は項垂れたり落胆する声を発した。
東側二階客席のカーマインが「勝った……」と言えば、
西側二階客席の緋色が「負け、た……?」と、僅かに首を傾げる。
観客や選手の家族たちの反応は様々だったが、リング上のクリムスンは茜色を見つめながら言った。
「ふっ、バカは、私もだ……」
クリムスンはその場に膝をつく。
彼の胸元からみるみるうちに血がこぼれ落ちた。
客席のクリムスン家の男たちが騒然とする。
「クリムスン……⁈」と、葡萄。
カーマインも「父上⁈」と叫んだ。
リング上のクリムスンがその場に片手をついて体を支える。
「大丈夫ですか⁈早く医療班を!」
錆色が彼に駆け寄った。
「私は大したことは、ない……それより奴を……!」
すると、その言葉を聞いた茜色が、ゆっくりと仰向けになった。
「ははは……君に心配される、とは……いや、君に、負けるとは……」
茜色は力なく言った。
「喜べ……ちゃんと急所は、外してやった……」
「それはこっちも、同じだ……」
茜色が何とか上体を起こそうとする。
「あ、あまり動かないほうが……!」錆色が今度は茜色に駆け寄ろうとする。
しかし彼は「問題、ない……ただ、当たり所が、悪かった……」と、ゆっくりとではあるが、上体を起こした。
(なんてタフなんだ。二人共斬られて血だらけなのに……!)
審判錆色がそう思う間にも、担架を持った医療班がそれぞれクリムスンと茜色の元にやって来た。
医療班の一人が茜色に声を掛ける。
「すぐに病院へ運びます、どうぞ担架へ……!」
「いや……治療は、ここで受ける……」
クリムスンが耳を疑う。
「瘦せ我慢を、するな……おまえはもう、私に負けたんだ……何も意地を張ることはない……」
ところが茜色はその場に腰を下ろしたまま、
「一ついいかな……」
真っ直ぐクリムスンに目をやった。
西側二階客席の緋色とストロベリーは立ちっぱなしだが、二人の隣でローズは席に着いていた。
彼らはリング上の茜色とクリムスンを見守っている。けれど皆首を捻っていた。
なぜなら、本来ならばもう決着が着いているのだから、選手は担架で病院に運ばれてもいいはずなのに、二人の頭首はリング上で手当てを受けていたのだ。
「な、なんで担架で運ばないの?なんであそこで治療を……?」と、ストロベリー。
「二人は何か話してるね」ローズが冷静に述べる。
「父上……?」
緋色は目を見開いて、口を開け放ったままだ。
紅国特別室でも王の紅色が疑問に思っていた。
「何を言っているのだろうか」
それを聞いた王の斜め後ろに控えている退紅は、
「マイクの音量を上げよ」と、すぐ近くにいた従者に告げた。
リングでは二人の頭首がその場に座り込み、彼らを囲むように白装束の医療班が止血をしている。
「なんだ……?」
額に脂汗を浮かべたクリムスンが茜色に尋ねた。
「君には、時間が、あったんだろう……」
呼吸の荒い茜色が答える。
「時間……?」
「勝ったほうが、負けたほうの家を、傘下に収めるという、提案を、考える時間だよ……」
彼らの密やかな声が聞こえるようになった観客は、耳をそばだてた。
東側二階客席のクリムスン家の男たちもそれは例外ではない。
カーマインは茜色の言葉を耳にすると、
「今更それをなかったことにしたいとか言うんじゃねーだろーなっ」と憤慨した。
「茜色なら有り得ます……!」葡萄も同意する。
「んんなの卑怯だぞっ!」
リングに座ったままの頭首たちは、それぞれ医療班によって包帯を巻かれていく。
「それが……?」
クリムスンが先を促した。
「でも私には、それを思案する時間は、僅かだった……」
「何が言いたい……」
「だから、私にも一つ、提案をさせてほしい……」
楽坊特別室のシェルが驚く。
「また提案⁈しかも今度は茜色から⁈」
彼女の隣に座るマゼンタは、茜色をじっと見つめていた。
マゼンタの眼差しと同じように、クリムスンも相手を見つめている。
しかし相手は急に自分から視線をそらすと、
「審判」
側でオロオロする審判錆色を見上げた。
「は、はいっ」
呼ばれた本人も驚いたように返事をする。
そして茜色は言った。
「私のチームで、補欠を参加させる。だから第三試合を、認めてほしい」




