第58話 茜色の力
観客が歓声を上げる中、二階の客席に座る緋色少年も声を張り上げた。
「父上ーっ!」
少年の隣の隣に座るローズは組んでいた脚を組み返すと、
「今度こそちゃんとした試合になるんだろうね」と、目を細める。
その顔はそうは言ったものの、ほとんど期待していないようだ。
「な、なるよきっと、茜色家頭首だもん……!」
緋色とローズに挟まれて座るストロベリーは、焦るように断言した。確信はなかったが。
西側の選手入場口前では茜色が猩々緋を振り返る。
「行ってくるよ」
「はい、思う存分やってしまってくだされ」猩々緋は額の血管を浮き立たせて答えた。
茜色は先の試合を思い返し、苦笑いでリングへ向かった。
東側の選手入場口前では、オクサイドが腕を伸ばしたり膝の屈伸をしている。
「俺様の出番だな、ちょっくら行って片付けてくるわ」
彼は隣に立つ弁柄に言った。
「相手は紅国守人茜色、充分気をつけろ」弁柄が全く表情を変えずに答える。
オクサイドはにっと笑った。
「相手に不足なしだぜ!」
そう言ってリングのほうへと足を伸ばした。
(紅国守人。その力がいったいどれほどのものなのか)
弁柄がやけに真面目な顔で思う背後で、リーダーのバーントシェンナは相変わらずいびきをかいていた。
三階の客席にせり出す楽坊特別室では、楽師たちが皆ソファに座って会場を眺めている。
その中でマゼンタ、シェル、ポピーの三人も前列のソファに並んで座っていたが、ポピーが唐突にマゼンタに尋ねた。
「茜色家ってクリムスン家のライバルなんでしょう?」
「そうなの?」とシェル。
「ああ」二人のほうに顔を向けてマゼンタは答えた。
「いつも武闘大会で優勝を競い合っているんですのよね」
「そうらしい」
シェルが顎に指を当て、
「今まであんまり気にしてなかったけど、そういえばそうだったかも。毎回どっちかのチームが優勝してたっけ」思い出すように言った。
「でもどうしてライバルなんですの?」ポピーがさらに突っ込む。
「え?」と、シェル。
「守人同士だから?いつも優勝候補だから?」
「そう言われれば、なんで?」
「私にも詳しくはわからない」
二人の楽師に問われ、マゼンタはそう答えるしかない。
父クリムスンと茜色には負けられないプライドがある、と彼女は勝手に思っている。
兄コチニールは、二人が似ているからライバルなのだとも言っていた。
でも実際はなぜなのか、その理由はマゼンタにはわからなかった。
リング上で茜色とオクサイドが対峙している。
オクサイド、弁柄と同じ二十七歳。背が高く、体も普段からちゃんと鍛えている。カールした髪を肩まで伸ばし、服装はやはり弁柄と同じ、襟のついた足元まである布を着用し帯で締めていた。髪や瞳の色は少し暗めの赤茶色だ。
(ここで勝たなければ俺たちのチームは終わってしまう。だから絶対に勝ってバーントシェンナに繋げてやるぞ……!)
オクサイドが意気込んだ。
張り切ってるな、勝つ気満々か。
茜色は相手を眺めて微笑んだ。
が、茜色の表情にオクサイドのこめかみの血管が切れた。
(なんなんだその余裕は……!)
もう後のない彼を苛立たせるには充分すぎる微笑みだった。
「では第二試合、茜色選手対オクサイド選手、はじめっ!」
審判錆色の宣言に、観客の声が会場内に響き渡った。
「父上ーっ!ガンバレーっ!」
緋色も口元を両手で囲んで応援する。
(じゃあ早速……!)
オクサイドは茜色に殴りかかる。
しかし相手はそれをさらりとかわした。
東側の選手入場口前では弁柄が目を見張る。
「速い……!」
リングの上ではオクサイドが茜色に次々と拳を突き出すが、相手はそれを全てかわしていた。
(クッソ、全然当たらねえ!)
オクサイドが心の中で悪態をつく。
「オクサイド選手が茜色選手に殴りかかっておりますが、見事にかわされております!」
錆色が解説する。
西側の選手入場口前では、腕組をした猩々緋がオクサイドを睨んでいた。
「若造が、茜色様には指一本触れるまい」
楽坊特別室でも楽坊の主桃色と参謀パステルが、安心したように試合を眺めている。
「さすがですね」と、桃色。
「紅国守人茜色家頭首ですから、当然と言えば当然のことです」
パステルが大きくうなずいた。
二人から少し離れた所で、マゼンタは茜色の動きをじっと観察していた。
茜色はオクサイドの拳をよけ続けている。
でもそればかりで自分から攻撃を仕掛ける素振りは微塵も見せない。
リングで錆色が叫ぶ。
「茜色選手は試合開始からよけ続けているばかりで反撃する様子がありませんが、いったいどうしたことでしょうか⁈」
オクサイドも相手に殴りかかりながら言う。
「あんたさっきからよけるばっかでヤル気はあんのか⁈」
「もちろん」
茜色が微笑みを絶やさずに言った。
リング脇では猩々緋が鼻で笑っている。
反対側のリング脇では、弁柄が冷汗を垂らしていた。
「相手は余裕だ。むしろオクサイドが遊ばれている……!」
二階客席で緋色が両手を掲げる。
「父上ーっ!やったれー!」
楽坊特別室ではマゼンタが茜色の姿を追い続けていた。
茜色。
彼女は彼に初めて会った時のことを思い返す。
彼女が緋色に誘われ、茜色家の屋敷を訪れる。少年と共に机に向かって宿題をしていると、誰かが襖を思い切り開けた。
それが彼だった。
第一印象は物腰の軟らかい、全く守人らしくない男。
体型も、性格も、何もかもが全然守人にそぐわない。
彼女がクリムスン家の男たちに慣れていたせいもある。
でも、彼こそが茜色家の頭首であり、父上の最大のライバルだったのだ。
信じられなかった。
あんなに力がなさそうで、動きも鈍そうで、技も大したことがなさそうなのに……
けどそれを改めなくてはならない。
確かに力の強さという点では父クリムスンのほうが勝るかもしれないが、速さは、もしかしたら……
(なんでだ⁈こいつのスピードに、追いつけない……!)
茜色を殴ろうと、オクサイドは何度も拳を振るっていた。何度も何度も何度も何度も。
しかし相手はいとも簡単にそれをかわしてしまう。
当たったと思った瞬間があるにはあった。
でもそうではない。
完全に自分が遊ばれていたのだ。
これが、紅国守人一族茜色家頭首か……!
オクサイドがそう理解し始めた時だった。
「そろそろ閉めようか」
笑顔の相手が言った。
オクサイドははっとする。
気づけば彼は顎下から蹴り上げられていた。
「なっ……⁈」
東側の選手入場口前で弁柄が息を吞む。
「決まった」
西側の選手入場口前で猩々緋が述べた。
オクサイドは背中からリングに倒れた。
二階客席で緋色が感動のあまり言葉を失っている。
「オクサイド選手、ダウンです!カウントを始めます!一・二……!」
審判錆色が彼の近くでカウントを取る。
オクサイドは目をぐるぐると回して気絶していた。
「たった一蹴りでオクサイドが気絶しただと……⁈」
弁柄が我が目を疑った。
有り得ない、顎を一発蹴られただけだというのに……!
楽坊特別室では楽師たちが拍手を送っている。
「わー、スゴーイ!」シェルも例に漏れず手を叩いていた。
「さすが、紅国守人ですわよね。こうでなくては」と、ポピー。
二人の隣でマゼンタは茜色をじっと見つめていた。
紅国特別室ではガラス窓にへばりついた韓紅花姫が文句を垂れる。
「もう終わっちゃったー」
姫は幼いながら、試合をとても楽しみにしていたようだ。
それがこんなあっけなく決着がついてしまうとは。
上段端の席では姫と同じく、執政灰桜がつまらなそうにリングを見下ろしている。
クリムスン同様、あっさりしたものだ。
彼は茜色をそう評価した。
リング上で錆色が宣言する。
「勝者、茜色選手!よって茜色チームが準決勝進出となります!」
観客が会場中に声を響かせ、緋色はその場に立ち上がる。
「やったーっ!」
さすが父上っ!やっぱこうだよねっ!準々決勝なんかで負けるわけないもん!
緋色はそう確信してはいたが、やはり父の勝利する姿を見るのは嬉しくて仕方なかった。
少年の隣でストロベリーは拍手を送っていた。
(なんかあっという間に勝っちゃった!)
密偵の彼女はすっかり調査対象に肩入れをしていた。自分の本来の仕事を忘れて。
ストロベリーの隣では、彼女の上司であるローズがうんざりとしている。
一瞬で勝負がついてしまった。まったく、ここまでわざわざ見に来た意味があったのか?
試合に全く興味のない彼は、この時間を仕事に有効活用したかったと、後悔せずにはいられなかった。
担架に乗せられたオクサイドが白装束の男たちに運ばれていく。
リングの下でその様子を見送っていた弁柄は、
(こんな簡単に決着がついてしまうとは。きっと石読みを途中で遮られたからに違いない)
心の中でそう断言した。
彼の後ろで大きなあくびをする声が聞こえてくる。
「お、やっと俺の出番かい……?」
リーダーのバーントシェンナがむにゃむにゃと言った。
「いや、今俺たちのチームが負けたところだ」
弁柄は彼を振り返って伝えた。
バーントシェンナの目はまだ開き切ってはいなかった。
「へえーそうかい……え、負けた?」
「ああ」
「負けた?」
「ああ」
「負けたあっ⁈」
「だからさっきからそう言っている」
バーントシェンナが勢いよく立ち上がる。「なんでそうなっちまったんだよっ⁈」
「石読みで邪魔が入ったからだ」
「ふあっ⁈」
バーントシェンナ、四十一歳。大柄だが若干肥満体型。カールした背中までの髪、日に焼けた肌。服装は弁柄やオクサイドと同じで、髪や瞳の色はほんのり赤みの明るい茶色だ。
反対側の選手入場口前では、リングを下りた茜色が猩々緋の元に帰ってきていた。
「そんなに強く蹴ったつもりはなかったんだけど」
オクサイドが運ばれていった通路を見て茜色が言った。
「上手くヒットしましたからな」
「でも彼の拳は意外と強かったよ」
「しかし茜色様の敵ではござらぬ」
「まあね」
すると東側のリング脇から男の叫び声が聞こえてくる。
「なんで俺がなんもしてねえ間に負けてんだよっ!」
茜色と猩々緋がそちらの方角に顔を向けた。
声の主は試合中ずっと寝ていたバーントシェンナのものだった。
彼の図太い腕をチームメンバーの弁柄が必死に引っ張っている。
どうやら選手入場口から退場したいらしい。
「石読みを最後までやらせてもらえれば、こんなことにはならんかったさ……!」
弁柄が小言を漏らす。
「放せっ!放さんかこらあっ!」
「これからオクサイドの見舞いだっ」
弁柄とバーントシェンナが入場口に消えていくのを、茜色と猩々緋は啞然としながら見送った。
その様子を楽坊特別室からマゼンタが見下ろしていた。
これで父上のチームも茜色家のチームも、準決勝進出……
会場の近くにあるクリムスン家専用旅館の一室では、コチニールが室内の梁にぶら下がって懸垂をしていた。
一日でも体を動かさないと鈍ってしまう。しかも今は大会会期中。いつも以上に気が抜けない。
彼は額から汗を流しながら懸垂を続けた。
その側には例のごとく、眼鏡を掛けた男が立っていた。
彼は、
「というわけで、茜色チームも無事準決勝進出だそうです」
今日の試合結果を少年に報告した。
「無事って……」
「ここで負けてくれていたら王宮守人はこちらのものなんですがね」
「そう簡単にいくものじゃないんじゃない?」
「そうですね」
「次はまた僕たちの出番だね」
「ええ。明日、準決勝戦です」
コチニールは梁から手を放し、畳の上にとん、と足をついた。
「だよね」
途端に少年の顔が引き締まる。
「緊張してますか?」
葡萄が心配そうに尋ねた。
「ううん、まだだけど……」
でも、その時が近づけば近づくほど、きっと……
コチニールの中に不安がまた増幅しそうになった時だった。
部屋の襖戸が外側からさっと開けられる。
「ここにいたか」
頭首クリムスンが、背を屈めるようにして室内に入った。
「父上」
「どうかしましたか?」
クリムスンは神妙な面持ちで口を開いた。
「明日の準決勝の相手について、知らせておこうと思ってな」
「ああ」葡萄が顔を曇らせる。
「相手?」
「おまえを怖がらせるつもりはないんだが」
「え?」
「ちょっと厄介な相手なんでな」
父の言葉に、コチニールの心拍が一気に急上昇した。
楽坊の楽師が滞在する旅館の庭は、割とこじんまりとしている。
縁側のすぐ側に茶色い芝生がほんの少し生え、大きな岩がいくつか芝生を囲み、その奥は赤い葉を生やした木々が鬱蒼と茂っている。
辺りには可憐な花々が植えられているわけでもなく、池があって魚が泳いでいるわけでもなく、広大な芝生が広がっているわけでもない。
それでも代々紅国王宮楽坊は赤星武闘大会が開催される期間、この質素で趣のある旅館を定宿としていた。
夕刻、マゼンタはいくつかある岩の一つに腰掛け、セキエを奏でていた。
久しぶりに弾いたこの楽器はやはり弦が重く、初めは音が安定しなかった。
でも毎日時間のある時はなるべく触れて、以前の感覚を取り戻すように練習を重ねたら、だいぶまた慣れてきた気がする。
左手の指で弦に触れ、右手に持った弓で弦を撫でる。
こうしてセキエを練習していれば、それがツキソメを奏でる時の役にも立つだろう。
だが彼女が考えていたことは、今手の中にある楽器のこととは全く別の件についてだった。
(明日は父上のチームの準決勝戦。ここで勝てば次は……)
セキエも練習したいし、ツキソメも練習したい。
でもそれ以上に父クリムスンや兄コチニールのことが気になって仕方なかった。
赤星武闘大会は、ありとあらゆる武器を試合に持ち込める危険な大会。
銃は禁止されているようだが、それでも刀は勿論のこと、鉄球など中には目を疑うようなものを試合で使用する選手もいる。
それはこの前のコチニールの初戦で充分理解した。
父クリムスンのことは心配していない。でもコチニールは……?
当然兄のことも信じてはいるが、それでも……
すると、小さな足音がマゼンタに近づいた。
彼女は弓を動かす手を止める。
「桃色、様」
彼女の側に楽坊の主桃色が立っていた。
その顔はいつもと同じ穏やかな微笑みだ。
「マゼンタ」
桃色はそう言って、彼女が手にする楽器に視線を落とす。
マゼンタははっとした。
「あ……私は、ツキソメ奏者なのに、ツキソメではなくセキエを弾いていて、その、申し訳な……ございません」
「いいのです、構いませんよ」
桃色は相変わらず微笑んだままだ。
「でも……」
「セキエは不思議な魅力を持つ楽器ですね」
桃色の視線が楽器に張りついている。
「はい。なぜかわからないけど惹きつけられます」
「その気持ち、わかるような気がいたします」
見た目はツキソメと似ている。音も似ていると言っていいかもしれない。でも、こんなことを言ってはツキソメ奏者失格かもしれないけれど、でも……ツキソメより深く、大きく、伸びる……
桃色はぼんやりとしながらセキエを見つめた。
「桃色様?」
マゼンタの呼びかけに、桃色が我に返る。
「あ……存分に、弾いてください。それがツキソメの為に、なるのなら」
「はい」
そう言って楽坊の主は去っていったが、マゼンタは彼女の後ろで僅かに首を傾げていた。
その夜、クリムスン家の男たちが滞在する旅館では、コチニールがまた庭の池の側に佇み、いや、しゃがみ込んで膝を抱えていた。
その顔は深い闇の底にすっかり囚われてしまっている。
「なんで……なんで僕が……」
彼は日中父から受けた知らせを耳にしてから、ずっと同じ言葉を繰り返していた。
なんで……なんで……どうして僕が……
その様子を、旅館の窓から見下ろしている二人の人物がいた。
無論父クリムスンと葡萄である。
「どうして我々守人がよりにもよって……!」
葡萄が嘆いた。
予期していなかったと言えば嘘になるが、それでもこれはコチニールにはあまりにも過酷すぎる。
クリムスンは池の側にしゃがみ込む息子を見下ろして言った。
「これも一つの試練。コチニールにとっては通らなければならない道なのだろう」
次の日。
会場を訪れたカーマインは呆然とした。
「なんだこれ」
この前準々決勝戦を見に来た時は、明らかに紅国人が多くの席を占めていたが、今客席のほとんどは別の国の人間が独占している。
癖の激しい髪に日に焼けた肌、薄い顔。服装も紅国の民とはどことなく印象が違う。袖や裾の長さは一緒だが、首元に襟が付いているのだ。
その彼らが歓声を上げ、大いに盛り上がっていた。
二階客席通路で呆然とするカーマインの隣に立った葡萄が言う。
「今日は圧倒的に丹国人の数が多いですね……」
「相手チームの応援か」
カーマインが吐き捨てるように彼らを見回した。
一階客席では周囲の喧騒などいざ知らず、マゼンタが今回も最前列の席に座っている。
父クリムスンと兄コチニールの準決勝戦。
これを間近で応援せずにどうする。
彼女は冷静ながらもどこか気合が入っていた。
その時、誰かが自分の名を呼んだ。
マゼンタは咄嗟に振り返る。
「紅樺、様?」
執政紅樺が自分の側にある階段を降りてくるところだった。
「ここにいらしたんですね、かなり捜しましたよ」
そう言ってマゼンタの隣に立った。
「どうして」
「楽坊の方に伺いました。そうしたらこちらだろうって」
シェル……
マゼンタの脳内に、友人がニヤニヤと笑っている顔が流れた。
余計なことを。
「ここで観戦されるのですか?楽坊特別室があるのに」
「あそこはリングから遠い、ので」
「ああ、なるほど」
やはり気になるのですね。
紅樺は微笑みながら大きくうなずいた。
「隣に座っても?」
「あ……どうぞ」
執政は彼女の隣に腰を下ろした。
ちょうど人一人座れる場所があってよかった。
紅樺は心から安堵した。
「紅樺、様はここにいていい、んですか?」
「えっと、たぶん」
執政紅樺は苦笑いを浮かべる。
灰桜様に後で追求されるかもしれない……それが彼の心をよぎった。
リング中央に立った男が宣言する。
「赤星武闘大会十日目、クリムスンチーム対土器チームの準決勝戦を始めたいと思います!」
錆色の声に、観客が地鳴りのような歓声を上げた。
丁度そのタイミングで、二階客席に通じる階段を駆け上がってくる二人の人間がいた。
「間に合ったみたいだね」
緋色とストロベリーが通う塾の講師、アガットが息を切らして言った。
「なんとかな」彼の隣には同じく臙脂も顔を揃えている。
「というか、すごい応援」
アガットは会場を見渡した。
これはどう見ても紅国人ではない。
「丹国人?」
臙脂も瞬きを重ねた。
三階にせり出す紅国特別室では、韓紅花姫が前面の窓ガラスにへばりついている。
「すごー!」
姫はすっかり武闘大会に夢中になっていた。
試合のルールなどは恐らく把握していないだろうが、何か楽しいことが行われているというのはわかっているらしい。
その姫の後ろで、女官栗梅は今日もハラハラドキドキが止まらない。
姫様がどうか大人しくしていてくれますように……!
栗梅はそれだけを祈っていた。
上段中央の席には紅国の王紅色が座り、斜め後ろには退紅が控えている。
執政灰桜はやはり上段端の席だ。
「なんだか今までにない盛り上がりだね」
紅色王が微笑む。
「さようでございますな」と、顔の筋肉を一切動かさない退紅。
丹国のあやつらが出場するからか。
灰桜は会場を見渡してそう思った。
「これは丹色殿もさぞかし楽しみにしていらっしゃるだろう」
紅色王が口角を上げたまま言った。
その丹色王は紅国特別室の隣の隣の部屋で、窓ガラスに設置された長机の上に立って大声を張り上げていた。
丹色は体が大きい、体重もかなりある。
よって彼の声は窓ガラスをバリバリ揺らし、彼が踏み台にしている長机も今にも割れ落ちてしまいそうだった。
それでも王は叫んだ。
「ゆけ、おまえらっ!絶対に勝てえっ‼」
その隣で、当然ながら床の上に、王の補佐役鉛丹がちょこんと立っていた。
長い眉毛に長い顎髭をたくわえた七十五歳の鉛丹は、応援しているのかいないのか、ちゃんと目は開けているのかいないのか、よくはわからないが、自らの君主よりは行儀よく会場を見下ろしていた。
「ではクリムスンチーム、土器チーム、選手入場です!」
リングに立った司会者錆色が声を響かせると、西側の選手入場口から二人の人物が、東側の選手入場口から三人の人物が姿を現した。
西側からやって来たのは今回もやはり、クリムスンとコチニールだ。
コチニールの腰には前回同様、木刀が差し込まれている。
反対に東側からやって来たのは三人共二十代、よく鍛え抜かれた体を持つ男たちだった。
一階客席最前列に座っている紅樺が目をパチパチとさせる。
「あれ、クリムスンチームはまた一人足りないですね」
カーディナル……
マゼンタはもう一人のチームメンバーの名を心の中で呟いた。
結局彼は、今まで一度も姿を見せていない。
本当にやる気はあるのだろうか?
二階客席ではカーマイン、葡萄、ワイン、ボルドーが、彼らの後ろにはクリムスン家の男たちが何十人も座って身を乗り出していた。
「カーディナルの奴」と、ワイン。
ボルドーも、「また来てないのか」
二人は呆れ、葡萄も溜息をついた。
するとカーマインが、
「遅刻なんてありえねーけど、カーディナルなら問題ないって父上が言ってたぞ」
と、隣に座る葡萄に言った。
ところが眼鏡を掛けた彼は、「いえ、そうではなくて」と、言葉を濁す。
「じゃあなんだよ、兄貴のことか?なら初戦でだいぶ自信ついたんじゃねーの?準々決勝の後も余力あったみてーだし」
「相手チームのことですよ」
「相手?」
カーマインは、東側の選手入場口前に立つ対戦相手に目をやった。
三人の男たちは笑顔で客席に手を振り、客席からは野郎どもの図太い声と黄色い歓声が混じり合っている。
その光景を、西側の選手入場口前にいたコチニールも目にしていた。
コチニールの体が小刻みに震えている。
もはや自分の意志で止めようとさえしていない。
彼の隣に立つクリムスンは、コチニールをちらり見下ろした。
するとリングの上から、
「あのぉ、またお一人足りないようですが……」
錆色がクリムスンに声を掛ける。
「遅れてる、先に始めてくれ」
クリムスンは前回と同じように言った。
また……
司会者錆色は苦笑いを浮かべる。
遅れているのでは、致し方ありませんが……
「で、では、第一試合の選手を選んで参りたいと思います」
錆色が言うと、三階の天井に吊られた大型モニターが、選手の顔写真と名前を選別していく。
やがて表示は止まり、
「準決勝第一試合は、クリムスン選手対土器選手となりました!」
錆色が宣言すると、観客が地鳴りのような歓声を上げた。
二階客席の通路では、アガットと臙脂が手摺の前に立ったままリングを見下ろしている。
「クリムスン家頭首で彼女の養父だね」
「そうだな」
アガットの説明に臙脂が同意する。
一階客席最前列では紅樺が、
「この試合は安心して見ていられそうですね」
と、隣のマゼンタに顔を向けた。
しかしマゼンタは西側の選手入場口前を見つめたままだ。
彼女の瞳は兄の姿を捉えたまま離れなかった。
なんだか、コチニールの様子がおかしい……




