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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
55/130

第54話 コチニールの戦い


 葡萄(えび)とカーマインの隣に座っていたワインがリングを睨む。

「あいつ……!」

葡萄はそわそわと体を震わせる。

「な、なぜ彼は出てこないのでしょうか……」

三人で一チーム。それがこの武闘大会のルールだ。

なのに出て来たのは頭首クリムスンと息子のコチニールのみ。

もう一人のカーディナルという男はなぜ姿を現さないのか。

 リング脇、西側の選手入場口前では、クリムスンとコチニールが並び立ってリングのほうを向いている。頭首クリムスンはどっしりと構え、コチニールは緊張で落ち着かないように。

「カーディナル、来ないね」

コチニールが背後の入場口を振り返る。

入場口の奥は暗く真っ直ぐな通路が伸びているが、人の気配はない。

「ああ、だが問題ない」

「そうなの?」

これから試合なのに?

コチニールは父を見上げて啞然とした。

 リングに立っていた司会進行の錆色(さびいろ)が、苦笑いでクリムスンたちのほうを見る。

「あの、クリムスンチームはお一人足りないようですが……」

「遅れてるから先に始めてくれ」

頭首クリムスンは堂々と答えた。

「は、はあ、遅刻ですか」

一階客席でシェルが叫ぶ。「ええっ、そんなのありなの?」

マゼンタも無表情ながら何とも言えない顔をしている。

二階客席でもカーマインと葡萄が愕然とし、ワインとボルドーは両目を手の平で覆わずにはいられない。

 リング脇、東側の入場口付近では三人の選手がそれぞれ違った様子を見せていた。

一人は対戦相手が遅刻していると聞いてもにこやかだったが、他の二人はリング向こうのクリムスンを明らかに睨んでいた。

クリムスンを睨んでいた男の一人、巨体の彼が吐き捨てる。

「舐めやがって」


 リング上では予期せぬ展開に錆色が冷汗を流していた。

しかし自分は司会者であり審判だ。この場を何とか収めねば……!

彼は気を取り直すと、

「で、では、先に進めるといたしましょうか。大会のシステムで第一試合の選手を選んでいきたいと思います。大型モニターにご注目ください」

無理矢理笑顔を作った彼を救うように、三階の天井から吊り下げられた大画面が選手の顔写真と名前を高速で表示し、選別していく。

やがてモニターの表示が止まり、二人の選手を選び出した。

 「ぼ、僕だ……」

コチニールが目を見開いて言った。

クリムスンが隣に立つ息子を見下ろす。

初参加の大会、初戦の第一試合か……

「第一試合はコチニール選手対オックスブラッド選手となりました。それでは両選手、前へ!」

錆色の声が会場中に響き渡った。

 観客が歓声を上げる中、コチニールの弟カーマインは啞然としていた。

「しょっぱなかよ……!」

まさかこの中で一番緊張してる奴が一番最初に出なきゃなんねえだなんてっ……!

彼の隣で葡萄は両手を合わせ拝む始末だ。

「コチニール……!」

眼鏡の彼は今にも泣き出しそうだった。

おまえが泣いてどうする、泣きたいのは兄貴のほうだろ……!

カーマインは対戦相手のチームに目を向けた。

東側の入場口付近で三人の男たちが向かい合うように立っていた。


「あんなガキが相手とは」

巨体のオックスブラッドが嘆いた。

「でもあの子はクリムスンの息子で次期頭首だ。きっと相当鍛えられてる」

真面目を絵に描いたようなサーモンが警戒する。

「鍛えられてようと何だろうと今はただのガキでしかない、さっさと倒してくる」

そう言ってオックスブラッドはリングへと向かった。

サーモンは彼の後姿をじっと見送る。

するとサーモンの隣に顔立ちのよい蘇枋(すおう)が並んだ。

「彼なら大丈夫さ、だってどう見たって負ける相手じゃないだろう?」

蘇枋が微笑む。

「それはそうだが……」


 一階客席最前列ではマゼンタが兄コチニールを見つめていた。

相当緊張しているな……

体のこわばり、落ち着かない目の動き、それはリング脇と客席くらい距離があっても気づくことが出来た。

そこへシェルが唐突に尋ねる。

「コチニールってマゼンタのお兄さんなんだよね」

「ああ」

「弟じゃなくて」

シェルの目には、いや誰の目にもコチニールのほうが断然マゼンタより幼く見えた。

()()では私が一番年下で妹ということになっている」

これはマゼンタが養女として初めてクリムスン家を訪れた際に、カーマインが決定したことだった。

だからマゼンタにとってコチニールとカーマインは兄なのだ。

たとえ自分のほうが明らかに年上だとしても。

「うーん、それはよくわかんないけど」シェルが苦笑いを浮かべる。「でもとにかく、彼はまだ少年って感じがするね。なんか、本当に試合しちゃって大丈夫なのかなって心配になるよ」

マゼンタは兄コチニールに視線を向けた。

 コチニールは錆色の側に立つオックスブラッドを、不安そうに見上げている。

身長も体格も全然違う。きっと力の強さも、技術も、戦闘経験も、僕とは全然……

一度は吹っ切ったはずの不安や迷いがまた渦を巻く。

僕には無理、僕は勝てない、僕は……

「コチニール」

コチニールは父の声にはっと我に返った。

そして恐る恐る隣を見上げる。

父クリムスンはいつもと変わらぬ表情で自分を見下ろしていた。

父であり頭首の言葉が頭の上から降ってくる。

「稽古はおまえを裏切らない」

コチニールの中にこれまで積み重ねてきたものが瞬間的に蘇った。

「……うん」

コチニールの口角が少し上がる。

「さあ行って来い」

コチニールは前を向くとふっと息を吐いた。

彼はリングへと歩き出した。

(大丈夫、おまえなら越えられる)

クリムスンは息子の背中にそう呟いて、彼を送り出した。

 二階客席ではカーマインが、一階客席ではマゼンタがコチニールを見つめていた。

コチニールがリングに両手をついて体を引き上げる。

そのまま片足を掛けてリングへと上った。

彼は両足を揃えると前へ歩みを進める。

やがてコチニールはオックスブラッドの前に辿り着いた。


三階にせり出す楽坊特別室では、数人の楽師たちが行儀よくソファに座っている。

前列のソファ中央辺りには、楽坊の主桃色(ももいろ)と参謀パステルが並んで腰を据えていた。

「あの方が……」

「一応情報ではマゼンタの兄で次期クリムスン家頭首と呼ばれておりますね」

「兄?」桃色が不思議そうにパステルを見る。

「どこからどう見ても弟にしか見えませぬが」

 二人の背後のソファで会話を盗み聞きしていたポピーは呆れる。

兄だか弟だか、とりあえず見るからに圧倒的不利な戦いだということはわかりますわね。

敢えて見なくても結果は予想出来た。巨体の男と少年の戦いなのだから。

それでもとりあえずポピーはこの試合に付き合うことにしてやった。

 楽坊特別室の隣にある紅国(くれないこく)特別室でも、驚きや怒りの声が上がっている。

上段中央の席にどっかと座った紅色(べにいろ)王が口を開いた。

「彼はまだ子供ではないか」

王は目をぱちくりとさせる。

「さようでございますね」

王の斜め後ろに控える退紅(あらぞめ)が相槌を打った。

一応王に同意はしているが、そこにはなんの感情もない。

 その列の端に座った執政紅樺(べにかば)に関しては、怒りで声を震わせている。

「クリムスンはいったい何を考えてまだあんなに若い自分の子をこんな危険な大会に……!」

彼は前のめりになるのを必死に抑えた。

いくら近い将来、自分の大切な嫁になるであろう人の養父とはいえ、あまりに非道だ。

だが、自分の隣の席から異様に冷たい声音が伝わってきた。

「自分の子だからだろう」

執政灰桜(はいざくら)がリングの少年を見下ろしていた。


リングでは審判錆色がコチニールとオックスブラッドの間に立っている。

彼は明らかに身長差のある二人を見比べると、

「両選手出揃いました。それでは第一試合、コチニール選手対オックスブラッド選手、はじめっ!」

自分の声を会場中に響かせた。

客席から待ちに待ったと言わんばかりの声が上がる。

 「始まった……!」カーマインが息を呑んだ。

その隣で眼鏡の葡萄は相変わらず両手を合わせ、必死に拝み倒していた。

 リング上のコチニールは緊張していた。心臓の音が嫌でも耳に入る。

でも彼はなんとか落ち着こうとした。

今朝までの自分とはもう違う。

これまで積み上げてきたもの、幼い時から練習して稽古をして、強い人にいつも相手になってもらった。

それに気づけたのだから……

 少年の緊張に反し、オックスブラッドはつまらないように彼を見下げていた。

オックスブラッド、三十五歳。身長も体重もクリムスンを遥かに超えている。だがただの巨漢ではなく、ちゃんと鍛え上げた肉体だ。もさもさの短い髪に、小さな目、割れた顎、無精髭、袴服。髪や瞳の色は発色はいいが暗い赤色だ。

 審判錆色は選手二人から離れた所に立って、彼らの動向を見守りながら解説する。

「クリムスンチーム、オックスブラッドチーム、共に紅国人(くれないこくじん)同士の戦いとなります。クリムスンチームは言わずと知れた紅国守人であり、今回もメンバーは全員が守人で構成され、大会の常連であり優勝候補でもあります。対するオックスブラッドチームは三人共賞金獲得を目標に構成された、今大会が初出場のチームとなります」

 客席から笑いが起きた。

二階の席に座るワインとボルドーも顔を見合わせる。

「賞金獲得って」と、ボルドー。

「よくある話だな」と、ワイン。

 東側の入場口ではオックスブラッドチームのメンバー、サーモンが観客を睨んでいた。

「悪いか?」

その隣で同じくメンバーの蘇枋が微笑む。「お金は大事」

 リングでは錆色の解説が続いている。

「さて、コチニール選手は今大会最年少での出場となり、まだ幼さを残してはおりますが、次期クリムスン家頭首でもあります。反対にオックスブラッド選手は見るからに大きなこの体格。果たしてこのお二人はどうやって戦うのでしょうか」

コチニールはオックスブラッドを見上げた。

この人、ほんとに大きい。たぶん父上より……でも。

リング脇ではクリムスンが冷静に息子の背中を見つめている。

 その時、オックスブラッドが口を開いた。

「まったく、クリムスンの跡取りだかなんだかしんねーが話になんねえ。さっさと終わらせようぜ」

彼は既に飽きてしまったかのように言ったが、コチニールはさっと身構えた。

 一階客席でマゼンタが兄コチニールを見つめている。

次の瞬間、オックスブラッドの太い指がコチニールに掴みかかろうとする。

指はコチニールの襟元を真っ直ぐ狙っていた。

しかし少年はそれをあっさりとよけた。

 「兄貴……!」

二階客席のカーマインから声が漏れる。

 「こいつ……!」

オックスブラッドはさらにコチニールに手を伸ばした。

その手の形は今度は拳を形作っている。

だがコチニールはそれもよけた。

一瞬で頭に血が上ったのか、オックスブラッドは次々と拳を少年に向け始める。

けれどもコチニールは体をあらゆる方向に捻り、全てをよけてしまった。

「オックスブラッド選手、コチニール選手に猛攻撃を仕掛けておりますが、全てかわされております!」

錆色が興奮したように言った。

 リングの下ではクリムスンが息子を見つめている。

「言った通りだ」頭首は確信して呟いた。

 二階客席のワインとボルドーも笑みを浮かべる。

「稽古の成果出てるな」

相棒の言葉にボルドーが首を縦に大きく振った。

 一階客席最前列でもシェルがはしゃいでいる。

「マゼンタのお兄さんスゴイ!」

「そうだな」

まあでも……

マゼンタの瞳にリング場で動き続ける兄の姿が映し出されている。

相変わらずオックスブラッドがコチニールに殴りかかり、コチニールはそれをいとも簡単によけ続けていた。

(この人、家のみんなより遅い)

コチニールはオックスブラッドの拳をよけながら思った。

僕はいったい、何を恐れていたのか……

「舐めるな、ガキぃぃっ‼」

オックスブラッドが腕を大きく引く。

その瞬間をコチニールは見逃さなかった。

コチニールはオックスブラッドより先に、相手の胸を蹴り上げる。

その衝撃は思ったよりも大きかった。

 「あっ!」

二階客席でカーマインと葡萄が声を漏らす。

 一階のマゼンタとリング脇のクリムスンもその光景を冷静に眺めていた。

リング上のオックスブラッドがふらつく。

その隙を狙い、コチニールは彼の腹に拳を一発お見舞いした。

オックスブラッドの腹が深くめり込み、彼は目を見開く。


「あの子やるね」

東側の選手入場口前で蘇枋が感心した。

その整った顔には笑顔が浮かんでいる。

「そんなのほほんとしてる場合じゃないだろっ!」

サーモンがキレた。

攻撃を受けたのは自分たちのチームメンバーなのだ。なのにこいつは……!

「あははは」

笑っている。しかもなんの悪気もない!

「蘇枋ーっ……!」

サーモンは思わず彼の襟元を掴みかかりそうになった。

「だってしょーがないじゃん?クリムスンの息子なんだしさ」

試合前とは言ってることが変わっている。

サーモンはリングを睨む。

やはりアイツの読みが甘かった……!


少年はさらに相手の腹をもう片方の拳で殴った。

オックスブラッドの巨体がリングから浮いた。

「ああっ!」

カーマインと葡萄が叫ぶ。

リングの端にオックスブラッドがどしりと倒れた。

「オックスブラッド選手、ダウンです!コチニール選手、まだ小柄ながらもなんというパワーでしょうか!」

審判錆色の声が響く。

 一階客席ではシェルが感動している。

「マゼンタのお兄さん、強いね……!」

少年とか言ってごめん!

横笛奏者のシェルはコチニールを心から見直していた。

彼女の隣でマゼンタは、

(最後にコチニールの稽古を見た時より遥かに上達している。いったいどれだけの練習を積んできたのか)兄の上達にちゃんと気づいていた。

 審判錆色が仰向けに倒れたオックスブラッドに近づく。

「ではダウンですのでカウントを取ります!一……!」

二人から少し離れた場所で、コチニールはポカンとしていた。

え……こんなあっさりでいいの?僕ほとんど何もしてないよ。

腹に拳を一発、その後もう一発、計二発。

それだけ、なのに。

……すると、オックスブラッドがゆっくり上体を起こした。

コチニールははっとする。

 「げっ、起きた」シェルが顔を歪める。

リング上のオックスブラッドは、唸り声を上げて立ち上がった。

「おっと、オックスブラッド選手、立ち上がりました!なのでカウントは一旦ストップさせて頂きます」

そう言って錆色が巨体から離れる。

 「マジかーっ!」と、カーマイン。

「なんなんですか、もうっ!倒れたままで大丈夫ですよっ!」

葡萄が前のめりで叫んだ。

 腹を押さえたオックスブラッドは、「ったく、とんだガキだぜ」と、体勢を整える。

(やっぱりこれだけじゃ終わらないよね……!)

コチニールが身構えた。

「まさかガキ相手にこいつを使うことになるとはな」

 オックスブラッドの言葉に、リング脇にいたクリムスンがピクリと反応する。

 その反対側ではオックスブラッドのチームメンバー二人が瞼を持ち上げた。

「おっ」蘇枋が心躍らせる。

「まさか」サーモンは口を開け放つ。

 オックスブラッドが自らの服の隙間に手を突っ込んだ。

そしてそれを引っ張り出す。

彼の手の中には太い鎖が握られている。その先には巨大な鉄球がぶら下がっていた。

オックスブラッドは鎖を緩め、鉄球をリングに放る。

巨大鉄球はドスンと音を立て、リングにめり込んだ。


















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