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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
54/130

第53話 クリムスン家初戦


 大会はいたって順調に進んだ。

勝者はそのまま取り残され、敗者は会場近くにある病院に送られる。

どの試合もそれを繰り返していった。

 そうして大会八日目。ついにその日はやってきた。

朝、クリムスン家の男たちが滞在する専用旅館の一室では、ワインとボルドーが畳の上に並んで、腕立て伏せをしている。

これは日課だ。

たとえ自分がいる場所がどこに変わろうとやらない日はない。

二人は朝から元気よく上腕を鍛え続けた。

そこへ部屋の障子戸がさっと開かれたと思うと、眼鏡を掛けた葡萄(えび)が室内に踏みこんだ。

その表情はどこか焦っているように見える。

「コチニールを見かけませんでしたか?」

挨拶もそこそこに彼は尋ねた。

ワインは起き上がると、「見かけてないよ」葡萄に言った。

「そうですか」

「いないの?」

「ええ」

いったいどこへいったんだか。まさか、

葡萄の脳裏にとある不安がよぎる。

逃げた……?

コチニールが旅館を抜け出し、一目散に走り出す光景が見える。

やっぱり僕には試合なんて無理だ!みんなごめん!

 でもすぐに眼鏡の彼は首を横に振った。

いやいや、コチニールに限ってそれはありえません……!

「きっとどこかで緊張をほぐしてるんじゃないか?」

畳に正座をして葡萄を見上げたワインが言った。

「そ、そうですね」

「いよいよ今日が初戦だもんな」

体を起こしたボルドーも言う。

「なんか俺たちまで緊張するわ……」と、ワイン。

三人の男たちは、はあっと溜息をついた。



 その頃旅館を取り囲む森の中では、コチニールが一人黙々と走っていた。

試合から逃げるためではなく、体をほぐすために、である。

彼は息を切らしながら、それでも走った。

何かを振り払うように、自分の弱さに立ち向かうために。

大丈夫、今日までずっと父上に稽古をつけてもらったし、ワインやボルドーにも相手になってもらったし、カーマインとも練習したし、だから、だから……!

少年は何とか自分を落ち着けようとした。

大丈夫、大丈夫と声を掛け続けた。

 ふと、彼は足を止めた。

茶色い葉が茂る木々の奥に、大きな灰色の岩が一つ落ちている。

その岩の上にがたいのよい大きな男が座禅を組んで、ひたすら目を閉じていたのだ。

「父上……」

思わず漏らした声に父クリムスンは静かに目を開けた。

「あ、ごめん、邪魔しちゃった……」

「いや、いい」

息子の姿に気づいた彼は言った。

コチニールがトボトボと父親に近づく。

「不安は拭えたか?」

いつもなら背丈のあるクリムスンが息子を見下ろすのだが、岩の上に座っているおかげで視線の高さがコチニールと同じくらいになった。

「うっ、そ、それは……」

父の問いに瞳がブルブルと揺れ動く。

もう不安はないって、カーマインみたいに自信満々だって、言えたらいいけど、でも、今の僕は……

「父上」コチニールは顔を上げて言った。

「なんだ?」

「父上が初めて大会に出場した時は、どうだった?僕みたいに緊張した?」

クリムスンは不意に動きを止めた。

それは何かを思い出すようでもあり、何かを懸命に考えるようでもあり、とにかく目の瞬きさえ止まってしまっている。

コチニールはなぜ父がその状態になったのかわからず、僅かに首を傾げた。

 しかし数秒の後、クリムスンが口を開いたかと思うと、

「私はそういうのに鈍いタイプのようであまり緊張しなかったよ」

少年は目を丸くする。「すご……」

さすが父上……僕とは全然違うんだな……

「むしろ様々な相手と戦うことが出来ていい経験になったし、楽しかった」

「楽しかった?」

「普段なかなか出会うことのない相手と、多種多様な戦法で戦えるというのは貴重だからな」

コチニールは啞然とする。

そんな風に思えるだなんて、余裕ありすぎだよ……

父は目の前の息子を見つめた。

コチニールはがっくりと肩を落としている。

やはり言うべきではなかっただろうか。

でも本当のことを言わずに隠すほうが不自然だ。

「コチニール」

父に呼ばれて少年は顔を上げる。

「はっきり言っておまえはなんの問題もない」

「……え」

「生まれてこの方私や多くの男たちと日々稽古を重ねてきたんだ。だからおまえはもう充分、強いぞ」

クリムスンは至極当然のことを述べた。

弱いだの不安だの自信がないだの、それら全ては思いこみでしかない。

コチニールは父の言葉にはっとした。

「うん、そうだね」

そうか。

僕は生まれてきてから今まで、ずっと強い人たちに、父上に稽古をつけてもらったんだ。

だから大丈夫なんだ……!

息子の瞳に光が戻ったのを確認すると、クリムスンはほんの少しだけ口角を上げた。




 ここの所雨が降らない。

武闘大会は開会式を迎えてからずっと、秋晴れの日が続いている。

会場から臨める空も常に淡いピンク色の空で、観客は天候の心配をする必要もなく試合を楽しんでいた。

ところが今日になってどこからともなく雲が顔を出した。

白い雲は最初は小さな綿飴のようだったが、どんどんその数を増し、今では灰色の分厚い蛇のように空を覆っている。

雫さえまだ降り注いではいないが、いつどうなってもおかしくない空模様だった。

客たちがざわついている。

無論天候のせいではない。

これから登場するチームが紅国(くれないこく)を代表するチームの一つであり、優勝候補でもあるからだ。

そのため彼らは大いに賑わった。いったいどんな試合を見せてくれるのか、と。

 三階客席にせり出す紅国特別室でも王族や執政の面々が顔を揃えていた。

上段中央の席には紅色(べにいろ)王、その斜め後ろには退紅(あらぞめ)が控え、室内には試合に興味のある執政官が幾人か、心地のよい椅子に深々と腰を掛けている。

 執政官の中には灰桜(はいざくら)紅樺(べにかば)の姿もあった。

二人は今回もまた上段端の席に座り、会場を見下ろしている。

「いよいよクリムスン家の初戦か」灰桜が口火を切った。

「はい」

そう、マゼンタの家の方々です。将来私と家族になる可能性が、いえ、家族になる方々ですから、応援しないわけには参りません!

紅樺は自分が試合に出るわけでもないのに拳を固く握りしめると、隣の執政に尋ねる。

「クリムスン家と茜色(あかねいろ)家。優勝したほうが王宮守人(おうきゅうもりひと)になるのですよね?」

「ああ。決勝まで残り、勝てばの話だが」

「もちろん残りますとも。例年そうではありませんか」

「さあ、一筋縄でいけばよいがな」

灰桜が妖し気に微笑んだ。


 会場中には楽坊の楽師たちにも特別室があてがわれた。

三階の紅国特別室の隣は朱国(しゅこく)特別室だが、その反対隣りの一室は開会式に貢献した楽師たち専用の観戦部屋だった。

部屋の作りは朱国特別室や丹国(にこく)特別室とほぼ同じ。

しかし室内は前面のガラス窓のほうを向くように、ソファのような長椅子が二列に並べられている。

背後の壁の真ん中にはめこまれたガラスケースの中には、豪華な装飾のライフルらしき銃と銃弾二つが飾ってあった。

今大会で役目を終えた楽師たちはのびのびとソファに座ったり、会場を眺めて話に花を咲かせている。

或いは壁にはめこまれたガラスケースの前に立ち、中のライフルを覗きこんでいる者もいた。

「綺麗な銃ですわね」

「これ本物ですの?」

「どうなのかしら」

その時部屋の扉が開いて、楽坊の主桃色(ももいろ)と参謀パステルが入室した。

室内でのんびりとしていた楽師たちは途端に身を引き締める。

桃色とパステルは前列のソファに並んで腰を掛けた。

後方の壁際でライフルを覗きこんでいた楽師たちは声を潜めて言う。

「桃色様とパステル様が見学されるということは、紅色陛下もこの試合をご覧になられているということですわね」

「陛下は自国の方々が出場する試合は必ず見学されるそうですものね」

その瞬間、ソファに掛けていたパステルが彼女たちをじろり振り返った。

声を潜めていた楽師たちはひゃっと縮こまる。

何かまずいことを言いましたかしらっ……?

 しかしその空気を破るようにまた扉が開かれると、外からポピーがやってきた。

彼女は室内をぐるり見回す。

でも目当てのものは見つからない。

「もう、あの子たちどこへ行ったのかしら」


 会場の一階客席最前列にマゼンタが座っていた。

場所はちょうど東側と西側にある選手入場口の中間辺り。

ここなら両選手の姿も審判もよく見える、そう思って選んだ。

周囲の客たちは最初、楽師である自分がここにいることに驚いて指を差していたが、今では皆、これから始まる試合のほうに気を取られている。

 観客席はほぼ埋まりつつある。

赤星中から人が集まっているとはいえ、客のほとんどはやはり紅国人(くれないこくじん)のようだ。

「あーっ、ここにいた!」

背後からやけに高い声が響いて、マゼンタは振り返った。

楽坊の友人シェルが階段をとんとんと降り、すぐ側にやって来る。

「随分探したよっ」

「わざわざ客席に来なくても、楽坊の特別室で見ればいいのに」

「それを言うならマゼンタだって」

シェルはマゼンタの隣にすぽっと収まった。

彼女は早速目の前の光景に気づくと、「でもここ選手たちにすっごく近い」感心したように言う。

「ああ」

「いよいよクリムスン家の初戦だね」シェルがマゼンタに視線を戻す。

「ああ」

「やっぱ気になるよねー」

「まあな」

二人の楽師は今一度リング全体を見渡した。


 その頃二階客席通路では、マゼンタの兄であるカーマインが客席をきょろきょろと見回していた。

その顔は何かを探してはいるのだが、彼にしては珍しく、どこか緊張感を漂わせてもいた。

ウチの奴らの席は……

クリムスン家の人間が一所(ひとところ)に固まっていればすぐにわかる。

あそこまで鍛えまくっている男たちの集団などそう多くはないからだ。

案の定、二階のとある客席一帯に、やけに屈強な男たちが腰を掛けていた。

その中には一人だけ妙にほっそりとした人間も紛れこんでいる。

「いた!」

カーマインは彼らのいる場所に走った。

「葡萄!」

彼らの中で唯一、やけにほっそりとした男が振り返る。

葡萄と呼ばれた眼鏡の彼は、緊張のあまり顔を極限まで引きつらせていた。

カーマインが彼らの座る席に近づく。

「やっと見つけた!」

「い、いらっしゃい」

葡萄の奥には男衆の纏め役ワインとボルドーも揃っていた。

「おおカーマイン」と、ワイン。

「来たのか」と、ボルドー。

「ったりまえだろっ」

そう言ってカーマインは葡萄の手前に腰掛ける。

「学校休んでも今日だけは絶対来るわ」

ワインは「兄貴の初試合だもんな」と、微笑む。

「ま、まあなっ」

カーマインは隣の葡萄に目をやる。

葡萄の目元も口元も、緊張のしすぎでぴくぴくと痙攣していた。

「え、葡萄っ」

「な、なんですか?」

葡萄の声が裏返っている。

「とにかく落ち着け。俺たちが緊張しても意味がない、だろっ?」

「ええ、そ、そうですね」

カーマインと葡萄は同時に息をふうっと吐いた。

 その時一人の男が一階リングの中央に立った。

「では大会八日目、クリムスンチーム対オックスブラッドチームの準々決勝を開始いたします」

司会者兼審判の錆色(さびいろ)の声が会場に響き、観客が歓声を上げる。

カーマインと葡萄が緊張した面持ちでリングを見つめ、一階客席の最前列に座るマゼンタはいつもと変わらぬ表情で司会者を眺めていた。

マイクを通した錆色の声が続く。

「クリムスンチームはシード枠での出場なので今大会初試合となります。対するオックスブラッドチームは一回戦から順調に勝ち進んだ実力派のチームです。それでは両チーム、選手入場!」

司会者の声を合図に、西側の入場口から二人の人物が、東側の入場口から三人の人物がそれぞれ姿を現した。

西側の二人というのはクリムスン家頭首クリムスンと、息子コチニールだ。

二人共布を体の前で重ね合わせ、帯で締めた普段通りの格好をしている。

しかしコチニールの腰には父とは違い、木刀が差しこまれていた。

反対に東側の三人は、一人が飛び抜けて大きく、後の二人はいたって平均的な体格だった。

三人共二十代から三十代といったところか。

 観客の声が響く。

皆どちらのチームを応援しているのか、両方応援しているのか、ごっちゃになってよくはわからないが、非常に楽しんでいるのは確かなようだ。

 一階客席最前列に座っているシェルが言う。

「あの方がマゼンタのお父上とお兄様なのね」

「ああ」

「カッコイイ!」

シェルが瞳を輝かせる。

「そうか?」

「そうだよ!高いお背にがっしりとした体格、整ったお顔立ち、さすがクリムスン家頭首。お兄様のほうはまだ幼さが残ってるけど優しげな感じだしっ」

「はあ」マゼンタはポカンとしつつ言った。

そんなの今まで考えたこともなかった。

「って、あれ?ちょっと待って」

シェルが急に真顔になった。

 横笛奏者のシェルが気づいたように、二階の客席でもクリムスン家の男たちがざわついていた。

「父上と兄貴だけ?」

カーマインが不審な顔をする。

「これはいったい……!」

葡萄の頭も混乱した。

 同様に三階の紅国特別室でも執政官紅樺が言った。

「お一人足りないですね」

彼の隣に座る灰桜がリング脇に佇むクリムスンを見下ろす。

 一階客席に掛けていたマゼンタは大型モニターを見上げた。

三階の天井からつり下げされた大型モニターには、両チームの選手名が映し出されている。

(クリムスンチームの出場選手は、クリムスン、コチニール……カーディナル?)


















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