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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
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第50話 決意


 横笛奏者の悲鳴が室内に響き渡る。

ここは王宮楽坊の教室。楽坊に所属する楽師たちが皆で集まり、授業を受けたり楽器の練習をしたりする場所だ。

今は休み時間。彼女たちは仲のよい者同士集まって、いつものように雑談をしていた。

その時、横笛奏者シェルのけたたましい声が鳴ったのだ。

彼女は自席に座って隣の派手な少女に体を向けたまま固まっている。

悲鳴を上げさせた相手は冷静にシェルを見つめていた。

「ホ、ホントに⁈」

シェルの声が裏返る。

「ああ」

マゼンタは無表情で答えた。

そこへポピーが二人の側にやってきた。

「いったい何事ですの?はしたない大声を出したりなんかして」

ツキソメ奏者ポピーがシェルを咎めるように見下ろす。

「マ、マゼンタが……」シェルが声を震わせた。

「はい?」ポピーがシェルに耳を近づける。

紅樺(べにかば)様に求婚されたって」

ポピーは愕然とした。

求婚……求婚ですって……⁈

ポピーがシェルから赤紫色の少女に視線を移す。

相手は自分たちを交互に見ると「でも断った」淡々と言った。

「なんでえっ⁈もったいない‼」シェルが前のめりで叫ぶ。

しかしポピーは腕を組み、「当然でしょう」横笛奏者に言い放った。

「えっ、なんで当然⁈」

「だってこの子は王宮楽坊の楽師ですのよ。赤星最高峰の楽団のツキソメ奏者ですのよ。それを結婚なんかしたらここを辞めなければならないじゃありませんのっ」

「それはそうだけれどもさっ、せっかく求婚してくれたのにあっさり断るだなんて、しかも相手はあの紅樺様だよっ」

「相手が誰であろうと関係ございませんわ」

「えーっ……!」

シェルにはポピーの感覚が信じられない。無論マゼンタの感覚も。

けれど当の少女は紅樺の求婚とは全く別の件について頭を使っていた。

(それよりコチニールはどうしているだろう。大会に出ることにしたのだろうか?それとも……)

 兄コチニールが緋色(ひいろ)と共に楽坊を訪れた。

その理由は赤星武闘大会に出るよう父クリムスンから提案されたものの、どうしたらいいか迷っているという内容だった。

マゼンタは思ったことを兄に伝えた。

兄は何かが晴れたように緋色と去っていったが、その後の動向は彼女にはわからない。

コチニールは大会に出ることにしたのか?それとも辞退したのだろうか……?

 と、目の前の横笛奏者がマゼンタの顔を覗きこんでいた。

「ねえ、なにボーっとしてるの?」

少女ははっと我に返る。

「紅樺様のこと考えてたの?求婚を断っちゃったから?」

「いや、そういうわけでは」

「あなた最近なんだかお留守なことが多いみたいですわね」

「お留守?」マゼンタはポピーを見上げた。

「もし気を抜いているならあたくしが開会式の独奏を務めてあげてもよくってよ」

ポピーがにやりと微笑む。

「それは問題ない」

開会式の独奏箇所は私が務める。

「それより紅樺様の求婚だよ!あーもったいないもったいない」シェルが大声で言った。

「どこがもったいないんですのよっ」

ポピーがシェルに呆れる。

「二人は……」

そう言いかけたマゼンタにシェルとポピーが同時に視線を向けた。

「自分の人生について考えたことがあるか?」

「え?」

「唐突ですわね」

「二人共ずっと楽坊に務めるのか?」

少女は先輩楽師たちに尋ねた。

二人は今後どうやって生きていくのか、何か考えを持っているのか。

「今はそのつもりだけど、でもやっぱりあと何年かしたら結婚したいなぁ、家を継がないといけないし」

シェルが両手の指を組んで教室の天井を見上げる。

なぜかその顔は恍惚(こうこつ)としている。

「あたくしはずっと楽坊の第一線で活躍したいと思っておりますわ、家を継ぐ必要はございませんので」

ポピーは期待通りビシッと言い切った。

確かに行方不明事件の際、家には戻れないと言っていたな。

「そうか」

シェルもポピーも自分のことをしっかり考えている。私は、私は?

紅樺に言われた言葉がまた繰り返される。


「でも一生楽坊で生きるわけではないでしょう?」

「あなたにはあなたの人生があるのですから」


 私は今、クリムスン家のために生きている。

父クリムスンのために、兄コチニールとカーマインのために、葡萄(えび)のために、家の皆のために。

私が楽坊の楽師でいることで、それが家の役に立つのなら、私はこの場所にずっとい続けなければならない。

 でも……もし……

紅樺が言うように、私に私の人生というものがあるのなら、私はどうやって生きていきたいのだろう。

私は何をどうしたいのだろうか……




 クリムスン家の庭では頭首クリムスンとその息子コチニールが木刀で稽古をしていた。

コチニールが赤星武闘大会に出場すると決めてから、彼は学校が終わるとすぐに帰宅して、父に稽古をつけてもらうようになったのだ。

父クリムスンは多忙だ。だから時間がある時はそれがたとえ数分でも、稽古に付き合ってもらうようにした。

彼の手が空いていない時は勿論、ワインやボルドーがコチニールの相手を務めた。

コチニールが必死に木刀を振るう。その顔は真剣そのものだ。

これまでも体術なり剣術なり、一応真面目に稽古はしてきたものの、大会に出ると決めてからは気迫が違った。

クリムスンも息子の剣を真剣に受け止めている。

茜色(あかねいろ)家の者に勝つために、無駄な怪我を防ぐために、生半可な気持ちでコチニールを鍛えるつもりは毛頭ない。

 彼ら二人の姿を、縁側に立った葡萄はハラハラとしながら見守っていた。

コチニールの顔が今まで見たこともないほど鬼気迫っている。

「コチニール、あなたは本当に武闘大会に出場するつもりなのですね……」

眼鏡の彼はごくりと唾を飲みこんだ。

 その彼の隣でカーマインは父と兄の姿をじっと見ていた。

カーマインの拳が自然と握りしめられ、爪が手の平に食いこむ。

でも痛みなんか感じない。

手の痛みなど稽古を重ねた彼にとっては日常茶飯事だ。

そんなことより胸の奥のほうがずっと痛い。

「くそっ……!」

彼はそれだけ言って立ち去った。

葡萄がカーマインを振り返る。

カーマインの後姿は怒りを帯びているのに、どこか切なく、寂しげだった。




 マゼンタがパチリと目を覚ます。

王宮楽坊の自室、時刻は早朝だ。

部屋と廊下を隔てる障子戸の向こうは、やっと白んできたところか。

彼女は布団の中に入っていた。

これまでは朝方まで、何なら一睡もせずツキソメの練習に明け暮れていたが、ここの所は少しだけ眠るようにしている。

左右の部屋の楽師から、さすがにうるさくて眠れないと苦情を受けたからだ。

練習は午前零時を迎える頃までに留め、あとは早朝に回す。

そのほうが周囲の楽師にとってありがたいらしい。

(朝か……)

マゼンタは上体を起こした。

しかしとある思いがまた彼女の脳を占める。

コチニールは、出場を決めただろうか……

 赤星武闘大会。刀剣など武器を自由に持ち込める、危険極まりない大会。

対戦相手は星中から集まる強者(つわもの)揃いで、その中には勿論茜色家の者たちも存在する。

そこにコチニールがクリムスン家の選手として選ばれた。

齢十四。だけどクリムスン家の跡取りだから。

「おはようございます」

マゼンタの思考が止まる。

障子戸の向こう側から女官の細い声がした。

こんな朝早くに何事だろう。

「何か?」

マゼンタは障子戸を隔てて廊下に正座をしている彼女を見つめた。

「執政の紅樺様からご所望の依頼を伺っております」

その言葉に赤紫色の少女は口をポカンと開け放った。




「朝までおまえの稽古に付き合わされるとは」

「いいじゃん!カッパーの練習にもなるんだし!」

練習って……

カッパーは緋色の拳をよけながら呆れた。

 平日の朝、茜色家の庭では緋色がカッパーと体術稽古をしていた。

学校に行く前の時間、起きて朝ご飯を食べてすぐ、少年はカッパーを稽古に付き合わせた。

カッパーは当然寝起きだ。朝食もまだである。

それでも緋色に寝床から引っ張り出され、こうして寝ぼけたまま拳や蹴りをよけさせられている。

 二人の体が颯爽と反応する。髪や衣の先が揺れる。

両者ともに寝癖まみれだが直す暇もない。そもそも寝癖がついていることにも気づいていないし、寝癖を直す必要があるとは思っていない。

一方はただ強くなるために稽古をして、一方はただ稽古に付き合わされているのだ。

 その二人の様子を、頭首茜色が縁側から眺めていた。

彼は特に息子の緋色をじっと見つめていた。

力が増している。強さも、速さも、技も、相手の動きを読み取る能力も、次にどうすればいいのかも。

ついこの間、学校帰りや休日だけ稽古をしていた時とは段違い。さらにレベルが上がっている。

「緋色、おまえは……」

彼がそう呟いた時だ。

廊下の奥からバタバタと近づいてくる足音がしたと思ったら、

「茜色様、大変な情報が入りましたぞ!」

「朝からいったいどうしたんだい?」

彼は慌ててやってきた猩々緋(しょうじょうひ)に尋ねた。

「なんと、クリムスン家のコチニールが大会に出場するらしいとのこと!」

「えっ?」

茜色が目を見開く。

同時に庭でカッパーに拳を突き出していた緋色は、猩々緋の言葉に耳をピクリとさせる。

コチニール、やっぱ決めたのか……!

緋色は思わず笑顔をこぼした。

あんだけ悩んだんだもんな、そりゃ出なきゃもったいないよなっ!

と、少年ははたと動きを止めた。

稽古相手カッパーは僅かに首を動かした。

今までずっと続いていた緋色の拳や蹴りが突然止まったと思ったら、縁側にいる茜色の元へ駆け出したのだ。

「父上!コチニールが出るならオレも出たい!」

「緋色」

「何を言っとりますか、緋色様はまだ十歳、あっちのコチニールは十四歳ですぞ……!」猩々緋が少年を見下ろして言った。

「四歳しか違わないじゃん」

「四歳もにございます。それに身長も体格も全然違うではござらぬか」

「そんなことない!オレだって大会に出れるっ!」

緋色の勢いに猩々緋は若干戸惑った。

彼の上達ぶりは猩々緋も重々承知していたからだ。

「ダ、ダメにございます、今回は諦めなされ……!」

「なんでだよっ!」

「大きな怪我でもなされたらどうするおつもりかっ!」

「大丈夫だよ!そのためにカッパーと特訓してるんだし!」

少年にそう言わしめたカッパーは彼らをしれっと眺めている。

「だから大会に出させて!お願い!」

「い、いくら頼まれてもこれだけは賛成できませぬ、そうでしょう?茜色様」

猩々緋が隣に立つ頭首を見上げた。

茜色は何も言わずに息子を見下ろしている。

緋色は父にすがるように、

「父上お願い!この通り!絶対に大丈夫!絶対にケガなんてしないから!」

「緋色……」

「お願いしますっ!この通りっ!」

そうして勢いよく頭を下げた。

茜色は息子をじっと見下ろし続ける。

その間緋色は頭を下げ続けた。

 やがて茜色が口を開く。

「……おまえの気持ちはよくわかった」

緋色が頭を上げる。

父上、やっと、やっとわかってくれたのか!

少年の目はキラキラと輝いた。

猩々緋がうろたえる。「まさか、茜色様……!」

「でもやはり武闘大会におまえを出場させるわけにはいかないよ。親として、この家の頭首としてもね」

緋色の肩ががくんと落ちた。

「もう、こんなに頼んでるのになんでなんだよぉっ!」

少年の叫び声が家の敷地内に響き渡った。




 王宮楽坊の教室に今日は珍しい二人が揃っていた。

時刻はちょうど休み時間。楽師たちがあちらこちらで雑談する中、彼女たちは壁にはめこまれた障子窓の所に立って、庭園を眺めている。

季節が秋に移り変わろうとしていた。

しかし庭の草木はその色を一年中変えることはない。

春に赤や茶の葉が生え、それが秋まで続いたかと思うと、冬に枯れる。

またはそのまま年を越えてずっと生え続けるなど、植物の種類によってまちまちではあるが、枝も茎も葉も花も実も常にこの星に属する色であった。

「あの方も断られたというのによく所望できますわね」

ツキソメ奏者のポピーが外を向きつつ言った。

「きっとものすごく好きなんだよ、マゼンタのことが」

彼女の隣に立ったカンショウ奏者のシェルが答える。

 新人楽師のマゼンタと仲良くなって数ヶ月。

その間紅樺がマゼンタを所望した回数は三桁を超える。

なんという執念、いやさ、愛着だろうか。

「その精神だけは尊敬出来なくもないですわね」ポピーが目を細める。

 最初は所望されるマゼンタが羨ましくて仕方なかった。

なぜ自分ではなくあんな記憶喪失の、まともにツキソメを弾いてもこなかった出来損ないの楽師ばかり何度も何度も所望するのか。ポピーには信じられなかったし彼女が憎らしくもあった。

でもその所望がここまでとなると、さすがにちょっとやり過ぎだ。

ポピーは近頃やっとそう思えるようになった。

ああ、自分じゃなくてよかった、と。

「よっぽど惚れてるんだ、マゼンタに。それか、マゼンタの音に」

シェルの言葉にポピーは内心ギャッとなる。

執政が新人楽師に惚れるのはいい。

惚れているからこそ何十回も何百回も所望する、それならわかる。

だが惚れている対象が人間ではなく、音となると話は別だ。

たった数ヶ月しかツキソメを弾いたことのない新人の音と、生まれた時から十八年弾き続けた自分の音。

それを比べられたらはらわたが煮えくり返ってしょうがない。

「こ、こうしてはいられませんわ……!」

ポピーは踵を返すと自席へ急ぐ。

その背後でシェルが大きく首を傾げた。

 彼女たちが噂をした相手は王宮内にある自室の机の椅子に、ゆったりと掛けていた。

まるでこの間の実家での出来事は幻だったのではないかというほどの余裕っぷりだ。

「紅樺様の求婚を断ったから、もう所望されることはないと思っていました」

それがこんなに早くまた呼ばれるとは。

ツキソメを持ったマゼンタは机の向こう側にいる紅樺を見つめた。

この男、いったい何を考えているのやら。

「確かにあの時は断られましたが、所望はそれとは全く別物です。それに私はまだあなたを諦めたわけではありません」

「そうなのか?」

少女が目を丸くする。

所望は求婚とは関係ないということにも、紅樺が自分を諦めていないということにも驚きが隠せない。

「あなたに承諾していただけるまでありとあらゆる手を尽くしますよ」

彼がにこりと笑った。

マジですか……

マゼンタは無表情ながらも若干顔を引きつらせた。




「赤星武闘大会は約二週間かけて開催されます。場所はウルシヤマという温泉が湧き出る所にある会場で、側には出場する選手に何があってもいいよう病院もあります。選手の皆さんは会場近くの専用旅館に滞在することになっているんですけど、茜色家やクリムスン家、各国代表のお偉い方々はそれぞれ専用の旅館に滞在するそうです。ちなみに紅国(くれないこく)の王宮関係者や楽坊にも専用旅館があって、大会期間中はそこに滞在されるそうですよ」

 授業が始まる前、塾の教員室でストロベリーが説明した。

彼女の前には講師のアガットと臙脂(えんじ)がそれぞれ席に座り、教え子の丁寧な解説に聞き入っている。

「詳しいですね」アガットと臙脂の言葉が揃った。

途端にストロベリーは慌てて、「あっ、って、メディアが言ってました……!」

「ほお、メディアが」アガットが大きくうなずく。

彼女は苦笑いを漏らした。

(大会が近くなるとローズ一門も必然的にそういうネタが飛び交っちゃうんだよね)

王宮専属の密偵であるストロベリーは心の中で冷汗をかいた。

行方不明事件の時みたいに余計なことを言わないようにしなくては。

「はぁ、大会か……」

「緋色、大丈夫?」

ストロベリーが後ろを振り返る。

室内に簡易的に置かれた黒いソファの上で、緋色がぐったりとうつ伏せになっていた。

その状態は今まで見たこともないほどの憔悴(しょうすい)ぶりだった。

「大丈夫じゃない」

そう言うと少年はもぞもぞ体を動かして何とか仰向けになる。

いちいち体勢を変えるのも面倒臭そうだ。

「だってさ、いくら頼みこんでも絶ーっ対出してもらえないんだ」

少年の脳裏に父茜色の顔が思い浮かぶ。

自分の上達を見せつけても、言葉で頼んでも、頭を下げまくっても、ダメダメダメダメ……

 ストロベリーは彼の様子に溜息をつく。

クリムスン家の息子は出場することになったしね。

それを考えると緋色のことがいたたまれなかった。

 が、突然少年ははっとし、上体を起こす。

「今楽坊の専用旅館って言った?」

「うん」

「てことは楽坊も大会に来るの?」

「開会式で演奏するんだって。それが終わったら大会開催中は楽坊も自由に観戦するらしいよ。まあ紅色(べにいろ)王様が会期中ずっと現地にいらっしゃるからね」

「へーそうなんだ」

てことはマゼンタも会場にいるんだ。

少年の目がキラキラと輝き始めた。

「今何を考えてるんですか?」

講師アガットが少年に問う。

「ううん別に」

そうは言うものの緋色の表情は数秒前とは違い明らかににこやかだ。

それにつられてアガットも笑顔になったが、臙脂だけは二人に呆れていた。




 王宮楽坊の教室で携帯端末を手にしたポピーが、マゼンタとシェルの席の前に仁王立ちしている。

そんな彼女をマゼンタが見上げて尋ねた。

「コチニールの名前が出場者欄に記載されてる?」

「ええ、ほらここに」

彼女はマゼンタに携帯端末の四角い画面を見せた。

白い画面に黒い罫線が引かれた枠の中、確かに兄の名がある。

「そっか、マゼンタは携帯持ってないから知りようがなかったんだね」

「シェルもね」と、ポピー。

「あははは」

シェルとポピーが携帯端末を持つ持たないで言い合う最中も、マゼンタは画面を見つめていた。

コチニール、出ることにしたのか。

少女の胸の中がなぜか熱くなった。

その隣でシェルも画面を覗き始めた。

「えっ、十四歳?大会に出場するには若すぎない?」

「そうは思いませんわ。なにせあたくしはゼロ歳の時からツキソメに触っておりましたもの。十四歳なんてもうとっくに技術と表現方法を身につけておりましたわ」

ポピーが鼻高々に言った。

「それとは話が別でしょ」

「一緒ですわよ」

シェルとポピーがまた言い争う間もマゼンタは画面を見つめ続ける。

あんなに迷っていたのに、とうとう決心したのか。

マゼンタの拳にもほんの僅かながら力が入った瞬間だった。




 それからクリムスン家では頭首クリムスンと息子コチニールが稽古を重ね、茜色家では緋色がカッパーと稽古を続け、猩々緋は一人で槍を振り回し、茜色は座禅を組んで精神統一をし、王宮楽坊では桃色(ももいろ)もパステルも含めた楽師全員が曲を奏で終えた頃、楽坊内にあるマゼンタの自室では、彼女が大きな四角い木箱の中に次々と荷物を詰めこんでいた。

着替えの服に、開会式で着る衣装に、靴に、楽譜に、勿論ツキソメ、それと……

マゼンタは久々にセキエを手に取った。

逆三角形の胴から棹が伸び、弦が四本張られた楽器。

形、弓、音、どれもがツキソメに似た弦楽器。

 楽坊に招待される前までは塾講師のアガットからセキエを習っていた。

週に二日、タンジャリンの店でアガットや臙脂、ルビー、珊瑚(さんご)と共に演奏し、客にセキエの音を届けていた。

それが今やツキソメだけに向かい合う王宮楽坊の楽師だ。

数ヶ月前の自分がまさかこんなことになろうとは。

マゼンタは手の中のセキエを見下ろした。

(楽坊に来てからほとんど練習出来なかった。今はもうすっかりツキソメに慣れ切って、指が(なま)ってしまっただろうか)

 セキエはツキソメに似ているとはいえ、癖がものすごく強い。

はじめはとんでもなく耳障りな音しか出せなかったし、弦は重く、なかなか言うことを聞いてくれなかった。

でもずっと弾き続けていくと、音は伸びやかで深く、とても情緒豊かな楽器だ。

それはツキソメ以上といっても過言ではない。

セキエを一旦封じてツキソメを練習するようになった際、ツキソメはセキエと比べて軽く、随分朗らかな音を発すると思ったものだった。

「マゼンタ」

部屋の外でシェルが呼んでいる。

マゼンタは木箱の中にセキエを横たえた。

シェルが障子戸を開けて部屋を覗きこむ。

「荷造り完了?」

「ああ」

赤紫色の少女は横笛奏者に答えた。




 その日の朝、クリムスン家の門からは何十台という黒い車が出発した。

車高はどれも低く、四つのタイヤに支えられ、車体がピカピカに磨かれた真っ黒な車たちはゆっくり敷地の外に顔を出すと、皆同じ方角に向かって走り出す。

家の敷地を囲む白壁沿いに真っ直ぐ、まるでこれから何かに挑むように。

 その中の一つの車にコチニールが乗っている。

彼は後部座席に座り、隣には父クリムスンがどっしり腰を下ろしていた。

二人は何も言葉を交わさなかった。

ただ真っ直ぐ前を見つめていた。

 同じ頃、茜色家の敷地内にも何十台という黒い車が勢揃いしていた。

茜色家の男たちは皆、車の荷台に大きな箱やら風呂敷包みやらを詰めこんでいる。

そんな彼らの近くで緋色が父茜色に迫っていた。

「父上、大会会期中オレもずっと会場にいたい。それくらいはいいよね?」

「何を言っているんだい、おまえは学生だろう?」

「でもぉっ……!」

「明日の開会式が終わったら一旦家に戻ってくるんだ。そしてちゃんと学校や塾に行くんだよ、いいね?」

緋色少年は頭を抱えた。

なんで何もかもこう全部ダメなんだよぉっ……!

大会に出るのもダメ、会期中会場にいるのすらダメ、ダメダメダメダメ……!

彼は頭を搔きむしりながら奇声を発した。

その脇で猩々緋が頭首茜色に出発を促した。


















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