第3話 クリムスンの正体
(クリムスン、変身……⁈)
ワインの言葉に少女は呆然とする。
言葉が理解出来ないのではない、声が出ないわけでもない。ただ彼が発したその意味が彼女には理解不能だったのだ。
そうこうしている間もクリムスンが変身したという巨大な生き物、赤の色光クリムスンレーキは自身の背中から生えた鳥のような翼を羽ばたかせ、こちらへ直進してくる機械仕掛けの青の色光に向かって飛行していく。
少女はどんどん離れていく上空の赤い光を見上げながら、
「クリムスン、変身って、アレ、クリムスン……⁈」
「そうだ■」
「クリムスン、アレっ⁈」
「そうだ■」
「アレ、クリっ……⁈」
「そうだ■」
ワインは根気よく答えた。
彼女は目の前の現実を何とか理解しようと脳をフル稼働させる。あの巨大な生き物がクリムスン、あの動物のようなものがクリムスン、あの飛んでいるのがクリムスン、あれが……
一定時間、少女はぴくりともしなかった。その姿をはたから見たらまるで物言わぬ石像のように見えただろうか。
しかしその時は不意に解かれ、荒野に大声が響き渡った。
「ええええええええっっっっ⁈」
彼女は同様に心の中でも叫んだ。
(アレが、クリムスン――⁈)
その頃荒野上空では、クリムスンレーキに変身したクリムスンが翼を羽ばたかせて前進しながら、少しずつ近づいてくる青の色光を睨んでいた。青の色光は鋭角の翼を一瞬たりとも動かさずにただ自身から青い光を放ち、意思があるのかないのか彼のほうへと飛行してくる。
(こんな所までわざわざやって来るとは……!)
クリムスンはそう労うと、今はもう本来の自分の手とは似ても似つかない巨大な左手を開く。指は五本、爪は鋭く伸び、甲冑が指先までしっかりと覆っていた。巨大な手は勿論自分の思い通りに自由に動かすことが出来る。当然だが手だけではない。この全身が彼そのものなのだ。
クリムスンは開いた左手に意識を集中する。
突然、赤い光が左手の中に吸い込まれるように一気に集約され、細長い筒のような物を形創ったかと思うと、それは今の彼の体躯にぴったりな大きさの発射筒へと変貌した。
地上では少女とワインがクリムスンレーキと青の色光を見上げていた。
彼女は突如現れた発射筒に気づくと、
「なんか出た!」
「よく見える■」
ワインはもっとよく見えるようにするためか、両手を自分の目の上にかざす。
「あれは、なんだ?なんか、長い……」
「ああ、ランチャーだ■。銃だよ」
「ジュウ?」
少女は顔を下ろして何かを思案する。
(ジュウとは?……十?いや……銃?)
彼女ははっとしてワインを見上げる。
「銃⁈まさか、戦う⁈」
「いや、青の色光■一体だけって■■は……」
上空ではクリムスンレーキが手の中に出現させた巨大なランチャーを肩に担いでいた。その銃口は目の前に迫る青の色光に真っ直ぐ向けられている。
彼は青い光を睨みながら、
「偵察ご苦労」
大きな口元がそう言って引き金を引いた。
ランチャーの銃口から真っ赤な光が勢いよく発射されたかと思うと、それは青の色光へ一直線に向かっていく。
「ああっ⁈」
空を見上げていた少女から声が漏れる。
真っ赤な光線は青の色光にぶつかった……かに思われた。
しかし対象は瞬時に進行を止めると横に移動するように光線をよけたのだ。とても素早く動けるとは思えない外見なのに。
相手の反応を見たクリムスンレーキはさらに引き金を引く。
ランチャーの銃口からまた光が発射する。
ところが青の色光はその光線をもよけてしまった。
クリムスンは続けて引き金を引きまくる。赤い光線は対象を狙い撃とうと乱れ飛ぶ。相手は重厚な体躯を上手に操ってそれをよける。しばしそれらが循環した。
だがクリムスンは焦るでもなく他の手を使うでもなく、ただ引き金を引き続けているし、青の色光も全く反撃する気配を見せない。
少女は隣に立っているワインに視線を下ろす。
「なんか、戦う、じゃ、ない?」
彼は空を見上げながら、
「あの青の色光■偵察用だろう、戦闘■しに来たわけじゃない」
「テーサツ?」
「無駄にやり合っ■事が大きくなった■取り返し■つかないから■。こっちだって被害■受けたくない■」
彼女はワインの言葉を咀嚼しようとする。テーサツ?セントウ?ムダ?トリカエシ?ヒガイ……?途端に頭の中がグルグル回り始めた。
(なんだか、難しい言葉が、いっぱいだ……)
空の上では相変わらず赤い光線が四方八方へと輝きを放っていた。
ただし少しだけ変化したことがある。
僅かながら青の色光が光線の勢いに押され始めたのだ。
「ここに来るまでが精一杯で反撃する余力はもうないんだろう⁈ならばさっさと元いた場所へ帰るがいい!」
クリムスンレーキが叫んだ。
すると意外なことが起きた。
その声が届いたのか、相手は赤い光線をよけつつ本当に後退し始めたのだ。
クリムスンは威嚇するようにあらぬ方向へ銃口を向けて光線を放ちつつ、青の色光の姿を注意深く見張り続ける。
そうして対象が本格的にこの場を去ろうとするのを見て取ると、
「やっとか……」
クリムスンレーキはランチャーを肩から下ろした。
「青の色光、逃げる……!」
目を見開いていた少女が言った。
ずっと隣に立っていたワインもほっとしたように肩を下ろす。
「これ■任務完了だな」
上空では青い光が雲を越え、宇宙へと去っていく所だった。
その後姿を、空に浮かんだクリムスンレーキがじっと見つめていた。
地平線から日が昇る。
まさか荒野の真ん中で赤い光と青い光が交わっていたことなど真実ではないかのように全てを照らしていく。何も遮るものがないまっさらな大地と、そこに点々と張られたテントと、勿論平和な空も……しかし残り香はあった。
それは周囲に何もなく開けた場所を狙って降り立つ。赤い光を巨大な体内から輝かせながら。
だがその光はみるみるうちに小さくなったかと思うと、元のクリムスンの姿へと戻っていった。
彼は空を見上げる。その顔はどこかほっとしたようであり、まだ警戒を解いていないようでもあった。
と、どこからともなくこちらへ向かってくる二つの足音が聞こえてくる。
クリムスンが顔を下ろして足音の方向を確認すると、鮮やかな赤紫色の少女と自分に似た格好をした男が彼の元へ駆けてきた。
「おかえりなさい!」
辿り着くなりワインが言った。
クリムスンは答える。
「ただいま」
彼は同着した少女にも目を向ける。しかしながら彼女はクリムスンを見て魚のように口をパクパクさせていた。
クリムスンは首を微かに傾げ、
「どうし■?」
「さっき■■ずっとこんな感じ■」ワインは報告する。
それを聞いた大男は少しだけ心配するように、
「まさか、また言葉■喋れなくなったんじゃ……」
「そうじゃない!」
二人の男は彼女の反論に若干驚く。
「そうじゃ、なくて……!」
少女はもじもじと視線を外した。
(なんなんだ、この男は……!なんなんだ、変身するとは……!なんなんだ、あの色光ってヤツは⁈)
二人が向かい合っているのは彼女が眠っていた例のテントの中だった。
あれから何時間が経過したのか外はすっかり暗くなり、テント内の所々に置かれた灯りも心なしか寂しげに燃えている。
室内では小さな机と椅子二つが中央に引っ張り出され、少女とクリムスンがそれぞれの椅子に座っていた。ただし、少女にとっては丁度良いサイズではあったが、大男にとってはまるで子供の玩具のようで彼の多くが机からも椅子からもはみ出、尻の下のそれは今にも音を立てて壊れそうだった。だがクリムスンはそんなことを気にせず彼女に何かを教え、彼女も真剣に話を聞きながら机上を穴の開くほどに見つめていた。少女の視線の先には長方形のタブレット端末が置かれており、画面には赤の色光らしき生物と細かな文字がずらり表示されている。
彼が一旦顔を上げた。
「……という■■なんだ■」
彼女も同じく顔を上げる。
その目はグルグルと回り、まるで彼女の脳内そのままを表しているようだ。
(わからない……何を言っているのか、どういう意味なのか、全然わからない……色光って、こんなに難しいのか……?)
少女はクリムスンに色光について尋ねていた。彼も快く応じようとした。
しかし今の彼女には言葉も内容も難解だったらしく、何が何やらさっぱり理解出来ないようだ。
「色光■興味■持ってくれた■■嬉しい■、今のおまえ■■まだ難しい■思う■」
赤紫色の少女はがっくりと項垂れる。そうして思い浮かべた。
クリムスンレーキが飛行するところを、クリムスンレーキが青の色光と対峙するところを、クリムスンレーキがランチャーを構えるところを、クリムスンレーキが赤い光線を放つところを、クリムスンレーキが元の姿に戻るところを。
彼女は溜息を一つついて視線を上げる。
(結局、私がわかったのは、クリムスンはとんでもないということだけだ……)
日が燦々と照りつける中、男たちがせっせと働いている。彼らは大きな箱を抱えてテントを行き来し、中には数人がかりで箱を運んでいる者たちもいた。決して急いでいるわけではなさそうだがその動きには無駄がなく手慣れた様子で、どうやらありとあらゆる荷物を片付けているらしい。
するととある一つのテントの中からよく見知った大男が出てくる。彼は何かを探すように辺りに目を向けるが、探し物は視界にはなかったようだ。
「クリムスン」
大男は自分を呼んだ方向に目をやる。
大きな箱を抱えたワインが彼の元へと歩いてきて「どうかしました?」
「彼女がどこに行ったか知らないか」クリムスンはワインに尋ねた。
「いないんですか?」
「ああ」
「俺は見てませんけど」
「そうか」
大男はまた周囲に視線を走らせる。
「あの」
クリムスンは自分と似た格好をしたワインを再度見下ろす。
「なんだ?」
「あ、いや、ただ」
「言いたいことがあるなら言っていいんだぞ」
「あー、じゃあ……」
ワインは背が高かった。けれど自分よりもさらに背丈があって横幅もあり完璧に鍛え上げられた肉体を持つ大男を見上げると、明らかに己が小さく見えた。それでも思ったことを口にしようとした。大男には確かに威圧感があったのだが、それだけではないことを彼は知っていたからだ。
「どうするんですか、あの子のこと」
空は淡いピンク色で雲一つなく、空気は乾燥している。大地は赤みを帯びた土の色で、植物は一切生えていない。
景色は遠くまで見渡せたが、前後左右どこを向いても今いる場所と何ら変化はない。しかし地面に起伏は多少なりともあった。所々大地が盛り上がって丘を形成していたのだ。
少女はその丘の上に立っていた。ただ呆然と目の前を眺めながら。
私は誰なのか。名前は、年は、この場所で何をしていたのか。どこかから来て、どこかへ行こうとしていたのか。こんな何もない土の上でいったい何を。どこへ。何のために。
続けて彼女は考える。
なぜ声が出なかったのか。なぜみんなの言葉が理解出来ないのか。もし理解出来ていたら、昨日の色光の説明だって簡単に……!
その時だった。
「こんな所■いたのか」
少女ははっと振り返る。
そこには彼女にとってもう見慣れた大男が立っていた。
「クリムスン」
彼は鮮やかな赤紫色の髪と瞳を持つ少女の隣に立つと、
「ここ■景色が開けている■」
ぼそりと感想を述べた。
「私……」
クリムスンは思い詰めたような彼女に顔を向ける。
「思い出せない……声、出た。言葉少し、わかった。だから、記憶戻る、思った……」
なのに、わからない。自分のことがわからない。何一つ……!
少女はグッと拳を握りしめて下を向く。
すると大男は真剣な眼差しでこう言った。
「おまえ……私と共に来るか?」