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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
35/130

第34話 王宮専属密偵集団ローズ一門


 夏本番。

淡いピンク色の空は晴れ渡り、水分を含んだ空気はたっぷり重く、地上では赤みを帯びた植物たちが嬉々としてその背を伸ばしている。

目では確認出来ない大小様々な虫たちも昼夜問わず叫びだし、人々はうだるような暑さの中汗を拭きつつ、潤いすぎた体を引きずりながらもどこか高揚感に包まれていた。

 その屋敷の庭は相変わらず豪華だった。

何人もの庭師が定期的に手入れをし一切の乱れはない。

草木の丈、花々の配置、岩や足元に無造作に置かれたはずの小石の向きまで全てが完璧だ。

 しかし屋敷に人の気配はない。

いつこの場所を訪れても誰かが住んでいる様子は見受けられなかった。

こんなに立派なお屋敷なのに、もったいない。

それでも誰かが室内やその外観を掃除してはいるようで、決して埃が積もったり砂や土や雨風で汚れた痕跡は皆無だった。

家や庭だけ手入れしても、住んでいる人がいないんじゃねぇ。

近所に新しく住まう人間は皆口々にそう言った。

 けれど古くからそこにいる者は知っている。

時々、ほんの稀に若い男女がその屋敷に出入りするのを。

 彼らは地上には興味がない。

専ら屋敷の玄関をくぐると複雑に入り組んだ室内を通り抜け、突然ぽかりと空いた地下への階段を降り、無機質な廊下を進む。

そうして現れた一つの扉のドアノブを掴んで回したかと思うと、大量のモニターで覆われた室内に吸い込まれていくのだ。

一つ一つのモニターには紅国(くれないこく)中心部のありとあらゆる映像が映し出され、さらには瞬時に切り替わる。

モニターたちの前には一脚の黒い椅子が置かれ、いつものように男とも女ともとれる人間が一人、座っている。

一応、彼、は今日も着物をゆるりと着用し、壁一面のモニター全体を視野に入れて全てを把握するように眺めていた。

通常、彼は一人で仕事をしている。

その他の人間は紅国、或いはその他に出払って滅多に姿を現すことはない。

だがたまたま仕事の内容によって、対象によって、仲間が近くに存在した場合は、ちょくちょく顔を出すこともあった。

 紅国王宮付近のとある塾。

そこで対象の調査をしているストロベリーも例外ではない。

彼女は椅子に掛けてモニター全体を眺めている彼の隣に立ち、体を異様にくねくねさせながら何やら様子を窺っていた。

 ストロベリーが口を開く。

「もうすぐ花火大会だなー」

そう言って隣の彼をチラ見する。

彼、王宮専属の密偵集団ローズ一門の頭首、ローズはモニターを見つめたまま、

「そうだね」と相槌を打った。

話は聞こえている。しかし全く関心がない、そんな風だ。

「今年は行けるかなー」

今一度ストロベリーが彼を横目で見る。

「仕事が入らなければ行けるんじゃない?」

彼の答えに彼女はがくりと項垂れた。「仕事……」

せっかくの花火なのに、一年の内の最大イベントなのに、毎年毎年仕事仕事仕事仕事って……!

彼女は叫びたい衝動をぐっとこらえた。

 ストロベリーは十五歳。

幼い頃より対象を調査する術を教え込まれ、実際現場に派遣され、きちんと仕事をこなし、さらには今後の展開も予測し、依頼内容以外にも必要とあらば調査を続ける、そんなプロの密偵だった。

とはいえ遊びたい年頃であることに変わりはない。

塾に通うようになって周りの子供たちに触発でもされたのだろうか、ローズは画面を眺めながら思った。

 するとストロベリーの顔に光が差し、

「そうだ、緋色(ひいろ)を誘ってみようかな」声のトーンが一段高くなる。

「調査対象を?」

さすがにローズは彼女を見上げた。

「だめかな、でもたまには彼の素の顔も見ておかないと」

彼女はくねらせていた体を今度はもじもじさせる。

(たまにはって、塾も充分素の顔だと思うけどね)

頭首は心の中でそう言った。

「どうしよう、こ、断られるかな?」

ああ、またこれか。

彼女の心臓の音が充分に聞こえてくる。

ローズは半ば呆れつつ「まるで恋する乙女みたいだ」

「やだやだ恋する乙女だなんてっ、緋色はまだ十歳だよ、子供だよっ」

「冗談だよ」

「冗談ですかっ」ストロベリーは顔を真っ赤にして慌てている。

ローズは溜息をついた。

「誘うにしても何にしても、君は密偵だというのにまだこういうことに慣れないんだね」

「だってぇ」

十五歳の少女は足に視線を落としてまたもじもじを再開させた。




「あーもーなんでオレだけ居残りなんだよぉ。ちょっとばかし体術稽古してただけじゃねーかっ。なのに先生キビシすぎっ」

 少年は机から顔を上げてぼやいた。教室には自分以外誰もいない。

夕方の塾。子供たちは皆帰宅し、自分だけが取り残されて解きたくもない問題を解いている。

緋色は授業の前も休み時間も稽古に明け暮れていた。

ほんの僅かな時間を見つけては今自分に出来ることを精一杯やっていたのだ。

カッパーを倒すべく、カッパーから一本取ることだけを目標にして。

 でもそれが行き過ぎた。

授業が始まったのにも関わらず、先生たちの声を無視し……正確には彼らの声が耳に入らない程集中し、授業を遅らせてしまったのだ。

そのせいでこんなハメになっている。

彼は躍起になりながらまた机に向かった。

こんなもん、さっさと終わらせて、家帰ってカッパーと稽古を……!

 その時だ。

一人の少女が教室前方の扉からやってきた。

彼女は一番後方の席に座る緋色に近づくと、

「お疲れ様」そう声を掛けた。

何だか声が上ずっている?

けど少年は気にせず顔を上げて彼女の姿を視界に入れた。

「ストロベリー」

「課題、やってるの?」

布を体の前で重ね合わせる袴服を着用した彼女が問う。

「先生から言いつけられた」

「そっか」

ストロベリーは授業前の緋色と講師のやり取りを思い出して苦笑いになった。

「そっちは一回帰ったんじゃなかったの?」

「え?あ、えっと、帰ったっていうか……」

途端に彼女はドギマギし始める。

花火大会のことを言い出せなくて、一度外に出て、また戻ってきたというか……

いやいや、そんなことはいいの、今言わなくてっ……!

自分の頭部がやけに熱くなるのを彼女は嫌でも感じた。

でもとにかく、とにかく、言わねば、緋色に、言わなきゃっ……!

ストロベリーは息を大きく吸った。

「あ、あのさ」

緋色は彼女を見つめている。

そ、そんな純粋な瞳であたしを見ないで……!

ストロベリーは思わず顔を背けた。

「ん?」少年が首を傾げる。

彼女の心臓が口から飛び出そうになりながら、

「こ、今度、は、花火大会、あるじゃない?」

「ああ、そういえば」

「その、なんていうか、あたしと、一緒に、その……見に、行か、ない?」

ストロベリーは恐る恐る彼の顔を盗み見た。

緋色はポカンと呆けている。

や、やっぱり、ダメ……?

彼女のこめかみから一粒の汗が滑り落ちた。

 密偵として、やるべきことは自分なりに日々やっているつもりだ。

対象を調査して、報告して、何かあれば追加調査もして、また再度報告する。

だけどあたしは……とんでもなく人見知りだ――!

対象に接することなく調査するのはまだいい。

でも直接会って、話して、仲良くなるのに、とんでもなく時間がかかる。

一度仲良くなればその後は普通に話せるようになるけど、それまでは常に緊張しっ放し、言葉も嚙みまくり……!

それに深く関係を築くのに、自分から何かに誘うだなんて、もうっ、天が落っこちてきてしまうくらいに勇気がいるっ!

ぅああああんっ!

いくら夏の風物詩だからって、いくら自分が花火大会に行きたいからって、依頼だからって仕事だからって、いやさ、仕事の範疇を越えて対象を花火に誘うだなんて、気が狂ってるとしか思えないよねっ⁈もはや狂気の沙汰だよねっ⁈

あああああっ、言うんじゃなかったあっ!

ローズが仕事人間なのはわかってる、絶対一緒に行ってくれないって思ってた、だからってなんであたしは対象を誘っているんだこん畜生っっ‼

戻してえっ、数秒前の自分に戻してくれえっ‼

 ストロベリーがそう心の中で雄叫びを上げた時だった。

目の前の少年が勢いよく立ち上がったかと思うと、

「それいいじゃん!行こうぜ!」

「へ……?」

「だってたまには息抜きだって必要だし、稽古と勉強以外だって大切だもんな!」

そう言って緋色は笑顔を見せる。

全く逆の方向に物事を考えていた彼女はしばし呆然とすると、今度は違う意味で悲鳴を上げた。勿論、心の中で。




 王宮内にある紅樺(べにかば)の部屋は縁側の戸が全て開け放たれ、虫たちの恋の歌が大音量で流れ込む。

紅国の夏は蒸し暑い。でも耐えられない暑さではない。

 マゼンタは紅樺の机の真ん前に用意された椅子に座り、虫たちに負けじとツキソメを奏で続けていた。

が、不意に目の前の席に座る男が何かを口にして、その手は無意識に止まってしまった。

「花火大会?」

少女がたった今聞いた言葉を繰り返す。

「ええ、毎年恒例夏の風物詩です。夜空にたくさんの光が打ち上げられてそれは美しいので一緒に観に行きませんか?」

紅樺が薄っすら頬を染めている。暑いのだろうか。

「ふうん。でも私には楽坊があるから外出はできない、です」

マゼンタは淡々と述べた。

 彼女は楽坊に入ってから、一度も王宮の外へ出たことがない。

毎日授業と練習と紅樺の所望に応える日々を、ずっと送り続けていた。

「なら私が桃色(ももいろ)殿に話を通します。そうすれば外出できるようになりますよ」

彼の顔が輝く。

 少女には以前から気になることがあった。

この男の元に通うようになってしばらく経つ。

だから今が尋ねる頃合いではないだろうか。

「あの」

「はい」

「なぜそこまで私にこだわるのか、ですか?」

「え?」

紅樺の表情が一瞬固まる。

「私以上に上手くて経歴のある楽師はたくさんいるし、それにわざわざ外出までする必要がどこにあるのか、でしょうか」

マゼンタが素直に尋ねると、彼の頬がさらに染まった。

「そ、それはですね、私はあなたの演奏がとても上手だと思いますし、楽坊にいらして一度も外へ出たことがないなら、少しは気分転換も必要だと思いまして、演奏技術向上のためにも……!」

上手?気分転換?演奏技術向上?

「と、とにかく、桃色殿に話をつけておきますから、一緒に花火大会へ参りましょう、ね?」

彼女は不思議に思いながら紅樺を見続けた。




 楽坊の主、桃色の部屋では彼女が机の椅子に座りほっと一息をついていた。

大きな窓のないこの部屋は天窓はあるが嵌め込まれているため、日の光は燦燦と降り注いでも風通しはよくない。

しかも目の前に立った楽坊の参謀が今にも殴り込みに伺いそうな殺気を放っているせいで、なおさら室温が上昇していた。

「あやつがマゼンタ同伴の外出許可を求めてきたですと⁈」

パステルがブチ切れる。

「ええ、紅樺様が、です」

桃色は苦笑いを抑えて微笑みを浮かべる。

「どうしてあやつが⁈」

「マゼンタが楽坊に入ってから一度も外へ出ていないことを不憫に思ったそうです。それに花火大会も近いですしね」

「花火……!」参謀は天を仰いだ。「魂胆見え見えではありませぬか!」

桃色は努めて穏やかに、

「でも一理ありますよ、ずっと楽坊に閉じこもっていては演奏の幅も狭くなってしまいます。外の空気に触れて、色々なものを感じ取って、彼女自身の糧に出来ればと」

「まさか、お許しになるつもりですか⁈」

「ええ」

桃色のことは心から尊敬している。

奏者としても、教育者としても、人としても。

それでもパステルは本件について〝非難〟と顔に書かずにはいられなかった。

「なんと心のお広い……!私なら絶対にいたしませぬ」

だが楽坊の主から返ってきた言葉は意外なものだった。

「恋は表現を豊かにしますからね」

「……は?」

桃色がにこり微笑む。

 確かにその通りではある。人類の音楽の歴史において、その〝恋〟とやらが表現力を高めるのは充分理解している。しかし、しかしっ……!

パステルにはその相手が紅樺だということがどうにも納得いかなかった。




 ツキソメを抱えたマゼンタが教室の中へ入った。

外気温の上昇と共に楽坊のいたる部屋では窓という窓の障子が開け放たれていて、それは教えを受ける教室も同様だった。

 彼女が自席へと向かう。

その度に室内のあちこちで話をしていた楽師たちが彼女を見やった。

その目には冷たさと羨望と、中には怒りや嫉妬も交じっていたが、少女には慣れた光景だった。

「おかえり」

隣席のシェルが声を掛ける。

楽師のほとんどが自分に対して否定的な感情を持っているのに、シェルだけは最初からそういったものがない。

天然なのか、特殊なのか、鈍感なのか、逆に自信があるのか。

でもマゼンタはそんな彼女の性格に大いに助けられていた。

「ああ」

少女はシェルに近づく。

「どうだった?」

「一曲の予定がまた予想以上に膨れ上がった」

「あははは、紅樺様に相当好かれてるね」

「好かれてる?」

マゼンタは首を傾げた。

好かれてる、とは?

 その時、斜め後ろの方角からやけに(なま)めかしい声が降ってきた。

「誰かさんは随分と例のお方にご所望されるわよねぇ」

マゼンタとシェルは振り返る。

ポピーと彼女の取り巻き連中数人が背骨を反らすように顎を上げていた。

「本当よねぇ」取り巻きの一人がポピーに同意する。

ポピーは続ける。「もしかして所望されるのは演奏がご希望じゃないんじゃありませんの?」

「あら嫌ですわ」と、取り巻きの一人。

マゼンタはポピーを見つめ、「演奏が希望じゃない?」

「もしかしてもしかして誰かさんの演奏は本当はどおおでもよいのかもしれませんわね」ポピーがにやついた。

「あらまっ、なんて破廉恥(はれんち)な」

取り巻き楽師たちが口元に手を当てる。

「もう、あなたたち想像力(たくま)しすぎっ。マゼンタ、全っ然気にしなくていいからね」

シェルが鼻息を荒くする。

少女は不服そうな顔で「はあ」と相槌を打ったものの、内心彼女たちが何を言っているのかよくわからなかった。

と、マゼンタは急に何かを思い出す。

「シェル、ちょっと」

「ん?」

彼女は友人を廊下へと連れ出した。

そして先程紅樺から提案された件を報告する。

「花火大会に誘われた⁈」

「ああ」

「きゃははっ!それってデートじゃない!」

「デート?」

マゼンタは脳内で辞書を引くがそういった単語は出てこない。

新種の単語か、はたまた流行語か。

「これはまんざらポピーたちが言ってたことも外れてはないかも」

シェルが何度もうなずく。

「どういうことだ?」

しかしシェルはたった今言ったことを打ち消すようにぶんぶん首を横に振ると、

「いやいやでもそんな行き過ぎた仲だなんてわたしは思ってないからね!」口元を引き結び友人を見上げる。

「シェル?」

「とにかく、花火にはもう張り切って行くっきゃないよ!私も応援するから一緒に頑張ろう!えいえいおーっ!」

えいえいおー?

シェルの奇行についていけないマゼンタはポカンとするしかない。

さらにシェルは突然辺りを警戒し、

「あ、でもポピーたちに知られたらまたあーだこーだあることないこと言いふらされそうだからこのことは誰にも絶対内緒にね」

友人が最後に言った言葉だけは理解出来た少女は、

「わかった」と、深くうなずいた。




 夕刻が過ぎ夜を迎えた楽坊では楽器の音は鳴りを潜め、虫たちの賑やかな晩餐会が幕を開ける。

さすがの虫たちの恋文もここ楽坊ではその音に負け、どれだけ声を張り上げても相手には届かない。

けれどそれも日中に限った話。

夜ともなればとある楽器を除いて虫たちに軍配が上がった。

今頃敵共はやかましい楽器を片付け、飯を食らったり風呂に入ったり、早い者は布団に横になっているだろう。

庭のいたる箇所に潜む虫たちは思い思いに泣き叫んだ。

 彼らの声を背景に、例の楽師は新人の部屋の前に立っていた。

彼女は一応周囲を窺いつつ、障子戸をゆっくり開ける。

(あの子は今浴室にいる。だから忍び込むには絶好のチャンスよね)

そうしてこっそり入室する。

 以前は怒りに任せて何の考えもなしに堂々と入った。

だが最近やっと人目が気になってきたのだ。

 誰かが、見ているかもしれない。

そう思い始めてからは辺りに気を配るようになった。

 室内は相変わらずだ。がらんとして教本の一つさえない。

ただ新人のツキソメだけが壁にちょこんと立て掛けてある。

ポピーはそのツキソメを含めて部屋全体を見渡した。

(殺風景な部屋)

彼女は襖の戸を開ける。

もう何度も見た、中は当然空っぽだ。入っているのは重ねられた布団のみ。

まったく、あの子の持ち物はどこへいったのかしら。どうにかして弱みを見つけてやろうと思っていたのに。

彼女がそう思った時だ。

「偵察ご苦労」

よく通る声が後ろから響いた。

ポピーは驚いて背後を振り返る。

憎き赤紫色の新人が入口の障子戸にもたれかかりながら自分を見下ろしていた。

「なっ、あなた、どうして……⁈」

ポピーは体勢を整える。

なんてこと、見つかってしまうだなんて……!

相手は全く読めない表情でこう告げた。

「やっぱりおまえだったんだな」

「な、なんのこと……⁈」

ポピーの額に汗が滲む。

「セキエを盗み、いや、破壊したのは」

ポピーの目が大きく見開かれた。

「そうなんだろう?」

少女が促す。

「そ、そんなこと、あ、あるわけございませんわ……!ど、どうしてあたくしがそんなことを……!」

「それはおまえが一番よく知っているんじゃないのか?」

「は、はあっ?何を言っているのやら……!」

「だいたい、今この場所で部屋をあさっていることが証拠だろう、違うか?」

ポピーは相手のほうへ颯爽と歩くと、

「あ、あたくしは、部屋を間違えただけですわ……!」

マゼンタはポピーをじっと見つめた。

「失礼」

ポピーはそう言って彼女の脇をすり抜けると廊下へ出た。

 焦るな、そのまま歩け……!

自分に言い聞かせるようにポピーは歩き続けた。

マゼンタはポピーの後姿を見送りながら、

「とんでもない言い訳だな」と、呟いた。

そして室内に目を向けた。




 屈強な男共が体術の稽古に励んでいる。

彼らの年齢や身長はてんでバラバラだが、体格だけはほぼ統一されている。

よく鍛えられた骨や筋肉は毎日の稽古と家事と狩猟の賜物だ。

道着に包まれた彼らは今日もそれらの日課を思う存分発揮していた。

 男たちに交じって二人の少年も取り組みをしている。

一人はクリムスン家頭首の長男コチニール、もう一人は次男カーマインだ。

二人の体格は男衆程ではないにしても、同年代の子供らに比べるとかなりの差はあった。

 が、コチニールとカーマインは向かい合ってお互いを倒そうとしているわけではない。

コチニールの相手は男衆の纏め役ワイン、カーマインの相手はワインの相棒と名高いボルドーだった。

 この間、コチニールがカーマインの稽古に久々に付き合って弟を倒してしまってからというもの、カーマインはまた兄を避け始めたのだ。

コチニールとしてはいつでも相手になるつもりでいたのに、彼にその気がないのでは仕方ない。

その為こういった組み合わせになった次第である。

ただし二組の稽古はすぐ真横で行われていたのだが。

「そういえば明日は花火大会だな」

ワインが自分に伸びるコチニールの手をかわしながら言った。

「おお、ほんとだ……!」ボルドーはカーマインと襟を掴み合いながら答える。

いくら頭首の息子らが相手とは言えども、さすが大人、余裕がある。

「二人は花火観に行くの?」

ワインが目の前のコチニールと隣のカーマインに尋ねた。

「そんな暇は、ない……!」襟を掴まれたカーマインは必死そうに言う。

ワインは眼前のコチニールに視線を移すと、「みたいだね。コチニールは?」

「僕もそれどころじゃない……!」

コチニールもワインの動きを追いながら言った。

「二人とも真面目なんだから。ちょっとは学生らしくしてもよさそうなものなのに」と、ワイン。

そんな彼にカーマインは「んな余裕、ねーよ……!」声を絞り出す。

「ですよね……」

クリムスンの長男と次男に対して愚問だったか。

ワインは苦々しく笑った。

「それに……!」自分を倒そうときっかけを窺うコチニールが何か言いかける。

「ん?」

「最近葡萄(えび)の様子が気になるんだ……!なんかずっと自分の机に向かいっぱなしで……!」

コチニールの視線はワインを狙っている。

なのに頭の隅では眼鏡を掛けた男の姿がちらついていた。




 葡萄が自らの書斎で机に嚙り付き、文字が並んだタブレット画面を見ながら紙に何かを書き連ねる頃、一旦沈んだ日はまた顔を出していた。

本日も豪華な庭ながらしんと静まり返ったローズの屋敷の一部屋では、珍しく人の気配が漂っていた。

 畳が敷かれた十分すぎる広さのその部屋の一角に姿見が立て掛けられ、一人の少女が一生懸命浴衣の着付けをしている。

白地に赤やピンクの花が可愛らしく散った浴衣は、彼女の髪や瞳の色と上手く調和した。

彼女は両手でポンと帯を叩く。

「着付け完了!」

ストロベリーは鏡の前でくるり回ってみる。

「うん、完璧」

あとは髪を一纏めにして……

彼女が自らの髪に手を伸ばした時だった。

ふと異様な空気を察し背後を振り返る。

「ぎゃっ‼」

彼女は爬虫類が潰されたような声を出した。

無理もない。

そこには黒地に真っ赤な大輪の花が咲いた浴衣を着こなし、一纏めにした髪には数本の派手な(かんざし)、目元も口元も鮮やかに化粧を施した一人の女がすっくと立っていたのだ。

「ぎゃって」

女は呆れたようにストロベリーを見下ろしている。

ストロベリーは波打つ胸に手を当てると、

「ローズ⁈な、なんで変装してるの?しかも浴衣……」

女の正体はこの家の頭首、ローズ(男)だった。

しかしどこからどう見ても外見は女そのものだ。

 彼は仕事柄よく女装をした。

今はほとんど地下のモニター室に引きこもり、紅国のありとあらゆる場所を監視してはいるが、以前はストロベリーのように調査対象に近づき情報を得たり、或いは別の情報を流したりしていたのだ。

その際に性別を偽ることは大変好都合だった。

「花火大会といえばこれだろう」

ローズが長い袖を持ち上げて見せる。

「え、ローズも行くの?」ストロベリーは啞然とした。

「人ごみは危険だから送っていくよ」

頭首が微笑む。

彼の怪しげな微笑みは調査対象が男なら即効性があるだろう。

けれどストロベリーは肩をぐったり落とすと、

(結局行くんかい……)

勇気を振り絞って大いに恥ずかしんで年下の少年を花火に誘った意味はあったのだろうかと、過去の挑戦を悔やんでならなかった。




 背後に立ったシェルがマゼンタの帯を思いっ切り締める。

「くっ……!」

「ちょっとだけ我慢してね」

「食べた物が全部出そうだ」

「そんな大げさな」

「花火大会というのは、こんな苦しい思いをして、出かける所なのか」

「美しくあるために〝痛い〟や〝苦しい〟は禁句だよ」

「なんてことだ」

これが美のためだとは……

 王宮楽坊内のマゼンタの部屋では赤紫色の少女がシェルに浴衣の着付けをしてもらっている。

白地に白い花、白い帯。

シェルがマゼンタの為に選んだ浴衣は、彼女の髪や瞳の色が一番映える真っ白な浴衣だった。

しかも例え暗闇でもその暗さに溶け込んでしまうことはない。

シェルは我ながらいい選択だったと思いつつ少女の浴衣を調整していった。

「でもいいなぁ、紅樺様とデートだなんて、なんかワクワクしちゃう」

「ワクワク?」

マゼンタはうんざりしたように続ける。

「なら紅樺をシェルに譲ろう。私の代わりに花火大会へ行ってくれ」

少女は本気でそう思っていた。

「あっはー、でも紅樺様は王族で執政の方でしょう?いずれはお嫁さんを頂戴してお家を継いでいかれるだろうし、わたしには無理だよ」

「なんだそれは、嫁?」

マゼンタの脳が一瞬停止する。

シェルは帯締めを結びながら、

「ウチは一応ね、カンショウを生み出して代々継承してきた家だから、お婿様じゃないといけないんだ」

「婿?」

「わたしが結婚する時は相手の家に入るんじゃなくて、相手にわたしの家に入ってもらうってこと」

「ほー」

「わかる?」

「よくわからん」

シェルはほんの少しだけ困ったように笑った。

 マゼンタに以前の記憶がないことは知っている。

それと共にこの国の歴史や文化、習慣について疎いことも、彼女と接してよく感じるようになった。

けれどもこういうしきたりのような話に及ぶと、その影響が顕著に現れるんだよなぁ……

天然マイペースなシェルではあったが、見る所はちゃんと見えていたのだ。

 反対にマゼンタはというと、

(嫁とか婿とか、自分が相手の家に入るとか、相手が自分の家に入るとか、なんなんだそのシステムは)

やはり上手く呑み込めないでいた。

「というか、シェルの家はカンショウの生みの家だったんだな」

少女が言う。

「そだよー、なんか名家らしいけどわたしはあんま気にしてない」

帯を直しつつシェルが答えた。

 シェルが物怖じせずポピーに言葉を返せる理由の一つだ。

勿論彼女の性格が大いに関係してはいるのだが、〝家〟というものの歴史や規模がポピーの〝家〟と対等、もしくはそれ以上だからなのも間違いないだろう。

「シェルらしいな」

「そう?」

マゼンタはぼんやりと思った。

桃色の家はツキソメの生みの家、パステルの家はハクアの生みの家、そしてシェルの家はカンショウの生みの家、か……

するとシェルが彼女の正面に回り、たった今着付けた作品を隅々まで見渡した。

「うん、いい感じ」

我ながら完璧。

そうしてシェルはマゼンタの両肩に手を置くと、

「それじゃあ他のみんなにバレないように、いってらっ……!」言いかけて瞼をこれでもかと持ち上げる。

「どうした?」少女が僅かに首を曲げた。

シェルの視線はマゼンタの首から上に集中している。

「髪とお化粧がまだだったあっ!」





 夕日が照らす守人一族茜色家(あかねいろけ)の屋敷の玄関では、真っ赤な浴衣姿の緋色がはやる気持ちを必死に抑えていた。

()がり(かまち)には父でありこの家の頭首でもある茜色が優しく彼を見下ろしている。

「じゃあ行ってくるね!」

緋色が父に背を向ける。

「ああ、人混みには充分気をつけるんだよ」

「わかった!」

そこへ頭首の右腕、猩々緋(しょうじょうひ)が茜色の側にやってくる。

「おお、花火大会に行くんでしたな」

緋色の姿はもう小さくなりかけていた。

「たまには子供らしいことも必要ですからな」と、猩々緋。

茜色は微笑みを絶やさないまま「どうやら女の子と一緒に観るらしいよ」

「なんと!」

猩々緋は目を見開いた。


















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