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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
34/130

第33話 セキエの行方


「というわけで、もしツキソメに似た楽器を見つけたら私たちかマゼンタに報告するように、よいな」

「一日も早くセキエが見つかることを祈っています。ですから皆さんもぜひ協力してくださいね」

教壇に立った桃色(ももいろ)とパステルから昨晩の報告を受けた楽坊の楽師たちがざわつきながら赤紫色の少女を振り返った。

マゼンタの隣席のシェルも彼女を心配し、

「大丈夫?」小さく声を掛ける。

「ああ」

セキエを失くしてしまったと一時は混乱しそうになったが、今はすっかり冷静さを取り戻したマゼンタが友人に答えた。

 あれから一晩が経過し、その間に探せる場所は一通り探してはみたものの、セキエの行方は未だ知れない。

いったいどこへ行ってしまったのか?

まさかパステルが言うように、本当に窃盗犯が王宮内にいてセキエを持ち去った?

いやいや、それはないだろう。

なくなったのはセキエのみ、他に見失った物の報告は今の所ないと桃色から聞いている。

楽坊にはセキエだけではなく、物によってはツキソメやハクア、その他にも高価な楽器はいくらでもあるらしい。

例えば今この教室内にいる楽師たちが使用する楽器(しか)り、初めて楽坊に通された座敷の床の間に飾られた楽器然り。

なのにセキエだけが盗まれるというのは、どう考えてもおかしな話だ。

 マゼンタがいくつかの仮説をあれこれと組み立てている間、彼女の斜め後ろの席に座ったポピーだけは内心酷く驚いていた。

(あの楽器がなくなった……?)

ポピーの記憶がセキエを叩き割る瞬間を思い出させる。

いったいどういうこと?もしや女官が勝手に片付けた?いやまさか、そんなことするはず……

ポピーはポピーで様々な可能性を導こうとするが、鋭いパステルの声に思考は遮られた。

「皆も今一度自分の楽器の管理を怠らないように。怖がらせるつもりはないが窃盗事件になるやもしれんからな」

室内がさらにざわめく。

マゼンタは溜息をついた。

また窃盗事件に発展するのか、と。

そんな彼女の背中をポピーは怪訝な目で見ていた。




 楽坊の授業と授業の間、そして昼休みと、楽師たちは新人に負けまいと始めたばかりの練習をすっかり放棄してしまった。

彼女たちは数人ずつ束になり、あちらこちらで紛失したセキエについて話を咲かせるのに忙しかったのだ。

「窃盗事件だなんて、怖いですわね」

「楽坊は高価な楽器がたくさんありますし、私たちも気をつけなければなりませんわね」

ポピーの取り巻きたちがゆったりと述べる。

例え窃盗事件が起きたとしても自分たちには関係ない、きっと大丈夫だろうと高を括るかのように。

「そ、そうですわねぇ」

とりあえずそう答えるもポピーは内心気が気ではなかった。

窃盗事件って、なんでそんな大事になるんですのよ……!

彼女は自分で蒔いた種にも関わらず予想だにしない成り行きに戸惑った。

 周囲がせわしなく噂する間、マゼンタとシェルは自席に座り向かい合っていた。

「本当に大丈夫?大切な楽器なんでしょう?それを盗むだなんて、犯人のヤツ絶対許さん!」シェルが鼻息を荒くする。

マゼンタは冷静に考察しながらも、

「窃盗犯がいるかどうかはわからないが、セキエはとある人から譲り受けたもので、もしこのまま見つからなかったら、その人になんて言えばいいのか……」

アガットの顔が昨晩からずっとちらついている。

きっと大きな衝撃を受けるだろう。そして落胆するだろう、私に。

少女が何百回目かの溜息をついた時だった。

「そんなもの、楽坊に持ち込むほうが悪いんですわ!」

マゼンタとシェルは同時に背後を振り返る。

ポピーが自席の側に立ったままマゼンタを睨んでいた。彼女は、

「仮にもあなたはツキソメ奏者らしい(・・・)じゃない?それなのに他の楽器を手元に置いておくだなんて、楽坊の一員としてありえない所業ですわ!」

「なっ、そんなこと言わなくたって……!」シェルが反論する。

マゼンタはポピーを見つめ返した。

が、ポピーは途端に顔を背けてしまった。




 子供たちを皆家に帰し、ほっと一息をついたアガットが教員室の窓辺に立った。

最近は雨が全然降らない。今も素敵な夕焼けが空を覆っているということは明日も晴れかな。彼はそんな風に思った。

臙脂(えんじ)はというと、自席に座ってさっきから手元の資料に目を通しているようだ。きっと授業の進捗具合でも確認しているのだろう。

だからアガットはぽつり呟いた。

「今夜、王宮に忍び込もうと思う」

「本気か?」臙脂が驚いて顔を上げる。

アガットは振り返り「もちろん」

その表情はいつも通りの微笑みだ。

「例の件で?」臙脂が尋ねる。

「うん」

「私は反対だ」

臙脂は確固たる表情で相手を見つめた。

「でも心配なんだ」

「何もそこまでやる必要はないだろう?」

「そうかもしれない。けど」

アガットは空に視線を戻した。

「きっと困ってるよ」




 王宮楽坊には楽師専用の浴室がある。

六畳程の脱衣所には棚や籠、洗面台が備え付けられ、曇りガラスの扉を開けると大人十人は余裕で浸かれる湯船と、体を洗う蛇口が四つ設置されていた。

風呂場は木造で木の香りが鼻孔をくすぐり、湯船からは柔らかな湯気が漂い、二人の楽師が現在体や髪を洗っている。

その二人の楽師とは別に、湯船にゆったりと浸かっている者たちがいた。

マゼンタとシェルである。

彼女たちは肩を並べながら、マゼンタに関しても首から上はちゃんと湯の外に出したまま、会話を続けていた。

「ポピーとはどういう人間なんだ?」

マゼンタが尋ねる。

「どういうって、気が強くて自信満々で、実際ツキソメに関してはまあ、わたしも上手だとは思うけど」

頬をほんのり染めたシェルが答えた。

「ああ、それはわかる」

あいつの音を聴いていればな。

 マゼンタはポピーがツキソメを演奏する姿を思い出す。

実際の席は自分の斜め後ろだが、楽器ごとに演奏したり、一人一人前に出て演奏したり、彼女が音を奏でる瞬間はいくつか目にしてきた。

「家がツキソメ流派の名家だから、たぶん小さい頃から相当教え込まれてると思うよ。音楽学校も首席で卒業してるし、楽坊でも期待の星って呼ばれてるし。でもだからだよね。マゼンタが学校を出てなくて、試験も受けず楽坊に入っちゃって、けどかなり上手なもんだからかーなーり嫉妬してる」

「嫉妬」

マゼンタの脳に今度は兄カーマインがクリムスン家の弓道場から走り去る光景が流れた。

ポピーの嫉妬とは、あの時のカーマインみたいな感じだろうか。

「でもさすがにセキエを盗むようなことまではしないと思うなぁ」

シェルの言葉にマゼンタは少し驚いた。

「シェルもそう思ったのか?」

「ちょっとだけね」

シェルはそう言うと鼻の下まで湯に浸かり、口から泡をぶくぶくと吐かせる。

今言った台詞が本当にそうであってほしいかのように。

マゼンタは無表情のまま湯煙の奥をじっと見つめた。




 浴室を後にしシェルとも別れ、自室への廊下を一人進んでいる。

辺りはすっかり闇に包まれて気温も下がり、たった今温かな湯船に浸かった体を早速冷やしてやろうと必死だった。

けれども赤紫色の少女の思考は忙しい。

セキエを盗んだのはポピー?あいつならやりかねない?

でもシェルはそんなことはしないだろうと言っていた。

だったら誰が?セキエを盗んで得をする人間?そんな人間が楽坊にいるのか?

そうこうしているうちに少女は自室の前へ辿り着く。

その時だ。

「マゼンタ」

突然、庭のほうから声を掛けられた気がした。

だがそんなはずはない。だってこんな夜更けの庭に誰もいるはずが……

マゼンタは勢いよく振り返った。

そこにはこの場に絶対にそぐわない人間がポツリ立っていた。

「なっ、アガット⁈」

見間違えるわけがない。

塾講師兼楽師兼恩師でもあるアガットが真っ暗な木々を背景に佇んでいたのだ。

「お元気でしたか?」

彼は最後に会った時と全く変わらない様子でマゼンタに近づいた。

「なぜここにいる……⁈」

少女は声の音量を下げつつ廊下に両膝を付き、師と同じ目線の高さにする。

「あなたの顔を見に来ました」さも当然の如く彼は答える。

マゼンタは周囲を窺って、

「よく王宮に入れたな。まさか忍び込んだのか?」

「ええまあ」

呆れた。

アガットが忍び込めるだなんて、王宮の警備は相変わらず穴だらけか。

クリムスン家に王宮警備の依頼が来た理由を痛いほど実感した。

「どうですか、楽坊の暮らしは。だいぶ慣れました?」

師匠が微笑む。

「ああ」

「それは何よりです。あなたのことですからきっと上手くやってるいるとは思っていましたが」

 まさか突然アガットが目の前に現れるなんて予想だにしていなかった。しかもこのタイミングで……

けれど彼には正直に伝えなければいけないことがある。

セキエを教えてくれた彼には、セキエを譲ってくれた彼には、嘘はつけない……!

赤紫色の少女は意を決した。

「それが、実は……アガットに、謝らなければならないことがあって……」

「はい?」

「その……セキエを……失くしてしまったんだ」

「ほお」

師はあまりの衝撃に今言った言葉を受け入れられないのか、若干目を丸くしただけで動じる素振りを見せない。

私が言ったことの意味が、上手く把握しきれないのだろうか。

「すまない。私に譲ってくれたのに、こんな早く失ってしまって……」

「そうでしたか」

どういう了見かはわからないが、彼は全く驚く様子も慌てる素振りも見せない。ショックが大きすぎたのか?

マゼンタは頭を下げた。

「本当にすまない」

ところが師匠は、

「ならば」自らの背中に手を伸ばし何かを取り出すと、それを彼女の前に差し出した。

「こちらをどうぞ」

「……え?」

顔を上げた少女は思わずポカンとしてしまう。

目の前にはセキエが横たわっていた。

アガットの髪や瞳と同じ色をしたその楽器は、師匠の両手の上で静かに輝いている。

紐で繋がれたセキエは実は彼の背中に覆いかぶさっていたのだ。棹の先が肩から覗いてもいた。

でも居るはずのない人間が突然楽坊に現れたり、譲り受けたセキエを紛失してしまった件で、普段なら気づくことに全く気づけなかった。

アガットは穏やかに言う。

「以前のセキエを失くしてしまったのなら、こちらを弾いてください」

「なっ⁈」マゼンタは息が止まりそうになった。

「そんな、受け取れない……!受け取れるわけがないだろう……!私は自分のミスでせっかく譲ってもらったセキエを失くしてしまったんだぞ。なのに」

「それは本当にあなたのミスなのですか?」

師匠は微笑みを絶やさずに尋ねた。

「それは……」

少女の脳内にとある瞬間が思い返される。

畳の傷だ。

セキエを失くした日の朝までは、そこにそんなものはなかったはず。

なのに紅樺(べにかば)の所望を受け、夕方部屋に戻ってきたら傷が、出来ていた。

「でもしっかり管理出来なかったのは私の責任でもあるし、だいたいもう譲り受けるわけには、こんな高価な物を……」

「いいえそれほどの物ではございませんよ」アガットが軽く首を振る。

「でも前に高価だって」

「まあ、そういえばそうかもしれませんが」

どっちだ。

マゼンタは心の中で師に突っ込んだが、すぐに気を取り直すと、

「それに今はツキソメで手一杯で、セキエに手が回らないんだ。ここに来てからセキエには全く触っていなくて」

「そうですか?セキエを弾いていればツキソメなんて楽勝だと思いますけど」

彼は淡々と述べる。

「まあ、確かに否定はしないが……」少女は師匠を見つめた。

私がセキエを失くしたことに驚かないのか?責めないのか?

 アガットはマゼンタに対し感情をあらわにしたことはない。塾の授業でもセキエの練習でもステージの演奏でも、いつも笑顔で前向きで優しかった。

しいて言えば彼女が緋色と塾の広場で体術稽古をした時くらいだろうか。

指を怪我してはいけない、大事にしろと声を荒げたのは……

それにしたって心が広すぎるだろう?

弟子に多くの時間を費やして、大切な楽器を譲りまでして、なのにそれをこんな短期間で失くされたというのに。

 アガットは再度セキエを少女のほうへ押し出す。

「セキエを持っていてください、お守り代わりだと思って、ね?」

お守り……まるでアミュレクモだな。

つい先頃楽坊で習った曲が耳の奥で鳴った。

マゼンタは差し出されたセキエを見下ろす。

「でも、私が持っていたらアガットの分は」

「私の分はまだありますから、どうぞご心配なく」

いったいいくつ持っているんだ。

少女はほんの少しだけ呆れた。

「だからどうぞ」

師匠がにこり微笑む。

「そ、そこまで言うのなら……ありがとう」

彼女の手の中にセキエが渡った。

「どういたしまして」アガットが満足そうに口角を上げる。

少女は決心した。

今度こそ、絶対に失くしたりしない……!と。




 翌朝の授業が始まる前、パステルが楽師たちに向かって朗らかに告げた。

「昨日マゼンタが紛失したセキエという楽器の件だが、無事見つかったそうだ」

席に着いていた楽師たちが一斉にざわめく。

驚いたり、喜んだり、安堵したり、彼女たちの反応は様々だ。

しかしポピーだけは、

「え?」

無事?

目を見開いたまま固まった。

パステルが続ける。

「マゼンタ、皆に何か一言」

赤紫色の少女は自席から立ち上がると、

「騒がせて申し訳なかった」室内の楽師らを見回した。

教壇に立っていた桃色とパステルはほっと胸を撫で下ろす。


 今朝方、マゼンタが桃色の執務室を訪れていた。室内にはパステルも丁度揃っていた。

「見つかった?」

楽坊の主と参謀が同時に聞き返す。

「はい」

赤紫色の少女は静かに答えた。

「いったいどこにあったのだ?」パステルが尋ねる。

「えっと、それは……」

少女は一瞬戸惑うも、

「庭、に」何とか答えた。

「庭?」また桃色とパステルの声が揃う。

「は、はい」

マゼンタはしばし思いを巡らせた。

アガットが楽坊に忍び込んで持って来てくれたとは口が裂けても言えない。

「どうしてそんな所に」桃色が僅かに首を傾げる。

パステルは「もしや窃盗犯が一時的に庭に隠しておいたのでは」

「なるほど、そうかもしれませんね」

楽坊の主らが納得しかけるが、

「あ、いや、そうではなくて」

少女が少しだけ慌てる。

窃盗犯だの何だのはもうたくさんだ。

「違う?」と、参謀。

「ならばどうして」と、主。

「えっと」

窃盗犯じゃないなら理由を言わねば……

何か、まともな答えを……

「恐らく、風で飛んで」

「は?」パステルが啞然とする。

少女も自らの口から出た言葉に呆れた。

私は何を言っているんだ?

「室内にある楽器が風で庭へ飛んだのですか?」

あほらしい。だが桃色は一応真剣に尋ねる。

「あっ、わ、私が無意識に庭に置いてしまって……!」

桃色とパステルの開いた口が塞がらない。

ああ、私はもうどうしようもないな。

「そなた、夢遊病か……?」

最後にパステルはそれだけを彼女に尋ねた。


 そうして今朝の授業を迎えた。

セキエが見つかったと知った楽師たちは未だざわついていたが、桃色とパステルは心から安堵していた。

いったいどういう経緯でマゼンタの元にあの楽器が戻ってきたのかはわからない。でもとりあえずこれで一安心。

さらに盗難が続いたり、窃盗犯が本当に現れたりでもしたら楽坊だけでは収まらない、大事件へと発展してしまうからだ。

 マゼンタの隣席に座るシェルは、

「どこで見つかったの?」興奮した面持ちで彼女に尋ねる。

赤紫色の少女は歯切れ悪く、

「に、庭に」

「庭⁈」

楽師たちが驚きながらマゼンタを振り返る。

「まったく本当人騒がせですわよね」

「でも窃盗犯じゃなかったみたいでほっといたしましたわ」

彼女たちがそれぞれの思いを口にする中、ポピーは憎き新人を胡散臭そうに見つめていた。




 学校に登校する前、コチニールは家の敷地内で走ることを日課にし始めた。

走ることは学校の体育の授業でもやっているし、家でもたまに男たちに交じって何の気なしに真似をしてはいた。

それでも足りない。もっと体力が欲しい。

そう思ったら朝目が覚めると体を動かさずにはいられなかった。

 彼は薄く(もや)がかかる畑の脇を走る。

気温が日々上がるこの頃、野菜たちの生育も著しい。

(マゼンタ、どうしてるかな。元気にしているかな。楽坊の練習って、すごく厳しいんだろうか)走りながらコチニールは思った。

 彼女が楽坊に入ってから一週間が経過している。

あれから一日たりとも妹を心配しない日はない。

 彼は走りながらふと前方に目を凝らす。

視線の先、靄がかかって視界は悪いが、それでも真っ赤な色はすぐに判別出来た。

弟カーマインが片手を地面に、もう片方を腰に回して腕立て伏せをしていた。

きっとその額には汗が滲んでいることだろう。

コチニールは彼の姿を見て微笑んだ。

僕も負けてはいられない、と。



 兄コチニールに心配されている妹マゼンタは、王宮の紅樺の部屋にいた。

本来ならば楽坊の楽師として桃色とパステルから教えを受け、練習をし、皆と合奏し、ツキソメの腕を高めるはずだった。

なのに、なぜだろうか。

この男は自分を気に入っている。

そのせいで授業に参加する割合がどんどん減っていた。

紅樺は今日も自席に座り、マゼンタは縁側に置いた椅子に座って、習いたての曲を披露する。

男はどこを見ているのか、ぽーっとなりながら少女の演奏を聞き、彼女はといえばひたすらツキソメに集中していた。


 楽坊の教室では休み時間ともなると当然、それをよく思わない楽師たちがあちこちで小言を述べていた。

「またあの子一人だけ例のお方に所望されましたわね」

「しかも朝からずっとですわよ」

「もう信じられませんわ、どうしてあの子ばかり」

 彼女たちがそう言うたび、拳を震わせた例の楽師が席から思い切り立ち上がった。



 ポピーが目元を吊り上げ廊下を歩いていく。

(なんなの、なんなのよこれは!どうしてあんな子ばかり重宝して……!)

彼女の行き先はやはり新人の部屋だった。

あの子が言っていた、本当に例の楽器が見つかったっていうのなら、あたくしがこの目で確かめさせてもらおうじゃないの!

そう言ってポピーは何の断りもなく障子戸を開く。

部屋の中はなぜか異常にスッキリしていた。

前に訪れた時は真正面の壁に立て掛けてあったはずの例の楽器も、勿論ない。

ほうらごらんなさい。

ポピーは足を踏み入れながら思った。

やっぱりないじゃありませんの!予想通り、あれはあの子のはったりでしたのね!

彼女は勝ち誇ったように鼻から息を吐く。

ところがすぐにはたとした。

(でももしそうだとしたら、なぜあんな無事見つかったなどと嘘を?そのまま見つからなかったことにしておいても損はないはずなのに……)

ポピーは室内を見回す。

マゼンタの部屋は畳に置かれた机以外、何もなかった。

以前はそこら中に重ねられていた教本までもがどこかへ綺麗さっぱり、消えてしまっている。

彼女は襖を開けた。

上段には数枚の布団、しかし下段はがらんとしている。

ポピーは背後を振り返る。

赤紫色の少女の自室はこれでもかというくらいにしんと静まり返っていた。

(な、なんですの、これ。どうして何もないんですのよ……⁈)




 臙脂が教員室のソファに座り背中を預けている。手元には一冊の本。中身は決して面白いわけではない。だがとりあえず目を通してしまうのは、彼が塾講師で真面目な性格ゆえだろう。

 時間帯は昼下がり。もう少し経てば学校を終えた子供たちが授業を受けにやって来る。

その前にもう一人の講師も姿を現すに違いない。

彼は本から顔を上げて言った。

「例の物は無事渡せたみたいだな」

たった今教員室に入ってきたアガットは彼の側で立ち止まると、「まあ一応ね」

結果を報告する。

臙脂は本を閉じた。

「でも本当にそこまでやる必要があったのか?」

たった今まで読んでいた本の内容などすっかり忘れてアガットを見上げる。

同僚は肩をすくめ、

「それがさ、ツキソメで手一杯らしくてセキエを弾いてくれるかどうかはわからないんだ」

「呆れて物も言えない」

臙脂の冷めた眼差しにアガットは苦笑いを返すしかなかった。




 紅樺の所望を終え自室へと戻ってきた。

もうすっかり日が沈みかけ、今日も授業に出席出来なかった。

まったく、パステルが紅樺の所望が多すぎると嘆いていた理由がよくわかった。

ツキソメを抱えたマゼンタは障子戸を開く。

そしてその場に立ったまま室内全体を見渡した。

部屋の中に変わった所はあるだろうか。朝、この部屋を後にした時と、今と。

彼女が視線を左に向ける。

閉めたはずの襖が大きく開け放たれていた。

やはり来たか。

少女は中に入ると後ろ手に障子戸を閉めた。そのまま胸に抱えているツキソメを壁に立て掛ける。

彼女は天井を見上げると、次の瞬間、梁に跳び上がって音もなく着地した。

梁のすぐ上には天井板がはめ込まれている。

彼女はそれらの一つを上に押し上げた。

大した力を入れることもなく板は開き、ぽっかりとした暗闇が頭上に現れる。

少女がその隙間に頭を入れると、だだっ広い空間、即ち天井裏には、重ねられた何十冊もの教本、家から持ち込んだ服や靴、そして勿論セキエまでもが置いてあった。

(さすがにここまでは探さなかったようだな)

内心ほっとした彼女が教本に手を伸ばそうとした時だった。

ふとした疑問が頭をよぎる。

なぜアガットはあのタイミングでセキエを持って、私に会いにきたんだろう、と。




 クリムスン家頭首の書斎には心地よい夜風が巡り込んでいた。

近頃だんだん蒸し暑くなってきている。これからさらに日中の気温は上昇するだろう。

それと共に夜も寝苦しくなっていくのだが、まだ今の時季ならば外からの空気に幾分救われてはいた。

だがどっしりした机の椅子に座り、自分を冷静に見上げる頭首の雰囲気を察すると、葡萄(えび)の体温は風に当たらなくても自然に下降を始めた。

「葡萄」

「はい」

「執政に興味はあるか?」

「……はい?」


















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