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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
33/131

第32話 私が王宮楽坊に呼ばれたワケ


 日当たりの良い縁側に今日も頭首が佇んでいる。

彼の視線は近頃同じ方向ばかりを向いていた。

その目の先に何があるのか、猩々緋(しょうじょうひ)はよく知っている。

木片同士がぶつかり合う音さえ聞こえてくるのだから自分の推察は当たっているだろう。

猩々緋は見慣れた光景を脇にしながら頭首に近づいた。

茜色(あかねいろ)様」

「うん」

頭首茜色は庭を眺めたまま頷く。

猩々緋も彼の視線の先を追った。

 太陽が照らす中、緋色(ひいろ)とカッパーが木刀を使い剣術稽古をしている。

カッパーはいつも通りの道着姿だが、緋色は袖をまくり足元は裸足で、一人だけ汗をたくさんかいていた。

「今度は剣術稽古でございますか」猩々緋が言う。

体術稽古では緋色がカッパーに拳を振るいまくっていたが、勿論それら一発たりとも相手に当たることはなかったが、今はカッパーのほうが木刀を軽々と振るい、反対に緋色が防戦一方だ。

猩々緋はたまらず笑う。「体術は何とかカッパーを相手に出来ていたようですが、剣の腕のほうはまだまだですな」

「そうだね」

頭首は一応同意した。

しかし彼の黄みの赤い瞳には少なからず期待が込められていた。




 楽坊に入り数日が過ぎた。

赤紫色の少女が楽坊という場所、授業、練習、楽曲、ツキソメに少しずつ慣れ始めたように、王宮楽坊の楽師たちの目や耳も彼女の色や音に驚くのを忘れ始めた。

 現在彼女たちは教室に集い合奏に励んでいる。

楽坊の主桃色(ももいろ)とパステルも教壇に並び座って、音をつぶさに確認していた。

 誰一人手を抜いてはいない、はず。皆真剣、のように見える。

マゼンタはやはり自分のツキソメにとにかく集中し、周囲に気を配る余裕は未だないし、彼女の斜め後ろの席に座るポピーは、新入りを睨みながら演奏していた。

他の楽師も懸命に演奏したり、なぜか焦ったり、つまずいたり、早まったり、空回りしたり……これはいったいどういうことかしら?

桃色が瞬きをせずにはいられなかった丁度その時、微かな物音が障子戸の外から聞こえた。

音楽を生業(なりわい)とする者たち、音には敏感だ。

勿論気づいたのは桃色だけではない。パステルも同じ方向に目を向けている。

赤みがかった灰色の彼女が立ち上がり障子戸へ向かうのを機に、桃色は楽師たちに対して、

「はい、一旦ここでストップいたしましょう」

そう告げた。

その間にもパステルは障子戸の前に立ち、するりと戸を横へ開く。

戸の前には一人の女官が立っていた。

「皆さんとても上達されましたね。若干まだまとまりには欠けておりますが」

桃色が楽師たちに言う。

だがその顔はほんの少し苦々しい。

(特にツキソメの方々が、酷い……)とは決して口に出さない。

なんと言ったらいいのだろう。

ただ非難したり否定したり出来ていない部分を指摘するだけでは意味がない。

新しい才能をせっかく楽坊に迎え入れたのだから、お互いをもっと高め合えれば……

桃色が穏やかな表情で思考を巡らせていたその時だった。

「なんだとおっ⁈」

パステルが女官に対して怒号を上げた。

室内の全員が彼女に視線を向ける。

灰色の参謀の背はわなわなと震えていたが、その前に立っていたはずの女官は涼しい顔で去ってしまっていた。まるで自分の役目は終了したかの如く。

「パステル?」桃色が問いかける。

「あやつぅ……!」

誰かを罵りながら彼女は桃色のほうへずんずん近づいた。

マゼンタの隣に座ったシェルが目を丸くして、「パステル様スゴイ怒ってる。なんかあったのかな?」

赤紫色の少女も同じく楽坊の参謀を見つめ続けた。

パステルは桃色に何やら耳打ちをし始めるが、やがて、

「え、一人でですか?」桃色はパステルと顔を見合わせる。

「ええ、ええ、そうするようにと……!」

「まったく」楽坊の主がふっと表情を崩した。

「よろしいのですか⁈」

「ご所望とあればお受けしないわけには参りません」

「しかし……!」

不意に桃色が教室中央に体を向ける。

「マゼンタ」

名を呼ばれた少女は桃色とパステルを眺めていた。そのせいで彼女たちの視線はすぐに合致した。

紅樺(べにかば)様から単独でのご所望が入りましたので、今すぐお部屋へ向かってください」

桃色の言葉に室内がざわつく。

「噓……!」

「またですの……⁈」

「紅樺様からだぁ!しかも今回はマゼンタ一人だよっ!」シェルは相変わらず喜んでいる。

「一人」マゼンタは呟いた。

桃色が一緒ではないのか。

少女は淡々と思った。

けれどもポピーだけは彼女を睨みながら拳を震わせる。

(どうしてこんな子に所望など……!)

震えは自分の意思ではもう止められなかった。




「お嬢、楽坊で上手くやってるだろうか」

「何の言伝(ことづて)もないってことは上手くやってるよ」

 午前のクリムスン家道場では家事や農作業、狩猟や漁当番ではない男たちが体術稽古に勤しんでいた。

無論男たちの纏め役であるワインや、彼の相棒ボルドーもこれから稽古に参加するつもりで壁際に立ち、体をしっかりほぐしていたのだが、ワインの見解にボルドーは呆れてしまった。

「言伝って……」

「何かやらかせば連絡が来るだろう?」

「やらかしたらマズイでしょうっ」

「それがないんだからきっといい線いってるよ」

ボルドーは隣の相棒に目を細めずにはいられない。

「おまえ時々そういうとこあるよね」

「何が?」

「ほとんど前向きなのにたまーに物事を悪いほうに考える」

「考えてなどいないさ。お嬢が何もやらかしていないから言伝がないってことで」

「なら元々上手くやってるていでいいじゃないか」

「まあそれもそうだね」

唇を尖らせるボルドーにワインは涼やかに微笑む。

普段ぼんやりしていることが多いのに、お嬢のこととなると可愛い奴。

ワインが相棒をそう評価した時だ。

クリムスン家頭首の息子が開け放たれた道場の扉向こうからやってきた。

「おや?」ワインの口から思わず言葉が出る。

少年は背の高い男たちの姿を見つけると、

「ワイン、ボルドー」

そう言って二人に近づいた。

「コチニール?」と、ボルドー。

「学校は?」ワインも首を傾げた。

「うん、先生の都合で一時間目と二時間目が急遽休みになったんだ」

コチニールは正直に答える。

「へえ」ワインとボルドーは声を揃えた。しかし、

都合って、そんなのありか?

と、内心突っ込まずにはいられない。

ただ同時に、コチニールがこんなことで嘘をつくような人間ではないこともよく知っていた。

少年は続ける。

「だから二人に稽古をつけてもらおうと思って」

「それは構わないが、どうした急に?」ワインが二度瞬きをした。

「うん、ちょっと」

コチニールは微笑む。

けれど心の中は揺れていた。

カーマインがいつの間にか強くなっていたこと。

マゼンタも楽坊で頑張っていること。

(だから僕も負けてられない……!)

いつも誰にでも優しい兄の心に小さな炎が灯っていた。




 赤紫色の少女の目の前に執政が座っている。

その姿はこの前と同じ、自室の机の椅子に腰掛け、何やら文字が書かれた数枚の紙を机に広げ、それでも視線はツキソメを抱えた自分を見上げている。

「また早々に来て頂いて嬉しいです」

紅樺が言った。

表情も一緒だ。

「ああ」

マゼンタは答えた。

(確かについこの間来たばかりだ)

おかげで敬語をすっ飛ばしてしまった。

いけない、気を付けなければ……

少女は気を取り直して続ける。

「私一人でよかったのか、ですか?」

相手を敬う言葉遣いなど気にしないように紅樺は言う。「ええ、桃色殿にはいつも来て頂いて申し訳ないので今日はあなたお一人で」

いつも……

マゼンタの中にシェルの台詞が蘇る。


「ただ少し所望が多すぎるってパステル様は困ってらっしゃるみたいだけど」


そういうことか。

少女は理解した。

「よほど音楽が好きなんだな、ですね」

「好きですよ、音楽も、楽坊も」

紅樺が微笑んだまま答える。

マゼンタはふと、素直な疑問を相手にぶつけてみようと思った。

「でも、どうして私なんだ、ですか?桃色様から私のことを聞いたの、ですか?」

紅樺は前のめりだった体を椅子の背に預けると、

「いや、正式には私が桃色殿にお伝えしたのです」

「え?」桃色に伝えた?

執政は続ける。

「実は以前、王宮の外で素晴らしい演奏をしている楽師がいるという噂が耳に入りましてね、そちらは創作料理の店だったのですが一度行ってみようと思い立ちまして……」

少女ははっとなる。

「そこであなたをお見かけしたのです」

タンジャリンの店!

彼女の脳内にアガットや臙脂(えんじ)、ルビー、珊瑚(さんご)と共にステージで演奏した日々が思い出された。

「あの時の演奏はもう言葉では言い表せないほどの感動でした。その中でもあなたは……」

紅樺がマゼンタをぽーっと見つめている。

が、反対に少女は無表情ながらも彼を啞然と見下ろした。

その顔に気づいたのか紅樺は咳払いをし、我に返った。

「そう、あなたは彼らの中でもとても上手かったですし、それにツキソメのような楽器を弾いていらっしゃいましたし、もしかしたら楽坊にスカウトすればより一層腕を磨けるのではと思いまして桃色殿にお伝えしたというわけです」

こいつのせいで私は楽坊に呼ばれたのかっ⁈

彼女は自身に雷が落ちる程の衝撃を受けてのけぞった。




 激しい赤紫色の新人が所望を受けている最中、楽坊の教室では楽師たちが席に着いて、又は立ち上がったまま各自猛練習を繰り返していた。

 時間帯は昼休み。

通常であれば、確かに楽器の練習に励む者も中にはいたが、まったりと世間話をしたり噂話に熱心になる者も多かったのが本当のところだった。

 なのにほぼ全員が自らの楽器に集中している光景は大変珍しい。

これは明らかに異常な経歴を持つ新人のおかげ、基、新人のせいであろう。

「あの子に負けてなどいられませんわっ」

「私たちの腕も認めてもらわなければっ」

吹奏楽器以外の楽師たちが言葉を発する。

恐らく吹奏楽器の楽師たちも同じような心持ちだろう。言葉に出来ないだけで。

 シェルは教室全体を見渡しつつニコニコと笑って、自分の笛から唇を離した。

「うんうん、マゼンタの存在がいい刺激になってるみたいだね」

それだけ呟くとまた笛に唇を付ける。

 そんな中、ポピーが教室の障子戸へと向かった。

「ポピー?」

「練習いたしませんの?」

いつも彼女を取り巻く楽師たちが問いかける。

ポピーは微笑みながら振り返ると、「ちょっと御不浄に」

そう言い残して教室を去った。


しかし彼女の行き先は言葉通りではなかった。

彼女は怒りを全身から(たぎ)らせるように廊下を進むと、

「何が所望よ、何が紅樺様よ!あの子はついこの間ここに来たばかりのただの凡人じゃない!記憶喪失でツキソメをまともに弾いたことも学校を首席で卒業したわけでもないど素人じゃない!なのに……!」

 彼女が辿り着いたのは赤紫色の少女の部屋の前だった。

ポピーは何の躊躇もなく部屋の障子戸を引く。

作りはどこも変わらない。こじんまりとした畳の部屋。低い机と教本の山。襖は開けなくても中身がわかる。どうせ入っているのは布団だ。

「どうしてあたくしじゃないの⁈所望するならあの子じゃなくてあたくしにするべきでしょう⁈」

彼女はブチ切れながら室内に踏み入った。

するとすぐ、正面の壁に立て掛けてある楽器に目が止まる。

形がツキソメによく似ている。

でも胴の部分が三角形で、その角は緩やかに削ってあった。

「これは」

……そういえば取り巻き楽師の一人が言っていた。


「何やらツキソメによく似た楽器を持っていたとか」


ポピーの腹から頭頂部まで何かが突き抜ける。白目の血管までぐつぐつと沸騰した。

彼女は立て掛けられた楽器の前に立つ。

「こんなもの……」

そう言って楽器の棹を片手で掴むと(さげす)むように見下ろした。

「楽坊のツキソメ奏者がそれ以外の楽器に触れるなんて」

彼女は勢いよく腕を振り上げる。

「言語道断よっ!」

楽器は畳に叩きつけられた。

その瞬間に棹がバキッと音を立てる。

「ふんっ」

彼女は分断された楽器の棹を畳に投げ捨てた。

そして何事もなかったかのように新人の部屋を後にした。



 同時刻、塾の教員室ではアガットが自席に着いて書き物をしていた。

子供たち一人一人の勉強の進み具合は、これからの課題は何か、それらをどうやって克服するか……など、教師としては彼らの為にやることがいっぱいだ。

臙脂は要領がいいのか、それとも自分に任せ切りにするつもりか、本棚の側に立って本を開き、何食わぬ顔で中身に目を通している。

少しは手伝ってもらおうかな、アガットがそう考えた時だった。

何とも不可思議な感覚が彼を襲った。

「ん?」

思わず声が漏れる。

「どうした?」

臙脂が本から顔を上げる。

「いや、なんでもないよ」

アガットは安心させるよう臙脂に微笑んだ。




 日がすっかり傾いている。

淡いピンク色の空は夕闇に染まって真っ赤に燃え、室内にはもうすぐ灯りが必要となるだろう。

 人の気配が消え、どこかしこから聞こえるはずの楽器の音が一切しない中、ツキソメを抱えたマゼンタは自室へ向かって廊下を歩いている。

その顔は今まで見せたことのない、若干の疲労を湛えていた。

(やっとあいつから解放された。一曲所望するとか言って結局何十曲も……)

少女は歩きながら庭に目をやる。いったい今は何時だろうか。

 紅樺の所望のおかげで授業に出ることが出来なかった。

休み時間の個人練習も、授業終わりの全体練習にも参加出来なかった。

しかも自分が楽坊に呼ばれたきっかけが……


「もしかしたら楽坊にスカウトすればより一層腕を磨けるのではと思いまして桃色殿にお伝えしたというわけです」


マゼンタは立ち止まる。

(あいつだったとはっ!)

少女はがっくりしつつ、またとぼとぼと歩き始めた。

まあ、クリムスン家の皆のために、ここでツキソメを頑張ると決めたから、今さらきっかけをどうこう言うつもりはないが……

彼女は頭の中で自らの状況を嘆いては奮い立たせた。気づけば自分の部屋の前に到着している。

もう何度引いたかわからない障子戸を開け、室内に入る。

(しかし、なんか納得がいかな……)

マゼンタはふとその場に佇んだ。

部屋全体が視界に入っている。

でも何かがおかしい。何かがいつもと違う。

少女はすぐに気づいた。

だから正面の壁際に進んだ。

セキエが立て掛けてあったはずの場所に、

「セキエが、ない」

マゼンタは辺りを見回す。

すぐ側の襖を開けて中を覗く。

上の段には積まれた布団、下の段には楽坊に持ち込んだ服や靴やそれらを収納してクリムスン家から持ってきた箱が置いてある。

もしかして箱の中?

少女はしゃがみ込んで荷物入れの箱の蓋を開けた。

だが勿論セキエは入っていない。

マゼンタは立ち上がり部屋の中央に立った。

そして今一度室内全体を見渡す。

しかしもう他に楽器をしまえる場所など見つけられなかった。

少女は呆然とする。

「ない」

アガットから譲り受けた楽器、あんなに練習を重ねた楽器、いつも側に置いてこの楽坊にまで持ってきた楽器が、ない……!

どうしよう、セキエを失くしてしまっただなんて……!

マゼンタの目の前が暗くなりかけた、その時だった。

ふと、彼女は畳のあるものに気づいた。

畳の一部に、何かで(えぐ)ったような小さな傷跡が付いていた。




「紛失?あのセキエとかいう楽器をか?」

「はい」

 楽坊内にある桃色の部屋、正確に言うと執務室には、橙色の室内灯がほんのり灯されている。

そのせいで机の椅子に座った桃色と、彼女の隣に立ったパステルの影が足元にゆらり伸びていた。

当然ながら机を挟んで彼女たちの前に立ったマゼンタの影も床に反射している。

 室内の壁には本来あるべき窓がない。そこには背の高い棚が設えてあり、教本の類がきっちりと押し込められていた。

それでもこの部屋が暗く感じないのは、大きな天窓から光が充分に差し込むからだろう。

しかしその光も夕闇を迎える頃には室内灯や机に置かれた小さな間接照明のお世話になるのだが。

とにもかくにも、初めてこの部屋を訪れた少女にとっては壁に窓がないとか、光の入る分量はどうだとか、それどころではなかった。

 マゼンタからセキエを紛失したと報告を受けたパステルが唸る。

桃色も「部屋の中をよく探しましたか?」と、少女を心配そうに見上げた。

「部屋中探した、探しました」

こんな時に敬語に振り回される自分に苛立ちを覚える。

それでも自室からこの部屋へ来るまでの間に頭はだいぶ冷えていた。

「まさか、窃盗犯?」

パステルの意見に少女は少しだけうんざりした。

以前クリムスン家に侵入し、ありったけの刀を盗もうとした男と鉢合わせしたのを思い出したからである。

奴はセキエをも盗もうと、あろうことか自分に刀を向けた。

しかしその後コチニールと共に撃退し、身柄は警察に拘束されたのだ。

「でも今のところ他に何かを盗まれたという報告は上がっていないのですよね。窃盗犯がいたとして、マゼンタのセキエだけを盗んだのでしょうか」桃色が努めて冷静に述べる。

「確かに」

桃色は少女を再度見上げると「セキエは高価な楽器なのですか?」真剣な表情で尋ねる。

「高価……」

確か前に同じようなことをアガットに聞いたことがあった。

その時彼は、


「ふふふ。かもしれないですね」


そう答えた。

言葉を濁してはいたが、つまりはそういうことなのだろう。だから、

「恐らく」マゼンタは言った。

「それはまずい」パステルが顔をしかめる。

桃色も、

「ええそうですね。これは一応王宮にも報告を上げましょう」

「はい」

 楽坊の主と参謀のやり取りを眺めていた少女はだんだん下を向き始めた。

何だか、大事(おおごと)になってしまった。でも元はと言えば、私がしっかりと管理していなかったことも問題なのだが……

彼女の中に後悔というものが湧き上がる。

もっと人目につかない場所に置いておけば、箱の中にしまっておけば、そうすれば……

「マゼンタ」

桃色に名を呼ばれ少女はうつむいた顔を上げた。

「どうかそう気落ちしないでください。もしかしたらどこかひょんな場所から見つかるかもしれませんから」

「はい……」

けれど、もし見つからなかったら、私はアガットになんて言えば……それに……

少女の脳裏に自室の畳の傷が思い返された。

あの畳の傷はいったい……?


















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