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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
31/131

第30話 王宮楽坊の楽師たち


 その頃コチニールは自室の机に向かい、本日学校で出題された化学の問題を解いていた。

だが正確には解いていたわけではなく、とある出来事が彼の心を占め一問解くのに既に一時間が経過している。

目の前には教科書とノート、手にはペンが握られていて問題文もちゃんと目に入っている。

しかし解けない、解けない、なぜか解けない。

彼はいかにもしょんぼりしていますといった顔を上げ庭の先をじっと見つめた。

 同じ頃、弟カーマインは道場にぶら下がった大人一人分の大きさはあるであろう砂袋を素手で殴りまくっていた。

場内には誰もいない。この時間帯はもう皆夕飯の準備に(いそ)しみ、飯をたらふく食らって明日に備えるのだ。

それでも彼はまだ稽古をやめない。

上から吊り下げられた細長い袋を憎き相手の如く殴り、さらには蹴り飛ばす。

彼の形相は怒りに染まっていた。

しかもその怒りの理由を薄々感じ始めていた。

そんな自分にもその相手にも余計に腹が立って致し方なかった。

だから殴った。

気が済むまで、自分がへとへとになって立ち上がれなくなるまで。

 はたまた同じ頃、頭首の書斎に面した縁側ではこの家の(あるじ)と彼の右腕が揃って並び立ち、庭を眺めていた。

けれども二人の目に映るのは程よく配された木々や石や花ではなく、多分庭の奥に存在する巨大な建物を見通している風だった。

頭首が夜の空気に言葉を乗せる。

「あの子は大丈夫だろうか」

「まあ、言葉に一抹の不安はありますが、音楽の腕がありますからね。なんとかいけるのではないでしょうか」

クリムスンは無言で隣の葡萄(えび)を見やった。その顔にはほんのり軽蔑が交じり込んでいる。

あまりに軽い返事だっただろうか。

葡萄は眼鏡の蔓に指を当てると、

「いえ、それだけで通用する世界でないことは重々承知しております」

即座に前言を撤回する。励ますつもりが頭首の機嫌を逆撫でしてしまった。

普段言いたいことは素直に述べられる関係性ではあるが、内容によっては取り返しのつかないこともある。

この一件もそれほど繊細なのだ。

「楽坊は王族や執政にも近い。何事もなければよいのだが」

「何を弱気に。彼女が上手くやってくれれば、王宮内の情報がこちらに流れ込んでくるんですよ。それを期待しましょう」

わかっている、そんなものは言われなくても。

クリムスンは自らの腕を抱え込むように掴むと、再び庭の奥をじっと、睨んだ。



 子供と大人が夜の庭で殴り合っている。

正確には背丈の低いほうが一方的に拳を繰り出し、背の高いほうが素手で全てを受け止めているのだが。

子供といっても成長期、背丈は日々伸びている。

それでも相手は頭一つ分高い。

でも少年にとっては丁度良かった。なんせ今一番倒したい人間と相手はほぼ同じ身長だからだ。

まあ体重はこの男のほうがゆうに重いだろうけど。

少年の拳を受け止めつつ男がぼそりと言った。

「おい、さすがにもういい加減にしろ。何時間付き合ってやってると思ってる」

「まだまだ!」

緋色(ひいろ)はカッパーに蹴りを入れようとした。

しかしすぐさま相手の足で防がれてしまう。

それでも緋色は諦めない。一本取れるまで、絶対に。

猩々緋(しょうじょうひ)がほんの出来心で提案した緋色の稽古相手は、ここの所ずっ……とカッパーが担っていた。

カッパーは本当にやる気がなく子供の相手なんて心底嫌がっていたはずなのに、頭首の息子だから仕方なく、はたまた頭首の右腕に命令されたからしょうがなく、付き合っている風だった。

ただ付き合うといっても妥協はしない。やるからにはちゃんとやる。

間違っても手を抜いてわざと負けてやるなんてことはない。

相手が子供だろうとこの家の次期頭首だろうとそれは関係ない。

だからこそ緋色も真剣に、安心してカッパーへと向かっていた。

 そんな彼らを屋敷の縁側に立って眺めている男たちがいた。

勿論頭首茜色(あかねいろ)と猩々緋の二人である。

猩々緋はいかつい顔をほころばせながら、

「最近の緋色様は特に熱心ですな、塾はサボっておるようですが。さすが時期茜色家頭首にございます、ご立派に成長なされた」

まるで我が子の如く感想を述べた。

確かに緋色が物心つく前から側にいたのだから親と言っても過言ではない。

「そうだね」

血は繋がっていないが、本来の父親である茜色が息子を見つめたまま答える。

相手はカッパー。簡単に一本取らせてもらえる相手ではない。子供だからと手加減する男でもない。

それはいい、むしろそうでなければ意味がない。

でも、頭首の目には緋色が確実に力強く、技もスピードも増している光景が見て取れた。




 王宮楽坊の朝は早い。

がっしりと全く動く気配のない建物は置いておいたとしても、そこに住む人間たちは早朝からいそいそと動き回る。

女官たちが楽師たちの食事を作り、各部屋に配膳し、清掃を始め、楽師たちはというとさっさと身支度をし、食事を取り、早朝練習に勤しむのだ。

彼女たちの自室からは賑やかな楽器の音がこれでもかと流れ始め、それと共に庭園の鳥たちが調子を合わせる。

 日がしっかり昇った頃、一人の楽師が廊下を歩いていた。

長い裾を(まく)し上げ、両足で木の床を踏み鳴らし颯爽と歩き……たい。

だがそれが許されないのは、この王宮では当然、はしたない行動であるからだ。

だから致し方なくゆっくりと歩く、いつものように、上品に。

灰色の髪と瞳を持った彼女は、本当は灰色ではなくうっすら赤みを帯びているのだが、ぶつぶつと文句を言いながら先を進んでいた。

そのせいかいつもより足音は高くなり、歩くスピードも速くなってしまっている。

(やれやれ、これではまるで本当に私があの娘の世話係みたいではないか)

パステルの頭を占めていたのは、昨日楽坊入りした例のどぎつい赤紫色の少女のことだった。

桃色(ももいろ)と自分が彼女のことを知り、調べさせ、スカウトした。

そして楽坊へ呼び寄せ、その音を奏でさせ、彼女の才能も一応理解した。

しかしながら、しかしながら……!

パステルは昨晩少女にあてがった部屋の前で立ち止まる。

彼女はふうと一呼吸つくと、

「マゼンタ、入るぞ」

障子を開けた。返事など待ってはいられない。

それがパステルの性格だった。

が、室内の様子が目に入った途端、彼女は言葉を失った。

赤紫色の少女が畳の上で教本を読んでいる。

ところがその姿勢は腕立て伏せの状態で、教本は畳に置かれていたのだ。

少女が腕を曲げ伸ばしするごとに教本が顔に近づいては離れていく。

(なぜそんな姿勢で本を読む……?)

パステルの思考がしばらく停止する。

周囲には昨日運び込んだ荷物が無造作に置かれたまま()かれた様子はなく、ツキソメも昨晩から全く動きがないように見える。

今朝方女官が運んだ膳も入口近くに置かれたまま、一切手を付けられていないようだ。

ただ昨日女官に用意させた大量の本だけが山を崩しまくっていた。

ようやく、何か言わねばとパステルが口を開く。

「そ、そなた、何を……?」

マゼンタが教本から顔を上げた。勿論腕立て伏せは続けたまま。

「おはよう、ございます」

「おはよう、ではなくてだなっ、なぜそんなことをしながら本を読んでいる⁈」

「体を鍛えながら教本を読んでい……ました」

少女の息が切れる。

いったい何十回、何百回腕立て伏せを続けているのか?

「そりゃ、確かに楽師には体力が必要だが……!」

なぜ腕立て伏せをしながら読む必要がある⁈

パステルは心の中で叫んだ。

赤紫色の少女は一瞬片手を畳から離しページをめくる。

しかし腕立て伏せをやめる気配は全く見受けられない。

楽坊内では見たこともない景色にパステルは呆気にとられた。

この子が特殊なのか、守人(もりひと)の出だからなのか?

しばしパステルは混乱した。

けれど不意に現実へ引き戻されると、

「こ、こうしている場合ではなかった」

彼女はさっと室内に入り込み、

「今日の授業が始まるぞ。さっさと支度をせい」



 マゼンタはとりあえずツキソメだけを持ってパステルの後に続いた。

昨晩はお風呂にも入っておらず、着替えもせず、食事も取らず、ただ積まれた本に目を通した。ありとあらゆる楽譜も時間の許す限り見たつもりだ。それでもまだ全部読めたわけではないし、さすがに真夜中にツキソメを練習するのは(はばか)られた。

そうこうしているうちに日が昇り、気がつけばパステルがやって来たのだ。

今日から楽坊での授業とやらが始まるらしく、マゼンタたちは教室へと急ぎ向かっている。

そんなに急いでいるなら走ればいいのに。

マゼンタはパステルの慌て具合を察してそう思ったが、王宮内ではどうしてか走ってはいけないという決まりがあるらしい。

だから着物の裾の中でパタパタと足をやや早めに動かし続けた。

「こっちだ、急げ」

これが教室への道。

少女は自室からの道順を脳内で確認した。

ふと、目の前でパステルが立ち止まる。

マゼンタも彼女に倣うと、丁度側の障子戸が一箇所開いている。

「ここだ」

パステルが息を整えて障子戸を跨いだ。

少女も彼女に続く。

と、室内のありとあらゆる視線がマゼンタへと向けられた。

五十人程の楽師たちが各々席に着いていて、皆同じ方向を向き、机の上には多種多様な楽器が置かれている。

楽師たちは年齢も体格も様々だが、皆一様に新入りを凝視していることに変わりはなかった。

「わあ……」

ほんのり赤が混じった色の白いシェルが目を輝かせる。

彼女の席は教室の中央付近だ。

「なんですの、あの色は……!」

黄みの明るい赤色をしたポピーは驚きのあまり瞬きを忘れている。

ポピーの席はシェルよりも斜め後ろのほうだ。

それ以外の楽師たちからも溜息と小声が漏れる。

どうやら驚いているのはやはり〝色〟らしい。

彼女たちの机と向き合うように置かれた教壇には、楽坊の(あるじ)桃色とパステルが並び立っていた。

「おはよう」桃色がマゼンタに言う。

「おはよう、ございます」

少女は桃色の手前にいるパステルの元へ向かいながら挨拶する。

敬語、敬語に気を付けなければ……

桃色は席に着いた楽師たちのほうへ向き直ると、

「皆さんにご紹介いたしますね。急ではありますがこの度、共に学び音楽を極めていく仲間が一人増えました。マゼンタです」

赤紫色の少女は目の前の楽師たちを見回した。

楽師たちは自分をこれでもかと凝視し続けている。

しかしマゼンタはそういった視線に慣れていた。そんなことより、

(この人たちが王宮楽坊の楽師)

彼女たちがどんな素晴らしい演奏をするか、そっちに興味が湧いた。

アガットや臙脂(えんじ)、ルビー、珊瑚(さんご)とは違う、王宮楽坊ならではの演奏に。

「彼女の担当楽器はツキソメとなりますので、皆さんどうぞよろしくお願いいたしますね」

桃色がマゼンタの楽器を紹介する。

その瞬間一部の楽師からざわめきが生まれた。

中でもとりわけ、美人だが目つきのきつい楽師は心の声を遺憾なく漏らしてしまった。

「あ、あたくしと同じ、ツキソメですって……⁈」

ポピーの眉根が八の字に描かれていた。



 今日は平日。教育機関では通常通り授業が行われている。

気候は穏やかで明るいピンク色の空が晴れ渡り、暑くも寒くもなく何も体に負担を与えることはない。

それでも授業を受けるコチニールの顔は天気とは対を成すように愁いを帯びていた。

(昨日楽坊に入ったから、今日から本格的に始まるんだよね)

彼はぼんやり思いながら窓の外を見上げた。

白い雲がふわりと流れていく。

マゼンタ、大丈夫かな……

兄の頭にはそれだけがずっと繰り返されていた。



 楽坊の教室内ではありとあらゆる楽器が音を鳴らしている。

弦楽器、吹奏楽器、打楽器、ある者は自らの楽器を抱え、ある者は机の上に置いたまま、楽師たちが自らの腕を披露していた。

机上には教本が開かれ、皆視線を上下させながら手元の指を器用に動かしていく。

桃色、パステルはというと教壇に置かれた椅子に座って、彼女たちの演奏を静かに聞いていた。

マゼンタの席は教室の中央辺りだった。

彼女から向かって右側はツキソメ担当の楽師で固められ、左側は吹奏楽器の楽師たちが固まっている。

丁度弦楽器と吹奏楽器の間で挟まれたような場所に彼女は座り、一応ツキソメを構えつつ教本を見下ろしていた。

(今演奏しているのは練習曲〝アミュレクモ〟)

楽坊では行事があればその為の曲を練習するが、それ以外では宮廷内で地位ある人間からの呼び出しに応えたり、あるいは自分たちの技術向上の為、常に様々な曲を弾くことになっているらしい。

合奏曲もあれば時には楽器によって分かれたり、はたまた単独で発表することもあるそうな。

今彼女たちが奏でているのは合奏曲。

ツキソメにハクア、笛、初めて見る弦楽器に打楽器など、とにかく様々な楽器が入り混じる曲だ。

〝アミュレクモ〟とは古い言葉で〝御守(おまも)り〟という意味があるらしい。

これからどこか遠くへ旅立つ際に、その身を護る為に送られた曲であるとさっき桃色が説明してくれた。

どこか物悲しく、切なく、けれど希望を含ませたような曲。

そして何より物凄くゆっくりゆったりとし、音が途切れない。

マゼンタは周囲を見回した。

(にしても、皆上手い……)

曲が遅いからといって(あなど)るなかれ。

音を途切れさせない、実際には息継ぎをしたり折り返したり、途切れはあるのだが、それを感じさせない演奏はやはり目を見張る。

この演奏法が私にも出来るだろうか。

マゼンタは自分が抱えたツキソメを見下ろした。

ツキソメは昨日桃色とパステルの前で初めて弾いた。確かにセキエよりはツキソメのほうが数段弾き易い。

でも自分が弾いてきた曲はテンポのよい曲ばかり。

それをゆっくりゆったり弾くとなると……

そんな少女の姿を斜め後ろの席から眺めている楽師がいた。

無論、ポピーである。

彼女は薄目を()きつつ、

(驚いてる驚いてる。それはそうですわよね。ここは王宮楽坊。赤星きっての最高位楽団ですもの。当然、音楽学校を首席で卒業していないあなたのような人間が来るような場所ではなくってよ)と、演奏の邪魔にならないよう心の中で吐き捨てた。

教壇で静かに聞いていた桃色がツキソメ楽師たちに視線を向ける。

「はい、そろそろツキソメ入りますよ」

マゼンタは我に返った。

ツキソメの出番が来る……!

桃色の隣に座っていたパステルは両腕を組み直した。

確かに、どこの馬の骨かもわからず、守人一族に引き取られ、敬語も使えない作法もなってないとんでも楽師だが、それでもいきなり個人練習もなしに合奏に参加させるのは、ちと殺生(せっしょう)な気も……

灰色の彼女はマゼンタを面倒に思いつつ、身を案じ始めてもいた。

それを知ってか知らずか楽坊の主は微笑む。

(あなたの実力、見せて頂きますよ)と、少女に期待を寄せて。

 ツキソメを担当する楽師たちが一斉(いっせい)に弓を構える。

ポピーも弓を構え、マゼンタも一息遅れて教本を見つめながら弓を構えた。

〝アミュレクモ〟は勿論弾いたことはない。

昨晩、数ある楽曲の中の一つとして最初から最後まで譜読みだけして、あとは今楽譜に目を通したのが二度目。

練習なしの一発本番。

だがとりあえずやってみるしかない……!

 ポピーやツキソメ楽師たちの弓が動き、マゼンタの腕も同じように移動する。

重なったツキソメの音が室内に響き始めた。

その瞬間、ポピーは奏でながらもはっと何かに気づく。

マゼンタの左隣の席に座っていたシェルも横笛を吹きながら赤紫色の少女に目を向けた。

当の少女は周囲に気を配る余裕などないように自分の演奏に集中している。

ただ楽譜通りに弾くのではなく、音を途切れさせないように、ゆっくり、ゆったり……

(さすが……)桃色が心の中で呟いた。

パステルは肩をほっと下ろすも、

(って、なぜ私が安堵せねばならんのだ)

と、自らに突っ込みを入れた。

 マゼンタは演奏を続けていく。

その周囲で楽師たちが顔を見合わせ始める。

(上手い……!)

シェルが自分のパートを忘れそうになるほど舌を巻いた。

(な、なによ、これくらい。あたくしたちのレベルには、到底及んでいないじゃ、ありませんの……!)

ポピーは自分のツキソメを何とか保とうと必死になる。

 色々な思いが渦巻く教室内で〝アミュレクモ〟の演奏は続いていった。

ただ一人、楽坊の主桃色だけはニコニコと微笑みながら楽師たちの音を聴き分けていた。




 久しぶりに顔を出した塾は相変わらず賑やかだ。

授業中じゃないから別に構わないし、というかそもそもあんま気にしてないし、だって自分にはやることがあるから。

緋色は教室の後ろの空いたスペースでそう思いつつ、一人体術の型を練習していた。

どうしたらカッパーに勝てるか、どうしたらカッパーから一本取れるか、どうしたらまたアイツ(・・・)と戦って、今度こそ打ち負かすことが出来るのか……!

少年が真剣に体を動かしているその姿を、窓際後方の席に着いたストロベリーがぼうっと眺めている。

 ストロベリー、十五歳。

いたって平均的な身長、体重、体格。

特別目立つ特徴もなく容姿も中身も成績も良くも悪くもない彼女がなぜ、本来なら高校に通うべき彼女がなぜ、小学校低学年対応のクラスに通っているかというと、

(緋色って体術の型を全部覚えているんだね。まだこんな子供なのに……)

黄みの鮮やかな赤色の少年を観察しながら彼女は思った。

そう、ストロベリーは王宮専属の密偵、ローズ一門の人間だからだ。

王宮内の依頼を受け調査し報告する。それが彼女の仕事だった。

マゼンタの楽師としての腕を調べ、その才能を評価し報告したのも彼女だった。

()の依頼は片がついた。だからもうこの塾に通う必要はない。でも、気になる人物がもう一人いる。

それが今目の前で踊るように型を決めている緋色だ。

勿論緋色に求めているのは音楽の才能云々(うんぬん)ではなく、武術に関してだった。

こんな子供なのに、まだ十歳なのに。

確かに彼は守人一族茜色家の跡継ぎだけど、それにしたって力の強さは大の大人以上だし、技術も速さもそこいらの武術を体得した人間に引けを取らない。私の調べでは。

そんな人間の動向はすぐ側で監視するべき、だよね。

ストロベリーはそう考えていたのだ。当然ながら上司ローズの許可も取ってある。

だから今もなおこうして子供たちと共に塾に通い、十五歳ながら小学校の授業を受けていたのだ。

まさかこんなすぐ近くで監視されているとは夢にも思っていない緋色は体術の練習を続けている。

(なんでか落ち着かない……!)

不穏な気配を感じ取ったのか?

いや、そうではない。

少年は何かを振り払うように拳を宙に突き出した。

すると瞬間的にヤツ(・・)の言葉が湧き上がってくる。


「だいたい、クリムスン家と茜色家は元々ライバルで、互いの親からも接することを止められていただろう?だったらこれはいい機会になる」


緋色は胸の中で赤紫色の少女に悪態をついた。

どうしたらまた会える?どうしたらまた戦える?どうしたらアイツ(・・・)から一本取れるんだ⁈

少年は宙に向かって蹴りを入れた。

ストロベリーがその光景をぼんやりと眺めつつ脳内をフル稼働させながら観察し続けた。




 夕暮れ迫る楽坊の教室は閑散としていた。

桃色やパステルは既に席を外し、残っている楽師も数人程度。

彼女たち以外の楽師はそれぞれ自室に戻ったり、どこか別の場所で練習をしているようだ。

開け放たれた障子戸の奥から微かな楽器の音が不調和に流れ込んでくるのがその証拠だ。

教室内で居残った楽師たちは数人ずつ固まってこそこそと話をしている。

その内容は今も自席に座ってほっとしている鮮やかな新入りについてだった。

しかし当の本人は自分が噂されているなど露ほども思わず、

(今日の授業が終わった。演奏にはなんとかついていけたと思うが、皆のレベルが高すぎる……)

王宮楽坊の楽師たちの腕に脱帽していた。

彼女たちの演奏についていく、いや、そのレベルまで自分を高めるためにはどうすれば……

だが答えは既に見えていた。

その時、

「ねえ」

マゼンタはすぐ左隣から聞こえた声の方角に顔を向ける。

そこには自分より年上ではあろうが、やけに幼い顔立ちで色の白い楽師が椅子に座って目を輝かせていた。

彼女が口を開く。

「あなた、ツキソメとっても上手なのね」

「あ、ありがとう」

褒められた……

赤紫色の少女にとっては意外な反応だった。

私は、褒められる、レベルなのか?

相手は続ける。

「わたしシェル。担当はカンショウ、よろしくね」

カンショウ……

マゼンタは彼女の机の上に置いてある楽器に視線が行った。

木製で小さな穴がポコポコと並んだ茶色い笛が机にちょこんと収まっている。

カンショウとは横笛のことか。

「私はマゼンタ。こちらこそよろしく頼む」

相変わらず無表情のマゼンタと、隣でにこやかに微笑むシェル。

彼女たち二人をその他の楽師たちが面白くなさそうに盗み見していた。その中には当然ながらポピーも交じっていた。

けれどもシェルは周囲の反応よりマゼンタへの興味が勝ったらしい。

いやむしろ周囲の反応に気づいていないのだろう。彼女は興奮したように、

「ねえねえ、あなたって桃色様たちにスカウトされてここに来たんでしょう?いったいどうやってそんなことになったの?」

瞼をひたすらぱちくりとさせる。

マゼンタは正直に答える。

「それが私にもよくわからないんだ」

理由はこっちが知りたい。

「ある日突然家に連絡が来て、王宮楽坊に来てほしいと言われた。桃色、様たちに会ったのは昨日が初めてだ」

「へえーそうなんだ、そんなことってあるんだね」

シェルがとても素直な性格なのか、吞み込みが異様に早いのを見て、

(普通はないだろ)と、少女は突っ込まずにいられない。

「でもツキソメは習っていたんでしょう?あれくらい弾けるってことは相当前からやってるんだろうし」

シェルの声のトーンが自然と上がる。

「それは……」

マゼンタの言葉は詰まるが、反対にシェルは身を乗り出すと、

「それは?」少女の先を促す。

どうしても興味が勝ってしまうようだ。

別に隠す理由はないし、後々知られてああだこうだ言われるのも面倒だ。

ならば今ここで全てを話してしまったほうがいい、彼女はそう判断した。

「私には元々記憶がない」

その瞬間、こそこそと会話していた教室内が水を打ったようにしんとなった。

「気づいた時は荒野に一人でいて、そこを守人のクリムスンに助けてもらい養女となった。で、ツキソメを弾いたのは昨日が初めてで、それまでは塾でセキエというツキソメに似た楽器を習っていた。だから……」

要点だけを説明し、落とした視線をシェルへ戻すと彼女は啞然としている。

室内の楽師たちも言葉を失っていた。

けれどマゼンタは最後まで続けることにした。

「私が前から何か楽器を習っていたかどうかは、自分でもわからない」

全ての音が消えた。

正確には室外からは楽器の音が混ざり込んではいる。

それでも教室の中は温度が何度か下がったかの如く、呼吸の音さえ止まってしまったかのようだった。

それを破ったのは、

「ええええっ⁈そうなのっ⁈そんなことってあるの⁈」

シェルの叫び声だった。

さらには黄みの明るい赤色がマゼンタとシェルの間に勢いよく割り込んできたかと思うと、

「そんな、昨日今日初めてツキソメに触った者が、こんな所にいていいわけがないでしょっ⁈」

マゼンタはポカンとして彼女を見上げる。

美人ながらも険しい顔の彼女は、

「冗談じゃないわよ!ここをどこだと思ってるんですの⁈王宮楽坊よ、が・く・ぼ・う!赤星最高峰の楽団よ!それを、自分がどこの誰かもわからない、しかも守人出身の、さらには昨日ツキソメを初めて弾いた人間が、存在していい場所じゃないのよここはっ!」

「ちょっ、ポピー……!」(たま)らずシェルが止めに入ろうとする。

しかしポピーと呼ばれた楽師は、

「ふざけないで!あたくしたちがいったい今までどれだけ苦労してここを目指してきたのか、あなたにはわからないでしょう⁈」

マゼンタに唾を飛ばしながら続ける。

「こんな、こんな人間が楽坊に入っただなんて……!楽坊史上最大の汚点だわ!」

ポピーはそう言い残すと教室の障子戸へずかずかと歩みを進めた。

彼女の後姿を見つめつつシェルが、

「もう、言い過ぎだよ……」

「汚点」マゼンタは呆然と繰り返す。

「いやっ、そんなことないからね!少なくともわたしはそんな風には思ってないから!」

すかさずシェルが新人をフォローする。

マゼンタはポピーの出て行った障子戸を眺めた。

彼女が言ったこと、私にはよくわからない。

でも、音楽学校や試験がとても大変なものだということは何となく理解できたような気がする。王宮楽坊に入るのは難関だとコチニールも言っていたし。

なのにどうしてかスカウトされて来てしまった私は、汚点と言われても仕方がないのかもしれない。けど……

マゼンタの脳裏にクリムスン、コチニール、カーマイン、葡萄の顔が流れた。

無意識に彼女の拳が握りしめられる。

私にはここでやるべきことがある。だから今は、練習して上達するしかない……!

赤紫色の少女は改めてそう決意したのだった。



 教室を出て廊下を歩いていたポピーの血管は今にもブチ切れそうだった。

何なら心の声が既に口から漏れ出ており、廊下をすれ違う女官たちが不審な表情を浮かべるのも無理はなかった。

「なんであんな記憶喪失の子を楽坊に!ありえない、絶対ありえませんわ!桃色様もパステル様もいったい何をお考えなのか!」

そう非難された楽坊の主とその参謀はというと、主桃色の部屋でまったりとしていた。

というよりほっとしていた、のほうが正しいかもしれない。

桃色は設置された己が机の椅子に座り、パステルは彼女と向かい合うように机の前に立っている。

「今日の授業、あの子はなんとかついていけたようですね」

パステルが切り出す。

「ええ。昨日楽坊入りして曲を練習する時間などなかったはずなのに、譜読みだけであそこまで出来るとは、感心いたしました」

「しかし我々のレベルに達するにはまだ弾き込みが相当足りません」

「それはこれからじっくりと見させて頂きましょう、彼女自身の才能と努力を」

と、桃色が穏やかに微笑んだ。

 それからというもの、楽坊では夜な夜なツキソメの音が響くことになった。

真夜中でも、早朝でも、楽器の音は途切れない。

その音を響かせる楽師は畳の上に胡坐をかき、机の上に開いた教本を見ながらツキソメを一心に練習した。

楽坊の皆についていけるように、そして、クリムスン家の皆のために……!




 クリムスン家の大座敷では今夜も男たちが賑やかに食事をたしなんでいた。

仲間が作った料理を味わい、感想を述べ、もっとこうしたらああしたらと助言を与え、さらなる上達を望む。

勿論料理だけに限らず、武術や戦術に関しても、庭の作物や屋敷の修繕に関してもそれは及んだ。

けれどもとある一角、というより大座敷中央では、どうしてか空気が重かった。

その理由はこの家の誰もが知っていた。

大座敷中央に座ったコチニールがぽつり呟く。

「なんか、マゼンタがいないと、寂しいね……」

コチニールの箸の運びが遅い。食欲までどこかに囚われてしまったのだろうか。

「いやまったく、全然、これっぽっちも」隣に座った弟カーマインが答える。

そういうカーマインの白飯の量はいつも通りだ。

「また思ってもないこと言って」

「思ってるよ心の底から!アイツがいなくてマジせいせいする!」

「サンドバッグの消耗が激しいってワインが嘆いてた」

「それはっ……!俺の成長が著しくてあっちが耐えられないんだっ」

「もう……でもさ、マゼンタ、楽坊で上手くやってるかな」

「アイツの無表情冷徹ぶりからして絶対嫌われてる、間違いない」

「カーマイン……!」

すると見かねた葡萄が助け舟を出す。

「大丈夫ですよ、きっと。あの子には音楽の才能がありますから。それに確かに表情は乏しいかもしれませんがそんな冷徹じゃありません」

コチニールはほんの少しだけ安心したように、

「うん、だよね、そうだよね。きっと大丈夫だよね」

「ええ」

カーマインは米を咀嚼する間に舌打ちをした。

息子たちと葡萄の会話を聞き流していた頭首クリムスンは、何か思いにふけったように箸を置いた。


















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