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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
28/130

第27話 王宮楽坊とツキソメ奏者


日照時間が長くなった。そのおかげで庭の草木はどんどん成長し、畑の作物も実り多いものとなって植物にとっても人間にとっても嬉しい日々が続いていた。

ところがその日の頭首の書斎では混乱と驚愕が混じり合っていた。

頭首クリムスンは一応平常通り机の椅子に座っていたが、目の前で自分を見下ろす彼の右腕は明らかに常軌を逸していたのだ。

「マゼンタを王宮楽坊でスカウトするだなんて、いったい何がどうなってこんな話になったのか……!」

「落ち着け」

「だいたいマゼンタが弾いているのはセキエです。楽坊でそれを使用するなんて聞いたことがありません」

クリムスンは努めて冷静に尋ねる。

「あの子はセキエ奏者としてスカウトされたのか?」

「いえ、ツキソメ奏者としてです……!」

「ツキソメ?」

頭首の眉間に皺が寄る。

「確かにセキエはツキソメと形状が似ているとは思うが、あの子はツキソメを演奏したことがないだろう」

「もちろんですよ……!」

「それに専門の音楽学校を出たわけでもないのに楽坊で通用するのか?」

「しかしこれは……」

何を思ったか葡萄(えび)が突如として反応する。

クリムスンも彼の考えを見抜いたように全ての動作を止めた。

「願ってもない話ですよね」

眼鏡の彼が唾を飲み込む。

頭首は背中を椅子の背にゆったりと預けた。

「楽坊に入るということはクリムスン家の人間ではなくなるということだ」

私たちの手の届く場所ではない……

頭首ではあるが彼女の父親でもある彼は目を細める。

「でも王宮楽坊のスカウトということはほぼほぼ命令に近いです。我々に選択肢があるとは……」

消え入る葡萄の声にクリムスンは思案した。

「楽坊はどこであの子を知ったのだろうな」

「調べてみますか?」

「頼む」

葡萄がいそいそと書斎を出て行く。

頭首クリムスンは椅子にどっしりと掛けたまま前方を睨んだ。

何かが裏で動いている。それは自分たちでは到底制御出来るものではない。

それでも、把握出来るものは全て把握しておきたいし、動かせるものは全て動かし全力で事を成し遂げる。

彼はずっとそう決意していた。



その夜、小さな畳部屋に集められた子供たちは反応がすっかり分かれた。

コチニールとカーマインは仰天して言葉を失い、マゼンタはというと口をポカンと開けたまま理解しているのかどうか、とにかく全身を固めている。

彼らと向かい合うように正座をしたクリムスンは、

「というわけだ」

一通り説明を終え呼吸を置いた。

「ええええっ⁈」コチニールが叫び、

「マジ……」カーマインが二文字漏らし、

「スカウト?」マゼンタは首を傾げる。

「私たちもまだ信じられません。ですが本当の話です」

頭首の隣に座った葡萄が心を震わせつつ何とか言葉にした。

「マゼンタが……⁈」

コチニールは妹を覗き込み、

「マジ……?」

カーマインはそれしか言えなくなり、

「でも私はツキソメを弾いたことがない」

マゼンタは冷静に返す。

なのにツキソメ奏者として楽坊に来いと?

赤紫色の少女は混乱した。

眼鏡の彼も同意するように、

「その点は不思議に思っているのですが……」

すると兄コチニールが閃く。

「もしかしたら、ボランティア先のレストランでセキエを演奏するマゼンタを見た誰かが、セキエはツキソメに似ていると判断して、それも演奏できるだろうって思ったんじゃない?」

「それは……」

あり得るかもしれません……

葡萄もその可能性を考えていた。

マゼンタは首を捻り続ける。

楽坊の人間がタンジャリンの店に来ていた?

「で、おまえはどう思う」

クリムスンが静かに尋ねる。

「私は……」

突然そんな話をされても、どうしていいのか……

これぞまさに寝耳に水だ。

楽坊、スカウト、ツキソメ、ツキソメ?

私が、ツキソメを弾く?

頭首は娘の反応をしっかりと把握した。だから、

「今すぐここで答えを出せとは言わない。楽坊からも時間はもらっているからな。少し考えてみるといい」

マゼンタはクリムスンを真っ直ぐ見つめ返した。



「スカウトってなんだよそれ!だいたいツキソメなんか弾いたことないじゃん!なのに……!てかなんでマゼンタがスカウトされんだよっ!」

夜の屋敷の廊下はしんとしていた。

だが先陣を切って歩くカーマインの声でその静けさは簡単に破られる。

三兄妹は父の書斎から各々の自室に向かって歩いていた。

「まあまあ、そんなに怒らないで」

カーマインに続くコチニールが弟を慰める。これはいつもの構図だった。

「怒ってねーよっ!」

「怒ってるじゃない……」

ブチ切れる兄と彼を抑えようとする兄の後ろで、妹はふと立ち止まる。

「楽坊って、どういうところなんだ?」

兄たちは歩を止め彼女を振り返った。

マゼンタは、

「蛍火の宴で演奏していた、あの人たちが楽坊の人なんだろう?」

優雅に演奏する女たちの姿を思い出す。

様々な楽器に、完璧な技術と表現、どこまでも途切れることのない音……

「楽坊はね、女の人たちだけで構成された、主に王族の方々や執政の方々、あとこの国にとって重要な方々を相手に演奏するプロの楽師の集まりのことだったり、彼女たちが在籍している王宮内の場所を楽坊って呼ぶんだ」

「ふうん」

「僕が聞いている話だと、楽坊は専門の音楽学校を首席で卒業した人が行く所で、たとえ首席で卒業したとしても超難関の試験をパスしないと入れなくて、しかも毎年採用されるわけでもないらしいし、何年かに一度欠員が出れば試験が行われるっていう難関中の最難関だっていうのは聞いてるよ」

「へえ」

兄コチニールが自分の知っている情報を惜しみなく教えてくれた。

音楽学校とやらに入っておらず、卒業もしておらず、超難関の試験も受けておらず、合格もしていない。なのに私がスカウト⁇

カーマインは眉を吊り上げ叫ぶ。

「試験もなくスカウトされるだなんてぜってえありえねえっ!」

彼の言うことは一理ある。

有り得ないだろう、こんなこと。

コチニールはそんな弟とは相反するように、

「だからこそ本当にすごいことなんだよ……!」

きらきらと目を輝かせ、両の指をぐっと組み合わせている。

すごいこと。

楽坊にスカウトされるのは、すごいこと……



それと時を同じくして、クリムスン家ととてもよく似た屋敷の書斎ではその家の主の右腕が頭首に密着するように何やら耳打ちをしていた。

「クリムスン家の養女が王宮楽坊にスカウト?」

茜色(あかねいろ)は事を告げた猩々緋(しょうじょうひ)を見上げる。

「さようで」

猩々緋は険しい表情のまま上体を元に戻した。

「あの子が……?」

頭首はクリムスン家養女、即ちマゼンタの顔を思い出す。

緋色(ひいろ)に勉強を教える為堂々とこの敷地を踏んだ彼女のことを。

茜色は驚きを隠さずに、

「そこまで楽器の腕が立つとは知らなかった。にしてもこのタイミングか」

猩々緋も頷いて、

「王宮守人の件がございますからな。しかしなんとも、クリムスン家の人間が一足先に王宮内に入ることになろうとは……!」

茜色は腕組みをする。

頭首の脳内では様々な事柄が次々と整理され始めた。

ただし、その頭首と右腕の会話を障子の陰で立ち聞きしている者がいた。

彼は驚愕のあまり全身を凍り付かせてしまった。




 塾の教員室では普段通りの光景が広がっている。

マゼンタがセキエを構え、アガットが自席に座りながら彼女を見守り、臙脂(えんじ)は書棚の側に立って取り出した本のページをめくる。何ら変わりない、通常通りの情景だった。

ところが、いつもの少年が乱暴に扉を開いたかと思うと真っ直ぐ赤紫色の少女に詰め寄り、

「王宮楽坊にスカウトされたってホントかよ⁈」

足りない背丈を埋めるように彼女を見上げた。

「え?」

アガットが声を漏らし、臙脂もページをめくる手を止め少女を振り返る。

「ああ、ツキソメ奏者としてスカウトされた」

マゼンタは演奏を止めて答えた。

「ツキソメ⁈」緋色の素っ頓狂な声が響く。

「なっ……」

ツキソメですか……

師匠も言葉を失った。

緋色は混乱しながら、

「ツキソメって、マゼンタはツキソメなんか一回も弾いたことないじゃん!」

「まったくだ。私はツキソメに触ったこともない」

「なのになんで⁈」

「それはこっちが知りたいよ。セキエなら確かにツキソメとよく似ているが……」

少女は手中の楽器に視線を下ろした。

胴の形状は違うがそれ以外はほぼ同じ。

すると調子を復活させたアガットが淡々と、

「セキエが弾けるならツキソメなんて楽勝だと思います」

「え?」

「なにいっ⁈」

マゼンタと緋色が同時に目を見開く。

ツキソメが楽勝?一度も弾いたことがないのに?

師はなぜか得意げに続ける。

「セキエは音を出すだけでも難しい楽器なんです。けれどあなたにはそれが出来たんですからツキソメなど簡単に操れるでしょうね」

「そ、そんな……!」少年が狼狽え、

「そうなのか」少女は驚きつつそれを呑み込んだ。

「ええ、確実に」アガットは断言する。

にしても楽坊ですか……せっかくこれまでセキエを着々と教えてきたのにここでツキソメに鞍替えされるなんて、これまでの努力がああもったいない。

アガットの心の内を見透かしてか、臙脂が彼に不敵な笑みを見せる。

アガットは相手に苦笑いで返すしかなかった。

緋色少年はマゼンタにすがりつくように、

「でもまだ楽坊に行くって決めたわけじゃないだろ⁈」

「ああ」

なんせ話が急すぎるし……

この件は簡単に答えを導き出せる問題じゃない。

「そうですよね、あなたが王宮楽坊に入るということは家から出るということですから」

「え?」

アガットの言葉に少女と少年が同時に反応する。

臙脂も開きっぱなしだった本の表紙を閉じると、

「しかしクリムスン家にとってはどういう判断を下すのか」

誰に言うでもなくぼそりと呟いた。

「クリムスン家にとっての判断?」マゼンタが繰り返す。

緋色も、

「えっ、ちょい待ち、それってここもやめるってこと?オレたちほとんど会えなくなるってこと?」

「そういうことになりますね」

さらりと述べたアガットに緋色は愕然とした。

それは昨晩、父茜色と猩々緋の話を盗み聞きした時と同じくらいの衝撃だった。



子供たちが次々に塾を後にする。

彼らの姿は夕日に紛れてまた明日会おうと告げ、その溢れる活力をそれぞれの家に心置きなく持ち帰るのだろう。

彼らの残影を感じながら、塾の講師たちは窓辺に佇んで外の庭を眺めた。庭には相変わらず遊具も何もないが、雑草だけはしっかりと刈り取られている。

「なんか、もうボランティアどころの話じゃなくなっちゃったね」

アガットがレストランの件について話し始める。

休日の昼間、マゼンタを交えた彼らの演奏はここしばらくきちんと続けられていたのだ。

「私は最初から乗り気じゃなかった」

「うんそれはよくわかってたよ。まあとにかくタンジャリンには次を紹介することにしようか」

「それがベストだな」

「あー、私たちの演奏けっこう人気あったのになぁ。毎週毎週お客さんが列をなして殺到してくれてさぁ」

臙脂は内心酷くほっとしながらも早く次の話題に移りたかった。だから、

「マゼンタの王宮楽坊入りの件どう思う?」

隣で残念がる同僚を素直に覗き込む。

「うーん、少しだけ遠くなるけど、ま、いいんじゃない?」

何を思い、何を考えているのか、アガットの瞳が遠くの空を見つめた。



男たちが敷地内を走る足音が聞こえてくる。

(まと)まって走っているようだ、足音が全てきちんと揃っている。

頭首茜色は書斎にある机の椅子に座って筆を動かしていた。

風通しはいい。

縁側の戸は開け放たれ、室内も広々とし、書棚や本で埋め尽くされているわけでは決してない。

ソファやテーブルも一応(しつら)えてはあるが、それらの背は低く部屋全体は見通しが良かった。

が、たった一つ。

丁度目の前を塞ぐようにその人物がうろうろと行き来し、さっきから自分を見下ろしている。

「もしもだよ、もしも、もしも、もしも、オレが……!」

茜色は筆で書をしたためながら、

「さっきからなんだい?もしももしもって」

「だから、その、もしもオレが、が、楽坊に入ったとしたら……!」

頭首はピンと来て手を止める。

「時々は家に、帰ってこれる……?」

茜色は顔を上げつつも呆れて、

(男子禁制の楽坊に入ったとしたらって……)

息子の真剣な表情を拝んだ。

何が言いたいかはわかった。何を聞いたかも瞬時に理解した。

茜色は穏やかな顔のまま、

「年に一度は戻れるらしいよ」

現実を突き付けた。ここで噓偽りを述べてどうする。

緋色は愕然と、

(年に一度……⁈)

たったそれだけ⁈夏休みとか⁈年末年始のお休みとか⁈そういうことっ⁈

それでは年に二回の休みになるだろうが、この際少年には関係なかった。

「でも詳しいことはわからないけどね」

頭首がまた書に戻ろうとする。が、

「だったら楽坊はケータイの持ちこみとか出来る⁈」

この子はまったく……

茜色は再び顔を上げると、

「さあ。けど情報が漏れたら危険だから楽坊での所持は禁止だと聞いたことはある」

知っていることだけを正直に伝えた。

「そんな……!」

ケータイ持ちこんじゃいけないなんて、今時そんなのアリかよ!

緋色は王宮楽坊のしきたりを罵った。

「なぜ?」

「へ?」

「なぜそんなことを聞くんだい?」

父の目が息子の目を貫く。

「えと、それは、なんというか……」

「緋色。おまえ、クリムスン家のあの娘と接しているだろう」

少年は瞬時に固まった。

やっぱり、気づかれて、る……

「あれほどあの子に関わるなと言って聞かせたのに……」

茜色の溜息を遮るように両手をブンブン振りまくると、

「な、ないないないない!そんなこと絶対ない!父上何言ってんの、やだなあもう!」

少年はその場から慌てて立ち去った。

こんな状況、逃げるが勝ちだろっ……!

父は息子の去ったほうを見つめながら呟く。

「あのね緋色、それはあるって言ってるようなものだよ」

けれど頭首は微笑んでいた。

どうにか画策しなければならないと思っていた件が、一つあっさり片付いた。

これで、マゼンタとの縁は切れる。

彼は心の奥底から安堵した。




 マゼンタが王宮楽坊にスカウトされた話は火花の如く広がりを見せた。特にクリムスン家の男衆の間ではそれが活発に議論され、今後どうなるのか本人に確かめようという輩さえ現れる始末だった。しかしそれが現実にならなかったのは、やはりワインやボルドーがしっかりと手綱を握っていたからだろう。二人は今道場で他の男たちに交じりながら互いの襟元を掴み合っていた。

「お嬢はもう答えを出したんだろうか……!」

「そんな簡単に決められるもんじゃないだろ……!」

ボルドーに対しワインが言った。

「なんか複雑だよな……!これまで何度か稽古相手になってもらって、かなりいい練習になったっていうのに、もしかしたらこれでさよならかもしれないだなんて……!」

ボルドーは彼女にあっさり投げ飛ばされた時のことを思い出す。

あの華奢な体のどこにそんな怪力があるのか、不思議で仕方なかった。

「クリムスンはどう思っているのか……!」

ワインは頭首のほうに思いを馳せる。

荒野で助けた少女を自分の娘にしたと思ったら、あっさり楽坊に見つかって連れていかれるかもしれなくて……でも。

「お嬢が楽坊に入ることは名誉だとは思うけど、この家にとっては痛手でしかないだろ……!」

ボルドーが言いながらワインの襟を強く掴んだ。

「どうかな……!」

ワインも相手の襟を握りしめた。



大座敷はいつになくひっそりとしている。

男たちは普段通りお膳の前に座って皆箸を進めているし、一応会話もしてはいた。けれどもその場の人間の多くが座敷の中央辺りに座る頭首一家にチラチラと視線を送っている。

今日も一家は頭首クリムスンを始め、葡萄、コチニール、カーマイン、マゼンタの全員がきちんと揃って食事を取っていた。

が、男たちは一家の末娘がどんな決断を下したのか気になって仕方なく、無意識に声を潜めてしまったのである。何か漏れ聞こえやしないか、お嬢はどうするのか、クリムスンはどう考えているのか、男衆の興味は尽きなかった。

その時、クリムスンが箸を置く。

「それで、この間の話、おまえの考えはどうだ?」

頭首はマゼンタを見つめた。

「それは……」

少女の箸が止まる。

はっきり言って、まだ答えが出ていない。楽坊にスカウトされたということは光栄なことなのだろう。だが、家を出るということは、父上やコチニール、カーマイン、葡萄ともそうそう会えなくなるということで、もう皆の傍にはいられないということで……

兄コチニールは隣に座る妹の顔を心配そうに覗き込んだ。

「マゼンタはセキエは上手いけどツキソメは弾いたことがないんだから悩んで当然だよ」

「あ、ああ」

コチニールが助け舟を出してくれたが、その点はアガットが問題ないと言っていたことを彼女は思い出す。

「だよな。こいつが楽坊で通用するとは到底思えない。だって音楽学校も出てないんだぜ」

カーマインもこれは助けてくれているのか?

少女にはいまいちわからなかったが、そもそも音楽学校がどういう所なのか想像もつかない。

すると、すっかり冷静さを復活させた葡萄が、

「王宮楽坊からのスカウトはほぼ命令に近いんですよ」

淡々と言う。

「命令……」

マゼンタはその単語を繰り返した。

カーマインが葡萄に対しキーッとなり、コチニールは弟の態度に笑顔を歪ませる。

少女は箸を膳に置くと、

「父上はどう思う?」

「どうとは?」

「クリムスン家にとって私は必要か?」

頭首、コチニール、葡萄の三人が息を呑んだ。

カーマインだけは呆れて、

「はっ、何だよそれ」

「必要に決まってる!マゼンタは大切な家族だもん!」

コチニールが咄嗟に声を荒げる。

ところが彼女は頭首を真っ直ぐ見上げたまま、

「クリムスン家にとって私は使える人間か?」

コチニールは啞然とし、葡萄は目を見張る。

クリムスンは真剣な眼差しでマゼンタを見返した。

カーマインはイライラしながら、

「さっきから聞いてれば、スゲー自信……!」

「カーマイン」

この家の頭首であり父親でもある彼がカーマインを黙らせる。

「だって……!」

カーマインは文句を続けようとするもあっさり口を閉じた。

悔しいがこれ以上はさすがに何も言えない……!

父の力の強さ、恐ろしさを重々承知していたからだ。

クリムスンはまた少女に向き直ると、

「確かにおまえの存在はこの家にとって重要だ。コチニールやカーマイン、男たちにとってもいい刺激になっているし、何より私が不在の間、葡萄を護ってくれたことは今でも本当に感謝している。だからおまえはこの家にとってかけがえのない大事な存在だよ。だが今ここで大切なのはおまえ自身の気持ちだ。たとえ王宮楽坊の命令だとしても、嫌なら断ることも可能だからな」

「クリムっ……⁈」葡萄が驚愕のあまり言葉を切る。

この人はまた何を言い出すのか……⁈

眼鏡の彼は何か言いたげに頭首を凝視したが、相手は一切表情を変えずに娘を見守っている。

「気持ち……」

マゼンタはただただ前方をじっと見つめた。

私の、気持ち?



気まずい夕食を終え、いつの間にか廊下をコチニールとカーマインの二人だけが歩いていた。

弟カーマインは先程の席でたしなめられた鬱憤を晴らすように、

「なんだよアイツの気持ちって、そんなのどうでもイイじゃん!なんで父上はマゼンタにばっかりあんな甘々なんだよ!」

さっきから同じ台詞をずっと吐いている。

彼の前を進んでいた兄コチニールには気にかかることがあった。

「マゼンタも父上も、必要とか、使えるとか、僕たちのこととか、葡萄を護ってくれたこととか、そういうのじゃなくて、なんていうか、ただ単純に、マゼンタはもう僕たちの大切な家族なのにな……」

コチニールの思いが口から(こぼ)れ落ちた。

だから二人の会話についていけなかったし、呆然としてしまったのだ。

僕らは大切な、かけがえのない、家族なのに……

その時、背後からの鋭い声がやっと自分に届けられる。

「兄貴俺の話聞いてる?」

コチニールは弟を振り返る。

「えっ、あ、ごめん、なんて?」

「もう、マジかよ……!」

自分の世界に飛んでいってしまった兄に対し、弟は再度愚痴講義を開始させた。

その頃、クリムスンの書斎では頭首が机の椅子に掛け、彼の右腕と向かい合っていた。

こいつが何を言いたいかは言葉にしなくてもよくわかっている。それでもそれを止めるつもりはない。

案の定、葡萄は想像通りの文章を口から放ち始めた。

「マゼンタの気持ちによってはスカウトの件を断るつもりですか?そんなこと、断るなんてそもそも出来ませんし、今後この家のためにはあの子が楽坊に入ったほうが断然都合がいいじゃありませんか、王宮内の情報が降りてくるんですから……!」

「それは充分わかっている」

「だったら……!」

「でも無理強いをしてまであの子を楽坊に行かせたいとは思わない」

葡萄は面食らった。

そこまで、そこまでとは、クリムスン……!

眼鏡の彼は恨めし気に彼を見下ろす。

「あなたは、本当にマゼンタに甘いです、甘すぎです!」

頭首はゆったりと背もたれに背を預けた。

「自分でも理解しているよ」

これがコチニールやカーマインだったら同じ対応など絶対にしない。その自信だけはある。

「まったく……」

葡萄はやれやれと首を振った。

二人の会話を、縁側の障子の陰に立ったマゼンタが聞いている。

赤紫色の少女は無表情のままその場に立ち尽くした。



夜も更け、屋敷の全てが寝静まる頃、少女は縁側に腰掛け足を投げ出し空を眺めた。

細かく煌めく星々の中に一際巨大な橙色に光る星と紫色に光る星が浮かんでいる。

あれがきっとコチニールの学校の授業で言っていた橙星と紫星なのだろう。

マゼンタは二つの星を見上げながらそんなことを思った。

が、すぐに思考はこれからの件に引き戻される。

楽坊に入るか、入らないか。

私の気持ちは、どうなのか……

ふと、彼女の脳内に初めてクリムスンと出逢った時の光景が流れた。

荒野で襲われそうになった時、彼に、父上に助けてもらった。

さらに脳はコチニールとカーマイン、葡萄やワイン、ボルドー、男たちの顔を思い出させる。

少女は夜空を眺めながら考えた。

私がこの家に来て、言葉を教わって、文化を教わって、塾にも通わせてもらって、勉学も音楽も学ばせてもらって、ボランティアをすることも許してくれて、多くの物とかけがえのない時間と経験を与えられた。見ず知らずの、どこの誰かもわからないこの私に、父上も、コチニールも、カーマインも、葡萄も……私は、これだけ多くのものを与えられて、何かを皆に返すことは出来ないのだろうか?

すると耳の奥で眼鏡の彼の言葉が蘇る。


「そんなこと、断るなんてそもそも出来ませんし、今後この家のためにはあの子が楽坊に入ったほうが断然都合がいいじゃありませんか、王宮内の情報が降りてくるんですから……!」


言葉の文末がクルクルと渦を巻く。

マゼンタは何かを決意したように庭園の奥を見つめた。




翌朝、日の光が屋敷を照らし始める時刻、少女は畳の部屋でクリムスン、葡萄の二人と向かい合っていた。

彼女は唐突に、

「私は、王宮楽坊に入る」

赤紫色の瞳が真っ直ぐ見開かれている。その目は一切揺らぐことがない。

頭首は静かに尋ねる。

「それがおまえの出した結論なのか?」

「ああ」

「本当にそれでいいのか?」

クリムスンは念押しをした。おまえの意志は変わらないのか、と。

少女は一つ呼吸を置くと、

「構わない」

はっきりと断言した。


















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