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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
22/130

第21話 ここがどこだか、わかってるの


 茜色家(あかねいろけ)にも大きな座敷部屋はある。畳がずらりと整列し、周囲は障子戸で囲まれ、この家の男たち全員とは言えないがある程度の人数は収容できる場所だ。そこはクリムスン家同様茜色家の男たちが食事を取ったり、大人数が集まって何か催しをするにはもってこいの場所だった。

本来ならば現在は夕食の支度が着々と進められる時。畳には大きな机がずらり並べられ、そこに座布団が添えられ、湯気をもくもくと立たせた真っ赤な大皿料理がどしりと置かれていく、はずだった。

けれど今は机も座布団も料理もない。

代わりに大勢の体格の良い男共が丸い輪になって何かを取り囲んでいた。彼らを纏めているのは勿論この家の頭首茜色で、その隣には猩々緋(しょうじょうひ)も控えている。

彼らの多くは眉と目尻を吊り上げ今にも輪の中心に飛びかかりそうな勢いだったが、頭首だけは至って落ち着いていた。

「父上!窃盗犯は⁈」

塾から急ぎ帰ってきた緋色(ひいろ)が座敷に走り込んでくる。

「ああ、今目の前にいるよ」

少年は男たちを搔き分けて輪の中に入ると、彼らの先頭に出た。

が、彼は途端に言葉を失った。

(こいつが、窃盗犯?)

少年の目の前にいたのは、中年でげっそりとし、あまりに肉付きがない為に着ている服が肩からずり落ち腰紐も今すぐ(ほど)けてしまいそうなほど頼りなさげな男だったのだ。

男は畳に両膝をつきながら落ち窪んだ眼と無精髭をプルプルと震わせている。

(なんか、イメージと違う)

心の中で緋色は感想を述べた。

「だから、お主がやったんじゃな?正直に白状せい」

猩々緋が痩せ細った男に迫る。

猩々緋の顔は彼の体同様ゴツゴツとしていた。決して怒っているわけではないのだが、迫力は異常にある。

「だから、何度も言っているように、オレはやってないって……」

痩せた男は泣きべそをかいていた。このまま放っておいたら下のものまで漏らしてしまいそうだ。

「嘘をつくなっ!お主が我が茜色家の名刀〝オモヒ〟を盗もうとしていたのは明らかじゃ!」

猩々緋が急にブチ切れる。やはり怖い。

「オモヒ?ああ、飾ってあるヤツ」

緋色は今自分がいる大座敷の床の間にあった刀を思い出す。現在は屈強な男たちに囲まれてその姿を直接拝むことは出来ない。

「だ、だから、オレは、盗もうとしたんじゃなくて、たまたま通された客間に、飾られていたそれを、眺めていたら、突然怪しい奴だって、責められて……」

瘦せた彼の言葉が立ち消えていった。

「苦しい言い訳だね」

頭首が穏やかながらも冷たく述べる。

「本当だって……!」げっそりとした男が茜色を見上げた。

「見え透いた嘘を!」と、猩々緋。

「だから、ウソじゃないって……!」

瘦せた彼と猩々緋の攻防が続く。周囲の男たちも鼻息荒く、今にも彼を沸騰した大鍋にぶち込みそうな勢いだ。

そんな中、緋色はふと

「あのさあ、そもそもなんであんたはここに通されたの?」

素朴な疑問をぶつける。

男は鼻を(すす)りつつ、

「それは、戦場から、別の刀を届けに来て……」

彼の答えに男たちがわあわあ騒ぎ始めた。

もうこれで奴が犯人に違いない、決定だ!

彼らはそう決めつけた。

「本当だって!」

瘦せ細った男は懇願する。自分は嘘はついていない、真実を述べていると。

「じゃあそのおまえが持ってきた刀は今どこに?」

茜色が目を細めて尋ねた。

「それが、ここに置いておいたはずが、騒ぎのうちにどこかへ……」

男たちがさらに騒ぎ出す。

「ウソじゃないってぇぇ……!」

涙も鼻水も垂れ流した彼が周囲を見回した。

しかしその場に味方は一人もいない、全員敵方だ。これではどうにも仕様がない。

けれどもとある人物が何やら考え込み始めた。彼はそれまでの態度とは一変し、しきりに首を傾げている。

彼の表情に気づいた頭首は、

「どうした猩々緋」

茜色家頭首の右腕である彼は顎に手を当てると、

「そういえば、この間戦場で〝リーゴンノース〟が紛失していたのを今思い出しまして」

「……え?」茜色の声が掠れる。

同時に緋色がふと足元に視線を落とした。

男たちの足の間、畳の上に縦長の木箱が無造作に置かれているではないか。その長さは丁度刀が一本収納出来る大きさだった。

「もしかしてこれ?」

少年がその箱を持ち上げる。

「ああっ!それっ、それです!」

瘦せた男の目にほんの微かな光が差した。

緋色から受け取った箱の蓋を猩々緋が開封する。箱の中にはしっかり磨かれた刀がただ静かに収まっていた。

その場の全員の息が一瞬止まった。

「誰じゃあっ⁈早とちりしたのはああっ⁈」

猩々緋がこれまでとは反対方向を見回して唾を飛ばす。

茜色家の男たちは彼と目を合わせないように皆(うつむ)いたが、責められていた男は安堵のあまりへなへなと座り込んだ。

頭首はすぐさまその場に正座をし、

「大変申し訳なかった。せっかく刀を届けてくださったのに勘違いをしてしまって」

頭を下げた。

猩々緋や周囲の男たちも次々に正座をし、茜色に倣う。

刀を届けただけの男はその場にぐったりとし魂が抜け出ている。

「何これ」

ただ一人、緋色だけは全員を見回し呆れ果てた。



(緋色は大丈夫だっただろうか。まさか守人(もりひと)の家に窃盗犯が入るだなんて、狙うほうも狙うほうだが……)

その日の夜、マゼンタはいつものように屋敷にいくつもある畳部屋の一つでセキエを練習していた。

部屋の中央に正座をして、ただ静かに楽器を奏でる。今の彼女の目標はどれだけ微かな音で鳴らすことが出来るか、だった。

セキエを爆音で奏でることは当初達成した。だから今はその対極になる極小の音に挑戦していたのである。

弦に触れるか否か、弓を微かにゆっくりと動かす。少女は弓と弦の接着面を凝視した。

一応音が隣室に響かないよう襖は閉じてある。しかし縁側は普段通り開け放たれ、庭の生き物たちが今夜も心地良く練習に耳を傾けていた。

少し前のような酷い音はもう鳴らない。それよりもなんと素晴らしい音色だろうか。これでは誰もがウトウトと熟睡してしまうだろう。彼らは皆居心地の良いその音楽に安心しきっていた。

ところが突然、隣の部屋に繋がる襖がそっと開いたかと思うと、明らかに怪しげな坊主頭の男が室内に足を踏み入れたのである。

マゼンタは演奏の手を止めて彼をポカンと見上げた。

彼もまさか中に人がいるとは思ってもみなかったらしく、固まったまま動けなくなっている。

少女はこんな男がクリムスン家にいただろうか、と記憶を掘り起こしつつも彼が背中に背負った大きな袋に目が行った。

その袋からは何本もの刀の(さや)が覗いており、どれも美しい装飾が施されている。

彼女は彼をじっと見つめた。

一方彼、即ちオーバーンはというと、目の前の少女が手にしている楽器に釘付けになっていた。

特に何か特徴があるというわけでも装飾がなされているわけでもないが、胴も棹も弦も弓も艶やかに輝いてなぜか引き寄せられる。

なんなんだ、これは……

彼はもうその楽器の虜になっていた。

「おいお嬢ちゃん、大人しくその楽器を渡しな」

オーバーンは少女のほうへじりじりと近づく。

「なぜ」

彼女は全く表情を変えずに尋ねた。

「いいから言う通りにしろ」

「断る」

少女はやけに落ち着いていた。反対に心臓がバクバクと高鳴っていたのは男のほうだった。

獲物を前にした高揚感なのか住人と鉢合わせてしまった恐怖なのか、その正体は何なのかはっきり掴めなかったが、これから何かが起こりそうな緊張感だけは感じられた。

オーバーンは背中に腕を伸ばすと、袋の中から無造作に刀を一本抜く。

マゼンタはその光景を冷静に眺め、次の展開も読んだ。

奴は私に刀を向ける……実際男はその通りの行動を取った。そして、

「オレは本当は誰も傷つけたくないんだ。ただ人様の物をほんの少しだけ頂ければそれでいい。だからその楽器を渡すんだ」

「なら力づくで奪えばいい」

少女は正座をしたまま一切身動きせず答えた。

「ふっ、聞き分けの悪い女だな……!」

その時、意外なことが起きた。

何者かが今彼が入ってきた襖の向こう側からのんびりとやってきたのである。

彼は、

「マゼンタ、練習終わ……」

そうして室内に入った途端、オーバーンと目が合った。

「えええええっ⁈」

コチニールが思わず立ち(すく)む。

なっ、えっ、誰この人っ⁈しかもマゼンタに刀向けてるっ⁈

兄は予想だにしなかった光景に一瞬(ひる)んだ。

「お、大きな声を出すな……!」

怯んだのは住人のほうだったのに、なぜか盗人も慌てている。

まさかさらに別の人物と鉢合わせするとは思ってもみなかったのだ。

(畜生、タイミングが悪い……!)

男は少女と少年どちらに刀を向けていいかわからず刃先を右往左往させる。

コチニールは妹に視線を向けると、

「ま、まさか、窃盗犯……⁈」

「らしい」

「ここがどこだか、わかってるの、この人……!」

「どうだか」

「だ、だから声を出すなって……!」

オーバーンの顔中から大量の汗が噴き出ている。汗は(てのひら)にも伝わり今にも(つか)が滑り落ちてしまいそうだ。

(うわぁ、守人の家に盗みに入るなんて、ある意味すごいよ……)

コチニールは若干感心した。

その時だった。さらに予想だにしない展開を迎えたのは。

「マゼンタ」

誰かが縁側の廊下から少女の名を呼びつつ近づいてきている。

今度はなんだ……⁈

男は思わず縁側に顔をやった。

近づいてきた声の主は少女がいるはずの室内を覗くと、

「練習は終わり……」

オーバーンに目がぴたりと合った。

「ぅわあああああっ!」

やっぱり予想外の光景に葡萄(えび)が声を上げる。

な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、なっ……⁈

眼鏡の彼の思考は完全にパニック状態に陥った。

「クソっ!」

盗人は咄嗟に縁側から逃げようとする。が、そのすぐ側には葡萄が立ち竦んでいた。

マゼンタは一瞬で立ち上がり、コチニールも駆け出し始める。

(今日はツイてねえっ……!)

オーバーンが縁側の床を踏み込もうとした瞬間だった。

二つの足跡が彼の背中の袋越しにめり込む。

しっかり蓄えた袋の中身たちもさらに後押しし、男は庭へ顔面から落っこちた。

(ホントにツイてねえ……)

盗人は白目をむきながら思った。守人の家なんかに、忍び込むんじゃなかった……

彼の背後では葡萄がすっかり腰を抜かしている。

眼鏡の彼の側に立ったマゼンタとコチニールは共に坊主頭の男を見下ろしていた。

「マゼンタ、大丈夫?」

兄が共闘した妹に声を掛ける。

「ああ」

「葡萄は?」

「な、なんとか……」

葡萄の脳はまだパニックを脱していない。それでも目の前の二人が自分を助けてくれたのは理解していた。

すると庭の端から数人の男たちが駆けてくる。その中にはカーマインやワイン、ボルドーも含まれていた。

「なんだよ今の悲鳴!」

弟カーマインが叫ぶ。

「ああ、葡萄の。でももう大丈夫」と、コチニール。

「こいつは……⁈」

ワインが倒れている男に目を見張った。

「例の窃盗犯」

コチニールの返答に弟と男たちの叫喚(きょうかん)が響き渡った。



翌朝のクリムスン家はこれまでにないほど静かなものだった。

一晩中騒がしかった敷地内も鳴りを潜め、毎朝けたたましい鳴き声を発する鳥たちもすっかり落ち着いてしまっている。

ここが本当に大勢の男たちが暮らす守人の家なのだろうか。今この瞬間だけを切り取ったら人々は必ずそう思うだろう。

その証拠に敷地を囲む白壁の一角、重厚な木材で出来た門から出てきたのはたった二人の少年だけだったのである。彼らは各々四角い鞄を背負っていかにもこれから学校へ向かう様子だが、一人はとにかく眠そうにあくびを連発し、もう一人はなぜかすこぶる機嫌が悪かった。

「夜遅くまで警察の人に色々質問されてクタクタだけど、犯人が捕まってよかったよね」

コチニールが今にも塞がりそうな瞼で言う。

「誰も怪我をしなかったし、父上も急遽帰ってきてくれたし。でもみんなは警備が甘いって父上からたっぷり絞られるんだろうな」

兄はワインやボルドーや男たちのことを思うとちょっぴり気が引けた。

「そんなことはどうでもいいんだよ!」

突如カーマインが怒鳴る。

「え、なんで怒ってるの?」

弟は兄とは反対に瞳を吊り上げると、

「なんであいつを倒したのが兄貴とマゼンタなんだよっ!」

昨晩から何度も聞かされた台詞を吐いた。

「あ、それね」

「まったく、あの窃盗犯も窃盗犯だぜ!俺の前に現れてくれれば一発で倒してやったのによっ!」

カーマインは歩きながら地団太を踏みまくる。

コチニールは苦笑いで、

「カーマインは元気だなぁ」

「今それ関係ねえだろっ!」

「あはは、かなぁ」

「寝不足でボケてんじゃねえぞっ!」

「はーい」

兄はふらふらのまま、弟は毒づきながら今日も元気に登校したのであった。



頭首による男衆への一通りの注意喚起が終了した後、彼は右腕である葡萄と共に娘と向かい合っていた。

畳部屋は襖も縁側の障子戸も開け放たれているが、そこに正座した彼ら自身と昨晩の喧騒から空気はまだ()り固まっている。

それでも彼は頭を下げた。それは当然の行為だった。

「マゼンタ、葡萄。危険な目に遭わせてしまい申し訳なかった。何も弁解する余地はない。全てはこの私の責任だ」

眼鏡の彼は頭首の行動に慌てた様子を見せると、

「いやっ、私も、窃盗犯が侵入したというのに全く気づくことが出来ず、マゼンタとコチニールを危険な目に遭わせてしまい、申し訳ございませんでした……!」

クリムスンよりも深く頭を下げる。

赤紫色の少女は二人の大の男が頭を下げ合う光景に、

「全然危険ではなかったぞ。あの男は盗むことは上手いのかもしれないが、武術は身につけていないようだったし」

頭首と彼の右腕は頭を上げると何とも言えない表情になった。

「でもマゼンタ、葡萄を護ってくれたこと礼を言う。ありがとう」

「あ、ありがとうございます」

「それを言う相手は私だけではなく、コチニールもだ」

クリムスンはふっと微笑むと、

「そうだな」

彼女がとにかく今回の一件を自分の成果にしないのは見え見えだった。けれど彼は心底思っていた。この子がこの家にいてくれて本当によかった、と。



 塾の教員室には珍しく四人が揃っている。一人はアガット、一人は臙脂(えんじ)。彼らは教員なのでそれぞれ自分の席にちゃんと収まっていた。そしてもう一人はマゼンタ。彼女はいつもセキエの練習に来ているのでアガットの前に立っている。そして最後の一人は緋色だ。彼は少女の隣に立っていたが、なぜ彼がこの場所にいるかというと、昨日の窃盗事件で授業中に帰宅することになった為一応その報告に来ていたのだ。

「もう信じらんないよ、窃盗犯がクリムスン家に忍びこむだなんてさ!警備弱すぎ!」

黄みがかった赤色の少年が嘆く。

しかし臙脂は、

(茜色家も一般人を窃盗犯と間違えて捕まえただろう)

口には出さないものの内心呆れていた。

アガットは少女を見上げると、

「けどあなたとあなたの兄君が犯人をやっつけてしまったのでしょう?」

「まあ」

やっつけたというか、ちょっと蹴っただけなのだが。

彼女にとっては倒したうちに入らない。

「あーあ、それもまた信じらんねえ」

犯人を倒したのが大人たちじゃなくてマゼンタとコチニールっていうのがなぁ。イラッとする……!

緋色が気になっているのはその部分だった。むしろその部分だけだった。

「でも皆無事でよかった。誰もケガをしなかったし、盗まれた物は捜査が終わったら戻ってくるらしいし」

刀ごと蹴ってしまったがそれらも壊れることなく全て無事だった。

少女はほっと胸を撫で下ろす。

「マゼンタ」

「ん?」

師匠が穏やかに微笑みながらも妙に真剣な眼差しを向けている。

「今回のことは大目に見るとしても、自分の体だけは大事にしてくださいね」

「体?」

「このままセキエを続ける気なら」

彼女はアガットに視線を合わせ続けた。彼の表情は大いに何かを語りかけていた。



よく晴れた縁側にクリムスンと葡萄が並び立ち庭園を眺めている。

昨夜起きたことはまるで夢の如し、この温かな日差しの中では何事もなかったかのように錯覚した。

しかしそれらは全て現実。この家から何本もの刀が盗まれそうになり、息子や娘までもが狙われた。

だからこそ頭首は思った。

「マゼンタに武術が出来てよかっただろう?そのおかげでおまえは無事でいられたといっても過言ではない」

「それは、そうですが……」

眼鏡の彼の脳裏に今まで自分が発した言葉が再現される。


「マゼンタは女の子です」

「言っときますけどマゼンタは女子ですよ!」

「だから何度も言っているように、この子は女の子です……!」


これまで何度同じ文言を色んな相手にぶつけたことか。

(確かにそのおかげで私は助かったのかもしれませんが……)

葡萄は心の中で愚痴を吐いた。

クリムスンはあくまで冷静な瞳で、

「以前あの子が言っていた。〝何かあればコチニールとカーマインのところにも、この家にもすぐに駆けつける〟と」

眼鏡の彼ははっとする。

塾を変える変えないの話し合いをしていた際、彼女の口から出た言葉。

なぜあんなことを言ったのか、本人さえよくわかっていないようだったが。

「まさかその通りになるとは……」頭首が溜息をつくように呟いた。

現実にはなってほしくなかった。しかしマゼンタのおかげで皆が無事であったことに変わりはない。

彼の娘に対する信頼と評価が確固たるものに変わった瞬間だった。

「と、ところでクリムスン。我が家と茜色家の情勢ですが、日々一進一退を繰り返していて、大きく突き放すには何かそれ相応のきっかけがなければまた彼らに頭一つ、いや二つ三つ抜かれてしまいます」

明らかな話題の転換に大男は隣の彼を幾分白けた目で眺める。

話をそらしたな。

(そりゃそらしますよ……!)

葡萄が頭首の心を読むように叫んだ。

クリムスンは庭よりも奥、その先を見つめると、

「その件については王宮から新たな依頼があった」

眉間の皺を一層濃くした。




 夕暮れ時から本格的に夜を迎えた頃、その店には人々が集まり始める。

日中の仕事を終え、疲れ切った体が飲み物や食べ物を渇望し、それらを自らに与えて生き長らえる為、はたまた友人や同僚や恋人に愚痴を聞いてもらう為、彼らはそこにやって来る。

出て来るものはどれも珍しく純粋なこの国の料理ではない。それでも味は美味く店主も料理人も人がよく、人の足が絶えることはなかった。

照明が落とされた店の中はちょっとした宴会場になりそうな広さで、丸いテーブルに椅子が六つ八つ配置され、酒が並ぶカウンターにもいくつか席が設けられている。その隣には奥が丸見えの厨房があり、元気な女性料理人がテキパキと今日の献立を生み出し続けていた。

この店には周辺の店にはないとある特徴があった。

厨房やカウンターの真向かい、丁度小さな壇上があり、頭上や脇には幕も蓄えられ数人の人間が出し物をする場があったのだ。

今もその場所で四人の男女が着飾り、手にはそれぞれ違う形の楽器を持って、よく言えば思い思いに演奏をしている。

しかしテーブルにちらほら見える客たちは誰もそれを聞かず、話や食事に夢中になっていた。

その中には馴染みの顔もあったが、彼らはなるべく音を聞き流すようにしたり、目の前に置かれた冷たい飲み物に集中しているようだった。

「このままあの子にセキエを教え続けるのか?」

臙脂が同僚に問う。もう何度も問いかけた質問だ。それでも確認せずにはいられない。

「彼女が求めるならね」

「本気か?」

「まあね」

臙脂は自分から一つ席を空けて座るアガットをじっと眺める。相手はグラスについた水滴を人差し指で弄んでいた。

「なに?」アガットが視線に気づいて同僚に顔を向ける。

「いや」

「君が言いたいことはわかるよ。けどさ、何も音楽を学ぶことは悪いことじゃないでしょ?」

「それはそうだが。そこまでやる必要があるのか?」

「まあねぇ、必要があるかって言われたらないかもしれないけど」

アガットは椅子の背もたれに自分の背中を預けた。

「おい」

「ははは」

「私たちは彼女に勉学を教えている、それだけでもう充分だろう?」

「そう言われると反論する余地はないなぁ」

「まったく」

臙脂は毎度のことだが呆れ返る。やらなくていいものならやらなくていいだろうに。だがその考えはアガットには通用しない。やりたかったらやる、気になるからやる、それがきっといつかの為になる。しかも側の人間を巻き込む。反論してものらりくらりかわす。それがこの男だ。

さすがにもう慣れた。でも今回の件は本当にやらなくていいやつだろう。臙脂はそう確信していた。

その時だ、ふとステージの演奏が止まったのは。

特に音楽に携わっていない者なら何とも思わないであろう演奏だったが、そうではない者たちからしたら聞かなくてもいいくらいの音だった。むしろないほうが会話を楽しめるのではないだろうか。だからその音たちが止まってくれて臙脂はほっとしたのである。

たまたまアガットが入りたいという店にやってきたら聞きたくもない演奏を聞く羽目になる。奴はそれさえ楽しんでいる様子だが自分からしたら有り得ない事態だ。こういうことがアガットと一緒にいると常であった。

ところがだ。

演奏が止まって音が消えたのはいい。だがその代わりステージに立つ演奏家たちが何やら痴話喧嘩をし始めたのだ。

「おや?」

アガットがステージに目を向ける。

「なんだか揉めているみたいだな」

さすがの臙脂も彼らを見上げた。



店主タンジャリンはオロオロしていた。ただでさえ最近肉がついていい具合に肥えた腹と尻が震えるほどだ。

ステージ脇にある四畳半のスペースには自分と男女四人の演奏家がひしめき合っている。

しかも彼らはそれぞれ突っ張った楽器を抱えているものだからとにかく狭くて仕方がない。

さらには彼らが客に聞こえやしないかという声量で互いを(ののし)り合っている。

どうにかこれをなだめなければ……!タンジャリンは先程から両手を前に出して皆を落ち着かせようと必死だった。

けれど彼らはどんどん怒りをあらわにしていく。

「もうこりごり、マジやってらんない!」

「それはこっちのセリフだ!オレの音をちゃんと聞けないなんてな!」

「なんなのそれ!アンタのバンドじゃないでしょ⁈」

「おまえも音ハズれすぎ。もっと上手くやれって」

「なんだってえっ⁈」

「とにかく、アタシはもう辞めるから、じゃあね!」

演奏家の一人が去っていく。

「えっ、ちょっ……!」

タンジャリンは慌てて彼女を引き留めようとするが、

「オレもやってられるかよ!」

また一人、ホールに繋がる幕をめくり出て行ってしまう。

「そんなっ、急に辞められたら困るよ!」

「そんなの知ったこっちゃないね!」

「ちょっ、ちょっと!」

結局、タンジャリンの前から全員がいなくなってしまった。

「そんなぁ……」

彼らが去った幕を眺めて肩をがっくりと落とす。

紅国人(くれないこくじん)は礼儀正しくて約束を守る人種だと思っていたのに……

その光景をステージ側の幕の隙間から覗いている人物たちがいた。

無論、アガットと臙脂である。

「まあ、よくある仲間割れってやつだな。で、こんなのを見てどうする」

臙脂が小声で囁く。

「ふふふ。いいこと思いついちゃった」

アガットの表情に彼の背筋はいつもの如く凍り付いた。




アガットは早速昨晩の出来事を少女たちに話して聞かせた。

少女たちというのはマゼンタと緋色のことである。緋色は窃盗事件が起きてからというものよく教員室に()(びた)るようになっていた。そうして少女のセキエの練習に付き合ってやっているらしい、本人的にはだが。

とにかく今も二人は自分の前に行儀よく並び立ち、熱心に耳を傾けている。

「それでそのお店で雇われていた演奏家たちが仲間割れをして突然ステージを放棄してしまって、お店の主人が大変困っているから(・・・・・・・・・)ボランティアで助けてあげようと思いましてね」

「ボランティア」

彼女が繰り返す。

ボランティアとは、自分の意志で人を助け貢献する行為のこと。

今日も少女の脳が辞書を引いた。

「ええ。それでもしよかったらあなたも一緒にステージに出てみませんか?」


















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