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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
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第14話 茜色家のお屋敷


 彼の耳には何も届かなかった。目の前ではいつものように三つ四つ年下の子供たちが嬉々(きき)として騒いでいる。時に彼らの笑い声は耳をつんざく勢いだったが、それでも彼はその喜びを認識することはなかった。

代わりと言ってはなんだが、彼の隣の席に着いた赤紫色の少女のことがさっきから気になって気になってどうしようもなく気になってとにかくもう仕方がない。

少女は今日も突っ張った楽器を背にただただ正面を眺め、授業が始まるのを今か今かと待ちわびているようだ。

(気づいたら周りに人がいっぱい倒れてて、そんでもって記憶喪失で口もきけなかった?)

彼、即ち緋色(ひいろ)が彼女を横目で見やる。

彼女は変わらず前方を見つめている。その目は瞬き一つしない。

(こいつがそんな大変な目にあってただなんて……)

緋色はガクッと肩を下ろした。



「おかえりなさい」

コチニールと葡萄(えび)がこの家の(あるじ)に駆け寄った。

「ただいま」

クリムスンがよく磨かれた黒い車の後部座席から降車し、言い慣れたように答える。

しばらく家を空け若干の疲労が肉体を巡ってはいたものの、安堵の微笑みは忘れない。

「今回の任務も大変だった?」

コチニールが(ねぎら)う。

「そうでもない。カーマインは?」

「道場で稽古してる。父上が帰ってくるよって言ったんだけど」

「そうか、マゼンタは?」

「今日は塾ですね」

すかさず葡萄が答えた。

「ああ、そうだったな」

塾……

コチニールの中に否応なしに緋色の顔が思い出される。

(マゼンタ、本当に大丈夫なのかな……)

緋色と同じ塾に通っていることは本人から口止めされている。

でも兄としてはやはり心配だ。

クリムスン家のライバル、茜色家あかねいろけの一人息子と同じ空間で学んでいるだなんて……

コチニールは自分でも気づかないうちに微かな溜息をついていた。

勿論、その姿を父親は見逃さなかった。



教壇に立っているアガットが生徒たちを見渡すと、

「それじゃあ今日の授業はおしまいです。みんな気をつけて帰ってくださいね」

言い終わるが早いか子供たちが我先にと教室を出て行く。

緋色もいつもなら隣の奴にちょっかいを出しながらさっさと退席するのだが、この日はとにかく席に着いたまま、そいつをチラ見しまくっていた。

「なんだ?」

マゼンタがやれやれといった風に問いかける。

「えっ、あ、べ、別に……」

「授業中もずっとこっちを気にしていただろう」

「そ、そういうわけじゃ……」

「言いたいことがあるならはっきり言えばいい」

どうせまた私をからかうのだろうが。

赤紫色の少女は日々の彼とのやり取りを想像して半ばうんざりしていた。

なぜこんな気持ちになるのかわからない。こいつがなぜこんな気持ちにさせるのかわからない。

でも自分が呆れ始めているのだけは理解出来た。

「うー……じゃあ」

何やら考え込んでいた少年が顔を上げる。

「おまえが教員室で話してたこと、聞いちゃって……」

彼女の目が一瞬見開かれた。

「そのー、記憶喪失のこととか」

「……そうか」

心臓の鼓動が一度だけ大きくなった気がする。

けれどもそれはすぐに落ち着いて元の音程に戻った。

「別に盗み聞きしてたわけじゃなくて、なんていうかたまたま聞こえてきたっていうか……!」

少女は緋色の表情に首を傾げた。

「なぜ焦る?」

「だって……!」

「別に隠しているわけじゃない。かと言って誰かれ構わず言い触らされるのはどうかと思うが」

「いやまだ誰にも言ってないけど」

まだ?

つまりこれから言うということか?

彼女は少しだけ少年を(いぶか)しんだが彼は全く気にしていない様子で、

「てことはおまえ、クリムスン家の養女なんだな」

「そう、なるな」

「実はさ、オレも茜色家の養子なんだよね」

「え?」

「茜色家の母上は、ってオレはよくおぼえてないんだけど、物心ついた時にはもう死んじゃってたから」

「死……」

マゼンタの脳裏に一番最初の記憶が嫌でも蘇った。

周囲に倒れる無数の人々……なぜ自分はあんな場所にいたのか。

「とにかく、母上は体が弱くて子供がいなかったから、オレが小っちゃい時茜色家にもらわれてきたんだ」

「そう、だったのか」

緋色が、養子。私と、一緒。

「まあ、紅国くれないこくで養子になるのは珍しいことじゃないからさ」

「らしいな」

「うん」

緋色も養子、私も養女。

もしかして?ということは?

赤紫色の少女は姿勢を正して隣の彼に向き直った。

「もしかしておまえも記憶喪失なのか?」

「へ?」

「おまえは養子なんだろう?そして私は養女。だから」

「いやなんでそうなるよ」

「違うのか?」

「ちげーよ。同じ養子と養女でも状況が全然違うじゃん」

「そうか」

呆れる少年を尻目に彼女は考え込む表情を見せる。

(もし同じ記憶喪失同士なら、わかりあえることもあるかもしれないと思ったのだが……)

少女の中では養子・養女は記憶喪失という謎の方程式が出来上がっていた。

それは記憶を思い出したいが思い出せない、ならば同じ状況の人間に助言を貰おうといった微かな希望だったのかもしれない。

即座に打ち砕かれたが。

「なあ」

緋色の声掛けにマゼンタは現実へと引き戻された。

「今日ウチ来る?」

「……は?」

「いやほらさ、養子と養女同士なんか通じるもんがあるかもしれないじゃん」

少年は軽い感じで淡々と述べる。

(ああ、そっちか)

養子と養女だからという理由で誘っているのだな、記憶喪失同士だからというわけではなく。

彼女は今度はしっかりと彼の見解を理解することが出来た。

「それにおまえの勉強、オレが特別に見てやってもいいぞ」

「勉強を?緋色が?」

「だって小学生四年目だし。おまえよりは学んでる時間多いじゃん?」

それはそうだろうけど……

「なっ、どうする?」

マゼンタは何とも言えない感情を微かに滲ませながら緋色を見た。



カーマインと男たちの威勢の良い声がいつも以上に響いている。

それはこの家の頭首が久しぶりに帰宅して彼らの稽古を眺めているせい、というのは大いに関係しているだろう。

元よりこの守人一族にやる気のない者などいるはずもなかったが、頭首が見ている、それだけで彼らの士気は簡単に上がったのだ。

クリムスンが全体を見渡している。

カーマインも男衆も気合が入り、隙あらば自分がこれまでより上達したことを見せつけたい、道場内はその思いで溢れているようだった。

確かに、その思いを頭首はくんでいた。皆少なからず日々成長はしている、見ればわかる。

が、今現在彼が最も気にかかっているのは隣にぴたりと寄り添う彼の右腕、葡萄、ではなく、そのさらに隣に立つもう一人の息子のほうだった。

紫みを帯びた赤い瞳の息子は自分を出迎えた時からとにかく落ち着きがない。

いや、一般人ならともかく、葡萄でさえ気づかないのだから本人なりに相当その心情をひた隠しするのに努めているのだろう。

だがそこはこの国最大規模を誇る守人(もりひと)一族頭首、見逃すわけがなかった。

「さてそろそろ夕飯の時間でしょうかね」

眼鏡の葡萄が呑気に時を告げる。

(マゼンタ、塾で大丈夫かな。緋色ともし何かあったら……)

コチニールの中には先程からそればかりが繰り返されていた。

彼女が塾に行く時間になると心拍数が上がり、無事帰ってくると心から安堵する。

この数日その繰り返しだった。

「コチニール」

名を呼ばれた少年ははっと我に返り父親を見上げる。

「落ち着かないな」

「え……?」

「もし私に何か隠していることがあるのなら今のうちに白状したほうがいいぞ」

コチニールの目が本人の意思とは関係なく勝手に見開かれた。

「なっ、何かあったんですかっ⁈私たちに言えないようなことが……!」

葡萄が完全に狼狽(うろた)えている。

頭首の留守中に自分が把握していないことがあってはならなかった、絶対に。

「あ、えっと……」

マズイ……完全に見透かされてる……

クリムスンは目を泳がせる息子をじっと見下ろした。

「コチニール!」

葡萄が叫ぶ。

一回り小さくなった少年は心の中で妹に謝罪した。



黄みがかった赤色の少年の後を赤紫色の少女がついていく。

彼女にはずっと思っていたことがあった。

さっきから自分たちが歩く道の片側に白い壁が続いている。それには見覚えがあった。

日が落ち始め辺りに夕闇が迫ってはっきりと認識出来ないとはいえ、よく似ている。何ならいつも見ているのではないか、そんな気までしていた。

さらにはその壁が突然切れて、木枠の門を先導の少年が越え、

「ここがオレんち」

と少女を振り返り、彼女がそこで見た光景はまさに、よく知っている場所へ帰ってきた、そう見紛うほどのものだった。

少年が慣れたように歩を先へ進める。

彼女も置いて行かれないように続くが、見れば見るほど少女が住まう敷地内とそっくりだった。

(ここが茜色家、緋色の家?)

マゼンタは屋敷を見上げながら思った。

これは、クリムスン家ではないか?と。

「こっち」

緋色が屋敷の縁側へと向かう。

赤紫色の少女は首を傾げながらも彼の後をついていった。



塾の玄関扉が荒々しく引かれ、反動でまた閉まりそうになる。

しかし眼鏡を掛けた青年がそれをしっかり手で押さえ慌てたように中へと入った。

さらには必死な形相の少年も彼の後に続き、二人は脱いだ靴もそのままに急いで駆け出すと教室の中を覗き込んだ。

「誰もいない……!」

コチニールが絶望的に言い放つ。

廊下も室内も窓の奥の庭も、人っ子一人いない。

当然だ、授業の終了時刻はとっくに過ぎているのだから。

その時、教員室の扉がガラガラと開く音がして、二人は同時にそちらへ顔を向ける。

「おや?」

教員室から出て来た男がコチニールたちに気づくと、教室の前に立っていた二人は瞬く間に塾講師へ駆け寄った。

「先生、マゼンタはもう帰りましたか⁈」

葡萄がすがりつくようにアガットに尋ねる。

「はい、だいぶ前に」

「緋色もですか⁈」

コチニールも畳みかける。

「彼も帰りましたよ」

アガットは朗らかに答えた。

愕然とした葡萄は「二人は帰る時一緒だったのでしょうか⁈」塾講師の腕をがっちりと掴む。

「さあ、そこまでは。何かあったんですか?」



塾の敷地の前には一台の真っ黒な車が停車していた。

運転席や助手席には誰も乗車していない。

だが外からはしかと確認出来ないが、後部座席にはかなり背の高く肩幅も広い男が一人座っていた。

その大柄な人物は微動だにせず、まるで眠っている風な佇まいだった。

目を閉じ、口を閉じ、静かに呼吸をし、何かをただ待っているようでもあった。

僅かな時間、ほんの二、三分だろう。でも彼にとってその時間はいつも以上に長く感じられた。

だからこそ彼は心を落ち着けた。

こういう状況には慣れている。

危険が身近に迫っている感覚、それはいつも傍にある。

ただし今回は、自分に対してではない。

自分の大切なもの、護るべきものに迫っていた。

だから冷静に対処する必要があった。

冷静に、決して慌てず、覚悟を決める……

その時だ。

彼が待っているものが戻ってきたのは。

気配を察知した彼は目を開けると横の扉に据えられたボタンに手を伸ばす。

ぴったり閉まっていた窓がゆるりと下がり始め、景色が急に色づき始めた。

彼の視界には二人の人間がこちらへ走り向かう姿も見て取れた。

「マゼンタはもう帰宅したそうです……!」

葡萄がいの一番に報告する。

「緋色も帰ったって……!」

息子も呼吸を整えながら答えた。

二人の報告を受けたクリムスンは表情を変えずに景色の奥を睨んだ。



「オレの話聞いてる?」

「あ、聞いてる」

「じゃあ続きからな、だからさ、つまり……」

マゼンタと緋色は畳が敷かれた程よい広さの部屋で胡坐(あぐら)をかき並ぶように座っていた。

二人の前には丸い木机と塾で使用している教科書やノートが並べられ、筆記具等も一通り揃っている。

彼女は緋色先生による算数の説明を聞きながらちらり室内を見回した。

障子に襖に箪笥に縁側、まるでクリムスン家の一室を見ているようだ。

箪笥の隙間からは服の一部がはみ出しているし、畳の上には学校で使う物だろうか、塾では見たことのない教科書、鉛筆や消しゴムがちらほら散らばってはいるもののいたって小綺麗な部屋だった。

何より、赤紫色の少女は別の件について拍子抜けしていた。

(コチニールは緋色に注意しろと言っていたが、特に何も起きない)

マゼンタは覚悟していたのだ。

茜色家はクリムスン家のライバル。だから何かが起きてもおかしくない。

そう考えていたのに……

緋色が彼女のノートをペンで指し示す。

「だから、ここはこうなるからこうなって」

少女は机の上に視線を戻した。

「なぜ?」

「だからそれはこうだからこうで……」

「なんで?」

「だから、ここがこうなるからこうなって、こうなるんだよ」

彼女が一旦停止する。

「わかった?」

少年が赤紫色の瞳を覗き込んだ。

少女は幾分ゆっくり瞬きをすると、

「わかった」

そう答えようとした時だった。

突然、二人の側にあった襖が勢いよく開いたと思ったら、そこには背中までの真っ直ぐな髪とこれまた真っ直ぐに切り揃えられた前髪に穏やかな表情をした男がすっくと立っていたのだ。

年は四十程か、身長はマゼンタより少し高く中肉中背、柔らかな黄み寄りの赤い髪と瞳をした彼は、少し驚いたように少女を見下ろしている。

女子(じょし)?にしてもなんて色だ……)

彼の脳内にそんな感想が浮かび上がった間、緋色は彼を見上げたまま凍り付いていた。

対して赤紫色の少女はというと、初対面の彼を観察するようにじっと見続けた。

「あー、えっと、これは、その……」

緋色がしどろもどろになりながら何とか言葉を紡ごうとする。

「勉強のお邪魔だったかな?」

襖の前に立った彼が少年に視線を移す。

「う、ううん、そんなことないよ……」

緋色は顔を引きつらせながら答えるも、

「この子は?」

ごく当たり前の質問を投げかけられると、

「え、えっと、こいつは……」

どうしよう、このままこいつを紹介せずに突き進む、なんてそんなこと出来ねえし……!

少年は必死に考えた結果、生唾をごくりと飲み込んで、

「マ、マゼンタ……」

「マゼンタ?」

紛争地帯の?

穏やかだった彼の目元がほんの少しだけ反応した。

緋色は赤紫色の少女のほうへカクカクと首を動かすと、

「マ、マゼンタ、こっちは、オレの父上の、茜色……」

ずっと彼を見上げていた彼女の中でピースがはまった。

(こいつが茜色。緋色の父親で茜色家頭首。クリムスン家最大のライバル)

茜色は優し気な表情のまま少女を見下ろし、

「息子が世話になっているようだね」

「こちらこそ」

マゼンタは淡々と答えたが、隣の緋色はそわそわしっ放しだ。

どうしたら、この状況をどうしたら切り抜けられるのかあっ⁈

少年の脳内はそれだけを追いかけていた。

彼の父親はまた息子へ視線を戻すと「宿題は順調かい?」

「え、あ、まあ……」緋色は掠れ声で答える。

「それはよかった。実は仕事が早く片付いたんだよ。だから緋色と食事にしようかと思ってね」

次の瞬間、

「そうなの⁈」

少年の目が輝いた。

ほんの何秒か前までの心配はどこへやら、彼は父と一緒に食事をすることに無上の喜びを感じたのだ。

いつも任務の為に遠征し、帰って来ても仕事ばかりで家にいることが少ない。

だから共に過ごすこと、共に食事をすることは少年にとって幸せ以外の何物でもなかった。

「ああ」

茜色はマゼンタにも顔を向け、

「どうだろう、君も一緒に食べていかないか?」

「え?」

少女は思わずきょとんとする。

「いいじゃーん、マゼンタも食べようぜ!」

緋色は信じられないくらいにノリノリだ。

「でも……」

「遠慮はいらないよ。息子に宿題を教えてくれてるみたいだし」

「ん?」

マゼンタと緋色の二人が同時に固まった。

(いやー、そこは逆なんだけどなー。でもま、いっか)

少年は何事も深く考えない性質(たち)だった。

「さあ二人とも、一旦宿題は切り上げて夕飯(ゆうはん)にしようか」

茜色がそう言って彼女たちに背を向ける。

「おう!」少年も勢いよく立ち上がる。

でも赤紫色の少女だけは茜色を見上げたまま、

「私は――クリムスン家の養女だが、いいのか?」


















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