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イセカイロセカイ  作者: Elisu Arina
赤の章
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第12話 カーマインの挑戦


 その屋敷はどこかで見覚えがあった。灰色の瓦屋根に白い壁、とんでもなく長い縁側には障子がきちんと整列し(おもむき)のある庭園もまるで瓜二(うりふた)つ。屋敷の奥にはいくつもの平屋家屋、その横には赤い葉が実る畑が広がり、敷地全体を白い塀が囲っている。

そう、見る人が見ればこれは例の守人(もりひと)の家だと思うだろう。しかし敷地内を行き来する人々は姿形こそ似てはいたが全くの別人だ。

その証拠に三方を襖に囲まれ、残りの一つは障子戸が開け放たれて縁側の景色が見守る畳部屋に、黄みがかった赤髪の少年が正座をしている。

彼は部屋の中央に置かれた円形の机の前に座り、机上で(まぶ)しく光る画面をなぜか食い入るように見つめていた。

少年が見つめるその画面には、柔らかな黄み寄りの赤い髪と瞳をした齢四十程の男が映し出されており、真っ直ぐな長い髪に縁取られたその表情は瞳の色と同じく穏やかで優し気だった。

「そっちはどう?大変なの?」

少年が尋ねる。

「いや、順調だよ。みんな無事だし毎日変わりなく過ごしてる」

画面向こうの彼の父親は微笑みながら答えた。

「だよねっ、みんな強いし、何より父上は色光(しきこう)になれるんだからもう無敵だよなっ!」

「まあね」

「けどいいなぁ、オレも父上みたいに早く色光になりたーい」

「大丈夫、おまえならなれるさ、きっとね」

すると少年は画面にぐっと顔を寄せ、

「そうだよね!あー、めっちゃ楽しみっ!」

彼の父、即ち茜色(あかねいろ)は柔らかな眼差しを一人息子に向けた。

「それで緋色(ひいろ)のほうは?学校にはちゃんと行っているかい?」

「えっ?い、行ってるよ、一応」

「一応って……塾は?まさかサボってるわけじゃないだろうね」

父親のその言葉に緋色は大切な何かを思い出した様子で目を見開く。

「そう!その塾がもう一大事でさ!」

「ん?」

「今日オレのクラスにクリムスン家のヤツが入ったんだ!」

「なんだって?」真顔になった茜色が姿勢を正す。

「すっげー色のヤツ、あんなの今まで見たことない。しかも低学年クラスなのにどー見ても十六か十七くらいの女子で……」

「十六歳?そんな子がおまえと同じクラスで学ぶことになったのか?」

「そうなんだよ、どう考えてもおかしいだろっ?まあ、オレも人のことは言えないんだけど……にしてもアイツいったい何者なんだろ」

「緋色」

少年は父の声音(こわね)にはっとなった。

「その子には関わらないほうがいい。クリムスン家の人間なら尚更だ、いいね?」

穏やかだった茜色の瞳が冷たく光った。



 普段クリムスンやマゼンタたち兄妹が暮らす屋敷の奥には瓦屋根の建物がずらりと建ち並び、それらはどれも紙の障子に囲まれ同じような形をしていた。そしてその中の一つはいつもなら男たちの威勢のいい掛声(かけごえ)がこれでもかと響き渡っていた。

ところが、だ。

今夜は時間が遅いせい?いやそうではない。

その場所は一切人の声も物音すらしないながらも、内側から室内灯の明かりだけを煌々(こうこう)と漏れさせ、何かただならぬ気配を(かも)し出していたのだ。

けれど実際建物の中に入ってみるとそこには、道着姿のカーマインと塾帰りの格好をしたままのマゼンタがお互い少し間隔を開けて立っているだけだった。

たったそれだけ、それだけのこと。

だだっ広い道場に少年少女が向かい合っているだけだ。

それなのにその場はこれから何が起こるのか異様な緊張感を漂わせている。

そして彼女たちの側にはコチニールと葡萄(えび)が並んで見守っていたのだが、コチニールは呆れ顔で、葡萄に関しては心配を通り越し全身を震わせながら目をひん()いていた。

「カーマイン、あなた完全に頭がおかしくなってますよ!今あなたの目の前にいるのはマゼンタという正真正銘のあなたの妹ですからねっ!」

「んなこたわかってるよ!」

「わかってるならなんで妹に勝負を挑んでるんですかっ⁈」

「うるさい!そんなのおまえに関係ないだろっ!」

「関係大有りですよっ!もしあなた方に、いやマゼンタに何かあったらどうするんですかっ⁈」

「そんなん知らねえよっ!」

「知らないって……!」

なんて無責任なっ!と、葡萄は心の中で叫んだ。

弟と葡萄の会話を聞いていたコチニールは呆れながら、

「カーマイン、本当にやるの?」

聞き飽きたであろう質問を再度投げかける。

「やるよ!やるに決まってんだろ!」

唾を飛ばして答えた弟に対し、兄は鼻から息を深く吐いた。

(カーマインはこうと決めたら意地でも変えないからなぁ)

そんな風に思いながら。

「あのですねっ、言っときますけどマゼンタは女子(じょし)ですよ!女の子ですよ!それをわかってますか⁈」

「女だろうとなんだろうと関係ねえんだよ!」

「なんでそういう思考になるんですかっ⁈」

眼鏡を掛けた葡萄はカーマインの思考について行けなかった。

だが当の少年は兄よりも鼻息を荒くし、

(俺より強いヤツは全員ぶっ潰す……!)と、さらに意気込む。

弟の様子を見ていたコチニールは諦めたように、

「もう、カーマインてば……」(ひと)()ちた。

すると葡萄が咄嗟に少女のほうに顔を向け、

「マゼンタ!」

呼ばれた彼女は一応葡萄に視線をやる。

「嫌なら断ってもいいんですよ!そう、断りましょう!だって何も無理に付き合う必要なんかこれっ……ぽっちもないんですからっ!」

しかし赤紫色の少女はいつも通りの無表情で、

「ああ、大丈夫だ」これっぽっちも動揺する気配を見せず冷静だった。

「大丈夫って、私が言ってることわかってますか⁈」

「わかってる」

「ちゃんと理解してますか⁈」

「理解してる」

「本当にっ⁈」

「本当に」

眼鏡の彼は勢いよく自分の頭を両手で抱える。

もおおっ、クリムスンが留守の時に限ってなんでこんなことに……!

彼はこの状況を呪いに呪った。

マゼンタはそんな葡萄から視線を外すと前方を見つめる。

(こうして稽古をするのはあの時以来だ)

マゼンタの脳裏に自分が木刀でクリムスンに斬りかかった場面が思い出される。

もしかしたらまた体が勝手に動いて、記憶の何かを思い出せる、だろうか……!

少女の中に小さな希望が灯った。それは以前にもほんの僅かな間だけ出現したが、自分を取り巻くあらゆる現象にどこかへ忘れ去られていたのだ。でも今度は、もしかしたら……!

マゼンタは自分より背丈が低く実年齢も若い兄、カーマインを見下ろす。

真っ赤な彼の瞳は彼女を真正面からじっと睨んでいた。その瞳には並々ならぬ決意が燃え(たぎ)っており、それは明らかにクリムスン家に代々伝わる闘志そのものだった。

「あの時は木刀だったけど、体術はどうなのかやってみようじゃねえか!」

カーマインが言い放つ。

「タイジュツ?」

すかさずコチニールが妹に補足をする。

「何も武器を持たずに体だけを使って相手を倒すことだよ」

「なるほど」マゼンタはとりあえず納得した。

カーマインは構えの姿勢を取る。

その場の空気がピリリとさらに引き締まる。

けれど少女は何も感じていないのか一切動かず、それまでと同じ姿勢で立ったままだ。

そんな二人を見守る葡萄は居ても立っても居られずおろおろとし、コチニールはふうと溜息をついた。

「おっしゃあ行くぜっ!」

カーマインが赤紫色の妹のほうへ走る。

葡萄は思わず

「カーマインっ……‼」声を漏らした。

だがマゼンタは直立不動のまま全く動かない。

「マゼンタ……?」

コチニールが心配そうに呟く。

(こいつ全然動かねえ!まさか俺様にビビりやがったのか⁈)

カーマインは走りながら彼女をそう評価した。

「もらったあっ!」

彼はあっさりマゼンタの襟元を掴もうと右手を伸ばす。

なんだ、やっぱ全然たいしたことなかったじゃねえかっ!

彼がそう思った瞬間、だった。

どうしてか赤紫色の少女のほうが先にカーマインの襟元を掴んでいた。

「え……?」コチニールが目を見開く。

カーマインの体が彼女の頭上を舞っていた。

その次には床を豪快に打ち鳴らす音が響き、気づけば真っ赤な彼は背中から道場の床に倒れている。

「え……⁈」と、啞然とした葡萄。

「そんな……」と、それ以上の言葉が出ないコチニール。

当のカーマインは何が起きたのかわからず、倒れたまま目をパチクリとさせた。

マゼンタはそんな幼い兄を見下ろすと、

「これが体術か」

冷静に分析するように呟いた。

と、彼女は突然はっとし、

「私、今……」

少女はもう一度カーマインを見下ろす。

真っ赤な兄はポカンとしたまま彼女を見上げていた。

何が、起きたんだ?今、いったい何が……?

カーマインの表情はそれだけを語っていた。

二人を見守っていたはずの葡萄も目の前で何が起きたのか把握出来ず、

「今、何が……」口を開けっ放しにしている。

ただこの中で唯一、何が起きたのか理解したコチニールは、

「やっぱり、強い……!」

と、息を吞んだ。



静まり返った浴室内に湯気が立ち上る。視界は良くない。

でも湯船に浸かった少女の髪色があまりに鮮やかすぎて、誰が入っているのかは一目瞭然だった。

彼女は腰まである長い髪を頭頂部で一纏(ひとまと)めにし、温かい湯に肩まですっぽり浸かってぼんやりとしていた。

(まただ……)

マゼンタの中にカーマインを背負い投げた瞬間の映像が流れる。

その時感じた襟の感触、体にかかる兄の体重、床に伝播(でんぱ)した倒れる音、全てが生々しかった。

わからない、自分でもなぜこんなことが出来るのかわからないが、体が勝手に動いて、気づいたらカーマインが足元に、倒れていた。でも、それよりも……

彼女は滴の溜まった天井を見上げた。

「何も思い出せない」

少女は頭の隅々まで記憶を捜索した。

この家に来た時のこと、荒野でクリムスンと出逢ったこと、その前は、その前は……?

けれどいくら問い詰めても、どうにかほじくり返そうとしても、彼女の思いは届かなかった。

(稽古をしてもダメなのか?私はもう一生自分のことがわからないままなのだろうか?)

その質問にさえ彼女の中身はうんともすんとも言わない。

マゼンタは溜息をつきながら顔を下ろす。

そして(あきら)めたように湯の中に思い切り頭を沈めた。



コチニールが縁側に腰掛け夜の庭を眺めている。

庭の生息者(せいそくしゃ)たちは息を潜めてはいるものの、年若きこの家の息子を微笑ましく見つめ返していた。当の本人が気づいていようとなかろうと。

そこへ廊下を裸足でトボトボと歩く足音が聞こえてくる。

その音は真っ直ぐコチニールに向かってきていた。

「兄貴」

呼ばれたコチニールは足音の主を見上げる。

主は彼の近くで立ち止まると、

「あれ、何があったんだ?」

呆然としたまま口を僅かに動かした。

コチニールは弟の気持ちを察し、なんと言葉を発すればいいか一瞬悩んだ。が、

「わからない。気がついたらマゼンタが君を背負い投げてた」

自分が見た通りの光景を彼に告げた。

「マゼンタが?なんで?」

「なんでだろう……」

「なんであいつにあんなことが出来るんだ?」

カーマイン(ほう)けたように呟く。

まるで自分が言っていることを理解していないかのように。

「えっと……」

「なんで女のあいつにあんなことが出来るんだ?」

「……」

「俺、あいつに負けたってこと?」

「それは……」

「妹に、負けたってこと?」

「カーマイン……」

兄は彼を気遣うように目を細める。

マゼンタに負けたことが、よっぽどショックだったんだね……

弟は尚も続けた。

「俺、負けた……あいつに、妹に、負けたのか……」




 翌朝の屋敷は一言も発さなかった。

通常なら誰かが何かをする物音が聞こえてきてもおかしくはないのに、その日はなぜか口をつぐんで黙りこくり、昨晩の出来事をどこか慰めるような雰囲気さえ醸し出している。

この国は人々だけではなく屋敷まで空気を読むのか。

そんな感傷に浸っていた時だった。

真っ赤な鳥たちが、んなわけあるか、と元気に鳴き始めたのは。


鳥たちが甲高い声で鳴いている。その声はこの部屋にもしっかりと届いている。

毎朝のことだ、決して珍しくない。

勿論この室内の汚らしさもいつも通りで珍しくはない。

襖と障子に囲まれた部屋の畳の上には、教科書や筆記具、通学用の鞄に、脱ぎっぱなしの道着や通学服に帯など、持ち主の所有物が所狭しと溢れ、とにかくこれぞ足の踏み場もない状態と言うべきだろう。

しかしながらその部屋の主、カーマインは、中央に敷かれたと一応言えるだろうか……室内中央のぐちゃぐちゃに乱れた布団の中で両手両足を大きく広げ、仰向け状態で眠っている。かに思われたが、

彼はぼんやり目を開けると、

「朝……」

その目の下にはきちんと滞った(くま)が浮かび上がっていた。

ふと、彼の頭の中にとある光景が流れる。

それは鮮やかな赤紫色の少女が自分を見下ろしている、今は絶対に思い出したくない光景だった。

カーマインは途端に真っ赤な瞳とそれに劣らない充血した白目を見開き、もはや条件反射で上体を起こす。

(マゼンタ……!)

彼は両手の拳をこれでもかと握りしめた。

「……っくっしょーっ‼」

真っ赤な少年の雄叫びが屋敷中に鳴り響いた。



のどかな空気の中、クリムスン家の男たちが今日も庭で野菜を収穫している。今の季節は葉物野菜が美味しいだろうか。その野菜は厨房に運ばれ、肉体に割烹着と三角巾をムチムチに巻きつけた男たちの手によって上手い具合に調理されていく。そしてそれらは椀に盛りつけられ彼らの命を繋ぎ健康と運動という喜びを与える。

そんな彼らが作った朝食をありがたく頂いたコチニールが屋敷に戻り、通学用の四角い鞄を背負って廊下に出ると各部屋を見回るように声をかけ始めた。

「カーマイン、学校に行く時間だよ!カーマイン!」

どこに行ったのだろう、今朝はまだ一度も見かけていない。昨日のこともあるし……

コチニールに不安がよぎったその時、眼鏡を掛けた葡萄が丁度廊下の反対側から歩いてきた。

「いませんね」

「うん」

「まったく、どこに行ったんだか……!」

葡萄もカーマインを探していた。当然だ。

毎朝学校へ二人を見送るのが彼の生き甲斐、いや仕事の一つなのだから。

その二人のうち一人が姿をくらましては一大事になる。

しかも登校時間が刻々と迫っている。

眼鏡の彼にとって遅刻というものは決してあってはならない事象だった。

遅刻?この紅国(くれないこく)で?

有り得ない。

だから何としてでもカーマインとコチニールを二人同時にこの家から送り出さなくてはならない、そう()んでいた。

葡萄とコチニールが周囲に目を走らせる。

すると赤紫色の少女がすぐ側の部屋から顔を覗かせ、

「どうした?」

「あ、おはようマゼンタ」と、コチニール。

「おはよう」

「おはようございます」葡萄も朝一の挨拶をする。

「実は、カーマインの姿が今朝からずっと見えなくて」コチニールは早速妹の質問に答えた。

「え?」

「朝ご飯は一足先に食べたみたいなんですけどね」

カーマインがいない?

彼女の動作が一瞬止まる。

「もしかして、昨日のあれがショックで……」と、コチニール。

「もしそうならご飯が喉を通らないでしょう?けどさっき確認したら今朝もいつも通りの量を一気に平らげたそうですし」

マゼンタは首を傾げた。

あれ(・・)がショック?あれ(・・)とは?)

その時だった。

庭のほうから何やら(にぎ)やかな声がだんだんと近づいてくる。

だがよく耳を澄ましてみるとそれは二人の人間が言い争いをしているようでもあった。

「はいもうおしまい!」

「あと一回だけ!」

マゼンタ、コチニール、葡萄の三人は縁側に進み声が聞こえる庭のほうへ視線を向けた。

「カーマイン!」コチニールが思わず声をかける。

庭では長身のワインに腕を掴まれたカーマインがズルズルと引きずられながら縁側へ近づき始めていた。どうやらワインが嫌がる彼を何とかここまで連れて来たらしい。

マゼンタは久々に見かけたワインを一瞥(いちべつ)する。

「おう、皆さんお揃いで」

縁側に立ち並ぶ少女たちを見上げてワインが微笑んだ。

「もう、いったい何やってるんですかっ?」と、葡萄。

「ほら、カーマインが朝から稽古をしたいって言うもんだからちょっとだけ付き合ってみたらなんでか知らないけどこの通り、ずーっとべったりで」

コチニールと葡萄は呆れたように納得する。

「あー……」

「そういうことでしたか……」

カーマインはジタバタしながら自分の腕を掴むワインを見上げている。

「だからあと一回だけ相手になってくれって言ってんだろっ!」

「もう学校に行く時間だろ。おまえを遅刻なんかさせたら俺がクリムスンにどやされるわ」

「そんなこと……!」

と、続けて反論しようとしたカーマインは縁側に立つマゼンタにふっと目を留めた。

赤紫色の少女は真っ赤な彼を静かに見つめている。その瞳はいつもと同じで何ら変わりはない。

けれど妹の視線に真っ赤な兄はいたたまれないようにさっと姿勢を正した。と思ったら、

「マゼンタ!」

コチニールと葡萄はカーマインの急な大声にビクッとなる。

「俺はおまえに絶対負けない!体術でも剣術でも、いつかおまえを必ず倒してみせる!」

真っ赤な彼は少女を勢いよく指差した。

「へ?」

状況が理解出来ず腑の抜けた声を漏らすワイン。

葡萄は額に手を当ててがっくりとし、

(あちゃー……まあ、立ち直り早くてよかったけど、でも……)と、コチニール。

しかし兄から人差し指を差された当のマゼンタは、

「わかった」

「え?」コチニールは妹を啞然としつつ振り返る。

「楽しみにしてる」

彼女は無表情のままそう答えた。



背中に四角い鞄をそれぞれ背負ったコチニールとカーマインが並んで門へと歩いて行く。

二人の後姿は対照的で、弟はどこか吹っ切れたように意気揚々と歩き、彼の姿を横目で見た兄は苦笑いをするしかないようだった。

そしてそんな彼らをマゼンタと葡萄が玄関の外に出て見送っていたのだが、眼鏡の彼は朝だというのに既にげんなりとしていた。

「まったく、カーマインには困ったものです」

葡萄が早速小言を言い始める。

「昨夜の勝負もそうですが、いつかあなたを倒すだなんて……マゼンタは女の子だと、あれだけ危険なことはさせるなと散々(さんざん)懇々(こんこん)と言って聞かせたというのに……!」

少女は兄たちの去り際を眺めながら、

「でもカーマインがそれ望むなら、私、いつだって相手になる」

「はいっ?」

葡萄は眼鏡をずり落ちさせた。

「でも、たぶん負けないと思う」

勝手に体が動くだろうし。

彼女は心の中で呟いた。

「もう何言ってるんですかっ!あなたは女性なんですから、武術なんてもってのほかですよ!」

マゼンタはポカンとしながら隣の彼に視線を移す。

「なんだそれは?」

「ですからね」

葡萄は自分の眼鏡を元のあるべき位置に戻しながら、

「女性は危険なことは一切しなくていいんです。上品でおしとやかにしていてくださればそれで充分なんですよっ」

「そういうもの?」

「そういうものですっ」

「そういうものなのか?」

「だからそういうものですっ」

「ふうん」

「って、私が言ってることちゃんとわかってますか?」

その質問には答えず赤紫色の少女はくるり(きびす)を返すと、

朝飯(あさめし)にしてくる」

眼鏡の彼に堂々と告げて歩き出した。

「ちょっと!朝飯(あさめし)じゃなくて、(あさ)(はん)でしょう!どこでそんな言葉覚えてきたんですか⁈マゼンタっ!」

葡萄は半ばキレながら彼女を追いかけた。



 クリムスン家の全員が食事を取る場所、大座敷。

大座敷というだけあっていつもこの部屋は大人数で掃除をするのが彼らの決まりとなっている。そのほうが掃除もはかどるし、その分他の作業や稽古にみっちり時間を使えるから当然だ。というわけで、そろそろ見慣れてきた割烹着と三角巾姿の彼らが本日も方々(ほうぼう)に散らばりながら畳を(ほうき)()いたり、柱を雑巾で水拭きしていた。

勿論彼らに交じってワインとボルドーも障子の枠を雑巾でせっせと、しかし丁寧に拭いていたのだが、ボルドーは唐突にその手を止め、

「カーマインがあの子にコテンパンにやられた?」

目を丸くして相棒に聞き返した。

「多分な。あの言い方だと間違いない」

ワインは障子の枠を磨き続けながら断言する。

「いつ?」

「昨日の夜じゃないかな、それまでは割と普通だったし。って言っても最近の熱意は尋常じゃなかったけど」

「カーマインをコテンパンにするって……」

ボルドーは相変わらず固まったままだ。

「よっぽど悔しかったはずだよ。突然やって来た姉、じゃなかった、彼曰く妹にやられるっていうのはさ」

「じゃあ例の噂って……」

ワインは雑巾の手を止めて顔をひきつらせた相手方を見やる。

「うん、マジかも」



場違いな程激しい赤紫色の少女が玄関前に立ち、目の前の建造物を見上げていた。

その屋根瓦は所々か(ぼそ)い草が生え今にもガタガタと崩れ落ちそうで、早急に修理をしたほうが良いのではないだろうかと、知識の浅い彼女にも理解が出来た。

けれども少女の本分は勉強をすること。この星の全てを学ぶことにあった。

早く様々な科目を教わって、理解して、本来あるべき位置に立ちたい、彼女はきっと塾に通う誰よりもそう強く願っていた。

だから建物のボロさには目をつぶることにしたのだ。

とにかく勉強、勉強、勉強、勉強。

その思いが加速した。

加速して、加速しすぎて、まだ日が高いうちに塾の真ん前にやって来てしまったのだ。

(少し来るのが早かった)

塾というだけあって始業時間は小学校の授業が終わる時間帯。なのにそれまで時間はまだたんまり残っている。

どうするべきか。

彼女が目の前の建物を見上げながら考えていると、どこからともなく今まで聞いたことのないような音が聞こえてきた。

(なんだ?)

少女はすぐさま辺りを見回す。

でも周囲に誰かいるわけでもないし、変わった何かがあるわけでもないし、音の正体は掴めない。

彼女は塾の玄関扉をガラガラと横に引いてみた。

すると音がさっきより強くなる。どうやら音の元は建物の奥から聞こえてくるようだ。

赤紫色の少女は平べったい靴を脱ぎ下駄箱へそれをしまうと、音に誘われるように廊下を真っ直ぐ歩く。

そうして辿り着いたのは教員室の前だった。

(ここから聞こえる)

彼女は何の迷いもなく教員室の扉を横に引いた。

だがその瞬間、鮮やかな赤紫色の瞳が大きく見開かれ、心臓の鼓動が早鐘(はやがね)を打つ。

その感覚がいったい何なのか、少女にはわからなかった。

今目に映る光景も、自分が何を映しているのかも。

今耳に入るこの音も、この波も。

彼女にはわからないことだらけだった。

わからないことだらけなのに、さらにこれまで以上に更なるわからない感覚が全身を貫いた。

なんなんだ、これは、いったい、何が……?

マゼンタの瞳には塾講師のアガットが教員机の椅子に座り、まるで(つるぎ)のようにも見える楽器を左手で支え、右手で弓を持ち演奏している姿が映し出されていた。その楽器の胴は三角、そこから上に(さお)が伸び弦が四本張られ、胴部を骨盤に当てて弓で弦を引くと音が出る仕組みらしい。でもそんな見た目や仕組みなど今の彼女にはどうでもよく、アガットが指を動かす度に何とも言えない伸びやかな、しかし人の声を思わせるような魅惑的な音に自分の全てを持っていかれてしまっていた。彼女は何があっても無表情なことが多かった。けれど今は明らかに何かの(とりこ)になったように目を見開いたまま、一切身動きが出来ないでいる。

だがその瞬間はすぐに解かれた。

アガットが少女に気づいて演奏の手を止めたのである。

「おや、早いですね」

彼女ははっと我に返った。

「あ、えっと……早く来すぎた」何とか言葉を絞り出す。

「ふふ、そのようですね。でも構いませんよ、授業まではまだ時間がありますから中へどうぞ」

マゼンタは言われるがままに入室すると、アガットに誘われるように近づいた。その目は相変わらず彼の手の中にある楽器に注がれている。

いったいこれは、なんなんだ?

全体的にアガットの髪や瞳と同じような色をしたそれは、今はすっかり黙りこくって上品な(たたず)まいを見せている。

「あの、それは……」

「これですか?」

アガットが手中の楽器に視線を下ろした。

「これは〝セキエ〟という楽器ですよ」

「セキエ?」

「こうやって」

彼は楽器を構えると、弦を(こす)るように弓を横へ引いた。

途端にまろやかな一音が室内中に広がる。

「弦を弓で引いて音を鳴らします」

「弦、弓」

少女の瞳はセキエを捕らえたまま微動だにしない。

何がここまで自分を惹きつけるのだろうか。その理由は当然ながら理解出来なかった。

そんな彼女の様子を眺めていたアガットは何かを閃くと、

「何なら弾いてみますか?」


















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