第126話 謝罪
「柑子殿下」
相手が言うが早いか、柑子は走ってきた勢いのまま朽葉に抱きつく。
「来てくれた……!本当に来てくれたんだね……!」
柑子の瞳は涙で潤んでいた。
「それはもちろんにございます。殿下からお呼びがかかればこの朽葉、この世界のいかなる場所にも馳せ参じましょうぞ」
「うん、そうだね……!」柑子は朽葉から身を離す。
たとえ私をこの軍事学園に通うよう言い渡した張本人でも……
柑子は久々に再会した老人をじっくりと眺めた。
年齢はわからない。でも見た目は八十代くらい。背丈は自分より少し低く小柄で、橙人らしい日に焼けた肌に、大きくカールさせた短い髪、口の周りには髭を蓄え、髪と毛の色はかなり黄みよりの深い茶色だ。服装は襟の付いたシャツに膝丈の巻きスカートと、王都の道端でよく見かけるような格好をしている。
「殿下の成長はフォイーユモルトからよく聞いておりますぞ。また随分とご立派になられたと」朽葉も柑子を見て言った。
「ううん……いや、少しだけなら、前に進んでいるかもしれない」
「それは大きな一歩ですな」
「うん、そうかもしれないね」
緋色やマゼンタさんや、皆さんのおかげで……柑子の脳に仲間たちの顔が思い浮かんだ。
「ところで」
朽葉の視線が柑子の服装に向けられる。
「そのお姿は……」
「あっ、後で案内するよ!私たちのメイド喫茶に!」
「メイド?」
「その前に色んな所を見て回ろう、ねっ?」
柑子は執事服のことはさておき、笑顔で朽葉の手を引いた。
学園内で盛り上がっているのは何も中央棟に限ったことではない。
戦闘部でも衛生部でも屋内や屋外の施設を使って、生徒たちが思い思いの催しを開催している。
昼休み、と言っても昼の時間帯からはだいぶ後れを取っていたが、少しだけ休憩をもらったマゼンタは、ステージ衣装のまま学園の敷地をうろついていた。
普段は行ったことのない場所に行ってみようか、そう思って敷地の奥へ奥へと進み、とある校舎に入って階段を上った。
校舎の作りは戦闘部や衛生部にあるものとさほど変わらない。
長方形の石造りで、教室は四角いもので分かれ、片側に黒板、入口の扉から見て正面には日が燦燦と降り注ぐ窓が設置されている。
廊下の作りも戦闘部同様、片側に明かり取りの窓がずらり並び、その向かい側に教室が続いていた。
廊下も教室内も、どこかに人は必ずいる。
それは制服姿やあるいは奇抜な格好や、はたまたぬいぐるみを着込んだ生徒だったり、学園を訪れた客人だったり、とにかく人が行き来していた。
が、中央棟や戦闘部と比べてどことなく人の数は少なく、また客層もいささか落ち着いているように見受けられた。
マゼンタがまばらな人々とすれ違うように廊下を歩きながら教室を見ていくと、時に室内では手品のようなものを見せたり、隣の教室では写真撮影をしたり、中央棟で自分たちが行っているド派手演出からは相当かけ離れた催しを行っている。
こういった静かな出し物もあるのか……
彼女がそう思いつつ先を進むと、ちょうど誰もいない十字路に行き着いた。
奥にはまだ教室が続いているが、やはりとても静かで人っ子一人おらず、右側に行くと階段があり左側には廊下が伸びている。
するとその左側から、いかにも怪しげな格好をした人間が足早に歩いてきたのだ。
深くかぶったつばのある帽子の中に髪を詰め込み、目元にはサングラス、口は白いマスクで覆い、学園の男子制服を着込んだその人間は驚いたようにその場で立ち止まった。
「どうしてここに……!」マゼンタが啞然として言った。
「それはこっちの台詞だ……!」
相手はそう述べつつ、はっとする。
「私が誰かわかるのか……⁈」
「髪の色で」
マゼンタが自分の耳の後ろを指差す。
相手の帽子から漏れ出た髪の色は、マロウ王子とよく似た青みの赤紫色をしていた。
つまりこの男子生徒はマロウ王子の双子の弟、モーヴ王子ということになる。
「くっ、完璧な変装だと思ったのに……!」
そう言ってモーヴはマスクを外した。
(どこがだ)マゼンタは心の中で突っ込まずにいられない。
モーヴは彼女を見やると、
「おまえは今メイド喫茶で演奏中じゃなかったのか?」ぶっきらぼうに尋ねる。
「休憩中だ」
「へえ、そう、それはよかった、じゃ」
「ああ」
ところがマゼンタは真っ直ぐ奥へ、モーヴが左側に舵を切った為、つまり二人は同じ方向へと歩き出してしまったのだ。
「なんでこっちに来るんだよ」と、モーヴ。
「私はこっちに行きたいんだ」と、マゼンタ。
二人は仕方なくその場で立ち止まった。
「あのさ、私はこの先に用がある、だからついてくるな」モーヴがマゼンタを見下ろして言う。だが彼女も当然負けてはいない。
「おまえに何の用があるかは知らないが、私はこっちに行きたい。だからそっちこそ私の後をついてくるな」
「また〝おまえ〟呼び……」
彼の言葉にマゼンタははたとする。
「ほんとそれでよく守人とやらが務まるな」
モーヴは言い捨てると先を歩いた。
彼女は去っていく彼の背中を見つめる。その脳裏にはとある記憶が蘇っていた。
「悪かった」
自分の背中に浴びせられた声に、モーヴが思わず立ち止まる。
「夏休み、サイエイの都、肝試しの為に上った階段で言ったこと」
彼が彼女を振り返った。
「なぜ王子なのに兄のマロウ王子を演じるんだ?それも実技やイベントの時ばかり」
「まるでおまえは本当にマロウ王子の影だな」
マゼンタとモーヴの中に、同じ台詞がこだましていた。
その場にしばし沈黙が漂う。
しかしそれを破ったのは、マゼンタのほうだった。
「昨日マロウ王子に言われたんだ。〝私たちのことはあなたには関係ない。だからもうこれ以上詮索するな〟と」
彼女は一呼吸置いて続ける。
「全くその通りだと思った。私には王子たちのことは関係ない。だから今後一切詮索するようなことはしないよ」
マゼンタがモーヴ王子を真っ直ぐ見つめて宣言すると、今度溜息をついたのは王子のほうだった。
「おまえが素直に謝るとか、気色悪」
「は?」
「言いたいことがあるなら言えばいいし、疑問があるなら聞けばいい、それでいいじゃないか。まあこっちも返したいことは返させてもらうけど」
「へ?」
謝ったのに、心から素直に謝罪したのに、なぜこういう展開になる?
彼女が口を呆けさせていると、
「だいたい、私たちが変わろうとしてるのに今更引くなよまったく……!」
「今なんて……」
マゼンタが目を真ん丸にして聞き返そうとした、ちょうどその時、
「あ、あのっ……!」
モーヴの背後から、聞き取れるか否かくらいの小さな声が響いた。
二人がはっとして声のほうを向くと、一人の女子生徒が教室の扉から恐る恐る顔だけ出してこちらを見ている。
(話を聞かれた⁈)マゼンタとモーヴが心の中で同時に思った。
まずい、これはまずい、緊急事態だ‼
マロウ王子が二人いることがバレた⁈モーヴがマロウを演じていることがバレた⁈自分たちはどこまで話した⁈どこまで明かした⁈
マゼンタとモーヴが恐ろしい速さで自分たちがここで出会ってからの会話を必死に思い返していると、目の前の少女がこれまた小さな声で囁いた。
「あ、あの……わ、わたしたちの、展示、見ていって、くれませんか……?」
彼女の思わぬ申し出に、マゼンタとモーヴの思考が一瞬停止したのは言うまでない。
教室内は日の光が窓から降り注ぎ、明かりをつけなくても展示物の内容がよくわかる。
入って右側の壁に取り付けられた黒板、それと面する後方の壁、そして室内を区切るように並べられたパーテーション。それら全てに白い大判の紙が貼り付けられ、写真や細かな文字がびっしりと埋まっていた。
写真から察するに、これはどうやら武器に関するありとあらゆるレポートらしい。刀剣、弓矢、銃火器、ミサイル、中にはいったいどうやって使用するのかよくわからないものまで、とにかく武器の外観や構造とそれに関する説明が事細かに書かれているようだ。
マゼンタとモーヴは、とりあえずそれらに目を通しながらパーテーションの間を歩く。
室内には自分たちと例の女子生徒しかおらず、他にここへやって来る者もいなかった。
女子生徒はマゼンタより若く小柄で、橙人らしい日に焼けた肌、クリクリと細かくカールした長い髪を低い位置で一つ結びにし、髪と瞳の色は赤みをおびた茶色だった。ちなみに服装は学園の女子生徒が普段着用する制服だ。
その彼女はマゼンタとモーヴから離れた所に立ち、なぜか恐る恐るこちらをじっと窺っている。
やはりモーヴとの会話を聞かれてしまったのだろうか……マゼンタがそう考えを巡らせていると、
「あ、あのっ……!」
女子生徒がマゼンタに向かって声を掛けた。
マゼンタが彼女を振り返ると、相手は額に汗を浮かべ、全身を強張らせている。これはいったい?マゼンタは少女の真意を測ろうとじっと見返した。
すると相手は思わぬ台詞を口走る。
「い、以前、助けてもらって、その、ありがとうございました……!」
「助けた?」マゼンタが彼女の言葉を繰り返す。
しんとした室内に少女の囁きが響いて、モーヴも彼女を振り向いた。
「その……乗馬クラスで……」
彼女は視線を下に向け、唾を飲み込みながら何とか先を続ける。
「馬に乗れなかった、わたしを、助けてもらって……本当はすぐ、お礼を言いたかったんで、すけど、機会がなくて、今になってしまって……あの時は、ありがとうございました……!」
「あ……」
マゼンタの脳裏に、入学当初受講した乗馬クラスの記憶が蘇った。
「どういたしまして」
女子生徒に一応そう答えつつ(そんなこともあったか?)マゼンタは心の中で首を傾げる。
モーヴはと言うと、若干微笑みながらまたレポートに目を通し始めた。
マゼンタは彼女に尋ねる。
「乗馬クラスが一緒ということは、私たちは必修クラスが同じクラスメイトということか?」
「は、はいっ、そうですっ」
「そうか」
マズイ、気づかなかった……
「えと、け、研究開発部、武器開発学科、雀と言います……」
雀……そういえば、入学当初は同じクラスにいたような気もするようなしないような……
マゼンタは何とか記憶を掘り起こそうとしつつ、自分がまだ自己紹介をしていないことに気づいた。
「私は……」
「あっ、大丈夫ですっ、よく存じてますっ……!」
「そ、そうか……」
よく?
マゼンタは再度心の中で首を捻った。
「あのっ、わたしたちの、展示を、見てくださって、ありがとうございます……!」
雀がお礼を述べ、マゼンタはパーテーションに貼られたレポートに視線を戻す。
「これは、武器の、レポート?」
「は、はいっ、そうですっ。わ、わたしたちは、武器開発学科、なので、新型の、武器のレポートを、学園祭で発表することに、なっていて……」
「ああ、なるほど」
マゼンタは目の前のレポートを凝視した。
(しかしながら……全く理解不能なのだがっ⁈)
彼女はこれでもかと目を見開く。
実際、レポートに貼られた写真からそれが何を意味しているのかはだいたい察しがつく。けれどもそれに対する説明が、全くわからない。
(これは余程高度な知識がないと理解が出来ないのかっ⁈)
彼女が一人悶々としていると、側に立っていたモーヴがプッと吹き出した。
彼に目をやったマゼンタが心の中で威嚇する。(なんだ?何が可笑しい)
笑いを堪えるモーヴは雀を振り返って、
「一つ伺いたいのですが」
「は、はいっ」
「先程私たちが廊下で話していた会話をどこから聞いていらっしゃいました?」
躊躇ない質問にマゼンタも雀を振り返った。そう、それが一番聞きたかったのだ。
「えっと、ど、どこからと、言われますと……この教室の中にいたら、廊下から話し声が、聞こえてきて、見てみたら、確か……〝素直に謝る〟とか〝気色悪〟とか、そんなような会話が……」
「なるほど」モーヴが穏やかに微笑む。
すっかり会話の内容を思い返したマゼンタも、ほっと胸を撫で下ろしていた。
(そこからなら王子たちのことはバレてないだろう……)
しかも雀の態度から、今目の前にいる帽子とサングラスの男子生徒が、マロウ王子と全く同じ姿形をしていることにも気づいていないようだ。この妙な変装も、意外と役には立ったらしい。
「ところでこのレポートですが」モーヴの話には続きがあった。
「はいっ」
「全て黄星語で書かれていますよね?」
「えっ?」
「黄星語?」マゼンタが口をポカンとさせる。
雀は慌ててパーテーションに貼ったレポートに近づいた。そして口に両手を当てると、
「んあっ⁈ホントだっ……!えっ、なんでっ……⁈」
彼女はしばし混乱した様子を見せたが、すぐ何かに気づいて、
「あっ、わたしの変換ミスだ……!全部黄星語で書いてたから……!というか共同研究なんだから展示前に誰か気づいてもよかったのにっ……!」
内容にばかり気を取られて言語変換するの忘れるだなんてぇっ……!
雀は今にも泣き出しそうな顔で自身を責めた。
そんな彼女にマゼンタが声を掛ける。
「あの」
「は、はいっ」ぐっと涙を堪えた雀がマゼンタを見上げる。
「そもそもなぜ黄星語で研究を?」
素朴な疑問に雀は冷静さを取り戻した。
「あっ、えっと、その……わたし、生まれは、橙星なんですけど、親の仕事の都合で、ずっと、黄星で暮らしてきたから……」
「なるほど」
すると雀は途端にもじもじし始める。
「あの、本当に、教えてくださって、黄星語のこと、あと、この展示、見てくださって、感謝しても、しきれないんですけど、その、わたし、ちょっと、研究仲間に、このこと、知らせにいかなきゃ、いけなくて、席を外すことに、なるんですけど……!」
「ああ、そうだよな」
「どうぞ、行ってください」モーヴも彼女を促した。
「すみませんすみません、本当にごめんなさい、ちょっとだけ、行ってきますっ……!」
そう言って雀は教室から走り去っていった。
「どうりで全く理解出来なかったわけだ」
雀を見送ったマゼンタが納得したようにうなずく。
「黄星語には精通してないんだな」モーヴはまたレポートに視線を戻すと「ま、橙星語の敬語も出来ないくらいだから当然か」と、付け加えた。
その言葉にマゼンタは内心プチ切れる。
「やはり王子ともなると黄星語だろうと赤星語だろうと流暢に話せるんだろうな」
「一応」
「ああそうか」
「ええそうです」
彼の返しに彼女は苛ついた。どうしてこうも苛つくのだろうか。
マゼンタは腕組をすると話を変えるように尋ねた。
「で、彼女が言ったこと信じるのか?」
雀が自分たちの会話を途中から聞いていたのなら、マロウ王子のことを不審には思わないだろう。でもそうではないのなら……
モーヴはパーテーションに貼られたレポートからマゼンタに視線を移して言った。
「彼女は嘘をつける人間じゃないよ。それは見てればわかる」
「へえ、人を見る目があるんだな」
「一応、王子ですから」
何でもかんでも〝王子だから〟で片付けてないか?
彼女は何とか苛立ちを抑えようと、腹の底から息を吐いた。そしてようやく心が落ち着いたところで、
「じゃ、私はそろそろ行く」
「え?」
「メイド喫茶に戻らなければ」
「あ、そ」
マゼンタは教室の扉へ向かった。ちょっと長居しすぎたかもしれない。
その時、背後から王子の声が降ってきた。
「おまえさ、また音楽続けるの?」
彼女は思わず扉の前で立ち止まる。
「なぜ?」
「私が言うのもなんだが、色光クラスを片手間にしないほうがいい。甘く見てると大怪我するぞ」
マゼンタは振り返って、「そんなつもりは……」
「チェスナットと何かあっただろ?」
彼女はモーヴに目を留めた。同様に、彼も瞬きせずにこちらを見つめている。
「私は……音楽を続けるつもりはないし、色光クラスを片手間にする気もないし、甘くも見ていない。それに」
マゼンタは王子に背を向けた。
「チェスナットとは何もない」それだけ言い残すと教室を後にした。
一人室内に佇んだモーヴは、彼女が去った扉を見つめ続けている。
「最後のは嘘だな」と、呟いて。




