第124話 赤星楽師の本領発揮
メイド喫茶の真ん中でマロウ王子と向かい合ったマゼンタは口を開いた。
「イベントに本人が登場するとは驚きだ」
「あまり大きな声で言わないでもらえます?このことを知っているのは私たち以外ではあなただけなのですから」
「昨日屋上で言ったことが気に障ったか?」
マロウ王子の脳裏に一瞬、彼女から言われた言葉が蘇ったが、王子はこう答えた。
「まさか」
「ならどうして急に」
「ただの思い出作りですよ、特別深い意味はありません」
「思い出?」
マゼンタがほんの少し怪訝な顔をしたその時、パーテーションで覆われた教室の隅の簡易厨房から柑子が声を掛けた。
「マロウ殿下、厨房はこちらですよ」
「はい、今参ります」
マロウは柑子にそう答えると、再度マゼンタに視線を向け、
「演奏、頑張ってくださいね。ビスタではありませんが楽しみにしています」
そうして簡易厨房へと向かった。
マゼンタは思う。
(マロウ王子本人が今ここにいる。ということは……)
彼女が何やら思案しつつステージのほうへ向かおうとすると、今度は別の人間に呼び止められた。
マゼンタが振り返ると、そこにはメイド姿の葡萄が心配そうな表情で立っている。
彼女は思わず目をしばたたかせた。
「大丈夫ですか?」
「いや、ちょっとまだ目が慣れなくて……」
「あっ」葡萄は自分の格好を見下ろす。どうやら相手は言葉の意味を勘違いしているらしい。
「いえその話ではなくてですねっ」
葡萄はまた心配そうな顔に戻ると話を続けた。
「昨晩のことです」
「昨晩?」
「ほら、夕食の後……」
マゼンタの脳に、グラウンド側に設置された階段での出来事が思い返される。
確か、葡萄が自分を追いかけてきて、コチニールのことを頼まれて、そして、意識が飛んだ。
というより、自分でもわけのわからない言葉を呟いていたのだ。
その後気づけば葡萄が自分を心配していて、私はセキエの練習があるからと、その場から立ち去ったのだった。
「今度はまるであなたが何かに憑りつかれたみたいになって……」
「ああ、あれは……なんでもない、気にしないでくれ」
「本当に?」
「ちょっと、セキエの練習と色光基礎クラスで疲れが出ただけだ」
葡萄が愕然とする。
「あなたが、疲れる?」
「……私をなんだと思っているんだ」
「いえ、そんな疲れを知らない怪力頑丈人間だと思っているわけではありませんが……」
思ってるじゃないか。まあ事実だが……マゼンタは葡萄に対し心の中で呆れた。
「とにかく昨日のあれは忘れてくれ、なんでもないから」そう言いつつ黒板のほうへ向かう。
「マゼンタ……」
だって、私自身なぜあんな言葉が口を出たのかわかっていないのだから。
マゼンタはふうと鼻から息を吐いた。
自分が記憶喪失だったことは自覚している。時たま、何だかわからない文言を口走ることがあることもわかっている。でもそれがなぜそうなるのかは、未だによくわからない。
マゼンタはステージの椅子に座っているアガットと臙脂の元へやってきた。
「悪い、待たせた」
するとアガットがやけにニコニコと笑っている。
「なんだ?」
「あなたはモテモテなんですね。お家の方からも、紫星の王子様からも」
「モテ?」マゼンタが口を呆けさせる。
「皆さんから気を遣われて、皆さんから心配されて」
「別にそういうわけじゃ……」
「いいんですよ別に、音楽を疎かにして恋の道を選んでも」
「なんだそれは」
「いえね、ただこれから本番だというのにいい度胸をされているなと思いまして」
「は?」
臙脂が無言のまま呆れたようにアガットを見た。
「楽師たる者、本番前は最高の演奏をするべく精神を統一するべし」
「……それは、そうだな」
「アガット」さすがに臙脂が口を挟む。
「ん?」
「誰に説教してるんだ」
「え?」
「一応王宮楽坊の楽師にまでなった奴に言う台詞じゃないだろ」
「あ……」
アガットは珍しくぎこちない表情でマゼンタを見上げた。
でも彼女は、
「いや、いい。アガットの言う通りだと思う」師の助言を肯定した。
これから本番。でも練習量は楽坊にいた時と比べて圧倒的に足りないし、三人で合わせたのも昨日の夕方だけ。
マゼンタは目を閉じた。
(だから、とにかく、集中して、自分が今出せるものを全て出し切るしかない……!)
その時だ。
「また今回も狭いわねぇ」
「ヤッホー、来たよ」
やけに訛りのある橙星語が入口から響いたと思ったら、この星では特に珍しい格好をした二人の女がそこに立っていた。
一人は二十歳くらい。紫みを帯びた優しい赤色の瞳と髪色をし、前髪も横の髪も後ろへ向かって厚みを出すように結わえ簪を挿し、化粧は厚め、服装はマゼンタと同じ布を前で重ね合わせたものだが、布自体を体にぴったりと密着させている。
もう一人はマゼンタより少し若い。かなり黄み寄りの淡い赤色の瞳と髪色で、肩下までの髪を低い位置で二つ分けに結び、背は低く、もう一人と同じような着物を着ているが丈が異常に短くて太腿から下が丸見えだ。
しかも若いほうの女はやはり今回も体のいたる箇所に、ありとあらゆる打楽器を装着していたのである。頭にも耳にも肩にも肘にも手首にも膝にも足首にも、そして胸の前には大きな太鼓を抱え、両手にはお決まりの撥を持っていた。
室内にいたメイドたちは当然彼女たちの姿に驚いたし、何ならステージ上のマゼンタたちも目も見開いている。アガットただ一人を除いて。
「なんで……⁈」臙脂の声がかすれる。
「ルビー、珊瑚……⁈」
マゼンタが彼女たちの名を口にした。
「お久しぶりね」と、ルビー。
珊瑚も「元気だったぁ?」と、赤紫色の少女に尋ねる。
彼女たちの声に気づいた柑子とマロウも簡易厨房から出てきて、二人の赤人に、特に珊瑚の格好に目をしばたたいた。
「あっ、アンタらっ!」緋色が何かを思い出したように指を差す。
「知ってる人?」ヘンナだ。
コチニールも赤星紅国での記憶を思い起こし、「マゼンタと一緒にレストランで演奏してた……!」
ひたすら眠そうなトパーズも、一応ルビーと珊瑚をしっかり観察する。
「ルビーと申します」
「珊瑚です」
二人の楽師は丁寧に頭を下げて名を名乗った。
ビスタとラセットは珊瑚の体中の打楽器を呆然と眺めている。
「な、なんか」と、ラセット。
ビスタも「すげえな……」
橙星だって相当な広さがあるし、開拓されていない未知の場所があるにも関わらず、こんな格好をした人間など今まで見たことがない。
臙脂が相棒のアガットを振り返る。
「どうして彼女たちをここに……⁈」
「だってせっかく学園祭という晴れ舞台なんだから、私たちだけじゃなくて彼女たちにも協力してもらおうと思ってさ」
相棒の返答に臙脂のこめかみが脈打った。
(だからって前もって私には言ってほしかったっ……!)
するとすかさずルビーが臙脂に近づいて、
「あらぁ、やっぱり私たちお邪魔だったかしらぁ?そうよねぇ、いっつもアガットと二人きりでイチャイチャしたいんだものねぇ。やだごめんあそばせぇ」
臙脂は椅子から勢いよく立ち上がる。
「だから誰がイチャイチャだ!前にも言ったが、私は好きでこいつと一緒にいるわけではない!」
「とか言っちゃってぇ、本音はどうだかぁ」
「ルビー……!」
「まあまあ」打楽器まみれの珊瑚が、臙脂とルビーの間に割って入った。
彼らのやり取りを呆然と眺めていたマゼンタは思う。このくだり、前にも見たような……と。
「あの、このお二人は……」
ヘンナがアガットに尋ねた。
「ああ、私たちの音楽仲間です。マゼンタが王宮楽坊に入る前にはレストランのステージで一緒に演奏したこともありまして」立ち上がったアガットが答える。
「へえ」
「うん、オレ見たよ!」と、緋色。
「僕たちも」コチニールが葡萄に目配せすると、眼鏡の彼もうなずいた。
緋色は「二人共腕は確かだぜっ!」と、彼女たちを褒め称える。
「あ、ありがとう」
ルビーは何とも言えない顔で少年に礼を述べた。この少年に音楽の何がわかるのだろうか、とでも言いたげに。
「そうなんですね」ヘンナが素直に納得する。
「勝手に呼んでしまってご迷惑でしたか?」
「いや、そんなことは全然。むしろありがたいくらいなんですけど」
ヘンナは不思議に思っていた。
(なんでこの先生はこんなことまでしてくれるんだろう)
彼女の思いに気づいているのかいないのか「それはよかった。じゃあルビー、珊瑚、準備頼むね」アガットは仲間の楽師を促す。
珊瑚は元気に返事を返すと、自らの体に装着した打楽器を一つ一つ外し、ルビーは胸元から木でできた横笛を取り出した。
だが不思議に思っていたのはヘンナだけではない。
「あの、お二人はわざわざこの為に赤星からいらしたんですか?」
マルーンがアガットに尋ねる。
「ええ」
「このメイド喫茶の為だけに?」
「そうですよ」
「すごい……」と、呆然としたコチニール。
葡萄は若干呆れて(そこまでする価値がこのメイド喫茶に?)と、首を捻った。
ステージではルビーが横笛の音出しをして、珊瑚は急遽用意した机に打楽器を並べていく。
その時、メイドたちの陰に隠れていた人物が疑問を口にした。
「でもそれは一度も音合わせをしていないということですよね」
ルビーと珊瑚以外の全員が声の主を振り返る。
「先程のマゼンタさんや臙脂先生の反応から推測したのですが」
疑問を呈したのは紫星のマロウ王子だった。
「えっ?」と、驚く柑子。
コチニールも「そうですよね、そういうことになりますよね……!」瞬きを繰り返す。
「その通りです!さすが紫星の王子様、よく見ていらっしゃる!」
マロウ王子の疑問に対し、アガットが仁王立ちで答えた。
臙脂は相棒の態度にがっくりとする。(褒められたことじゃない……)
ビスタとラセットに関しては、これ見よがしに吹き出した。
「一度も合わせてねえのに演奏なんか出来んのかよ」ビスタだ。
ラセットも「無理っしょ」と、笑いこける。
興味を失くしたトパーズはあくびをする始末だし、ヘンナは思いっきり不安そうな表情に変貌している。
しかしマゼンタは師匠に確認した。
「今回演奏する橙星の曲は全部伝えてあるんだろう?」
「もちろん」
「なら問題ない」
言い切った彼女に柑子が尋ねる。「そ、そうなんですか?」
「ルビーと珊瑚は天才だ。アガットと臙脂もな。だから問題ない」
「あなたも、マゼンタ」
アガットが赤紫色の少女に視線を送った。
マゼンタは師にその視線を返した。
「そう、だから大丈夫だよ!」と、事情をよく知っている緋色。
柑子は一瞬不安を覚えたが、緋色までもが念押しするのだし、どうにかなるのでは?と思い始めた。マロウは微笑みつつも冷静にマゼンタを見定めようとしている。
するとビスタが告げた。
「だったらやってもらおうじゃねーか、その天才共の演奏ってヤツをよおっ!」
メイド喫茶のステージに前列下手からマゼンタ、アガット、臙脂が順に並んだ。後列にはルビーと珊瑚が並び、五人全員が椅子に座ってその時を待っている。
マゼンタとアガットはセキエを、臙脂はショウエを、ルビーは横笛を構え、珊瑚は両手に撥を持ち、目の前に並べられた打楽器類を見回している。
マゼンタたちの前にはメイドたちと、執事姿の柑子王子、マロウ王子が立ち並んでステージ上の彼女たちを眺めていた。
「じゃあ、参りましょうか」
アガットの掛け声で、楽師たちが彼の弓の動きに注目する。
そして五人同時に演奏を始めた。
珊瑚が太鼓を叩き、ルビーが横笛を鳴らし、マゼンタとアガットと臙脂が弓を引く。
「わあっ!」
緋色が思わず瞳を輝かせた。
そう、これだ、この感覚だ!今でも憶えている、懐かしいこの響き――‼
コチニールと葡萄は目を見開き、マルーンとトパーズはポカンとし、柑子は半開きの口で微笑み、ビスタとラセットの顎は外れている。
マロウもあまりの驚きに何度か瞬きを重ねた。
「これって〝ジラドゥアンサ〟じゃない!」ヘンナが叫ぶ。
「え、ジラドゥ?」聞き慣れない単語に、口がもごもごする緋色。
「橙人なら知らない人はいない名曲中の名曲よっ!意味は確か……〝宣戦布告〟!」
緋色は呆れた。「どんな曲だよ……」
今マゼンタたちが演奏しているのは、決してそんな物々しい雰囲気の曲ではない。リズム感があって、何か楽しいことが今にも始まりそうな曲なのに〝宣戦布告〟って……
「別に戦争始めるぜ!っていうわけじゃなくてね、夫婦喧嘩とか、兄弟喧嘩とか、あるいは試合とか、とにかく何かを始めようって時によく流れる、昔っからある曲なんだよね!」
ヘンナはなぜか興奮しているが、緋色は何とも言えない相槌を打った。
ここで葡萄が何かに気づく。
「そうか、マゼンタたちは今回橙星の曲を演奏するから……!」
「まるで今まで聞いたこともないような感じになるのか……!」
コチニールも気になっていた。
今流れているのは、赤星紅国で聞いていた曲とはまるで違う。
紅国の音楽も、確かにノリのいいものはあるが、ここまで激しくはない。むしろどこまでも穏やかで、とにかく音が途切れないのが特徴だ。
(同じセキエという楽器なのに、赤星の曲と橙星の曲でこんなにも変わるなんて……それをマゼンタは短期間でここまで弾けるようになるなんて……)
コチニールの瞳が思わず潤んだ。
柑子も「マゼンタさん、皆さんも、すごいです……」それしか言葉にならない。
マロウもふっと微笑むと、(まさかここまでとは思わなかった)正直な感想を胸の内で述べた。その時、
「あのぉ、いいですか?」
メイドと執事たちが後ろを振り返ると、入口に客が群がっている。どうやらこの音色に惹かれてやって来たらしい。
「お客さん来たーっ!」と、喜ぶ緋色。
「い、いらっしゃいませっ!」
ヘンナは声を上ずらせて客人を迎え入れた。




