第123話 学園祭スタート!
中央棟の屋上から三つの音が響いていた。
一つは低く深い音で曲を支え、二つは高く明るい音で曲をリードしていく。
低く深い音を鳴らしているのはアガットの相棒である臙脂だ。彼はショウエというセキエと外見や構造は同じだが、セキエよりかなりサイズが大きく棹も長い弦楽器を演奏している。アガットより背丈があって腕も長い臙脂には、ショウエのほうが奏でるのに収まりがいいらしい。
そして高く明るい音を鳴らしているのは勿論、アガットとマゼンタだ。
二人はセキエの胴を腰に当て、棹を左手で支え、右手に持った弓で弦を擦っている。
学園祭のメイド喫茶で演奏する曲は、基本的に橙人なら誰でも知っている有名なものをアガットが選曲した。赤星紅国の、特に王宮楽坊で演奏する曲調とは違い、橙星の曲はとにかく明るくてテンポが速い。
にも関わらず、演奏する彼らのうち一人は、曲は明るいのにどこか表情が晴れなかった。
むしろ普段から無表情なのだから、表情が晴れるも何もないのだが、明るいはずの選曲がどことなく沈んでいく。
これはいったいどうしたことか。
曲をリードするアガットは不意に演奏を止めた。同時に臙脂とマゼンタも弓を止めて、アガットに顔を向ける。
「どうかされました?」
アガットがマゼンタに尋ねた。
「え?」
「いえ、なんだかあなたらしくないと思いましてね」
アガットだけではない、臙脂もマゼンタをじっと見ている。
「私らしい?」
「あなたの演奏はいつも一生懸命、真っ直ぐにセキエや曲と向かい合う、それがあなたの良さなのに、今日はなんだか集中出来ていないようです」
師の言葉にマゼンタははっとした。
「だからどうかされたのかなと思いまして」
マゼンタはアガットから遠くの景色に視線を移した。
数十分前、マロウ王子に言われた言葉が、彼女の脳に蘇っていた。
学園祭前夜の食堂では明日の準備を終えた生徒たちが談笑し、彼らに交じったいつものマゼンタたちメンバーも、テーブルの両脇に並ぶ長椅子に座って食事を取っていた。
「俺たちの女装姿けっこうイケてたよな?」と、ビスタ。
ラセットも「うんっ、本気でアリなんじゃねーかと思った」
はしゃぐ男二人の向かい側で、コチニールと葡萄はぐったりしている。
コチニールは「いや、どうかな……」
葡萄に関しては「こんなことがもしクリムスンに知られたら……」
赤星にはもう戻れません……!
本気でそれを心配していた。
ビスタとラセットの女装メイクが終わった後、緋色、マルーンがメイクをし、最後にコチニールと葡萄もメイクを施してもらったのだが、あの光景は決して忘れられないし、出来れば二度としたくない。
あれに明日はヘアアレンジも加わって、メイド服を着て客の前に立つだなんて、想像するだけで恐ろしい、と葡萄は思っていた。勿論、今は全員厚化粧を落として、すっぴんに戻っている。
「んな心配することないって!けっこうみんなかわいかったよ、なあっ?」緋色がマルーンに同意を求めた。
「うん、そうだね、悪くはなかったと思うよ」
「ほらっ!」
少年たちはそう言うが、コチニールと葡萄はがっくりと肩を落としたままだ。
(あの姿は誰にも見られなくない……特にマゼンタには……)
コチニールが隣席の妹に目を向けると、彼女はいつものように豆をスプーンですくって口に運んでいる。
葡萄は緋色とマルーンに言った。
「お二人はまだお若いですから何をやっても誤魔化せますよ」
「は?」と、緋色。
「誤魔化……?」と、マルーン。
「でも私のような大人では少々、いえだいぶ、いえ結構、いえかなり相当皆様のお目汚しになってしまいます……」
彼の言葉を聞いた柑子王子は苦笑いを浮かべると、
「あー、葡萄さん、それをおっしゃったら……」
「はい……?」
ふと葡萄が顔を横にずらすと、トパーズが自分の髪の毛先を指でいじりながら呟く。
「あたしなりに一生懸命やったつもりなんだけどなぁ」
途端にコチニールと葡萄ははっとなった。
「あっ、いえっ、トパーズさんの技術を悪く言っているわけではなくてですねっ……!」焦るコチニール。
「え、ええ」葡萄も一応うなずく。
「トパーズさんのお化粧だったり髪を結ったり、人を綺麗にする技術は本当に素晴らしいと思いますよ……!」コチニールは何とか彼女を褒め称えた。
だが葡萄は内心こう思っている。(対象がそれを望んでいればの話ですが……)と。
「本当?」
トパーズがコチニールに上目遣いをした。
「はい!」
「じゃああたしに敬語使うのやめて。あとトパーズさんじゃなくてトパーズで。ヘンナのことも呼び捨てでしょう?だからあたしも」
「えっと、うん、トパーズ」コチニールはとりあえず瞬きを重ねて彼女の名を呼んだ。
「なあに?コチニール」
トパーズは甘ったるい声でコチニールに問い返す。
葡萄とトパーズの間に座っていたヘンナは、何とも言えない微妙な顔で瞳を左右に動かしながら肉を咀嚼している。
対して葡萄は、トパーズを冷たい目で一瞥した。その時、
「ごちそうさまでした」
マゼンタが拝むように両手を合わせた。
「えっ、もう食べたのっ?」コチニールが空っぽになった妹のプレートを覗き込む。
「おまえどんどん食うの早くなるな」
さすがの緋色でさえ、まだ口の中をモグモグさせている。
「ちょっと先に行く」
そう言ってマゼンタは長椅子から立ち上がった。
コチニールが尋ねる。「セキエの練習?」
「ああ」
妹はこちらを振り返ることもなく、プレートを持ってその場を後にした。
彼女の後姿を見送ったヘンナが言う。
「ホント練習熱心だよねー」
すると隣に掛けたトパーズが小声で呟いた。
「行っちゃえ行っちゃえさっさと行っちゃえ」
「アンタ、マジ……」ヘンナはトパーズの本音に頬を引きつらせるしかない。
同じくマゼンタを見送った柑子はコチニールに質問する。
「セキエという楽器は余程練習が必要なんですね」
「ええ、そうらしいです」
「どーせホントはど下手だから練習しないと本番ヤバいんじゃねえの?」ビスタだ。
ラセットも「んだんだ」
「それまだ言ってるの?」コチニールが呆れたように聞き返す。
「だって俺たちアイツが演奏してんの聞いたことねえもん、一度も」
ビスタの返答にコチニールは溜息をついた。
なんで妹がこんな言われようをされなくちゃならないのか。
その時緋色が朗らかに言った。
「明日楽しみだなー!マゼンタの音楽を聞いたみんながどんな反応するか!」
コチニールは少年の言葉ににこりとする。
「そうだね」
ビスタもラセットも今は知らないだけ。明日になればきっと態度は百八十度変わるはず。
と、もう一人の人物が突然椅子から立ち上がった。
「私もちょっと先に参ります!あ、ごちそうさまでした!」
彼は自分のプレートを手にすると、急ぐように厨房へ向かう。無論、プレートを返却するためだ。
「ちょっ、葡萄?」
コチニールが彼の背中に声を掛ける。
「トイレじゃね?」と、緋色。
葡萄はとにかく急いでいた。
問題は山積みだ。このまま放置しておいたら、解決出来ずにどんどん膨れ上がってしまう。
彼の脳裏にコチニールに近づくトパーズの姿がよぎった。
それでも今は……!
彼は彼女の後を追うように食堂を後にした。
食堂がある建物から外へ出ると、生徒たちがちらほらと夜の歩道を歩いていた。
これから食事を取るために食堂へ向かう者、反対に食事を終え寮へ帰る者、彼らの多くはそのどちらかだったが、赤紫色の少女は人通りのない方角へと歩を進めた。
一旦寮に戻ってセキエを持ち出して、また人のいない場所に赴いて練習をしなければならない。
セキエはかなり大きな音が出る。
勿論弾き方を調整することで、音を小さくすることも可能だが、それでは練習にならない。
今日アガットに指摘されたこと。
〝集中出来ていない〟
これはセキエを演奏する者にとって致命的だ。
ただでさえ酷い音が容易く出せる楽器なのに、ちょっとでも集中力が欠けたら、それこそどうなるかは目に見えている。
明日が本番、セキエ奏者として絶対にミスは許されない。
マゼンタは一旦気を引き締めるために、夜の歩道を人気を避けて歩いた。
やがて辿り着いたのは誰もいない階段の上だった。
階段の下には夜のグラウンドがひっそりと広がり、これが日中なら生徒たちが体術の稽古に励みそうな場所だった。
すると誰かが遠く背後から自分の名を呼んでいる。
彼女は振り返って、その声の主を確認した。
「葡萄?」
眼鏡の彼はマゼンタの元に走ってくると、彼女と向かい合った。
「ちょっとよろしいですか」
「どうかしたのか?」
「あなたの気持ちを確かめておきたいと思いまして」
息を整える彼に、マゼンタは軽く首を傾げる。
「キャンプで言ったこと、憶えていますか?」
彼女は葡萄の言わんことを察して彼を見つめた。
「私がコチニールの側にいると、かえって危険なことに巻き込んでしまう気がする。だから、それならもう、コチニールの側にはいないほうがいいと思う」
マゼンタは答えた。
「ああ、憶えてる」
「しかしあなたは、王都でコチニールが悪霊に憑りつかれた時、コチニールを元に戻そうと必死でした。しかも自らの危険も顧みず崖から飛び降りた、彼を助けるために」
彼女は葡萄を見つめ続けた。
葡萄は言う。
「だから私は確信したのです。コチニールにはあなたが必要だし、あなたはコチニールを絶対に助けるのだろうと」
マゼンタは葡萄から視線を外した。そして背後の階段に体の向きを変えた。
「コチニールは、もうすぐ私の手の届かない所へ行ってしまいます。コチニールは戦闘部色光学科へ進み、私は戦闘部対人学科へ進み、何をどうしたって私の力が及ばない状況にも出くわすでしょう。だからその時あなたにコチニールの側にいて、彼をフォローしていただきたいのです」
彼女は夜空を見上げる。
空にはたくさんの星々に交じって、一際赤色に輝く星と、同様に輝く黄色の星が浮かんでいた。
葡萄が一歩前へ踏み出した。
「お願いします、どうかコチニールと共に、コチニールと歩幅を合わせて、少しずつ前に進んではいただけないでしょうか……!」
「私は……」
ぼんやりと空を見上げたマゼンタが口を開く。
「私は何のためにこの星へ来たのだろう」
「は……?」
唐突な質問に葡萄の瞼が持ち上がった。
「私は何のために生まれて、何をするためにここへ来たのだろう」
「マゼンタ?」
彼女は空から顔を下ろし、目の前を呆然と眺めた。
「私は、誰かに逢うためにここへ来た。誰かに逢って、何かをするためにここへ、この星へ……」
葡萄が彼女の正面に回り込む。
「マゼンタっ?」
彼は思わず彼女の腕を掴んだ。
それと同時に、マゼンタの意識が今に引き戻された。
早朝、都立チョウサイ軍事学園に光のない、爆音だけの花火が響いた。
花火の音は敷地内全体に広がって、本日開催される学園祭の始まりを知らせたのだ。
早朝にも関わらず学園内の至る所では生徒たちがいそいそと動き回り、飾り付けの最終調整をしたり、思い思いに着飾って出し物の練習を重ねている。
マゼンタたちが借りた中央棟の教室も、中から外までしっかりとメイド喫茶仕様に変貌を遂げていた。
教室内は普段使われている木製の机が数個ずつ集められ客が座るテーブルとし、壇上には椅子が三つ並んでマゼンタらが演奏するステージとし、そのステージの横にはパーテーションで区切った箇所を設けた。
パーテーションの中は厨房だ。簡易コンロと元からあった水道の蛇口が一つ、数十の食器にポット、ここで女装を免れた柑子王子とマロウ王子がお茶を準備する手筈となっている。
教室内の壁にはコチニールが下書きした植物の絵がそこら中に飾られ、窓辺にはレースのカーテンを取り付け、室内の至る所にキラキラ輝く花飾りを貼り付けた。しかも天井には誰が考案したのか、銀色のミラーボールまで輝きを放っている。
教室の外側、つまり廊下側も扉の周囲も飾りは同様で、花と植物と光が満載のメイド喫茶が出来上がった。
この教室、いや、メイド喫茶の中で、各々準備を終えたメイドたちが意気揚々とその時を待ち望んでいた。一部気乗りしないメイドも交じってはいたが、それでももうすぐ客がここへやって来る。
メイドたちは皆、黒いミニ丈のワンピースに、白いフリルが目一杯付いたエプロンを着て、頭には白いフリルのカチューシャ、脚は太股までの白いソックス、先端の丸い黒い靴を履いて、一様にポーズを決めていた。やはり、気乗りしないメイドを除いて。
そこへ白いシャツに黒いパンツスーツを重ねた、柑子王子とマロウ王子がやって来た。
「わあ、皆さん華やかですね」
メイド服に厚化粧を施された男子生徒たちを眺めて柑子が言った。
「だろお?じゃなかった、でしょぉ?」と、大男ビスタ。
ラセットも「やっぱスカートとか履くとさらにイイ感じになるわよねぇ」
コチニールは「脚がスースーするよ……」と、スカートの裾をさっきからずっと引っ張っている。
「しかしながら……」
葡萄は柑子とマロウに視線を向けた。
殿下方が執事服とは、いったいなんの嫌がらせか……
橙星の王子と紫星の王子は、黒いスーツを執事らしくしっかり着こなしていた。
「王子たちも似合ってるよ、執事の格好!」と、緋色。
(それは禁句でしょーっ!)葡萄が心の中で悲鳴を上げる。
「そ、そう?」柑子が照れたように頭に手をやった。
「うん!かなりイケてる!」
緋色の反応にマロウも微笑む。「それはありがとうございます」
対して葡萄はがっくりと顔を伏せた。殿下たちのお心が広すぎる……
すると男子生徒らと同じメイド服姿のヘンナとトパーズが、教室の扉をくぐった。
二人は格好こそ彼らと同じだが、化粧はどうしてか彼らよりもだいぶ薄い。
「おーっ、みんな準備万端ね」ヘンナが全員を見回して言った。
トパーズはあくびをしながら、「そりゃ今朝三時起きで準備始めたもの、完璧に決まってるわよ」
「お疲れっす!」ビスタとラセットがトパーズに頭を下げる。
コチニールは眠そうなトパーズを見て思った。
(確かに、トパーズは僕たち全員のお化粧や髪を一人で作り上げた。なのに僕がこの姿を嫌がるわけにはいかないよね……)
コチニールは短いスカートの裾から両手を離すが、彼の様子を葡萄が密かに観察していた。
その時、三人の楽師がメイド喫茶へと入室する。
彼女たちは布を体の前で重ね合わせて帯で締めた、赤星紅国の伝統衣装を着こなしていた。うち二人はセキエという楽器を持って、もう一人はショウエという楽器を手にしている。
「あっ、マゼンタ!」彼女たちに気づいた緋色が声を上げた。
マゼンタ、アガット、臙脂の三人は、その場の男子生徒らを見て啞然となっている。
「なんとまあ……」と、アガット。
臙脂も「すごいな……」それしか言葉にならない。
マゼンタは「コチニール?葡萄?緋色?」と、通常見慣れている姿からだいぶかけ離れた彼らの名を呟いた。
コチニールは顔を両手で覆う。(でもやっぱり見ないでっ……!)
葡萄も淡々と彼女に告げた。「何も言わないでください」
「あ、ああ」
「オレたち超似合ってんだろっ⁈」と、満面の笑みを浮かべる緋色。
「んに、似合ってる……」
マゼンタは何とか少年の言葉を繰り返した。
(これは似合っていると)と、アガット。
(言えるのだろうか……)と、臙脂。
反対にマゼンタの姿を確認した緋色は、
「なんかそうやってセキエ持ってると懐かしい感じするなっ!」彼女を素直に褒めた。
「そ、そうだな」
「でもマゼンタさんたちはメイド姿ではないのですね」
紫星の王子の疑問に、マゼンタがはっとして視線を向ける。
(マロウ王子……)
本物のマロウ王子が彼女にふっと微笑み返した。
「いや一応打診はしたんだけどさ」
ヘンナの答えにアガットが畳み掛ける。「セキエは赤星の神聖な楽器ですからやはり赤星の伝統的な衣装で演奏しないことにはっ、ねえっ?」アガットは相棒に同意を促した。
「ああ」これに関しては臙脂も即答だ。
「って先生方に言われちゃあね」
「なるほど」
マロウ王子が瞼を閉じて納得する。
(神聖な楽器というより、マイナー過ぎて誰も知らない楽器なのでは……?)葡萄が心の中で思わず突っ込んだ。
すると、教室の外から何やらはしゃぐ声が聞こえてきた。どうやら客人が既に校舎内へ入って来ているらしい。
「おっ、学園祭始まったみたいだな!」と、ラセット。
緋色は「っしゃあっ、腕が鳴るぜっ!」思い切り肩を回す。
「どんな鳴らし方なんだろ」と笑顔のマルーン。
コチニールは今一度溜息をついて、自分の格好を見下ろした。
(この姿でお客様の前に立たなきゃならないだなんて……)
トパーズの頑張りはよくわかる、よくわかるけれども……!
「じゃあみんなスタンバイよろしく!柑子王子とマロウ王子は簡易厨房に、マゼンタと先生方はステージで演奏始めちゃってください」ヘンナが的確な指示を与えた。
「はいっ」元気な返事をする柑子王子。
アガットも「わかりました」と答える。
ビスタは「演奏、楽しみにしてっからよ、マゼンタ」嘲るように彼女に告げた。
マゼンタは大男の挑発には乗らず「ああ」とだけ返す。今日の彼女は昨日の彼女とは違っていたのだ。
それに気づくはずもないビスタとラセットは、顔を見合わせてくくっと笑う。
そしてそれぞれが教室内に散っていくが、マゼンタとマロウ王子だけはその場に残り、互いをじっと見つめたのだった。




